契約3
色気のない婚約話
ぴったりと指に嵌った指輪に目を細めるキシュタリア。
ミスリルが変形するとはいったが、サンディスライトも見事に変わっている。歪さはなく、ショーケースに収まっていそうなほどだ。
「金属どころか宝石までこんなにできるんだ。アルベルは、本当にこの魔石と相性がいいんだね」
「そうなのかしら? 普通に思い通りになってくれたみたいだけど……なんだかとても形を変えやすかったわ。
キシュタリア、このデザインでいい? 嫌なら別の形に直すわ」
「ううん、これがいい。これなら偽造できないし、折角アルベルからもらった婚約指輪だし」
そういってキシュタリアは少し体を屈めて、指輪を注視していたアルベルティーナの隙をつく様に額にキスを落とす。
きょとんとしたアルベルティーナは、何をされたかややあって理解した。当惑したようにキシュタリアを見る。
「よろしくね、可愛い婚約者さん。…………さて、その刺すような視線はやめてくれないか、ジュリアス」
背後から恨みがましさを感じるほど強烈な視線が注がれている。
ちょっとだけ名残惜しそうにしたキシュタリアだが、ジュリアスに譲ることにしたようだ。
ちらりミカエリスを見れば、まだ口を引き結んでいる。
生真面目で堅物なところのあるあの騎士伯爵は、この案は聊か受け入れがたいのか。
「解っているならそろそろ交代してください」
ぴしゃりとした物言いのジュリアスに「ハイハイ、どきますよ」と手をひらひら振りながら、立ち上がるキシュタリア。
「意外そうな顔していますね。まあ、詰めの甘さは感じますが契約の求めることは理解しました。
私は、この契約あたりアルベル様にお願いしたいことがあります」
「なにかしら?」
不思議そうなアルベルティーナに対するジュリアスは不気味なほどいい笑顔だ。それを見ていたミカエリスが不安を覚える。キシュタリアも微妙な顔をしていた。
「養子先の斡旋です。私は身分が低い。貴方が望んでくださっても、私が求めても、子爵では他の候補者に見劣りしてしまいます。
新興貴族で勢いはあっても、格式や伝統がない家柄は軽く見られてしまうんです」
それは至極もっともだ。
だが、それ以上に婚約者候補二人はジュリアスの望むことを察知してぴしりと固まる。
アルベルティーナは少し不安そうに、ジュリアスの言葉に頷いた。貴族や王族の婚姻は利害関係を重んずるが、当然なこととして釣り合う格や伝統も求められる。
不釣り合いな場合は格上がよほどの不都合を抱えているか、格下のほうが非常に裕福であったりすることが多い。
「わたくしが紹介できるようなお家、ありまして?」
「ありますよ、ええ。アルベル様が頼めば、最低でも伯爵家。運が良ければ公爵家です」
にこにこと愛想がよさそうで、全く持って妥協の許さなそうなジュリアス。流石のアルベルティーナも「まさか……」と予想がついたようだ。
「ええ、フォルトゥナ家へ口利きを頼みます」
「四大公爵家よ? クリフ伯父様は、その、受けてくださるかもしれない。でも、フォルトゥナ公爵は……」
常日頃からアルベルティーナをわかりやすく溺愛している伯父はともかく、その父――アルベルティーナにとっては実の祖父のはずだがフォルトゥナ公爵は自信がないようだ。
アルベルティーナは苦い思い出の多く、苦手な人物だ。そして結構きつく当たってしまっているという自覚もある。
アルベルティーナは期待に応えられないかもしれないと匂わす。だが、ジュリアスは余程自信があるのか怯む気配はない。
「ええ、まずはクリフトフ様から引き込みましょう。手紙を用意してください。
あと、相手への餌としていくつか了承していただきたいことがあります」
「いいわよ。わたくしにできることなら、好きなようになさって」
条件を聞く前から了承するなと言いたいところだが、アルベルティーナは懐に入れた人間にはままあることだ。
そこはいつも通りと安心していいのか悪いのか分からない。
「貴女様にしかできないことですよ。月に一度はフォルトゥナ公爵と会っていただきます。
きちんとした時間を取り、極個人的な茶会のような形で、席を設けていただく形となります」
「……そんなことで、あの熊公爵が動くかしら」
「お任せください」
その程度で、と言いたげな王太女殿下。だが、自信たっぷりに笑みすら浮かべるジュリアスは勝算があるのか、しっかりと頷いた。
