新型コロナウイルスの猛威で、世界中の舞台芸術も困難に直面しています。公演が中止になったり、再開されたりと不安定な状態が続くなか、バレエは1日レッスンを休めば取り戻すのに3日かかるという、厳しい世界。美しいものを求めて、かつてバレエやダンスをよく観たという美の体現者・美輪明宏さんが、この秋上演の大作に向けて努力を重ねるトップダンサー・柄本弾さんの求めに応じて、天才芸術家の真実と、ウイズ・コロナ時代の芸術家の在り方について語ります。
バレエ、ダンス、いろいろな作品を観てまいりましたよ
美輪 弾さんというのはご本名ですか。ずいぶん変わったお名前ですね。
柄本 はい。父親が、何事にも自分を貫き、ぶつかって落ちた時にも弾んで上がってこられるように、という意味で付けてくれた名前です。
美輪 そうですか、素晴らしいですね。映像で舞台姿も拝見しましたが、見事な跳躍で、ルドルフ・ヌレエフ(20世紀バレエ界を代表するスーパースターだったロシア出身のバレエダンサー)以上だと思いましたよ。
柄本 いや、とんでもないです。ありがとうございます。
美輪 私も、昔はよくバレエを観に行きました。第2次大戦中は、美しいものはすべて禁じられていましたから、とても芸術に飢えていたんです。ですから終戦とともに、みんな飛び付くようにバレエやダンスの舞台を観に出掛けたもので、私もそのひとりでした。バレエでは谷桃子さん、貝谷八百子さん、モダンダンスでは石井漠さんや大野一雄さんといった方々が活躍していました。今年7月に96歳で亡くなったジジ・ジャンメールの来日公演も観に行きました。踊りよりも、腰から上に付けたオーストリッチの羽根の長さに驚きましたけどね(笑)。まあ、とにかくいろいろな舞踊家の舞台を拝見したものです。今回、柄本さんが踊る姿を拝見して、「日本も世界並みになったもんだなあ」と思いましたよ。体格もご立派で、容姿にも恵まれ、テクニックも素晴らしいものをもっていらして驚きました。何を食べていらっしゃるんですか。お肉が多いですか。
柄本さんは、体格もご立派で、容姿にも恵まれ、テクニックも素晴らしいですね
柄本 はい、お肉はほぼ毎日食べるようにしています。あとは、特別なことはしていませんが、日々のレッスンを大切にしています。じつは、三島由紀夫さんをテーマにしてモーリス・ベジャールさんがかつて創作した『M』という作品に、今度ソリストとして出演することになりまして、三島さんの作品をいろいろ読み返しているところなんですが、三島さんととても親しくされていた美輪さんに、ぜひお尋ねしたいことがありまして。
美輪 さあ、お役に立てますでしょうか。
三島由紀夫さんは日本語を美術品のように扱っていらっしゃいました
柄本 三島さんが、作品を作るうえで大切にされていたことはなんでしょうか。
美輪 言葉ですね。日本語の一つ一つを美術品のように大事に扱って、その陳列の仕方にもこだわり、内容を伝えながら美しさも失わないという、優れた技術をもっていらっしゃいました。そこがほかの作家の方と違うところですね。
柄本 三島さんの作品が上演される際にも、演者に対して要求されることは多かったのでしょうか。
美輪 いえ、そうした要求をされることはありませんでした。人は人、自分は自分という態度でいらっしゃいましたね。三島さんは、自由に憧れていらしたんですよ。『M』を拝見したら、学習院初等科時代の幼い三島さんが、お祖母様に手を引かれて出てくるシーンがありましたが、あれがすべてなんですよ。三島さんはお父様が官吏で、非常にお堅い家庭に育ちました。昔のちょっと上流の家では「物書きと株屋と芸人は正面玄関から入れるな」なんて言いまして、三島さんが作家になることに、お父様は大反対だったんです。ただお母様は漢学者の娘だったので、こっそりと原稿用紙を用意してくださったりしたそうです。また上流志向だったお祖母様からは、古典を読むことや歌舞伎を観ること、どこそこの展覧会に行くこと……などと、すべて欲する前に与えられ、与えられるままの人生を送ってきた方だったんです。
出会いは16歳、昭和27年のことでした。御徒町にジーンズを買いにいきました
美輪 ところが、私が初めてお目にかかったのは昭和27年でしたが、当時の私は、ルパシカというロシアの民族衣装を着て音楽学校に通い、白い目で見られたりしていましてね。着るものから何から、すべて自分で選んで生きていたものですから、三島さんは、それをとても羨ましく思われたようなんです。私が「あなただって、なさりたい恰好がおありでしょう」と申し上げると、しばらく黙ったあとにポツリと「ある」と。そして「ジーンズをはきたい」とおっしゃったんです。当時は、ジーンズは不良かヤクザの着るものだとみなされていたんですが、私は「じゃあ私がご案内しますよ」と、一緒に御徒町に行って、ジーンズを選んで差し上げました。そんなふうに、三島さんは本当に純粋で、いつまでも少年のままの人でした。ですから『M』に出てくる少年は、まさに三島さんそのものだと感じたんです。さすがベジャールさんですね。
