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クローズアップ現代+「としまえん 最後の夏」高度成長・バブル崩壊・コロナ禍…時代をみつめてきた遊園地の最後…
2020/09/02 04:26
出典:『クローズアップ現代+「としまえん 最後の夏」』の番組情報(EPGから引用)
2020/09/01(火) 22:00:00 ~ 2020/09/01(火) 22:30:00
クローズアップ現代+「としまえん 最後の夏」[字]
高度成長・バブル崩壊・コロナ禍…時代をみつめてきた遊園地の最後の日々に密着▽亡き父親との思い出が…仕事がうまくいかないときによく来て…かけがえのない場所
番組内容
さまざまな世界初、日本初が…100年近い歴史を持つとしまえんは8月31日で閉園▽「プール冷えてます」「史上最低の遊園地」「祈景気回復」「クーズミズ」…これまで話題を呼ぶ広告の数々が。どんな時代の気分を映し出してきた?▽さまざまなアトラクションの裏には知られざる努力があった!新婚旅行で海外の遊園地を視察して回った社員も!最後まで楽しんでもらおうと、さまざまなイベントを仕掛けて最終日に…
出演者
【キャスター】武田真一,【ゲスト】太田光,【リポーター】合原明子,【語り】古谷徹
『クローズアップ現代+「としまえん 最後の夏」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)- 太田
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- メッセージ
- 一緒
- 花火
- 気持
- 記憶
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『クローズアップ現代+「としまえん 最後の夏」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?
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(歓声)
合原≫としまえん
最終日のきのう
コロナ禍の暗い日常を
吹き飛ばしてくれる人たちに
出会いました。
ウォータースライダーを子どもの
ように愛する中高年の人たち。
合原≫すごいいっぱいですねー。
合原≫仕事も肩書も関係なし。
嫌なことがあっても
ここに来れば忘れさせてくれると
通い続けてきたそうです。
合原≫子どもたちに囲まれている
女性に出会いました。
としまえんの思い出を
手作りの帽子に
詰め込んだそうです。
合原≫今は亡き父親に
連れられて
子どものころから実に50年
通い続けてきたと
教えてくれました。
武田≫としまえんが
開園したのは大正15年。
開園当初、大人気だった
ウォーターシュート。
船頭さんが、大ジャーンプ!
流れるプールは世界初。
屋内スキー場も、世界初です。
中高年の私たち世代に
懐かしいのが数々の広告。
≫「回転運動について」
「考える遊園地。としまえん」
武田≫暗い時代でもユーモアで
笑いを与えてくれました。
その遊園地が
最後に直面した
コロナ禍の厳しい時代。
としまえんは最後に
どんなメッセージをくれるのか。
皆さんも一緒に考えてみませんか。
≫「ことしはまじめに考えます」
「考える遊園地。としまえん」
武田≫きのう惜しまれながら
閉園した
としまえんに来ています。
太田さん、シンボルである
カルーセルエルドラド。
回転木馬
特別に入れていただきました。
どうですか。
幼いころに何度も乗ったことが
あるんですね。
太田≫何度もということ
ないけど
何回は乗ったことがありますね。
これが多分サッチーが
乗ったやつだと思うんですけど。
武田≫野村沙知代さんがね。
太田≫ちょっとへこんでますから
ね。
武田≫へこんでは
ないですけどね。
太田≫まさかカルーセルとは
思わなかったね。
エルドラドとは聞いたことあるけ
ど。
合原≫とても歴史がありまして
113年前にドイツで造られて
その後、アメリカに渡りまして
セオドア・ルーズベルト大統領
ですとか
あのマリリン・モンローも
乗ったと言われています。
言われています。
日本に来たのが
1971年。
購入額1億円と
言われています。
太田≫すごいよね。
武田≫昭和
そして平成、令和と
幾多の時代の波を乗り越えながら
きのうまで続いてきたんです
けれども
太田さん
この閉園についてどうお考えです
か。
太田≫閉園となると
最初に聞いたときは
ええって
一応田中は特に
中野区だから
きょうも本当は
来たかっただろうけど
