木澤佐登志のレット・イット・ディ(プレッション)【来るべきDに向けて】

現代特有の「病」であるメンタルヘルス。それはどこからやってくるのか。気鋭の文筆家・木澤佐登志が、鬱病と資本主義社会の表裏一体の関係を紐解く。

坂本龍一とGotchが中心となり、震災(Disaster)から10年(Decade)という節目にさまざまなDをテーマにした無料フェス「D2021」が、2021年3月13日と14日に日比谷公園で開催される。この連載「来たるべきDに向けて」では、執筆者それぞれが「D」をきっかけとして自身の記憶や所感を紐解き、その可能性を掘り下げていく。

今回はインターネット文化から思想まで多岐にわたる領域で執筆活動を行ない、著作に『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』『ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』がある文筆家の木澤佐登志が登場。

ここ数年でメンタルヘルスに対する人びとの関心は一気に高まった。現代に特有のこの「心の病気」は、ミレニアル世代やZ世代にとっても大きな悩みの種であり、欧米のカルチャーメディアでも日々メンタルヘルス関連の記事がアップされ続けている。ではこの「病(やまい)」はどこからやってくるのだろうか。その原因は果たして、その人自身にあるのだろうか。

『資本主義リアリズム』著者で批評家のマーク・フィッシャーが自身の鬱病について記したテクストを手がかりに、鬱病と資本主義との関係性に迫る。


「Depression──鬱」木澤佐登志

2017年にみずから命を絶った批評家マーク・フィッシャーのテクストに、「何の役にも立たない(”Good For Nothing”)」と題した、十代の頃から彼を断続的に苦しめてきた自身の鬱病について書かれたものがある。その中で、彼は次のように書いている。「僕の鬱は、自分は文字通り何の役にも立たないという確信と常に結びついていた。三十歳までの人生のほとんどを、自分は絶対に働けないと信じて過ごしてきた。」

フィッシャーは、常に自分はどこにも居場所がない、求められた人間の役割をこなすことができないと感じていた。フィッシャーは精神病院の中にいたときさえも、自分は本当は鬱病ではないのではないかと感じていた。働く能力がないという事実、この社会のどこにも自分の居場所が存在しないという事実から目を背けるために、鬱病を擬態しているにすぎないのではないのか、と。

最終的に進学教育大学の講師としての仕事に就いたときも、フィッシャーは自分に教職のような仕事が務まるとは、確固として信じることができなかった。

こうした信念、すなわちフィッシャーが抱いていた「何の役にも立たない」という無能感はどこからやってきたのだろうか。それはたとえば、生まれつきの性向なのか、あるいはなんらかの脳器質疾患なのか、それとも精神分析でのみアクセス可能なような奥深いトラウマなのか、等々。

長年にわたって鬱に苦しんできたフィッシャーによれば、どれも少なからず正しくないという。フィッシャーは、イギリスの臨床心理学デイビット・スマイルが提唱した「魔術的自立主義(‘magical voluntarism’ )」という概念に注意を払っている。魔術的自立主義、つまりそれは、自分の力だけが自分を変え、なりたい自分になることができるという信念であり、フィッシャーによれば、現代の資本主義社会の支配的なイデオロギーを構成している。そして、鬱病とはこの「魔術的自立主義」の裏返しにほかならない。

つまりはこうだ。鬱病の原因はいつだって自分にあり、自分の不幸の責任は自分にしかなく、それゆえその苦しみは受けるにふさわしい、と。自分の不幸の責任は自分にしかなく、それゆえにそれに値する。再帰的な悪循環と無能感。ここから、また別の自己責任が招来してくる。貧困、機会の喪失、失業、それらもまた自分自身だけの責任であり、その境遇を受け入れなければならない。そう、ここには「社会」というものが存在しない、イギリスの元首相サッチャーがかつて言ったように──。

