術中
ムアジの配下たちがざわめいた。
どうやら賞金首としての似顔絵が知れ渡っているようだ。
皆、正体を明かしたセラス・アシュレインを凝視している……。
ハイエルフという物珍しさもあるかもしれない。
「これは……少々驚きました。蠅の剣士の正体が、まさかあのセラス・アシュレインとは……」
納得顔になるムアジ。
「しかしこれで合点がいきました。豹人の逃亡に手を貸すのと引き換えに、あなたは禁忌の魔女の棲み家までの案内を豹人に頼んだ。逃亡者同士、イチかバチかでそこへ逃げ込む算段だったわけですね? ちなみに――」
探るように片目を開くムアジ。
「五竜士殺しは、あなたが?」
「だとすれば?」
「いえ……五竜士殺しは、あなたではありませんね。他の誰かです」
「……なぜ、そう思うのですか?」
「簡単ですよ。あなたがあの”人類最強”より強いとは思えない……なぜならこのワタシが、この者たちよりもあなたが弱いと感じるからです」
パチンッ
ムアジが指を鳴らした。
すると、一人の男が前へ歩み出た。
男がフードを払いのける。
全身に彫り物をした男。
禿頭。
落ちくぼんだ瞳。
「彼は、豹人の最後の血闘で対戦相手となるはずだった男です。名をベルガー。そして、もう一人――」
スッ
ムアジが指先を動かした。
セラスはその先を視線で追った。
斜め前の林の暗がり。
目を凝らしてみると、一人の男が片膝をついていた。
巻き上げ式の弓を構えている。
大きな矢が、セラスへと向けられていた。
「あれはベルガーの兄のヴァラガンです。二人は我々アシントの誇る最強の兄弟でしてね? しかし、これは奇妙な巡り合わせとも言えます」
二人がタダ者でないのは瞬時に伝わった。
しかもなぜか、既視感に近い感覚を伴って。
「彼らの末弟の名を、お教えしましょう」
(……末弟の名?)
「二人の末弟の名は、ザラシュ・ファインバードです」
「!」
すぐに思い当たった。
ザラシュ・ファインバード。
逃亡するセラスを追い詰め続けた凄腕の傭兵の一人。
トーカに殺されたあの
生前”牙”と呼ばれていた戦士。
勇血の一族。
「思い至ったようですね? そうです、彼らはあなたを追い詰めたと言われているあの”牙”の兄なのですよ」
ベルガーが無感動に言った。
「ザラシュはデキの悪い弟だったが、アレに苦戦させられたとは……セラス・アシュレインも大したことはなさそうだ。出来損ないのザラシュよりも、おれたちは強いぞ?」
「…………」
精式霊装を用いてもあの四人組には苦戦を強いられた。
特にザラシュには苦戦させられたのを記憶している。
言葉通り本当にあの男より強いとなると……。
(ムアジはウソをついていない……彼らは、本当にザラシュの兄のようですね……)
ニコリとするムアジ。
「おわかりいただけましたか? アシントは暗殺や毒物だけに頼っている集団ではないのです。十分な戦力も、備えています」
兄弟は隙なくセラスを注視している。
彼らはいつでも攻撃に移れる状態にあった。
セラスが動けばすぐに攻撃を開始するだろう。
再び、月が雲に隠れた。
辺りを闇が覆う。
ムアジが言った。
「暗殺の技術、確固たる戦力……そして、このワタシの頭脳と洞察力がアシントには揃っています。戦いに特化しただけの豹人など敵ではありません。仮に五竜士を倒した者が襲ってこようと、我々には勝つ自信があります」
ベルガーが舌なめずりした。
他のアシントもセラスに視線を集中させている。
闇が邪魔だとばかりに苛ついている者も確認できる。
どうもセラスの姿をハッキリと目にしたいらしい。
「どうしますか、セラス・アシュレイン? 刃向う素振りを少しでも見せれば、ヴァラガンの豪速必中の矢があなたを射貫くことになります。もし豹人がどこかから襲ってきても、ベルガーが問題なく叩き潰すでしょう」
セラスは一歩、後ずさった。
「林の中へ逃げ込むのは、おすすめしませんね」
ムアジが警告を口にした。
