40.おとぎ話の一幕ならば
(露骨だな……珍しく)
もぐもぐもぐ、ごっくん。もぐもぐもぐ。
口に含んでいるパンの香りを楽しむのと同じ様に、滅多に見る事のない……というより実際には初めて見る友人の態度に、ギアは少々ずれた感想を抱いた。
上機嫌と不機嫌を行ったり来たり、時には同時に抱えたりする。基本的に同じ状態をキープしてばかりのユランにしてはかなり珍しい事だ。
ユランに初めて出会った日の事を、ギアは鮮明に覚えている。
王政を始めてからそれほど歴史の深くないシーナにとって、他国の学園に留学するのは王族としての義務。国の学習機関のレベルがそれほど高くない事も一因ではあるが。ギアだけでなく二人の兄も、父も同じくタンザナイト学園出身だ。
中等部に上がると留学生の為に設けられた寮へと入ったが、同時自分はシーナの小学校を卒業したばかりで、まだ十二歳だった。
そうして中等部に入学してすぐに待っていた現実は……腫れ物扱い、が一番適した表現だろうか。
色白な人が多い中で褐色の肌は浮いたし、紳士淑女の巣窟に一人混じったがさつな男が悪目立ちするのも当然と言えば当然。唯一の幸いはギア自身がそれに気付く聡さと気にしない図太さがあった事だろう。元々豪快で大胆なシーナの国民の中でも、最もその傾向が強いのが王族だ。
ギアから話しかける事もなく、周りは遠巻きに眺めるだけ。気分は動物園の珍獣。
そんな学園生活に嫌気が指した訳でもなく、だからといって充実している訳でもなく、まぁこんなもんだろうと無関心にも思っていた。
「それ全部食べんの?」
「あ?」
振り向くと顔は分からず、仰げば高い位置かを見下ろす目と目が合った。
今と変わらぬとんでもない食欲に身を任せていた自分に、純粋な疑問をぶつけてきた。驚いたというよりはただの興味本意で、ギアに対して小馬鹿にする訳でもなく。
どこまでも平坦な、金色と目が合った。
それはギアを取り巻く状況を一転させた特異な人間……ユランである。
周囲より頭一つ抜きん出た長身に、優しさと穏やかさを連想させる笑顔。圧迫感を与えそうな体格ながら、その顔立ちは鋭さよりも柔らかさが表立って。年齢体格性別全てを考慮して適しているかは分からないが、ユランを称する人はよく彼を可愛らしいと言った。
その外見と対応で人が集まるタイプのユランが自分に話し掛けた事も驚いたし、何よりも喜怒哀楽どれにも当てはまらない表情があまりにも意外で。この男は笑わずとも綺麗な顔をしているのだなと、場違いにも感心してしまった。
初めはその一言。次は挨拶。たまに話す様になって、気が付けばよく一緒にいる様になって。それが友人であり親友であると知ったのは、周囲からそう言われたからだ。
「ギアはユランと仲が良いんだね、意外だったよ」
ユランをきっかけに話し掛けてくる人が増え、それが原因かは分からないが、いつのまにか学園は異分子であったギアに慣れていった。
勿論慣れたというだけで受け入れている人間は少数だけれど、ギアにとってはどちらでも大差はない。自分の生活さえ快適であればそれで、害がなければ気付きもしないのだから。
ギアにとってユランは、楽な相手というのが一番適切だったと思う。友人とか親友とか、名前をつけると綺麗だけど実際はそんなもの。
そしてそれは、ユランにとってもそうなのだろう。
いつもふわふわと花を飛ばす様な穏やかさで笑うユランが、自分のそばでは呆れている事が多いし、笑っても鼻か唇の端っこで。柔らかな口調もどこか突っ慳貪な影を滲ませているし、何よりも纏っている雰囲気が硬い。
お互いに、気を遣う事なくいられる友人ではある。それを親友を呼ぶのなら、正しく自分達は親友だ。
しかしそれは、何も特別な事ではない。
ユランにとって、ギアの存在は確かにある程度大きいが、それでも切り捨てるに悲しむ様な類いではないだろう。関わりを絶った所で針で刺した程度の傷も付かないと、ギアはよく知っている。
ユランにとっての特別はこの世で、ヴィオレットただ一人。
まるで繊細なガラス細工に触れる様に、優しい声でその名を呼ぶ。その名を口にする時だけ、溢れ落ちる様に笑顔になる。ユランが耐えきれぬ幸せに綻ぶ時、いつも同じ人が側にいる。
壊れない様に、傷付かない様に、万が一にも痛めてしまわぬ様に。
ヴィオレットは、ユランの宝物だった。口のせずとも分かるくらい、ユランはヴィオレットを大切に大切に慈しんでいた。
だから、不用意に踏み込むような真似はしてはいけないと知っていた。そしてユランも、ギアが分かっている事を知っていた。
この柔らかい見てくれの無関心な男が全神経全精神を傾けるヴィオレット、ユランが溺愛するお姫様。
