文:高岡英夫(運動科学総合研究所所長)/2012年12月11日掲載
本稿は、高岡英夫が今回の衆議院議員総選挙の候補者5名を題材とし、身体意識学の観点で論考を行なったものです。
題材とした候補者は、特に報道等で取り上げられることが多い人物を採り上げたものであり、本稿に採り上げ、また採り上げないことにより、特定の候補者・政党を支援、また誹謗・中傷するいかなる意図もありません。
また文中では敬称を略しました。
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混迷を極める日本のこれからを託する、政党・政治家を選ぶ衆議院議員総選挙を前に、主だった政党の5名の代表的人物の身体意識を分析してみました。
その意図は、まさに国家・社会が混迷を極めるように、政党や政治家たちの存在自体が混迷を極めている事実があり、しかるがゆえに私なりの視点、すなわち身体意識学の専門家として、少しでも皆さんがこれからの政治に託する意思の根拠になる情報を提供できないだろうかという考えで、この分析を思い立った次第です。
さて、一国の政治を担う政治家のトップたち、つまり首相や有力大臣候補もしくは有力政党の代表というのは、当然我が国のリーダーそのものです。
そしてリーダーに最も必要な身体意識の装置といえば、やはりトップ・センター(=中央軸)であり、トップ・センターを構成する三層の軸の中でも中心にある細径軸が、必須不可欠であることは言うまでもありません。
しかも、歴史上の特に優れた政治家たちのトップ・センターでは、しばしば細径軸だけでなく、中径軸、大径軸のどちらか、あるいは両方が加わる二層、三層の構造(※)になっていることが、すでに私の研究で明らかになっています。
※細径軸・中径軸・大径軸の主な機能
その観点から、今回取り上げた5人の政治家の身体意識を見てみると、どの人物にも三層の中央軸のいずれもが、きちんとあるいは全く通っていないことがわかります。
現在の日本を代表する政治家5人を取り上げて、この結果は、誠に危機的な状況であるといわざるを得ません。
次に、一国のリーダーシップをとる政治家たちには、知・情・意を担う身体意識の装置である、上丹田、中丹田、下丹田の三丹田のすべてが揃っていることが、不可欠です。知識・知性を担う上丹田、情熱・やる気、さらに社会、国民、国家に対する愛情を背景とした闘争心を担う中丹田、そして強固なる意志力、確固不抜の不動心を担う下丹田です。
では、この5名の政治家の三丹田はどうなっているでしょうか。
どの人物を見ても、上丹田がきちんとした位置に、正しいクオリティをもって充分な強さで形成されているとは、言い難い状況にあります。
中丹田はどうかというと、まず構造自体が脆弱で、強度も充分ではなく、さらに中丹田に重性・剛性の身体意識が中丹田の働きを邪魔する存在として入り込んでいる人物が、ほとんどです。
ただ、中丹田の中心部分だけを見てみると、野田佳彦と渡辺喜美の2名だけは、かろうじて重性・剛性の身体意識に邪魔をされずに済んでいます。
次に「丹田」「肚(ハラ)」として我が国では特に重視されてきた下丹田ですが、安倍と橋下と石原にはまずまずの、そして野田には弱いながらもその形成が見られます。渡辺では下丹田の形成への凝縮の乏しさと熱性の身体意識の混在が見られ、安倍では病性の身体意識の混在が見られるところに、注意する必要があります。
また、一国を担うリーダーには、当然強い行動力が必要です。とくにこうした混迷極める時代においては、たいへん多くの障害を乗り越えながら、国全体を強烈に引っ張っていく「前方をしっかりと見据えて突き進む力」、すなわち圧倒的な前方力・前進力が求められます。
そうした能力を担う身体意識の装置である裏転子、そして流舟を見てください。
裏転子についていうと強度は決して強いものではありませんが、一番はっきりと備わっているのは、石原慎太郎といえるでしょう。橋下徹の裏転子は構造が少しぼやけていますが、強度は石原慎太郎とほぼ同じです。
一方、流舟についは、渡辺喜美以外の4人の政治家に、流舟らしきものが見られます。ただしこれらの流舟は、規模も強度も不充分で、前に向かって突き進む、行動力の強力な支えになるような形状・性質を持った流舟とはいえません。
