母性との決別

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10年前、夫にプロポーズされてから
というもの、私は母性全開で生きてきた。
子ども産むまでは、甲斐甲斐しく夫の
世話をした。子どもを産んでからは
仕事も大学も結局やめてしまい、自分の
身なりすら構わず、子育てに没頭した。
夫開業にあたっては、自らの蓄えを
開業資金にあててやり、もろもろの
調整ごとも手続きもすべてやった。
夫と子どものために、生きてきたのだ。

しかし夫は、父としての役割を放棄し
あろうことか、京都で事件を起こした。
私が自らを犠牲にし、家庭の世話に
没頭してきた前提には、夫が父性を
発揮し、私たち家族を外敵から守り
お金の心配をさせないはずだという
信頼があった。夫が病気や事故など
何らかの不運やミスで、働けなくなったなら
受け入れられただろう。医療事故や
訴訟に巻き込まれることだって、覚悟
して結婚している。だが夫がわざわざ
京都まで赴いてやったことは、家庭を
わざわざ壊しにいったものと同義であり
母性全開で生きてきた私を全否定する
ものだった。

離婚目処がたってから、私は終活に
向かっていた。病的ではないので
向精神薬は効かない。なぜ死ぬ計画
を進めようとしてしまうのか
じっと自分の心と向き合ってみた
ところ、強烈なストレスに適応しよ
うとして、4つの人格に分裂して
しまった状態にあることに気づいた。
うち三つの人格が庇っていたのが
母としての私。母性は自己犠牲だ
から、予想もしなかった子どもの父
からの攻撃に、我が身を挺して
子どもだけは守ろうとして、自ら
の命にかえようとしていたのだ。

夫逮捕で直面した現実。

元国会議員の44才を、雇ってく
れる企業はたぶんない。

夫逮捕でバツ2になった子持ち
の私に、再婚は無理。相手も
無理だし私も無理。

ということは、自営業頑張るしか
ないのです。オッサンたちに
頭下げてあるき、仕事もらうしか
ないし、仕事選んでもいられない
のです。

つまりこれからの生活に、母性は
無用。このまま葬ってしまって
何ら差し支えない。

夫が逮捕されてからはじめて、
涙を流すことなく、一日を終えました。

さよなら、母性。9年間
幸せだったね。短い時間だったけど
こどもたちにはたっぷり愛情注いだから
あなたの役目は全うできているよ。
よく頑張ったね
安心しておやすみ。