柄本 僕はいままで、この作品がなぜここまで少年時代の三島さんをクローズアップしているのか、その意味がわからずにいたんですが、いま美輪さんのお話をお聞きしていて、ちょっと鳥肌が立ってしまいました。ベジャールさんは、そこまで勉強していらしたのかと。
美輪 どうしてわかったんでしょうね。天才ですよね。戦前には、『日本少年』『少年倶楽部』といった少年向けの雑誌がいくつかあったんですが、そこに描かれているのは、非の打ちどころのない、立派な少年ばかり。三島さんは、そういう社会のなかでお育ちになったので、理想の少年のまま大きくなり、その一方で、自由に憧れていらしたのだと思います。
柄本 自分にも他者にも厳しい方というイメージがあったので意外でしたが、お聞きしてとても納得できました。
経済的には富める世界になっても、精神的な美しさはどんどん失われていくだろうと予言した三島由紀夫
美輪 亡くなって半世紀。三島さんは慧眼でいらしたので、経済的には富める世界になっても、精神的な美しさはどんどん失われていくだろうと予言され、その通りになりました。いまは世界中が新型コロナで大変です。ウイルスというのは、幽霊や化け物のように、姿は見えないけれど強烈に変異する性質をもち、思考力もあるようですから、いいワクチンができるまでは、われわれ芸術家は、感染しないようおとなしくする以外ありません。私なんか、囚人と同じですよ。家の近所をひと回り散歩したり、庭をうろついてみたり、その程度のことしかできません。ですから励ましの言葉なんて、大それたことは申し上げられませんが、戦争中は、防空壕の中で息を潜めて、みんなと仲よくしながら耐え忍んで、やっと終戦を迎えたのです。それを思って、いまは耐えていただきたいと思いますね。
柄本 はい。しっかり耐えて、その間に技術も上げつつ周りに影響を与えられる人間になれるよう、この時間を大切に使いたいと思います。
私も気をつけないと、理屈っぽくて底意地の悪いところが出てしまうので恥じ入るばかりです
美輪 芸術家というものは、踊りにしてもお芝居にしても音楽にしても、人柄を表現するものですからね。ヴァイオリニストやピアニストでも、人柄の悪い人は、人柄の悪い音が出ますでしょ。私も気をつけないと、理屈っぽくて底意地の悪いところが出てしまうので、恥じ入るばかりでございますが。
柄本 それを伺うと、ちょっと怖いんですが、もっともっと勉強しますので、どうか僕の舞台を観にいらしてください。
美輪 ぜひ拝見したいですね。もう何百年もバレエを観ていないので(笑)、伺うのを楽しみにしています。
『婦人画報』2020年10月号より
撮影=御堂義乗 取材・文=伊達なつめ 協力=東京バレエ団
柄本さんについてもっと詳しく知りたい方は、「辛酸なめ子 この人を深堀り!」連載記事もご覧ください!
みわあきひろ◯長崎市出身。16歳で歌手デビュー。シンガーソングライターとして「ヨイトマケの唄」を大ヒットさせたほか、俳優、演出家、作家、エッセイストなど多方面で活躍。三島由紀夫とは16歳の時に出会い、請われて主演した『黒蜥蜴』も代表作のひとつ。
つかもとだん●京都市出身。5歳からバレエを始め、2008年に東京バレエ団に入団。2010年にはモーリス・ベジャールの振り付けで『ザ・カブキ』に主演。2013年プリンシパルとなり、古典の王子役からコンテンポラリーまで幅広く踊り、高い評価を得ている。ジャケット/160,000円 ニット/22,000円 パンツ/21,000円 スカーフ/9,000円 チーフ7,000円(すべて ポール・スチュアート /SANYO SHOKAI カスタマーサポート)
【『M』公演情報】
バレエに深い思索と大胆な美意識を取り入れ、オリジナリティ溢れる名作を創出した天才振付家モーリス・ベジャール(1927年-2007年)。『M』は『禁色』『金閣寺』『豊饒の海』など、三島由紀夫の小説の断片をちりばめながら、作家自身の真実に迫ろうとする1993年世界初演の大作。今回柄本さんは三島の分身のひとりである「イチ」役を務める。
10月24日(土)、25日(日)/14時開演
S席 11,000円 A席 9,000円ほか/会場:東京文化会館
お問い合わせ先 NBSチケットセンター
tel.03-3791-8888