41.君は嘘を付かない
時間が経つにつれ、賑やかな昼食は徐々に終わりを告げる。まだ鐘の音は鳴っていないが食事を終えた者は少なくないようで、食堂を出る者、食後の談笑を楽しむ者と様々だ。そして今日もヴィオレットは前者だった。
仮にこれがヴィオレットとユランだけだったならもう少しまったりしていたかも知れないけれど、このメンバーでこれ以上は間が持たない、若しくは空気が悪い。
一番に食べ終わったのはユラン、そう間を置かずヴィオレットが紅茶を飲み干した。
「ごちそうさま?」
「えぇ、ごちそうさま。ユランの言う通り、美味しかったわ」
「良かった。じゃ、行こっか」
「え……っ?」
空になったカップがヴィオレットの手から離れるのを待って、首を傾げたユランが問うた言葉に頷く。てっきり自分の進めたデザートの感想が聞きたかったのだと思ったが、満足気な表情は一瞬にして切り替わり、指先を持ち上げる様なエスコートでヴィオレットを立ち上がらせた。
ユランの考えをまだ上手く汲み取れずぽかんとしているヴィオレットに笑みを深めて、まだ食べているギアに目線を向けた。
「ギア、先行ってる」
「んー」
「遅れるなよ」
頬が膨らんでいる姿はまるでリスの様だ。初めは二つあった山が今は一つ、随分小さくはなっているが残りの時間を考えると結構ギリギリなのではと思う。突然手を引かれた現状も忘れて、彼は大丈夫なのだろうかと心配になってしまった。
それを声に出したユランは慣れているらしく形だけの忠告で、急かすには覇気が足りない様にも感じる。いつも間に合っているから大丈夫だと思っているのか、言っても直らないから諦めているのか、ヴィオレットには判断出来なかった。
飛んでいた思考が、導く様に引かれた指先に引き戻される。
「それでは……お先に」
「ちょ……っ、あの、失礼いたします……っ」
クローディアに流した視線に友好的な光がない事は当人が一番分かっているだろう。元々は柔らかい印象を抱かせる目元が一切機能せず、口角は本の少し上がっただけの顔面はロボットの方が余程好意的だ。
力強い訳ではないが、振り払うという選択肢の存在しない拘束に従って足を動かす。その場を去る前に一礼出来たのは、礼儀のギリギリセーフ……だと思いたい。
スタスタと迷いなく進む足取りは普段を考えると少々早い様にも感じた。それでも取り残される危機感を抱かないのは、その歩幅がヴィオレットに合わせた物だからだろうか。歩調は早いのに、その長い足に反して進みは遅い。
指先に軽く触れるだけの繋がり。ふわふわした髪が揺れる様子を見ながら、どこに向かうのかも分からずにただ後ろを着いていく。問うた所で答えてはくれないだろう。きっと、ユランにも目的地なんてない。
ただ何となく進んで、目についた丁度良い場所で立ち止まる。
到着したのは、教室に続く道程にある中庭。中庭と呼べる場所は多々あるげ、ここは花が咲き乱れる広い物ではなく、比較的こじんまりとした場所だが美しい石造りの噴水が設置出来る程度の広さはある。
時間が時間なだけに人は少ない、教室に戻る前に少し立ち話といった影が少しといったくらい。
そんな人達と同じ様に、備え付けられたベンチに腰を腰を下ろした。水の叩きつける音が空間に満ちていて、これなら話の内容が誰かに聞こえる事もないだろう。隣に座ってようやく人の音が耳に届く、天然の防音空間。
触れた指は離れなかったけれど、力の入っていた肩が少しだけ下がったのが分かった。
「……落ち着いたかしら?」
「別に冷静じゃなかった訳ではないよ?」
「そうね、冷静に奇行に走る人もいるわ」
「あはは、ごめん」
「笑い事ではないのだけど」
へんにゃりと眉を下げて笑う姿にさっきまでの硬質で冷淡な面影はない。それでも行いを反省している訳ではなく、ヴィオレットを困惑させた事を申し訳なく思っているだけというのは、ヴィオレット自身もよく分かっていた。伊達に幼馴染みはやっていない。
今さら戻って頭を下げさせるつもりはないが、少しくらいは改善させるべきなのかと頭を悩ませた事は過去から現在まで幾度となく。ユランの行動の背景を把握しているから無闇に他人が口を出していいのかと気遣いもするし、何より発言によっては華麗なブーメラン、攻撃力を増して自らに降り掛かってきかねない。
「巻き込んでごめんね」
「……最初に巻き込んだのは私の方でしょう」
クローディアがいると目に見えていながらあの席を選んだのは、自分が原因。ユランが自分を気遣ってわざわざクローディアとの間に入って来てくれている事は知っている。そうでなければユランは近付きもしないし、もう少し上手く避けるか乗り切るかするはずだ。それだけの経験と技術を持っていないはずがない。
今、自分が立っている場所の危うさくらい自覚している。ユランが危惧している事も、理解しているつもりだ。そしてそれは全て、ヴィオレットが巻いた種。
罪には届かずとも不信を招く行動に自覚はある。
一年分の過ちが白紙に戻ったからといって、ヴィオレットが省みるべき事はその範囲に収まらないのだから。
今さら水に流して貰えるなんて調子の良い事をいうつもりはないし、クローディア本人に直撃して更なる不信を煽るつもりもない。
これは全て、ヴィオレットだけが背負い、人知れず償うべき事だ。
「そんな顔しないで。反省するなら私ではなくクローディア様へでしょう」
「そっちには反省も後悔もしてないからなぁ」
「思ってても口に出さない」
はぁ、と力が抜けると同時に息も抜けた。クローディアとユランの相性を今更議題に上げて確認する気はないが、年月と共に風化も冷戦にもならず、悪化している事だけは未だに何度となく考えている事だ。
仲良くしろというつもりはないし、元より強制出来る物ではない。それでも基本的に争いを好んで起こす性格ではないユランがここまで明確に牙を向くという事実に、少しだけ奇妙に思っているのもまた事実で。
自分が知る以上に、二人の間には何かあるのだろうか。
「…………」
「どうしたの?」
「……いいえ、大丈夫よ」
聞いたところで、ユランは正直に答えはしないだろう。基本的に素直だが、クローディアが関わると途端に意地になるのは経験済みだ。
そして何より、知った所で何が出来るというのか。
「無茶だけは、しないでね」
「……ありがと」
目を細めたユランはとても嬉しそうだったけど、決して頷いてはくれなかった。