あいつもはやりに敏感なんで。
びっくりして
まさかなくなると
思ってなかったけど
でも、忘れちゃうんだよね。
別に今、閉園
きのうされたっていっても
あっ、きのうだったのぐらいの
感じで。
武田≫しばらくするとね。
太田≫ディズニーランドが
出る前はここがメイン
でしたけれども
あそこからちょっとね
いい気なもんで
こっちは何でなくすんだ
と言うけど
おまえが行かないからだろう
という話でしょう
恐らく。
武田≫本当に人の心は
移ろいやすいものなんですけど
やっぱり残したものも
すごく多かったんです。
太田≫思い出はあります
確かに。
武田≫図らずも
コロナ禍で
最後の夏。
としまえんは私たちに
どんなメッセージを残して
くれたんでしょうか。
合原≫最終日、私が驚いたのが…
水しぶきが
いっぱい飛んできました。
スライダーズという
およそ100人の愛好会です。
こちららは会に入って間もない人。
合原≫しかし、数年間
練習を積めば、ご覧のとおり。
絶妙なバランスで
10メートルほど水面を滑り
上陸できるように
なるんだそうです。
さらに上達すると、こんな技まで。
合原≫代表の松川啓一さん
52歳です。
としまえんに通い続けて20年。
最終日は、会社の有給休暇を
使ってまで駆けつけていました。
≫スライダーに
夢中になる松川さん。
50代ならではの
深いわけがありました。
≫これがハワイにいたころですね。
≫松川さんは、バブル経済が
崩壊したころに就職し
営業の仕事を続けてきました。
厳しいノルマが課され
長時間、昼夜を問わず働く日々。
精神的に追い詰められ
仕事を辞めました。
≫同じころ、としまえんも
バブル崩壊の影響を受け
入園者数は大きく減少しました。
それでも、決してユーモアを
忘れることはありませんでした。
≫たっくーん。東京初めてだよね。
どこ行きたい?んっ?
≫お台場。
≫「窓の外には としまえーん」
≫当時、居場所を失ったように
感じていた松川さん。
近所にあるとしまえんを
訪れたとき
子どものようにスライダーを
楽しむ人々と出会い
のめり込んでいきました。
≫50代を迎え
体力の衰えを感じている松川さん。
毎日トレーニングを重ねています。
≫1、2、3、4、5。
せーの、えび反り!
1、2、3、4、5。
合原≫思い出を詰め込んだ
帽子を作った野村あずささん。
≫職業は帽子デザイナー。
仕事の傍ら
週に3回も来ていました。
合原≫野村さんは、としまえんの
すぐ隣に自宅があります。
≫野村さんは小さいころから
お父さんと来ていたそうですが
きっかけがユニークなんです。
≫これ父で、私で妹。
≫大のゴルフ好きだった
父の吉三郎さん。
およそ50年前
としまえんにあった
ゴルフ練習場に通うのが目的で
このマンションを購入しました。
吉三郎さんが夢のマイホームを
手に入れた1970年代。
日本列島改造論が叫ばれ
マンションブームに。
都心からほど近いこの地にも
マンションが次々と完成し
住民にとってとしまえんは
庭のようになっていきました。
毎週末
ゴルフの練習に行く吉三郎さん。
野村さんは
その帰りに遊園地に立ち寄るのが
楽しみでした。
≫2人の子どもがいる野村さん。
毎年、年間パスポートを
更新しています。
≫すぐそこにある遊園地。
閉園を間近に控え
改めてその大切さに
気付きました。
合原≫こちら懐かしのポスターの
コーナーっていうことで
いろいろ並んでいます。
としまえんといえば
おもしろい広告。
≫あつい。
≫「プール冷えてます。
としまえん」
合原≫史上最低の遊園地、不快。
これ、おもしろいですね。
こうしたクスッと笑える
広告で、暗い世の中を
明るく照らしてきました。
≫コロナ禍でも、その精神を
貫き通そうとしていました。
入社40年、内田弘さんです。
(拍手)
≫人々を楽しませるために
何かできることはないか。
世界初の流れるプールにも
こんな逸話があるそうです。
≫キャッチ。はい、どうぞ。
いいよ、1個持っていって。
はい、おめでとう。
≫最後の4日間
社員たちの発案で実施したのは
縁日でした。
≫夏の風物詩・花火も
最後の2か月は
お盆や週末に打ち上げました。
毎年、夏休みには
離れて暮らす孫と一緒に
訪れてきた79歳の男性です。
ことしは、感染予防のため
孫と会うことはできませんでした。
それでも
いつものように花火を打ち上げ
最後まで明るい気持ちに
させてくれたとしまえんに
感謝していました。
≫コロナ禍で大切な思い出が
できた子どもたちもいます。
修学旅行など、学校行事が
ほとんど中止になった
地元の小学6年生たち。
≫イエーイ!!