ギアがヴィオレットと対面したのは、ユランとの友人関係が三年目を迎えようとしていた時だった。
(やっぱ、姫さんであってたじゃん)
間近で見るヴィオレットは、多くの人間が思い浮かべる『美』を体現していた。どこか鈍い色合いの髪や瞳も、ヴィオレットが纏えばミステリアスな魅力へと変化する。
王子としてそれなりに沢山の国の職業お姫様を目にしてきたし、ギア自身美醜に強いこだわりがある方でも無かったが、それでもヴィオレットを見て真っ先に抱いた印象は「とんでもない美人だな」の一言だった。
ユランが彼女を容姿で判断しているとは思っていないが、過保護になる理由はそこにあるのだろう。美人は得と同じだけ損をする可能性も秘めているから。
今のユランを見ればよりその過保護が際立って、いつもよりずっと分かりやすく不機嫌だ。
「どう?美味しい?」
「私の事は良いから……美味しい、けど」
ヴィオレットに向かう姿には欠片の負も見当たらないけれど。ユランだけでなくクローディア達も視界に入るギアから見ると、それは天気の境目で。
一方では、ただ優しく穏やかな晴れの世界。片やもう一方では、雷まで降り注ぐ雨の世界。
何をどうすれば一人の人間からこんな対極な空気が漂うのか。ユランという人物を知っている自分でも嘆息もの。
そして同じだけ、意外にも思った。
基本的にユランはいつも平等で、例外はただ一人ヴィオレットだけ。それもいわゆる贔屓の類いで、ヴィオレットにだけ特別優しく甘く、その他のは無関心だからこそ相手に合わせて笑っている所がある。
ギアの様に心をある程度許した相手にはむしろ冷たさが増すくらいで、本来興味がなければないほど優しく写るのがユランの人柄だ。
それがこうも、分かりやすく不機嫌を現すとは。
相手はクローディアか、ギアは面識のないミラニアか……相手の反応を見るに、クローディアが正解だろう。
ヴィオレットに対してニコニコと笑うユランを一瞥しては、一口。それが彼の通常スピードでない事は何度も会食をしているギアも知っていた。
減る様子のないお皿の上は、量が多すぎて食べきれない可能性のあるギアよりも以時間を超過してしまいそうな気配が漂っていた。
(何か……あんだろうなぁ、こいつら)
頬張ったクロワッサンはパリパリの食感。自国も食は豊富だが、この国も大きいだけあって素晴らしい食材も人材も揃っている。
ユランとクローディアの間にあるものは、きっと調べればすぐに分かるだろう。一国民ならともかく、一貴族と王族が相手ならプライバシーなんて有ってない様なものだから。上に行けば行くほど人権が大切に守られると錯覚するものは多いが、貴族王族は隠すべき事が多いだけ。プライベートに関しては誰もが簡単に暴こうとするし、多くの無関係者はそれを許容しろと叫んで止まない。例え当事者が高校生でも、生まれたばかりの赤ん坊でも、男でも女でも関係なく。その身分が守るのはあくまで身分であって、個人ではない。
だからきっと、この二人に関してもちょっとつつけば事実と嘘偽りが過剰なまでに出てくるはずだ……が。
それをする気は、ギアにはない。理由もない。
興味がないとまでは言わないが、ユラン自身が話さないならそれは知られたくないのか、別に知る必要も言う必要もないという事だろう。
厄介な相手に敵と認識されているクローディアは気の毒だと思うけれど、ユランが無視でも適当な対応でもなく純粋な敵意を持っているという事は、それだけ大きな存在とも言えるが。
どのみち、ユランの心が動く原因は一つしかない。
「……ヴィオさんも難儀よなぁ」
「え……?」
「何、突然。食い過ぎて頭までおかしくなったのか?」
「なってねぇよ……つーか、人の事言えんの?ユランだってまだ食べ終わってないだろ」
「俺は量も時間も平均的なんで」
嘘を吐け。さっきからヴィオレットばかりみて手が進んでいない事は、ギアだけでなくヴィオレット本人だって知っている。さっきから何度も注意されているくせに笑って誤魔化しているが、どうやらヴィオレットの方もユランには甘い様だ。
ヴィオレットが微笑めば、ユランは幸福に心踊らせる。それを見たクローディアは、苦虫を噛み潰した様に視線を逸らす。それを一瞥したユランは、何の感情もなく再びヴィオレットに笑顔を向ける。
ユランの心が動くのは、いつだってヴィオレットが理由であり原因だ。
(何も起こらんといいけど)
数少ない友人も、そのお姫様も、そして出来るならば知人である王子様も。誰も傷付かず、幸せだけが蔓延した大団円を迎えたら、なんて。
思い描けない未来を、柄にもなく願っていた。