祖父・宮澤喜一元首相と。宮澤さんが5歳のころ、ハワイでの一枚(提供:宮澤さん)

政治家になれと言われたことはない

宮澤 おじいちゃんが総理大臣を務めていたのは私がまだ小さかったころで、亡くなったのは私が18歳の時。難しい話ができる年齢になっていなかったのが、すごくもったいなかったなと思います。夕食時、アメリカ人の父と祖父が英語で政治の話をしていた光景が、今でも目に焼き付いています。

DAIGO さすが~! 英語というのがカッコイイね!

宮澤 わが家は日曜日の夜に実家でご飯を食べる習慣があったんですけど、祖父は必ず7時のNHKニュースを見てから食卓につくんですね。で、外交官の父と政治の話をして、それが終わってから家族の団らんに加わる。私たちほかの面々は、学校でこんなことがあったとか普通の話をしてましたが(笑)。DAIGOさんのところはどうでした?

DAIGO 僕がおじいちゃんに会うのは、仕事が終わって夜に家族で集まる時とか、誰かの誕生日のようなイベントの時が多かったかな。河口湖の別荘で一緒に夏休みを過ごすのが恒例だった。僕は一番下の孫だったから、本当にめちゃくちゃかわいがってもらったの。それだけに、僕がロックを始めて髪を金髪にしたり青く染めたりした時は相当落ち込んじゃって……。おじいちゃんが本当にブルーになっちゃった。(笑)

宮澤 怒られたんですか?

DAIGO 祖母を介して母親に連絡が来て。「あの髪はどうにかならないのか」って(笑)。いま思えば、髪の色が黒でも茶色でもロックはできるんだから、もっとおじいちゃんが喜ぶことをしてあげたらよかったなあって。本当に申し訳なかった……。

宮澤 政治家になれと言われたことはあります?

DAIGO 医者になれと言われたことはあるけど、政治家はなかったなあ。タイプ的に向いてないと思ったんじゃないかな? うちは父親が祖父の秘書をやっていて、家で演説などの原稿を書いたりもしていたから、家族で政治に関わっていたといえばそうなんだけどね。祖母も祖父を支えて、一緒に地元の島根に行ってたし。僕は僕で書斎に連れていかれて、「憲法第○条とは」みたいな話を聞かされたけど、一刻も早くその部屋を出たいと思ってた。(笑)

宮澤 うちの祖父の書斎はガラス張りで、子どもの目には美術館のように見えました。その部屋に入ると頭が良くなる気がしたけど、まさに「聖域」という雰囲気の空間だったので、ものすごく入りづらかった記憶があります。

DAIGO 自分の進路について何か言われたことはあるの?

宮澤 全然ないですね。祖父は私が高校生のころから歌をやりたがっていることを知っていましたし、それについての反対もなかったです。

DAIGO お互いに自由な家で良かったねえ。