フィッシャーは次のように書いている。「僕が自分の精神的苦痛の経験を書くのは、それが何か特別だったり珍しいと思ってるからじゃない。そうじゃなくて、多くの鬱の形は、個人の枠組みや心理学の枠組みではなく、むしろ非個人的かつ政治的な枠組みを通すことで、もっとも理解でき、そして闘うことができるという主張に僕が与しているからだ。」

感情的・心理的な苦痛が、最終的にそれを受ける者からかなり離れたところにある社会的・環境的な力の作用によってもたらされることが多い、と上述のデイビット・スマイルは述べる。従来の精神医学は、鬱の原因を(患者からもっとも近いところにある)脳の神経作用に還元していった。抗うつ薬プロザック・ブーム以降、多くの人々が生産性や仕事のパフォーマンスを上げるために向精神薬を飲み、みずからを「神経化学的自己」へと改造していった。

資本主義社会を律する「(再)生産性への信仰」、クィア理論家のリー・エーデルマンが「再生産的未来主義」と呼んで批判してみせたこのイデオロギーは、「何の役にも立たないこと」にネガティブなスティグマを押し付けていく。こうした社会における鬱病患者治療の役割とは畢竟「何の役にも立たない」人々を、社会という名の生産性の回路に組み込み再配置していく不断の作業に他ならない。しかし、フィッシャーのような人々にとって、その割り当てられた場所は常にどこか居心地が悪く(ここには自分の居場所がない)、割り当てられた仕事や、割り当てられた諸々のアイデンティに対しても、その期待された役割を完全にこなすことがどうしてもできないのである。

彼らは「何の役にも立たない」という内なる声によって自分を責めながらも、どこかで社会の<外部>を幻視しているのだろうか。社会の外へと通じる「出口」(イグジット)を探し求めているのだろうか。

唐突だが、ミシェル・フーコーには、1979年に執筆された「かくも単純な悦び」という甘美なテクストが存在する。同性愛者の自殺についての、戸惑うような一文とともにはじまるこのテクストは、人々が死ぬことを求めて訪れる、東京のラブホテルを思わせる幻想的な迷宮のヴィジョンの描写を以て閉じる。その東京のフランス式シャトー、すなわち「ありうべきもっとも不条理なインテリアに囲まれて、名前のない相手とともに、いっさいの身分(アイデンティティ)から自由になって死ぬ機会を求めて入るような、地理も日付もない場所、そうした場所の可能性が予感されるのだ」(増田一夫訳)。

端的に言えば、そこは社会の絶対的な<外部>であり、あまねくアイデンティティが蒸発してしまうような非−場所なのだ。そこでは「死」が「絶対的に単純な悦び」として、名前のない相手と共有される。

そこでの何週間とも何ヶ月間とも知れぬ不確定かつ緩慢な時間の中で、彼らは待ち続けるだろう。何の役にも立たないものが、何の役にも立たないものそれ自体として肯定されうる、そのような瞬間が、絶対的な自明さと絶対的な単純な悦びを伴って現れるまで──。

木澤佐登志, D2021, うつ病, ディプレッション, 資本主義, マーク・フィッシャー, ミシェル・フーコー

「D2021」
日時:2021年3月13日(土)、14日(日)
会場:日比谷公園(日比谷公園アースガーデン“灯”内)
主催:D2021実行委員会
共催:アースガーデン/ピースオンアース
※D2021は「311未来へのつどい ピースオンアース」の関連企画です

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白濱イズミ「どんな未来になっていたいか、書き出してみる」【離れても連帯Q&A】

外出できないのであれば、未来のことを考えてみる。「アフター・コロナ」の社会はどうなっているのか、どうあってほしいのか。白濱イズミ(ラブリ)はコロナ禍を見ながら、未来を思考する。〈離れても連帯〉シリーズ第10弾。

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大によって、日本ではいま、多くの文化施設が休業を強いられ、感染防止対策として、あるいは政府による“自粛の要請”によって。また「ステイ・ホーム」や「ソーシャル・ディスタンシング(距離をとること)」が求められ、人と人とのコミュニケーションはいまだかつてなく制限されています。