アルベルティーナはその一度にどれほどの価値があるかを理解していないのだろう。
四大公爵の一人であり、祖父のガンダルフにとってどれほどの意味を持つのかも。
「でも……条件があるわ。わたくし、あの男と二人きりは無理よ。必ず、貴方も同席して。ダメならキシュタリアやミカエリス、ジブリールを代理人として必ず手配してくださる?」
「畏まりました。このジュリアス、必ずやフォルトゥナの一人となって見せます」
優雅な一礼。恭しいがその瞳の奥には闘志と決意が激しく燃え盛っていた。
完全に腹をくくっているし、あの男はやると言ったらやる。それをよく知るキシュタリアとミカエリスはフォルトゥナ公爵家に合掌したくなる。
特大の爆弾を発射した当の本人は「他には?」と既に次に進もうとしていた。
「貧民街の再開発、あれを私もフラン子爵として強めに噛ませていただいても?」
「どうしたの? 今更。ええ、貴方に渡したのよ。有益に使って頂戴」
「ありがとうございます」
「あ、あとね。ちょっとお願いがあるの。病院も大きなものを作りたいわ。
資金は足りますかしら? 無理なら、わたくしのラティッチェの個人資産を動かせるかしら?」
アルベルティーナの立場を使えば、本気になれば個人資産どころかラティッチェの資産全てを動かせる。
病院の一つや二つどころか、大都市クラスの病院すら建設できるだろう。
アルベルティーナ・フォン・ラティッチェ・サンディス。公爵家と王家の名において命ずれば動かないわけがない。ましてや、自立性の強いラティッチェの使用人や商人、職人にとってアルベルティーナの偉功は絶大な信頼と、恩義が付随している。
彼女が一声吠えれば、同調するものは多数いる。
「病院、ですか」
「ええ、………きっと戦争が起きるわ。小競り合いじゃすまない。医療設備や、薬剤設備の拡充が必要となるの。
もともと、貴族は魔法に頼りがちだし平民の為の治療施設が少なすぎるわ。
あっという間に怪我人が溢れるわ。民間にも正しい衛生観念や、医療の知識が必要となるわ」
「すぐには難しいですね。ですが、貧困街の再開発と併せれば……」
アルベルティーナの耳にすら、戦争の話は来ているのか。
僅かに走った苦い表情をすぐさま切り替えて、ジュリアスの優秀な頭脳は算段を立てる。医療という専門知識の場は、一朝一夕で用意できるものではない。
ジュリアスはアルベルティーナの望みを、的確にくみ取っていた。アルベルティーナが作りたいのは田舎の小さな診療所とは訳が違う規模だ。
「お願いしますわ。実は残りの王太女の費用も使い道ができてしまって」
「何をするおつもりで?」
「王宮魔術師さんたちを、古文書と研究費で一本釣りしようかと。少々知識人が必要ですの。ああいう人たちって、パトロン不足でしょう?」
一瞬、明らかにジュリアスが止まった。
だが、そのすぐさま目まぐるしく何か思考を巡らせたのが分かった。
今、王宮魔術師たちは混乱している。今までカリスマと畏怖をもってまとめていたグレイルがいなくなり、うまく仕事を割り振って予算を寄越してくれる人もいなくなった。
貴族たちはとにかく王配椅子取りゲームにお熱であり、レナリアが脱走したのを棚に上げ、カインが逃げ出した挙句謁見の間で暴れた責任を理由に叱責されていた。
サンディス王国の王宮魔術師たちには研究はそこそこで王侯貴族に取り入る腰ぎんちゃくタイプと、純粋に魔法や魔道具に狂ったようなバリバリ魔術オタクタイプの二つに分かれている。
当然、今回の被害者も実際実力あるのも後者。
そして虚勢でなんぼの華麗で陰険なお貴族権力合戦が理解できない。社交が苦手なオタクな王宮魔術師たちはかなり居心地の悪い立場となっている。
そこで、グレイルの血を引いた王太女殿下が「予算あげるから、こっちにおいで」と手招きしたら? ダッシュでいくだろう。専門外でも、アルベルティーナは魔石の家庭用魔道具でかなり羽振りよく資金を与えた。その恩恵に預かった魔法使いたちはこのパトロンを放すまいとずっとローズ商会に籍を置いている。待遇の良さは有名だ。
また、魔法使いとしてアルベルティーナの魔力や魔法属性も魅力的だ。
潤沢な資金、確かな家柄と後ろ盾、変人にも優しい――あの癖の強いヴァニア卿にすら一度も怒鳴らないし、いまだに離宮に出禁させていない大らかで高貴な姫様だ。
読んでいただきありがとうございました!
