黒竜、追撃
◇【セラス・アシュレイン】◇
闇色の森を駆けるハイエルフ。
(逃亡者としてまたこの森へ戻ってきてしまうとは、なんとも皮肉なものですね……)
セラス・アシュレインは唇を強く引き締めた。
幻術破りの魔術師が居合わせたのは完全に想定外だった。
魔術師ギルドから招かれた客人だったようだ。
数名しか大陸に存在しないとされる幻術破り。
恐るべき巡り合わせの悪さである。
もしくは、
(最近のよい巡り合わせの反発、でしょうか)
思い浮かんだのは、トーカ・ミモリの顔。
胸がチクリと痛んだ。
青竜石を持ち逃げしたと思われただろうか。
あるいは正体が暴かれた件を知り、そのままミルズを離れたか。
わきの甘い女だと呆れて……。
(いずれにせよ、彼らの信頼を裏切ってしまった形になりますね……)
ザァァァァ――ッ!
靴底を滑らせつつ反転。
後方から迫る”敵”を迎え撃つべく、剣を構える。
(やはり逃げ切れませんか)
侯爵の私兵や傭兵ギルドの者の追撃は覚悟していた。
だがまさか、
「ギョゲ! ギィェェエ゛エ゛ッ!」
迫りくる
(ここで、黒竜騎士団とは――ッ)
先ほど竜騎士とわずかに刃を交わした。
最強の騎士団を名乗るのも頷ける力量だった。
(並みの団員であの腕前だとすると、その上は一体……)
世界最強の騎士団を束ねる五名の竜騎士。
名を、五竜士。
五竜士に名を連ねる”勇血殺し”は大陸でも有名だ。
が、それ以上に広く名を轟かせる人物がいる。
”人類最強”
一部では、黒竜騎士団を最強たらしめたのはたった一人の男――”人類最強”の存在のためだと言われるそうだ。
伝説に登場する神族の落とし子でもない。
勇血の一族でもなければ、異界の勇者でもない。
彼はただの人でありながら”最強”の座へとのぼりつめた。
(”人類最強”だけで一国級の戦力という話すら、聞いたこともありますが――)
重なり合った木々の向こうから一匹の竜が飛び出してきた。
竜はそのまま突撃してきた。
黒竜騎士団の象徴たる騎乗用ワイバーン。
身体を捻りながら、セラスは意図的に後方へ倒れ込んだ。
ガチンッ!
空を切った竜牙が衝突し、
すんでのところでセラスは竜の噛みつきを回避した。
竜には確かな殺意があった。
(目的は、捕縛ではない……?)
ペトッ
獲物を逃した牙からセラスの白い頬に唾液が垂れる。
殺意を帯びた赤眼がギョロリとセラスを見おろす。
刹那――
グルンッ!
風精霊の力で身体の回転を加速。
遠心力で重みを追加。
縦回転の斬撃。
ズバンッ!
倒れ込みつつ、黒竜の喉もとを掻っ切る。
声にならぬ悲鳴を上げる黒竜。
悲鳴代わりに土ぼこりを巻き上げて竜が地面を滑走していく。
騎乗していた竜騎士が跳躍し、竜から離脱。
着地した竜騎士は剣を手に体勢を立て直そうとする。
セラスは風精霊による速度上昇を使用。
一足で、肉薄する。
ヒュッ
セラスの接近に慌てて飛び退く竜騎士。
が、その喉はすでに氷刃で切り裂かれている。
「か、はっ――」
鎧や兜があっても、首や可動部の隙間には刃が通る。
竜騎士は血泡を吹いて倒れ伏した。
ベキ、ベキッ!
ベキベキベキィッ!
「ギシェァア゛ア゛――ッ!」
枝を蹴散らし、次の黒竜が現れた。
(火球種はいないようですね……)
森を焼き払われて炙り出される心配はなさそうである。
襲い来る黒竜を次々と斬り倒していくセラス。
戦いながら考える。
今後、どうすべきか。
どう逃げるか。
どこへ逃げるか。
今は幻術破りの影響で光の精霊が混乱している。
混乱が落ち着くまで変化はできない。
(まずは、時間を稼がなくては……ッ)
「おとなしく死ねぇ! セラス・アシュレイン!」
ガキィンッ!
キィン!
躍る剣戟。
この時、セラスの剣はいざないの導線を描いている。
敵はすでにいざなわれていた。
詰みの形へと。
数度切り結んだあと、竜騎士がハッとなる。
「しまっ――」
ザシュッ!