こうした中でわたしたちには何ができるのでしょうか。文化を維持するために、好きな人や場所を守るためには何が? 離ればなれであっても連帯するには? この"非日常"を忘れないためには? さまざまなジャンルの第一線で活躍している方々にアンケートを実施し、そのヒントを探ります。

今回は白濱イズミ(ラブリ)が登場。

離れても連帯, KEEP-DISTANCE-IN-SOLODARITY

──新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、今あなたが属している業界や産業はどんな打撃を受けていますか? 応援・支援するにはわたしたちに何ができるでしょう?

白濱:全体的にいうと動けなくなっています。でも個人的にいうと違う方法を使って動けることが増えたように思えます。シェアすること、自身の生活に取り入れてみること。自分なりの答えを楽しむこと。

──自宅待機以降に新しく始めたこと、もしくはポジティブな影響・変化がありますか?

白濱:自宅待機だからこそ早く起きることにした。新しい習慣を改めて作ったかな。声を録ること、文章を書くこと、毎日テーマを決めて様々なフォーマットで配信してます。noteでは「本当に話したいことを、本当に聞きたい時だけ。」、voicyでは「ラブリラジオ。」みたいにコンテンツを分けて。

──コロナのビフォー/アフターで、変化した自分の考え方や、社会への認識があれば教えてください。

白濱:社会では本来私達には選択すべき権利があるということを改めて再認識してます。「コロナをきっかけにそれぞれが自分には何ができるのか?」という問いに対して今、考える人と考えられる人、考えれない人、考えることができない人のように、今何をしているかによってそれぞれの向かう先がこれから先大きく分かれていくような気がします。

──自宅隔離中の人に試してほしい、オススメの行動やコンテンツを教えてください。

白濱:自分の言葉を書き残すこと、どんな未来になっていたいか、どんな未来になるか予想して考えて、今自分ができることを書き出してみること。

──自分の今の気持ち・気分を音楽で表すとしたら?

白濱:Sigur Rosの「Gobbledigook」。小さい太鼓首にかけて叩いて足踏みしながら踊りたい。気持ちいい空の下で、人がいる中で楽しい音楽で踊りたいです。友達全員に会いたいです。結婚式を後に取っておいてよかったって思ってる。みんな呼んでみんなで遊びたいです。

──2020年2月の自分に伝えたい・教えてあげたいことは?

白濱:変化というものが何年分くらいのものが一気に凝縮して目に見える形でそれぞれの生活に平等に起きるよ、って教えてあげたいかな。

──コロナ禍で人間の「良い面」も「悪い面」も浮き彫りになりました。あなたが見聞きしたなかで、忘れたくないと思う、印象的な出来事やエピソードがあれば教えてください。

白濱:良くも悪くも今の日本の政治の動きはしっかりと目に見えているかもしれないですね。あと各国の動きも目に見えていて、世界全体が同じテーマなのでとても理解しやすくなってる。

──コロナ禍が落ち着いた後、日本の社会にはどう変わっていってほしいですか?

白濱:今日本で起きていることを忘れないでほしい。社会は誰かのものではなく私達自身のものだということを実感して選択して、今回のことで全体が全体への理解となり深まってそれぞれが発信者として社会に参加していけたら、きっと未来は楽しいものになるのではないかと、今は信じたい気持ちの方が大きいです。今というものを身をもって体験できる私達はすごくラッキーだと思う。

@loveli_official

離れても連帯

Special Thank Kisshomaru Shimamura

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コミック作家・カナイフユキ「お金に換算しづらい自信や人間関係を築いておけば」【離れても連帯Q&A】

コロナ以降のアイデンティティは「何を買うか」ではなく、「何を考え、どう行動するか」で構築される? コミック作家のカナイフユキが、自己隔離中に見ていたという「エロアカ」や、日本の茶化しカルチャーについて語る。〈離れても連帯〉シリーズ第26弾。

