図書館は階層移動を可能とする場所か?
映画『スリーパーズ』(Sleepers)の主人公の一人であるマイケルは、ヘルズ・キッチン(地獄の調理場)と呼ばれるスラムで育ったが、少年院の図書室において独学で勉強し、地方検事になった。このようにアメリカの図書館は、あらゆる人が無料で利用できる開かれた教育施設であり、極端な例を挙げればホームレスが億万長者になるような階層の流動化に寄与する役割をもつとされている。(注)
(注)たとえば、ジャーナリストの菅谷明子は、著書『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』のなかで、ニューヨーク公共図書館が情報へのアクセスを担保し、個人の力を伸ばし、コミュニティを活性化させている実例を鮮やかに報告しており、同様の議論は図書館情報学者の川﨑良孝もおこなっている。
つまり、「富めるものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなる」という、いわゆる「マタイの原則」を打破する存在として図書館は期待されているのだ。
さて、日本の図書館の場合はどうであろうか。
日本の図書館は、戦後、GHQの影響を強く受け、アメリカ式の無料原則が徹底されることとなった。(注)そのため、国民の教育を受ける権利を保障するため無料で利用できることが図書館法第十七条によって規定されている。博物館等は入館料を徴収することが許可されているが、図書館は無料でなければならない。
(注)戦前の図書館に関する法律には「図書館令」があり、ここでは図書館の利用に対する対価を徴収することを許可していた(図書館令第七条 公立図書館ニ於テハ図書閲覧料ヲ徴収スルコトヲ得)。
また、図書館員としての基本姿勢を示す指針として「図書館の自由に関する宣言」がある。ベストセラー『図書館戦争』によって広く知られる存在となったこの宣言には、「すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有」し「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が公立図書館であると明示されている。
これらの特性から、図書館は生涯学習の場の代表格として度々取り上げられる。
以上より、少なくとも、制度上、あるいは理念上、日本の図書館においても階層の流動化あるいは格差是正の機能が期待されているといえる。人々に意欲さえあれば、無料で学ぶことのできる場は開けているのだ。
しかし、現代の日本の図書館が実際にそういった機能を果たしているのかは不明である。(注)
(注)図書館情報学者の大場博幸は、図書館側がいかに機会均等を担保したとしても、図書館は利用者の自発的な意思によって利用され、利用者層をコントロールすることはできないため、結果として格差均等機能を果たせない可能性が高いことを指摘している。このように実際の図書館利用と階層についての理念的な議論はすでに行われているが、実際的な研究は不十分な状況である。
そこで、私たちの研究グループは、国立国会図書館によるアンケートの結果を用い、図書館利用と階層について分析を試みることにした。「図書館が実際に格差是正機能をもち、それが有効に機能しているのであれば、階層が低いものにこそ、積極的な図書館利用がみられる」はずである。この視点からの分析結果を本稿ではかいつまんで説明することとする。
「階層」とはなにか――ブルデューの資本の概念
まず、われわれが「階層」をどのように捉えたのか簡単に説明したい。社会階層論でしばしば引用されるのはフランスの社会学者ブルデューの議論である。ブルデューは、フランス社会において教育における機会均等が制度化されていながら、階層に伴う社会的差異が結果的に階層間に格差をもたらしているという文化的再生産論を展開した。
この際、ブルデューが分析する階層の尺度として用いるのが資本の概念である。資本というと一般的には金銭にかかわるものを思い浮かべるだろう。ブルデューはそういった経済学的な資本の考え方を経済資本とし、それに匹敵する価値をもつもの(あるいは、社会的地位や権力を与えるもの)として、文化資本や社会関係資本を挙げている。
●経済資本:個々人の所得
●文化資本
・客体化された文化資本:「物」として所有可能なもの(例:書籍、絵画、機械等)
・制度化された文化資本:学校制度やさまざまな試験によって賦与されたもの(例:学歴・資格)
・身体化された文化資本:身体に取り込まれた(血肉と化した)もの(例:知識、感性、教養等)
●社会関係資本:さまざまな集団に属することによって得られる人間関係の総体。平たくいえば人脈。
ブルデューはこれらの個人の資本の総量が階層と比例するとして、彼らの行動様式を分析していったのである。
簡単にいえば、高い学歴や良い人脈は、金銭に相当する武器になるため、それらを持っていれば所得水準や職業的地位を高めることができるということである。