時すでに遅し。
竜騎士は絶命。
直後、ひと息置かずに返しの一閃。
鋭い氷脈の刃で黒竜の喉もとを斬り裂く。
夥しい血を噴き上げ、竜が息絶える。
「はぁっ、はぁっ――ッ」
あごの汗を拭う。
気が、抜けない。
「!」
ヒュッ!
カァンッ!
飛来した黒槍をセラスは弾き飛ばした。
「!?」
後方から黒竜の気配。
セラスは背後へ視線をやった。
そこでハッとする。
思い出したのは、以前トーカが用いた騙しの手法。
森で背後を取られた時のことを思い出す。
(これは違う――、……本命の敵は、正面っ!)
背後の竜はおそらく騙し。
セラスは風精霊の突風で直進した。
風にのって、繁みへ突っ込む。
「よくぞ、見破った!」
繁みの向こう側に剣を構えた男がいた。
他の竜騎士と鎧の雰囲気が微妙に違う。
「我が名はギズン! 五竜士が一人オーバン様率いる部隊の副長を務めている者だ! 恨みはないが死んでもらうぞ、セラス・アシュレイン!」
セラスは一瞬で理解した。
これまでの竜騎士より格上の相手。
今は光精霊が使用不可能。
ゆえに三精一体の精式霊装も使用できない。
(使用できる精霊で、やるしかありませんね……ッ)
視界の右手側に切り立った岩が見えた。
(一刃交えたらあの岩を背にして――)
キィンッ!
刃と刃が、ぶつかる。
(くっ!? 剣速も、想像を超えて速い……ッ!?)
せめぎ合う二刃。
「これまでのバクオスの動きをうかがう限り、私を捕縛するものと思っていましたが……いよいよ、私を始末する方針へ移ったわけですか……ッ」
「ふん、上の方針は特に変わっていないさ! よかろう! 死ぬ前に教えてやろうではないか! 我らオーバン隊は、ある人物から密命を受けている!」
ギズンの視線がセラスの胸もとへ下がった。
舌なめずりするギズン。
「澄んだ蜜がごときその美貌と、男の本能を弄ぶその肉体……ッ! 数多の権力者が生者のまま手中の鳥カゴに飼いたがるであろう! だが、この世にはそれを殺してしまいたいと願う者もいるわけだ! ふんっ!」
ギズンが刃と共にセラスを押し返した。
「くっ……!?」
想像以上の
何よりハイエルフは人間ほどの腕力がない。
集中力も削がれている。
竜のいる背後へ気を配りながらのためだ。
(やはりこの相手には、精式霊装がないと……ッ)
「!」
(しま、ったッ!)
不意に足を泥に取られ、セラスは体勢を崩しかけてしまう。
バサァッ!
足がもつれたセラスの背後で、黒竜が威嚇めいて翼を広げた。
「ギシャァァアアアア゛ッ!」
ギズンが剣の腹でセラスの手首を打った。
「――ぅッ!?」
セラスは剣を取り落とす。
「疲労の影が見えるな、セラス・アシュレイン! どうも本来の力を出し切れていないようだ! 長らくの逃亡生活に疲れ切ったか!?」
「……っ」
剣を拾おうとするセラス。
が、剣が蹴り飛ばされる。
次の瞬間にはギズンに組み伏せられてしまった。
セラスは視線を逃がす。
「殺すのなら……ひと思いに、殺しなさい……っ」
「何もせずにすぐ殺せと言われているが……気が、変わった。これで我慢しろという方が無理というもの……っ」
(くっ……精式霊装さえ、使えれば……ッ)
光精霊の混乱さえおさまれば使用できるはずだ。
混乱を早くおさめるには、セラスも落ち着く必要がある。
「喜ぶがいい、セラス・アシュレイン。もしまだ知らぬのなら……このギズンが男を教えてから殺してやる。女の喜びを知らずに死ぬのも無念であろう?」
手首を捻り上げてくるギズン。
「あなたには、き、騎士としての誇りはないのですかっ……このような下劣極まる行いを、恥と思わないのですか……ッ」
「さえずるな!」
ピシャッ!
ギズンがセラスの頬をはたいた。
「……くっ」
「いいか? 妙な動きをすれば、そこの竜が貴様の目玉を爪でくり抜く。ひと思いに殺して欲しかったら、しばらくおとなしくしていろ」
「…………」
「あぁまさか! あの美しさで高名な聖騎士を男として味わえる日がこようとは! 今日という日を、運命を司る天界の神々に感謝せねばなるまい!」
「【パラライズ】」
「さあ、お楽――し、み、……ん? あ? なん、だ……?」
「ギ、ィ、ェ……?」
(あの、声――)
草むらの陰から、彼が姿を現した。
「おい」
こちらへ手を突き出している。
「待ち合わせの時間は、もうとっくに過ぎてるぞ」