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大によって、日本ではいま、多くの文化施設が休業を強いられ、感染防止対策として、あるいは政府による“自粛の要請”によって。また「ステイ・ホーム」や「ソーシャル・ディスタンシング(距離をとること)」が求められ、人と人とのコミュニケーションはいまだかつてなく制限されています。

こうした中でわたしたちには何ができるのでしょうか。文化を維持するために、好きな人や場所を守るためには何が? 離ればなれであっても連帯するには? この"非日常"を忘れないためには? さまざまなジャンルの第一線で活躍している方々にアンケートを実施し、そのヒントを探ります。

今回はイラストレーター、コミック作家のカナイフユキが登場。

離れても連帯, KEEP-DISTANCE-IN-SOLODARITY

──新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、今あなたが属している業界や産業はどんな打撃を受けていますか? 応援・支援するにはわたしたちに何ができるでしょう?

カナイ:僕はフリーランスでwebデザインの仕事をして生計を立てながら他の活動をしているのですが、幸い在宅でできる仕事なので、その面では影響はありません。イラストなどの仕事も同様です。しかし、友達と共同運営しているカフェ&イベントスペースは営業自粛を余儀なくされてしまい家賃の減額を交渉中ですし、自分のZINEを扱っていただいている書店さんもオンラインのみの営業をされているところが多いです。今すぐ収入が絶たれることはないと思いますが、社会は繋がっているので、どこかでひとつの業界が打撃を受けたら自分に影響が及ぶ可能性はあるだろうなと想像して心配しています。

少しでも「なくなったら困るお店」「いなくなったら困る個人」からものを買ってもらえたら良いのかなとは思います。しかし、自分も含め経済的に他の人を支援するほど余裕がない人も多くいるので、個人に自助努力を求めるばかりで何もしない政府に怒りを募らせています。経営が苦しそうなお店で買い物できないのが本当に辛いです。

できる範囲で経済を回し、できる限りの防疫をし、政府の愚策に対しては声を上げる、ということをしてもらえたらと思います。

──自宅待機以降に新しく始めたこと、もしくはポジティブな影響・変化がありますか?

カナイ:自分のストレスの感じ方に対して敏感になり、イライラしているときの自分を客観的に見る時間が増えました。以前から、ストレスが溜まると性欲のコントロールが上手くできなくなってしまう傾向があると自覚していたのですが、ちょうど3月後半からストレスフルな仕事をしていたこともあり、Twitterでいわゆる「エロアカ」を大量にフォローしてDIYのポルノ写真やポルノ動画を見るという暴挙に出てしまいました。最初は興奮していたのですが、鍛えた肉体や、自分が性的に機能することをこれでもかと誇示したがるゲイ男性たちを見るうちに、それらが強さでもって承認されたいという有害な男性性を煮詰めたような光景に見えてきて、虚しく悲しい気持ちになりました。コロナ禍の中でなければ自分もそれに参加して(つまりサクッと誰かとセックスして)処理していたかもしれないので、ひとりで冷静に考えられるこの状況をポジティブに捉えることはできますね。そして、ふと、エイズ禍の中でもやりたい人はやっていたのかもしれないなと想像したりもしました。

あとは、外を出歩けることが気持ち良いと久々に感じたことや、日記や記録をつけておくことの大切さを実感したことがポジティブな変化だと思います。また、ストレスフルな状況の中で「自分が何を気持ち良いと感じるか」がクリアになり、不謹慎ですが興奮しています。絵のアイディアや文章を考えているときの頭が回転している感覚がとても気持ち良くて、自分はそういう人間なんだなとわかったのは良かったです。

──コロナのビフォー/アフターで、変化した自分の考え方や、社会への認識があれば教えてください。

カナイ:以前から現政権の差別的な態度は感じていましたが、それが炙り出されたと思います。非典型的な家族、外国人や複雑なルーツを持つ市民、生活困窮者などを冷遇する姿勢があらわになって、改めて心から軽蔑しています。絶対に一生許しません。

また、意外とそれに対してアクションを起こす(署名、官邸や政党へのメールなどで)人が多いなと思いました。同時に、みんな、ここまでの状況にならないと政府の横暴に気づかないし行動も起こさないんだ……という気持ちも少しあります。今後は、これが日常的な普通の行動になったら良いなと思います。

──今の気持ち・気分を音楽で表すとしたら?