「あなたの背後の林の中には、実はすでにワタシの配下たちが回り込んでいます」
アシントの一人が賛辞を口にする。
「さすがはムアジ様です。あの娘、まんまと策にハマりましたな」
「囮を使ったのはあなただけではないのですよ、セラス・アシュレイン。驚きましたか?」
ムアジが自分の胸に手を添えた。
「
灯りを持っている部隊。
灯りを持ってない部隊。
ムアジは二つの部隊を用意していた。
第二陣の先頭半分は灯りを持った部隊。
灯りを持っていない後ろの半分は、途中で闇に紛れて林の中へ移動した。
あえて灯りを手にして目立つよう移動していたのも。
ムアジが大声で会話していたのも。
すべては、闇に紛れて背後からセラスたちの不意をつくために用意した別働隊から、意識を逸らさせるため。
結果、セラスは包囲されることになった。
もはや逃げ場はない。
ムアジは、そう語った。
「今までの会話も要は時間稼ぎだったのですよ。別働隊が、あなたの逃げ道を阻むまでの……」
苦笑するムアジ。
「真相を明かす語りには引き込まれざるを得なかったですよね? ええ、わかります……いかにも謎の真相が明かされていると感じる語り口に対して、人は耳を傾けざるをえないものです」
一瞬だけセラスは背後へ視線を滑らせる。
(もし林の中に大掛かりな罠があれば、別働隊が先に被害を受ける……おそらく別働隊は、罠の有無を確認させるための捨て駒でもあった……)
「豹人と少女も今頃は別働隊が捕らえているかもしれませんねぇ。別働隊の方にも手練れを用意しましたから……しかし、静かなものでしょう? 気配を消しながら背後からこっそり忍び寄る。これが、暗殺者の技というものです」
またもや気まぐれな月明かりが顔を出した。
セラスに月光が降り注ぐ。
目もとを緩めるムアジ。
「しかしまあ……なんとも、見事な美貌ですねぇ……」
セラスを見る者たちは明らかに興奮を隠し切れていない。
目や口もとを見れば、何を考えているかはわかった。
最強の兄弟も。
沈着冷静な印象のムアジも、胸の高鳴りを抑えきれぬ様子。
「あなたは時間をかけてワタシ直々に”祝福”を与え、正しき呪神の徒として”脱皮”させる必要がありそうです。もし五竜士を殺した者について何か知っているのなら……”祝福”の過程で自ら話したくなるでしょう。ワタシの”祝福”を受けた者は一人の例外もなくワタシに絶対服従してきました。五竜士と対峙したあなたが一体何を目にしたかを聞き出すのも……まあ”祝福”のさなかでよいでしょう」
祝福。
薬物を用いた洗脳だろうか。
アシントが、さらに扇状に広がった。
セラスを取り囲むようにして。
「あなたを狙っているあの矢には痺れ薬が塗ってあります。矢にかすっただけであなたは動けなくなります。これは……兄弟の出番すらなさそうですかね? いかに強かろうと……状態異常を引き起こす我らの”呪術”の前では、誰もが無力……」
ムアジが一歩、前へ出た。
「これで詰みです、セラス・アシュレイン」
「…………」
「この結末を読んでいたからこそ、ワタシはあなたにすべてを話しました。そして次々と”真相”を繰り出すワタシの話術に引き込まれている間に、気づけばあなたは完全に退路を断たれていた……さて、あとは豹人と少女を公爵に引き渡して終わりですね。さあ、そこに跪きなさい。まずはこのワタシに、許しを請うといい」
ムアジが、両目を開いた。
「セラス・アシュレイン……あなたにはいずれ、ワタシの子を授かる栄誉を与えましょう。光栄に思うことです……」
またも月が雲に覆われた。
光が、奪われる。
(トーカ殿……)
セラスは、冷や汗を流した。
(
『俺が合図を出すまで、できるだけおまえの方にヤツらの注意を引きつけておいてくれるか? やり方は、任せる』
そう、
『可能なら今回、追ってきたアシントを一人も逃さずに始末したい』
「――――接続、完了――――」
王の”合図”が、闇の中から、放たれた。