泣かないでフランチェスカ
今日の狩りはなかなか大変だった。
自室に戻ったリリアナは荷物をしまって、装備を解いた。
さすがにこの時間では風呂屋へ行く気もしない。
パーティーの皆も、今日は疲れたのですぐに寝たい、と言っていた。
とは言っても汗をかいたままでは少し気持ちが悪い。リリアナは神官服を脱ぐと身体を拭いて汚れを清めた。
寝間着に着替えてベッドに入ろうと思ったとき、ドアを叩くノックの音が響いた。
「はーい。……あれ、ふーちゃん?」
ドアを開くと、目の前には誰もいない。すこし目線を落とすと、フランチェスカがいた。
ただでさえ背が低いのに、俯いているので余計に小さく見える。
フランチェスカの服装は、食後に別れたときのままだった。武器と荷物は見当たらないので、部屋に置いてきたのだと思う。
当のフランチェスカは顔を上げると、何かを言いたそうに口を開いたものの、まるで声を失ったように唇をふるわせるだけで、また俯いてしまった。
どうしたのだろう。
「とりあえず、中に入ろっか?」
「……うん」
リリアナはドアを開いて招き入れるが、フランチェスカは部屋に入ることをためらっているようだった。
フランチェスカはまるで一大決心をするかのように、ふうっと息を吐いて、やっと部屋の中へと踏み出した。
「ふーちゃん、どうしたの? なんか変だよ」
「あの……あのね……」
フランチェスカは、それだけ言って、また黙り込んでしまう。
リリアナも困ったように首をかしげる。
「うーん……。立ったままじゃ疲れちゃうから、座って座って―」
「あ、ちょっ……!」
リリアナはフランチェスカの手を取って、少し強引にベッドに引き寄せた。
すぐ隣にリリアナが座ると、フランチェスカはより一層身を固くしたようだった。
なにか話があるのだろうと察したリリアナだったが、このままでは拉致があかないとふんで、立ち上がった。
「あ、そうだ。この前ね、市場で良いお茶を買ったんだー。いま淹れるから。ふーちゃんも飲むでしょ?」
「え、あ、……うん」
魔法のポットに水をいれると、一瞬でお湯が沸いた。ポットからはシュンシュンと湯気が立っている。
リリアナは戸棚から茶葉の入った缶やらティーセットを取り出して、かちゃかちゃと準備をしている。
その様子をフランチェスカはじいっと見つめていた。
「はい、どうぞー。熱いから気をつけてね」
「あたし……猫舌なんだけど」
「あ! そうだった! ごめんね、いま冷ますから」
リリアナは自分のカップをテーブルに戻すと、フランチェスカのカップを手にとって、ふー、ふー、と息を吹きかけた。
「それ、冷めるのにどれだけかかるのよ……」
「わ、わかんない」
「要領悪いわね。……ま、いいけど」
必死に紅茶を冷まそうと息を吹きかけるリリアナを見るフランチェスカの顔には、かすかに微笑みが浮かんでいた。
「うー……。あたまくらくらしてきたー。でも、もう冷めたと思うよ」
「あ、ありがと」
フランチェスカはリリアナの手からカップを受け取った。
手に持ったカップを、じっと見る。
フランチェスカはゆっくりとカップに口をつけた。フランチェスカにはまだ少し熱かったようで、一瞬カップを離したけれど、そのあとは舐めるようにちびちびと飲みはじめた。
リリアナも自分のカップを取って、一口飲んだ。
リリアナにとっては少し冷めていたけれど、それでも暖かい紅茶は身体を中から暖めてくれた。
「今日……ね……」
紅茶を半分ほど飲んだところで、フランチェスカが口を開いた。
「あたし、あのとき……。ゴブリンに、押し倒されたとき、もうだめかなって、思った」
フランチェスカの声は、震えていた。
「殺されるか……もっと酷いことをされて、殺されるか。まあ、どっちにしろ殺されちゃうんだろうけど」
フランチェスカはカップに目を落としながら自嘲気味に笑った。
「でも、あんたが、リリアナが助けてくれたから、あたし、いまここにいる……」
「うん。今日はちょっと危なかったね。間に合って良かったー」
「……。とにかく、なんか、ちょっとわかった。このままぐずぐずしてたら、そのうち……あっという間に死んじゃうかもしれない。そのときになって後悔なんかしたくないって」
「そう、だね……」
冒険者は命がけの仕事だ。
みんな、それをわかっているから無茶はしない。だからそれほど沢山の人死には出ていないけれど、危険なことに変わりはない。
いまのところリリアナの知り合いで死んだ人はいない。
けれど、ギルドで騒いでいた人が、その翌日に魔物に殺されたと聞かされたことはある。死は身近にあるのだ。