≫卒業アルバムに載せる
写真がないと
思い出を作りに来たのです。
≫担任の先生が
カメラマンを買って出ました。
≫わー、いい絵が撮れた!
ハハハ。
≫開園から94年
戦争、高度成長、バブル崩壊
東日本大震災、そして新型コロナ。
どんな時代でも
楽しい思い出を残してくれる
としまえんでした。
合原≫閉園まで5時間。
スライダーズの代表・松川さんは
この日、まだ一度も
うまく上陸できずにいました。
≫松川、松川、松川。
合原≫いよいよ、最後の滑りです。
(歓声)
合原≫見事、この日一番の
上陸でした。
合原≫としまえんの
すぐ隣に住んでいる野村さん。
手作りの帽子で、すっかり
子どもたちの
人気者になっていました。
家族一緒に花火を見て
としまえんとお別れです。
(花火の音)
合原≫多くの人に惜しまれて
閉園するとしまえん。
この遊園地の最後らしい
メッセージを見つけました。
としまえんで育ったも同然
悲しい、ぴえん。
とかいって
来年もやってるんでしょ
うそが下手くそ
だってとしまえんだもん。
武田≫としまえんと共にあった
さまざまな人の人生。
木馬に乗りながら
真剣な表情でご覧になる
太田さんの
姿も印象的だったんですけど。
太田≫ラブホテルじゃないですよ。
武田≫なかなかシュールな
光景ですけども。
どうご覧になりましたか。
太田≫いやいや確かに
われわれ同世代でしょう。
惜しんでいる人たち。
俺も田中も
ラジオでとしまえんなくなるって
ビッグニュースだと思ったら
意外と若い人とか
武田さんだって、きょう初めて
来ましたよね。
何のかんしょうもないって言って
たよね。
武田≫私、熊本出身でね。
太田≫意外と人によって
われわれにとっては
大変な遊園地なんですよ。
泥くさくてと
さっき言ってたけど
それこそ俺の記憶も
まあ曖昧になってるんだけど
子どものころ
ここに来るといったら
ディズニー以前は
としまえんといったら
エンターテインメントの
圧倒的な場所だったから
ああいう自虐的なこと
やるようになったのは
たぶん、ディズニー以降
だんだん遊園地ってそのものが
ちょっとさびれてくるというか
そういうふうにだんだん
シフトチェンジしていった記憶が
ありますね。
武田≫太田さんも
ジェットコースターなんかに
何回も
お乗りになったと。
太田≫俺は、だから中学校のとき
友達と2人で1日フリーパスって
3000円だったんですよ。
それでちょうど
こういう船のバイキングとか
ああいうのができたころで
フリーパスでいくらでも
乗れるのね。
あのバイキングに13回乗って
全部に乗る。
要するに元を取ろうということで
全部乗って
2周か3周ずつ乗って
気持ち悪くなるんですよ。
気持ち悪くなると
ジェットコースターに乗るのね。
すとんと落ちて
また乗れるんだよね。
それでまた乗るわけ。
としまえんの乗り物って
遠心力なんですよ
全部。
回ってるの。
壁に吸いついて
床が落ちていくって
無重力という乗り物があって
それなんか
ぐるんぐるん回されて。
結局、最後、家に帰ってげえげえ
吐いた思い出があります。
もう必ず吐く。
武田≫だから史上最低の。