本研究でもブルデューの資本の概念を援用し、経済資本、文化資本、社会関係資本と図書館利用の関係を検討した。ブルデューの議論は階層が均質化している日本においてはそのままでは適さないとする意見もある。しかし、かつて一億総中流といわれた日本もバブル崩壊後は格差社会が到来したといわれており、現在の社会状況を鑑みれば、日本社会をブルデューの視点で分析する価値はあると考えられる。
資本×図書館利用のはかり方
国立国会図書館によって実施された「平成26年度 図書館利用者の情報行動の傾向及び図書館に関する意識調査」の結果を用い、図書館が実際に格差是正機能をもっているのかを検討した。(注)
(注)この調査は20歳以上の日本在住者に対し、オンライン調査をおこなったもので、調査期間は平成26年12月12日(金)から12月17日(水)、有効サンプル数は5,000件である。調査の対象者は、楽天リサーチ株式会社のモニターから抽出している。抽出にあたっては,総務省発表の平成26年1月1日現在の住民基本台帳の人口に基づき、11の地域・性別・年代で区分した比率が近似となるよう割り付けている。
既存の調査の再分析という研究手法上の限界もあり、調査項目のなかに、本研究で主眼とする階層を適切にはかる質問項目が必ずしもあるわけではなかった。そのため、研究グループ内で調査票を精査し、それぞれの代理変数と判断できる項目を選定した。
なお、客体化された文化資本についての適切な質問項目はなかったため、これについては調査を省いている。社会関係資本については、人脈を直接問うような質問項目がなかったため、政治学者ロバート・パトナムのソーシャル・キャピタル論も用いて解釈し、居住年数、地域への愛着、行事への参加頻度等を代理変数とした。これらはコミュニティとのかかわりという点で社会関係資本をはかりうると考えたためである。
まず、この1年間で図書館利用したことがある人の割合を独立変数の条件ごとに抽出した。独立変数によって図書館利用の割合に有意差が生じるかどうかについてはカイ2乗検定をおこなった。なお、年齢や性別などの属性に関する部分については、有意な差がみられなかったため、割愛する。
経済資本と図書館利用
ここから、それぞれの結果について簡単に解説していきたい。まず、経済資本と図書館利用の関係について扱おう。
低所得者層を200万円未満、中間層を200万円以上、1000万円未満、富裕層を1000万円以上と分類して、それぞれの図書館利用について比較したグラフが下図のようになる。
平成25年国民生活基礎調査における各種世帯の所得等の状況によると、所得金額の中央値は432万円である。よって、その半分の額である216万円に最も近い200万円を基準として扱い、200万円以下を低所得者層、それ以外を非低所得者層とした。また、1000万円以上の所得者を富裕層、200万円以上1000万円未満の所得者を中間層として取り扱う。
青色部分がこの1年間で図書館を利用した割合で、黄色は図書館利用がない割合であり、青の割合が富裕層になるにつれて増加している。つまり、低所得者は、そのほかの層に比べて図書館利用をおこなっていないということがわかった。
以降でも同様に、グラフ内の青色部分が図書館利用有り、黄色部分が図書館利用無し、縦軸は下にいくにつれて資本の量が多いという並びで提示する。
文化資本と図書館利用
つぎに、制度化された文化資本と図書館利用、身体化された文化資本と図書館利用の関係を順に示す。先ほども述べたように、制度化された文化資本は最終学歴、身体化された文化資本は「博物館・美術館・史跡などを訪れる」「コンサート、演劇などを観に行く」の項目を参照した。
いずれのグラフも下にいくにつれ「図書館を利用した」割合が増加していることがわかる。つまり制度化された文化資本(学歴)にしろ、身体化された文化資本(美術館、コンサート)にしろ、文化資本の蓄積量が多いものほど図書館利用をおこなっていると読み取ることができる。
社会関係資本と図書館利用
最後に社会関係資本(平たく言えば人脈)と図書館利用の関係についてもみてみる。ここでは地域とのかかわりの多寡を社会関係資本の多寡に当てはめ、分析した。グラフ中の下の帯ほど地域とのかかわりが強く、社会関係資本を多く有している層といえる。
上図から、社会関係資本を多く有している層ほど図書館利用をおこなっていることがわかる。
ここまでのまとめ
経済資本(収入)、制度化された文化資本(学歴)、身体化された文化資本(美術館、コンサート)、社会関係資本(地域愛着、地域活動)いずれにおいても、資本が少ない人よりも多い人の方が図書館を利用しているという結果が観測できた。
ここまでの時点で「富めるものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなる」というマタイの原則を打破するどころか、資本の蓄積が少ない層には利用されておらず、すでに資本を多く所持している層に積極的に活用されている様子が浮き彫りになったといえよう。このことから、公共図書館は格差是正機能を果たしていないことが推測される。【次ページにつづく】