「だから……あたし、あんたに言っておきたいことがあって……それで」
「わたしに?」
こくり、とフランチェスカは下を向いたまま頷いた。
フランチェスカは自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた。そして顔を上げて、リリアナの目をじっと見つめた。
暖かいものを飲んだせいか、やたらと血色がよく見えた。
「好きなの」
「え?」
「あたし、あんたが……」
そう言うと、フランチェスカはリリアナに顔を向けたまま、目をそらした。
「わたしも好きだよ。ふーちゃんのこと」
リリアナは当然というように、いつもの調子でこたえた。
それを聞いてフランチェスカは、深いため息をついた。
「あたしが言いたいのは……そういうのじゃなくて……、もっと……」
「もっと?」
リリアナはフランチェスカの言葉を繰り返しただけだったが、言葉の続きを促すような響きが生まれた。
フランチェスカの視線が、リリアナの唇をとらえた。
「キス……とか、したい」
「へ? きす?」
リリアナは口をつぐんで、きすとは何だろうと考えた。
そしてすぐに思い至った。
「あっ。きすって、ちゅーのこと?」
「そ、そうよ」
「ふーちゃんが? わたしとしたいの? いいけど」
「い、いいんだ!?」
「うん。だって、子供の頃よくしたでしょ」
「……そういうのとはちょっと違うんだけど。いや、まあ同じなんだけど、意味合いがというか」
「違うの? そういえば最近してないね」
「しててたまるかあ!」
フランチェスカはリリアナを怒鳴りつけたが、言葉が続かず、気まずそうに下を向いた。
「あたしが言ってるのは……。あんたと……。リリアナと恋人になりたいって、いう……そういう意味で」
フランチェスカの髪がさらりと流れて、真っ赤に染まった耳が顔を出した。
「恋人って、何をするの?」
「……なんだろ」
「あはは、ふーちゃんも知らないんだ」
「あんたより知ってるわ! ほ、ほら、デートしたり、手ぇ繋いだり、き、キスしたり……。……えっちなこととかも……」
「んー、よくわかんないけど、ふーちゃんがそうしたいなら、いいよ」
「わ、わかんないって、あんた、そんな簡単に」
「簡単じゃないよ。だって、わたしふーちゃんが好きだから。今まで会ったどんな人よりも一番好き。ふーちゃんは知らないかもしれないけど、わたし、昔からずっとふーちゃんのことが好き。だから、わたしもふーちゃんと恋人になりたい」
フランチェスカは信じられない物を見るように、目を見開いてリリアナを見つめた。その目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ど、どうしたの? ふーちゃん」
「あっ……。やだ、見ないでよ」
フランチェスカはさっと顔を伏せると袖で目を押さえた。
「ふーちゃん、顔上げて?」
「やだ」
リリアナは半ば強引にフランチェスカの顔を上げさせると、顔を寄せて口づけをした。
フランチェスカは驚きで、顔を隠すことも涙を流すことも忘れてしまったように、ただ目の前のリリアナだけを見つめていた。
リリアナは唇に人差し指をあてて、ふふっと笑った。
「涙がとまるおまじない。昔よくやったでしょ?」
「ばっ……」
フランチェスカは勢い良く立ち上がって、口をぱくぱくと開いたり閉じたりを繰り返した。
「ばかっ! なんで急にするのよ! しかも、こんな……あたし、こんな……。やだ、もう……、ふええーん……」
フランチェスカは、子どものように立ったまま声をあげて泣き出した。
リリアナは突然のことにおろおろとしていたが、自分も立ち上がると、泣いているフランチェスカを包み込むようにそっと抱きしめた。
ふわりと汗のにおいが香った。
フランチェスカはリリアナの胸に顔を埋めて、ひたすらに泣きじゃくった。
リリアナはフランチェスカをあやすようになでて、しばらくそのまま抱きしめ続けた。
フランチェスカの柔らかな髪を指ですくってなでつけていると、泣き止んだフランチェスカが、顔を埋めたまま話し始めた。
「ねえ……私たち、恋人ってことで、いいの?」
「うん」
「ああ……。もっとかっこよく告白するつもりだったのに……」
「あはは。ふーちゃんはふーちゃんだから、あれで良いと思うけどなあ」
「……ばかにしてる?」
「そんなことない。ないよ!」
「まあ、いいわ。でも、ひとつだけ……」
フランチェスカはリリアナの腕を解くと、リリアナをベッドに座らせた。