石原慎太郎と橋下徹の流舟は、身体の後方・下方の出発点から、身体に入って前方に抜けようとしているところまでの形状はいいのですが、そこから前に向わずにUターンして、自家撞着している点が大変惜しまれます。
一方、野田の流舟は前方へ向かう角度が小さいところと、分かれた2本が2本とも身体の裏面に到達しかかったところで終わっているところが、惜しまれます。
さらに国民・大衆との心の交流を担うリバースについて調べてみると、今回取り上げた5名の政治家では、いずれも見ることができません。
また、人々を愛し、育て、励まし、人心を愛情を持って掌握し、あるいは人心を時に強引に掌握するために欠かせない、掌から前腕、上腕にかけて形成されるパームという身体意識について言えば、石原慎太郎と渡辺喜美には、不充分ながらもある程度の奮励や愛情を注ぐための支えとなる、パームが見られます。一方、他の三人もそう強力ではないながらも、野田佳彦と安倍晋三では、愛情と強引さが五分五分に混在したパームが見られ、橋下徹では愛情の表皮をかぶり強引さを中核としたパームが見られます。野田と安倍では大きさで若干野田が勝り、緻密さでは安倍がかなり勝っています。
それから広い視野、そして遠い、深い視点、時間的にも長い射程で、国家、社会、世界や歴史、人類の未来というものを洞察したり、社会・国民・国家を強大に把握することで信頼を獲得する能力を担っている、パラボラという身体意識があります。このパラボラも、古今の優秀な政治家には、発達しているケースが多いのですが、この5名の中で脆弱なものながらパラボラがみられるのは、野田佳彦と安倍晋三だけです。野田と安倍では、大きいのが野田、緻密なのが安倍という傾向が見られ、パームと同じ傾向を示しています。
しかし、この二人とも惜しいことに、後ろ向きの小規模なパラボラになっています。パラボラは規模や形態だけでなく、方向性も重要な身体意識で、一国の政治的リーダーの場合、前方を向いていることがぜひとも必要な装置です。
そうしたパラボラが後ろを向いているということは、彼らの場合、その潜在意識が未来よりも過去を強く指向していることを示しています。
国家・政治・社会の歴史を学ぶことは、政治家としての基礎的な学習作業として必須なことといえますが、その作業は、パラボラを必要とするようなものではありません。
むしろ学問・知識としての認識を超えて、広く深く詳細かつ遠大に、深い射程をもって、政治家にとって必要な対象をまさに洞察するときにこそ、パラボラが必要になるのです。
もちろん、その一部に学問・知識として書籍から勉強する部分もあるわけですが、書籍で勉強するにしてもそれを貫いて、眼光紙背に徹し、さらにその奥を見通す力こそ、パラボラが担う能力なのです。
それだけに、安倍晋三も野田佳彦も、そうしたパラボラが後ろ向きだということは、非常に惜しいといわざるを得ません。
過去に起こったことを認識することに比べ、これから起きること、例えば、5年、10年先の近未来を、さらには30年、50年先の未来のことを洞察するのは、何十倍も何百倍も困難であることは言うまでもありません。ですから、そのあまりにも困難な、ほとんど不可能ではないかと思えるような未来を見通す洞察力を担うのがパラボラで、その真の意味でのパラボラとなると、この5名の政治家は、誰も持ち合わせていないのが実状です。
このように一国を担うリーダーに必要な身体意識の主だった装置について、一通り見てきたわけですが、それらが各党を代表する政治家たちに極めて脆弱である、あるいは部分的に間違った構造をしているという事実を、私は皆さんに提示することになってしまいました。
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次に、国政を担うリーダーに、これがあっては困るという、ネガティブな身体意識についてみていくことにいたします。
もっとも代表的なのは、拘束的な身体意識です。つまり自分の身も心もガチガチに固めてしまうような、そして圧迫感と息苦しさにつつまれ、身体的にも心理的にも代謝、活動性を低下させてしまう、拘束的な身体意識があるのかないのか。まずはそれを見ていきましょう。