カナイ:中谷美紀「砂の果実」

──自宅隔離中の人に試してほしい、オススメの行動やコンテンツを教えてください。

カナイ:ZINEを作ることですね。自分が何を好きか? どんなことに関心を持っているか? いま何を感じて何を考えているか? それらをまとめてアウトプットすることは、セラピー的な効果があります。僕がZINEを作るのも半分はそれが理由です。人に見せることを前提に作らなくてもいいので、自分の声をじっくりと聞いてみましょう! もちろん、他の人に見せて思いを共有することができたら、そこから広がっていく世界があると思うので、それも楽しめたら素敵ですよね。僕も、エロアカについてのZINEを作ろうとしています。

──コロナ禍で人間の「良い面」も「悪い面」も浮き彫りになりました。あなたが見聞きしたなかで、忘れたくないと思う、印象的な出来事やエピソードがあれば教えてください。

カナイ:和牛券、お魚券、Go to travel、布マスク2枚、30万から10万に減り世帯主にしか給付しないという話になりいまだに給付されない給付金、出し渋られる休業補償、国に吸い上げられた税金がいかに無駄遣いされているか感じた虚しさと怒りを忘れたくありません。

良い面では、こんなときに連絡をとって気遣い合える家族や友人の存在に感謝しています。

──コロナ禍が落ち着いた後、日本の社会にはどう変わっていってほしいですか?

カナイ:今後、あらゆる差別や格差がさらに可視化されて、誰も「ノンポリ」ではいられなくなると思います。

少し前までは「何を買うか(消費するか)」で自分がどんな人間かを構築していく時代でしたが、間違いなく不景気がやってくるであろう今後は「何を考え、どう行動するか」で自我を構築していく時代になると思います。どの政党を支持するかなど、社会的な行動も重要になるでしょう。政治や社会問題の話題を忌避するムードはもう維持できないと覚悟するべきだと思います。

そうなると、僕の作っているzineもそうですが、消費・経済と距離を置いた場所での活動、「それ儲からないけどなんのためにやるの?」と言われそうな活動をいまから筋トレ的にしておくと後々役立つ気がします。お金に換算しづらい自信や人間関係を築いておくと、不景気や悪政に振り回される時代でも人としての軸がブレにくくなると思うからです。

これまでの社会はあまりにも困っている人の声を無視してきたし、個人が自分の生活を守るので精一杯な状況を作られていると思うので、その潮目が変われば良いなと思います。

これまでより一層、聞こえづらい声を「聞く力」を持って、いまは分断されているコミュニティ同士も繋がる社会になることを期待します。離れても連帯、離れなくても連帯、という感じでやっていけたらなと思います。権力者が最も嫌うのは、力を持たない人々が手を取り合うことだと聞いたことがあります。

中谷美紀の「砂の果実」を選んだのは、この曲がリリースされた90年代後半のムードが好きだからです。2000年代初頭まではアイドルは下火で、かわりに暗くてシリアスな内容の歌を歌う若い女性歌手が流行していました。アニメやお笑いなども少し頭を使わせるものが多くて、この時代に思春期を過ごした身からすると、現在の日本のポップカルチャーは幼稚さを肯定しすぎていると感じるときがあります。この頃は物事をシリアスにとらえることを茶化してブームが終わってしまったように感じますが、今度は茶化さずに真剣に考える方向に社会が変わればいいなと思っています。

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離れても連帯
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