この体勢だと、フランチェスカのほうが目線が上になる。
「あ、あたしが、ほんとのキスを教えたげる」
そしてリリアナの両肩に手を乗せると、そのまま顔を近づけて、唇を合わせた。
リリアナの唇が濡れた。フランチェスカが舌を出して、リリアナの唇をなめたのだ。
リリアナはくすぐったくて、逃げるように唇を開いた。
それを待っていたように、フランチェスカの舌がリリアナの腔内に入り込んできた。
リリアナは驚いて息を荒くするが、フランチェスカはリリアナを離そうとはしなかった。
フランチェスカの舌はリリアナの舌に当たると、まるで生き物のようにうねって絡み合った。
フランチェスカはリリアナの全てを求めるように、やみくもに舌を動かし続けた。
フランチェスカの荒い鼻息がリリアナをくすぐる。
リリアナは自分のなかで暴れまわる舌の動きを止めようと思って、フランチェスカの舌を吸った。
フランチェスカはそれに驚いたようで、リリアナの中から舌を引っ込めた。
すると、今度は逆にリリアナがフランチェスカを追いかけるように舌を突き入れた。
フランチェスカはぎゅっとつぶっていた目を見開いた。至近距離で二人の視線が絡み合う。
リリアナはフランチェスカの腔内をさぐるように舐めまわすと、フランチェスカの身体がぴくぴくと震えた。
フランチェスカはずっと中腰の体勢のままだったので、疲れるだろうと思ったリリアナはキスを続けながらフランチェスカの腰に手を回し、ベッドの上で仰向けに寝かせた。
フランチェスカが何かを言いたげに、ふーっと息を漏らした。
リリアナは構わずにフランチェスカの上顎をちろりと舐めると、フランチェスカは喉の奥から声を漏らした。
何度か繰り返してみても、フランチェスカは同じポイントで声を出す。
その反応が楽しくなったリリアナは、ほかにも同じような場所がないかと探して、その結果、ポイントを数カ所探り当てた。
リリアナはそろそろ止めようと思って舌を戻したが、フランチェスカはスキありとばかりに再びリリアナの中に舌を滑り込ませた。
リリアナはそのフランチェスカの舌を止めるように軽く噛んだ。
フランチェスカの身体がぶるっと震えた。
リリアナの歯に捕まえられたフランチェスカは逃げようと試みたが、リリアナは離そうとはしない。
悲鳴のように喉を鳴らすフランチェスカにかまわず、リリアナは捕まえた舌先をちろちろともてあそんだ。
そのあともフランチェスカは何度か反撃を試みたようだったが、全て返り討ちにあい、やがて身体をぴくぴくと震わせると、反応が希薄になった。
リリアナもいいかげん疲れたので唇を離すと、二人の唇から唾液の糸がのびて、ぷつんと切れた。
フランチェスカはただ荒い息を繰り返して、ぐったりと横たわっている。全身はしっとりと汗で濡れ、いまにも涙が零れそうなほど潤んだ目がリリアナを見つめていた。
「ふーちゃん、キスって楽しいね」
「……は……はひ……」
「どうしたの?」
「……ま、まけたなんて……おもって、ないからぁっ」
「ふーちゃん、よだれがたれてるよ」
フランチェスカは慌てて、袖でごしごしと口元をぬぐいながら半身を起こした。
「……帰る」
「えっ、一緒に寝ないの?」
「なっ……。そんな、寝るとか! い、いくらなんでも、早すぎるわよ!」
ベッドの上で後退りながら、フランチェスカが上ずった声で叫んだ。
「え、でも、もう遅いよ? わたしもちょっと眠いし、そろそろ寝たほうがいいと思うけど」
「そ、そーいう意味じゃ……。はは……。と、とにかく、今日はもう戻るから」
「そっか、うん。わかった。おやすみなさい」
立ち上がったフランチェスカだったが、ふらふらとして足下がおぼつかない。
よく見ると、膝ががふるふると震えていた。
「大丈夫? ふーちゃん」
「だ、大丈夫に決まってるでしょ」
明らかに強がりだったのでリリアナはハラハラしながら見ていたが、ドアまで歩くうちに、いくらかマシになっていた。
「それじゃ……」
「あ、待ってふーちゃん」
リリアナはフランチェスカのそばまで行くと、微笑みを浮かべた。
「なによ」
「これからも、よろしくね」
「……よろしく」
フランチェスカは照れくさそうに頬をかいた。
「リリアナ、ちょっと」
「え、なに?」
フランチェスカが小声で手招きをしたので、リリアナは中腰になって耳を寄せた。
ちゅっ
フランチェスカがリリアナの頬に口をつけた。
「おやすみのキスよ……。き、キスっていうのはね、このくらいがちょうどいいんだからねっ!」