先のことばかり考えてしまう人が多いけれど
「安定した職に就いたほうがいい」「将来を見据えて生きろ」
私たちは、このようなことを言われて育ってきました。
日本人は何十年も先の未来を不安に思い、将来の「安定」がある程度保証されている公務員や大企業などへの就職を選ぶ傾向にあります。
先のことが心配になる気持ちは確かにわからなくもありません。私も安定した職に就こうと考えた時期もありました。
しかし、こうした不安にとらわれるあまり、疲れてしまっている人が多いのもまた事実です。何十年も先を常に見通しながらいつも頭をいっぱいにし、嫌なことも我慢しながら生きていく日々。将来の不安から「食いつなぐ」「安定を失わない」を意識するあまり、嫌なことから逃げられずに過労死する人や精神を病んでしまう人もいます。
一方で考えていただきたいのが、日本では餓死する人はほとんどいないということです。たとえ今なにかが辛くてそこから逃げたとしても、死ぬことはないでしょう。国家が死なない限り、生活保護という手段もあります。
私はかつて、生活保護の受給者のボランティアをしていました。かなりの数の受給者と関わり、その生き方を見てきましたが、いい意味でとても衝撃的でした。
彼らは私たちからすれば、明日の生活も保証できない不安定な生活をしているようには見えますが、そうではありません。僕が関わった受給者の方たちの中には安定とか、将来といった感覚をほとんど持つことなく、本当に「今この瞬間」だけを考えて生きている方もいるのです(もちろん全員の受給者ではないことを、ここで断っておきます)。
こうした経験、そして彼らの生き方は今でも私を根底で支えてくれています。
そして、先のことばかり考えてしまいがちな多くの日本人にもぜひ伝えたい、そんな想いで書いてみます。
朝起きられず、就職活動をあきらめた大学時代
私は今でこそ幅広く仕事をしていますが、もともとは「朝起きて通勤電車で出社するのが無理」という理由で就職活動をほとんどしませんでした。唯一、三井物産だけ受けたのですが、面接や自己PR などを一通りやってみてすぐに「就活は無理だ」と思い、やめました。
当時在籍していたのが慶應義塾大学の経済学部ですから、周りの友だちは当然のように大企業に就職していきます。就職しなかったのは、私ともう一人漫才師を目指した友人だけ。
そんな中私は、リサイクルショップを開きました。一応起業という形になりますが、世間一般で考えられているような、資金をたくさん調達して従業員を雇って、といったものではありません。
そうではなく、「店舗を借りてそこに住んでしまおう。普通に生活しながらいらない服でも置いておけば、少しは売れて家賃の足しになるかもしれないな」という程度の気持ちで始めたのです。積極的に起業しようとしたわけではなく、就職が無理だからと、いわば消去法的にしたにすぎません。
生活保護受給者たちとの関わりの中で、彼らの生き方に衝撃を受けた
このリサイクルショップですが、実は主なお客さんは生活保護受給者でした。
彼らはそれなりにお金を支給される上に時間はたくさんあるので、よくやって来てはいろいろ買っていきます。そしてまた、私の方からも生活保護の申請に随行したり、彼らが家を借りるときの緊急連絡先になったりと、様々な受給者たちと様々な関わり方をしたものです。そんな彼らのお金の使い方に、私はとても驚きました。
たとえば、ある方は動物を飼うのが趣味で、毎月生活保護支給のその日に高い動物を買ってしまいます。なんでもアマゾンの熱帯雨林に生息している動物専門の店があるらしく、欲しい動物を見つけては「ああ売れちゃうなあ」なんて言いながら支給日を待つ。そしてお金が入ったら即座に購入です。エサ代も飼育費もまったく考えません。
そんな感じでお金がなくなると、自転車で廃品回収のようなことをはじめます。
売れそうなものを拾ってリサイクルショップを回り、生活費を稼いでいるようでした。本来申請が必要なものですが、そのあたりはどうしていたかはよくわかりません。拾うのに夢中になっているうちに見知らぬ場所まで行ってしまい、帰れなくなってしまったこともありました。
そしてまた、ある方は、ヤフオクで10 本くらいまとめて売られている偽物のロレックスの時計を買い、「俺ってお金の使い方うまいなあ」と満足げに話します。
しかも、「友情の証」として私に時計をくれて、私がつけていないと怒るのです。
結局彼は、ツケと言っては店の漫画をたびたび持っていき、一回も払えずに出禁になりました。友情はいいからお金を払ってほしいものです(笑)。
こうした変わったエピソードがもう本当にたくさんありました。
しかしそれでも、彼らは生きていく。私たちももっと気楽に今を
彼らはこのように、私たちには考えられないお金の使い方をします。今ここでお金を使い切ってしまったらその先困ると、きっと頭では理解しているのでしょうが、それでもできない。とても不思議です。
しかしそれでも、彼らは生きていきます。どこからともなく食べ物を手に入れ、寝床を見つけ、なんとか生き延びていく。私も相当な数の生活保護受給者を見てきましたが、飢えて死んでしまった人はひとりもいません。言い方は悪いですが、こんな生き方でもやっていけるのです。
私たちが気にする「安定」。それはたしかにいいことかもしれません。
しかし未来は未来ですから、本当の安定なんていうのもまた存在しないのです。
きっと、私たちは先のことを見据えられるがゆえに、必要以上に我慢してしまったり、必要以上に複雑に考えすぎてしまうのでしょう。でも、彼らのようにもっと即物的に生きてもいいのではないかと思うのです。
仮に「失敗」しても、「道を外して」も、それで人生が終わるわけではありません。いくらでも他に道はありますし、いくらでもやっていけます。生きていくのはそんなに難しいことではない。それは生活保護受給者たちから学ぶべきところなのだと思います。
私たちと彼らになんの差があるのか。みんな同じ、立派に生きている人間です
実は彼らの多くは子どももいます。あまり考えることなく結婚し、あまり考えることなく子どもを作る。そしてまた、あまり考えることなく目の前の欲求のままにお金を使うんですね。
一方で私たちはどうでしょう。そんな彼らの生き方を見て「自分とは違う」と思いながら、あんなふうにならないように勉強しよう、なんて言ったりします。そうしていつでも替えがききそうな仕事をしながら、不安定だからと結婚もせず子どもも作らず、年金を払いつつ老人ホームに入るためのお金をためている。
しかし、私たちと彼らの間にいったいどんな差があるというのでしょうか。等しく皆人間です。誰もが生き、死んでいく人間なのです。それは彼らも私たちも同じ。根本はなにも変わりません。
将来は誰にもわからないものです。
だからこそ「今何ができるか」、「今何がしたいか」を私たちはもう少し考えてもいいのだと思います。
生活保護受給者たち(あくまで一部の)は少し度がすぎてはいますが、今をいちばん楽しみ、今をいちばん生きている存在だと言えるかもしれません。先のことを考えずに私たちの予想を超えるようなお金の使い方をしながら、それでも立派に生きています。
皆どうせいつかは死ぬんです。私たちも彼らを見習い、もっと肩の力を抜いて、今日をやっていきましょう。
この記事を書いた人
えらいてんちょう
1990年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。2015年10月、リサイクルショップを開店。その後、バー・エデンを開店し、フランチャイズ化して全国直営5店舗を構える。現在は、投資家、コンサルタントとしても活動する。著書『しょぼい起業で生きていく』が発売後すぐに重版がかかり、現在42000部(3月7日現在)。
Twitter:@eraitencho
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