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 良きにつけあしきにつけ、大きな政策が唐突に浮上し、現場は右往左往する。安倍政権の教育政策をめぐっては、そんな光景が繰り返された。

 コロナ禍を受けた全国一斉休校の要請だけではない。大学などの高等教育幼児教育の「無償化」は改憲の道具に利用しようとの思惑も絡み、短期間のうちに看板政策に。小中学校での情報通信技術の活用も、昨年末に巨額の予算をつけたのはいいが、教員がスムーズに対応できるかなどの疑問が広がった。

 教育に資源を投入すること自体に異論はなく、持ち越しになっていた課題を前に進めた点は評価できる。だが国民への説明は十分だったとは言い難い。無償化に関しても、高所得層も対象とする普遍的な制度がいいのか、それとも絞りをかけ、浮いた予算を別の施策に使った方が格差の解消につながり、社会の公正にかなうのか――といった議論は生煮えに終わった。

 熟議を避ける姿勢は専門知の軽視を生んだ。一斉休校は感染症の学者や教育関係者らの意見を聞くことなく、首相が突然発表した。大学入試改革も、制度設計の甘さを憂慮する識者らの声に耳を傾けず、英語民間試験などの導入を急いだ末に、土壇場で破綻(はたん)した。

 いずれも児童生徒や家庭、学校を振り回し、今も深刻な影響が残る。当事者たちの事情に目を配り、先を読む能力の欠如が生んだ混迷でもあった。

 12年末の政権復帰後しばらくの間は、国の統制を強める姿勢が目立った。教科書の検定基準を書き換え、領土問題などについて政府見解に基づく記述を入れるよう定めた。さまざまな考えや情報に触れつつ、主体的に考える力を育てることを掲げる学習指導要領の、まさに正反対をゆく強権ぶりだった。

 意思決定の仕組みを上意下達型に変えることにも執着した。教育委員会制度をいじって、自治体の首長の権限を強化したのはその一例だ。戦前の反省を踏まえて行政は謙抑的な姿勢で臨み、教育の中立や自由を守ろうという考えは薄かった。大学についても、学長の権能を強める法改正に踏み切った。

 トップダウンの象徴が、首相の私的諮問機関として設けられた教育再生実行会議だ。道徳を正式な教科に格上げするなど、政権の意を体した政策を推進。中央教育審議会はそこで決まった方針を形にするだけの存在になり、多様な価値観を政策に反映させる機能は弱まった。

 上からの指示や思いつきではなく、現場の声と専門家の知見を踏まえた施策でなければ実を上げることはない。8年近くに及んだ政権が残した教訓だ。

連載社説

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