エレイン・ラナ・ノリス公爵令嬢は、防衛大臣を務める父を持ち、隣国アルフォードの姫を母に持つ、この国の貴族令嬢の中でも頂点に立つ令嬢である。 しかし、そんな両//
【R2/5/15(金)アース・スターノベルよりノベル3巻発売。R2/4/11アース・スターコミックスよりコミックス1巻発売。ありがとうございます&どうぞよろしく//
貧乏貴族のヴィオラに突然名門貴族のフィサリス公爵家から縁談が舞い込んだ。平凡令嬢と美形公爵。何もかもが釣り合わないと首をかしげていたのだが、そこには公爵様自身の//
異母妹への嫉妬に狂い罪を犯した令嬢ヴィオレットは、牢の中でその罪を心から悔いていた。しかし気が付くと、自らが狂った日──妹と出会ったその日へと時が巻き戻っていた//
※書籍化・コミカライズします※ 「リーシェ! 僕は貴様との婚約を破棄する!!!」 「はい、分かりました」 「えっ」 公爵令嬢リーシェは、夜会の場をさっさと後に//
【本編完結済】 生死の境をさまよった3歳の時、コーデリアは自分が前世でプレイしたゲームに出てくる高飛車な令嬢に転生している事に気付いてしまう。王子に恋する令嬢に//
「すまない、ダリヤ。婚約を破棄させてほしい」 結婚前日、目の前の婚約者はそう言った。 前世は会社の激務を我慢し、うつむいたままの過労死。 今世はおとなしくうつむ//
公爵令嬢に転生したものの、記憶を取り戻した時には既にエンディングを迎えてしまっていた…。私は婚約を破棄され、設定通りであれば教会に幽閉コース。私の明るい未来はど//
二十代のOL、小鳥遊 聖は【聖女召喚の儀】により異世界に召喚された。 だがしかし、彼女は【聖女】とは認識されなかった。 召喚された部屋に現れた第一王子は、聖と一//
◇◆◇ビーズログ文庫から1〜4巻大好評発売中です。 ◇◆◇コミカライズ新シリーズ連載中!! ◇◆◇詳細へは下のリンクから飛べます。 私の前世の記憶が蘇ったの//
婚約破棄のショックで前世の記憶を思い出したアイリーン。 ここって前世の乙女ゲームの世界ですわよね? ならわたくしは、ヒロインと魔王の戦いに巻き込まれてナレ死予//
小学校お受験を控えたある日の事。私はここが前世に愛読していた少女マンガ『君は僕のdolce』の世界で、私はその中の登場人物になっている事に気が付いた。 私に割り//
8歳で前世の記憶を思い出して、乙女ゲームの世界だと気づくプライド第一王女。でも転生したプライドは、攻略対象者の悲劇の元凶で心に消えない傷をがっつり作る極悪非道最//
突然路上で通り魔に刺されて死んでしまった、37歳のナイスガイ。意識が戻って自分の身体を確かめたら、スライムになっていた! え?…え?何でスライムなんだよ!!!な//
【書籍版1巻重版!! ありがとうございます!! 双葉社Mノベルスにて凪かすみ様のイラストで発売中】 【双葉社のサイト・がうがうモンスターにて、コミカライズも連載//
※アリアンローズから書籍版 1~6巻、コミックス2巻が現在発売中。 ※オトモブックスで書籍付ドラマCDも発売中です! ユリア・フォン・ファンディッド。 ひっつ//
【KADOKAWA/エンターブレイン様から書籍版発売中】 【2019年9月からコミックウォーカー様にてコミカライズスタート&書籍発売中】 「気付いたら銀髪貴族//
頭を石にぶつけた拍子に前世の記憶を取り戻した。私、カタリナ・クラエス公爵令嬢八歳。 高熱にうなされ、王子様の婚約者に決まり、ここが前世でやっていた乙女ゲームの世//
注意:web版と書籍版とコミック版とでは、設定やキャラクターの登場シーン、文言、口調、性格、展開など異なります。 書籍版は一巻と一章はそこまで差はないですが、書//
「ひゃああああ!」奇声と共に、私は突然思い出した。この世界は、前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だって。 前世ではアラサー喪女だったから、「生まれ変わったら、//
本が好きで、司書資格を取り、大学図書館への就職が決まっていたのに、大学卒業直後に死んでしまった麗乃。転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の兵士の娘。いく//
薬草を取りに出かけたら、後宮の女官狩りに遭いました。 花街で薬師をやっていた猫猫は、そんなわけで雅なる場所で下女などやっている。現状に不満を抱きつつも、奉公が//
❖❖9月25日書籍9巻、本編コミック6巻、外伝4巻発売!❖❖ ◆オーバーラップノベルス様より書籍8巻まで発売中です。本編コミックは5巻まで、外伝コミック「スイの//
前世の記憶を持ったまま生まれ変わった先は、乙女ゲームの世界の王女様。 え、ヒロインのライバル役?冗談じゃない。あんな残念過ぎる人達に恋するつもりは、毛頭無い!//
【毎日更新中です】 ※WEB版と書籍版では内容がかなり異なります(書籍版のほうは恋愛メインのお話になっています。登場人物の性格も変更しました) 過労死した社畜O//
【☆書籍化☆ 角川ビーンズ文庫より1〜2巻発売中です。コミカライズ企画進行中。ありがとうございます!】 お兄様、生まれる前から大好きでした! 社畜SE雪村利//
アスカム子爵家長女、アデル・フォン・アスカムは、10歳になったある日、強烈な頭痛と共に全てを思い出した。 自分が以前、栗原海里(くりはらみさと)という名の18//
大学へ向かう途中、突然地面が光り中学の同級生と共に異世界へ召喚されてしまった瑠璃。 国に繁栄をもたらす巫女姫を召喚したつもりが、巻き込まれたそうな。 幸い衣食住//