この拘束的な身体意識が一番目立つのは、何といっても安倍晋三です。次が野田佳彦という順番です。
安倍晋三の拘束的な身体意識は相当な強さで、しばしば見かける例で言えば、病人、しかも中程度に重い病人に観察される程度の、強さと広がりを持った拘束が形成されています。
野田佳彦は、安倍晋三に比べれば半分程度だと言えます。
いずれにせよ、これだけ強い拘束的身体意識の持ち主だと、自分自身を拘束しているその身体意識と、まずもって日々戦い続けながら生きているわけです。
わかりやすいたとえでいえば、皆さんが風邪をひいた状態のことを思い浮かべてみてください。悪性の風邪をひき始めて、ちょうど熱が出かかっていくときというのは、頭や身体中が締め付けられるような感じがして、かなり辛い状態になります。
それでも、もし重要で休めない仕事を抱えていれば、いわゆる責任感と根性で頑張るはずです。しかしそれでは本当にいい仕事はできませんし、なおかつ辛さは何倍にもなるはずです。したがって、その頑張り状態を何週間も何ヶ月も継続するのは極めて困難です。
安倍晋三のように強い拘束的身体意識が全身にかなりの規模で形成されている政治家の場合、学問・知識として、これまでどれほどの優れた勉強をしてきたか、さらには党との関係の中で、どのような政策を選択し、あるいは新たに作成したものを持っていようといまいと、それらをトップとして遂行していくという観点で見たとき、これだけのハンデを背負いながら、それを遂行するというのは大変な苦しみと戦いぬいていくことになりますし、継続ということを考えると、果たしてどこまでそれを続け得るのか、心配にならざるを得ません。
せっかくですので、彼のその拘束の中でもとくに強い部分を指摘しておきますと、下腹部と首から肩に広がる菱型の2種類の身体意識が、その最たるものといえるでしょう。
この下腹部に関しては下丹田の所でも触れましたが、2007年に潰瘍性大腸炎が悪化し、内閣総理大臣を辞任することになったのは記憶に新しいので、再び激務にみまわれた時にそうした体調への悪影響が出るのでは、と大いに危惧されます。
さらに、この政治家にあってはならない拘束的身体意識について語っていくと、橋下徹の中丹田の中心を胸から背まで深く占める重性・剛性の黒い身体意識は、これも非常に危惧されるものです。
中丹田は情熱、愛情、勇気、闘志というものを担う装置ですので、そこには基本的に重性・剛性の身体意識が成立してはならないのです。中丹田の中心に重性・剛性の身体意識が形成されると、前記のような中丹田の働きの核芯を低下させ、ときにはその働きを止めてしまうことすらあり得るので、とても心配な状態にあるといっていいでしょう。
政府首脳レベルの政治家ともなれば、自分自身のことを面倒みるだけでなく、何千万人、あるいは1億人以上の生活、生命を担っていかなければなりません。
したがって、そうした一国のリーダーたちの身体意識の装置というのは、極めて強力であることが求められます。では、その身体意識の強力度はどのように現れるか。じつはその強弱は、簡単に見比べることができるのです。
というのも、身体意識が強力であればあるほど、その身体意識の構造は、非常にくっきりとしたきれいな構造になってくるからです。
それは、あたかも高度に発展、発達した高機能な都市が、きちんとした道路網が見事に張り巡らされ、そこに人や物資が滞りなく流通している姿に、たとえることができます。
身体意識についても、そうした意味でのきちんとした明確な構造が備わって、はじめて強力な機能を発揮しうるわけです。
ところが、今回分析した5人の政治家の身体意識図を見てみると、全員が全員、ゴチャゴチャとしてぼやけたカオス的な傾向が見られます。これは大変に心許ないといわざるを得ません。
そのぼやけたカオス的な傾向が一番顕著なのは、渡辺喜美です。
その一方で彼の場合、5人の中では比較的きれいな中丹田をしています。下から少しだけ重性・剛性の身体意識が押し上げてきていますが、胸全体でいえばきれいな状態で、重性・剛性の身体意識の影響をほとんど受けずに済んでいます。しかし、全体として見てみると、前述のように構造として強い明確さが欠けているところが残念な状態といえます。
(第二編につづく)