父性の欠如

私は開業医の家で育ち、病院経営を見よう見まねで

覚えてきた。だから名取にクリニックをたちあげてから

できるかぎり子ども達に、クリニックの仕事に参画させ

てきたのだ。掃除をしたり、お客さんにお茶を出したり

物品の準備や後片付け、椅子を並べたり出したり

資料を渡したり。子どもにもできることはある。そして

親の患者さんへのふるまいを自然にみて、学んでいく。

すると子供たちはまず

「大きくなったら、ナースになりたい」

と言い出した。その後まもなく長女が

「やっぱりナースはやめて、お医者さんになりたい」

と言い出した。理由を尋ねると

「ナースは、お金(給料)もらうだけの人でしょ。お医者さんは

お金(診療報酬)稼げるでしょ。そしたらママが助かるでしょ。

だからわたし、お医者さんになる」

自然にクリニック経営を学んでいて、驚いたものだ。

 

なのに夫は、わざわざ京都までいって、法を犯した(まだ裁判前だけど)子どものためによい手本になり、我が子は自分を超える存在になるよう教え導きたい。と考える「父性」を、夫は持ち合わせていなかったのだと思い知らされた。

 

まあそれも仕方ないのかもしれない。子どもが夫に憧れ慕うようになる仕込みも、私がしていたから。夫自らの努力で、演出していたわけじゃなかったからねえ。自分がどうあらねばならないか、何もわかっていなかったんだろう。

 

離婚前に父子対面できるよう、接見禁止処分の一時解除を申し立てている。弁護士さんは

「奥さんは無理でも、お子さんだけでも会えるように頑張ります」

とおっしゃってくださっている。接見できたとしても、事件のことは話していけないことになっていて、ずっと警察官が見張っているそうなので、まあ私は会わなくてもいいかなと思っている。

 

弁護士さんを通じ、

「子ども達、とくに長女は、父の逮捕に傷ついて、悩んでいる。自分の何が悪かったのかと考えてしまっている。母親には気を使って、何も言わないようにもしているようだ。たった20分の接見の中で、子どもに何を伝えるのかよく考えておくように。」

と夫に伝言してもらった。

 

実家には、

「子どもに、留置所にいる父親をみせて、大丈夫なのか?」

と心配されたけど。

 

わざわざ京都まで法を犯しに行く数時間、父は

我が子のことを忘れ、ただただ自分の身勝手な思いを先行させた

という事実を超えるショックは、存在しないから。

 

向き合って、受け止めて、乗り越えてこい。

 

という気持ちで、母は送り出すつもりです。