不快な遊園地。
太田≫でも、あんなに乗るばか
いないけどね。
それが中間テストの真っ最中で
明くる日、テスト
休もうかと思ったぐらい。
武田≫それぐらい身近な
存在だったということですね。
太田≫7つのプールなんてよく
人だらけで
流れるプールすごかったって
身動きが取れないんですから。
ただ流されていくだけだから。
武田≫そんな中で…。
太田≫俺、埼玉だから
ここが海だと思って
いましたからね。
武田≫お台場まで行かずにね。
7つの海だって。
武田≫印象的なのは
広告ですよね。
合原≫そうなんですよね。
さまざまな時代にわたって
こうしたユニークな広告が
たくさん作られたわけですよね。
武田≫宮沢りえさんが
隠れていた…。
太田≫そうね
サンタフェのね。
そんなの覚えてないけど。
やっぱり俺はサッチーの木馬に乗
っている…。
合原≫エルドラドに乗って
いらっしゃる広告ですよね。
太田≫そうそうそう。
武田≫きょうは諸事情があって
お見せできないんですけど
気になる方は…。
太田≫あれが一番
サッチーの歴史の中で
一番の業績ですよ。
合原≫すてきなポスターでしたよ
ね。
太田≫すてきなポスター
すてきとは言い切れないけどね。
武田≫いろんな方の人生と
共にあったんですけど
すごく身近で
家族みたいなという。
太田≫確かにそのときは
そう思うんだけど
どんどん美化していくと思う
記憶の中で。
それでいいんじゃないですかね。
俺のアサカテックって
アサカに
そういうのあって
やっぱり潰れていって
タマテックかなんか
潰れていったけど
やっぱりそのときだけだもんね。
ああやって人生の中で
ずっと来てた人にとっちゃ
喪失感はすごいだろうけど
われわれは子どものころに来て
あと大学
この辺になるともうね
来てないもんね。
武田≫としまえん、もちろん
地方出身で
そんなに思い入れは
ないんですけれども。
熊本にもあるんですよ。
サンピアというのがあって。
よく行ったんですよ。
子どものころね。
女の子と一緒にね。
行きましたよ。
皆さんやっぱりどの地方にも
そういう心のふるさと
みたいなのがある
と思うんですよね。
確かに今、そんな
思い出さないんですけど
でもやっぱり時々思いますよ。
太田≫思い出の中にいるのが
似合う感じがしますよね。
特に、俺きょう思い出したけど
これ見たときに
うちのおふくろが
大好きだったころって
今、きょうここに来て
思い出したね。
乗り物は全然だめなんだけど
やっぱり夜になって
こうやって、こっちから見て
俺が乗っているの見るのが
あそこのメリーゴーラウンドは
きれいだから
見たいって言って
俺メリーゴーランドなんか
乗りたくないのに
乗っけられて
ぐるぐる回されて。
また、げえげえ吐いて
という感じだったんですね。
あと花火大会ね。
あれもやっぱり思い出があります
ね。
武田≫やっぱり子どもをどこに
連れていこうかと思ってね。
太田≫ここしかなかったですから
ね。
武田≫遠くまで行くのも大変だし
お母様の愛情も
あったんじゃないですかね。
太田≫そうね。
だんだんそういうふうに思ってい
くんだろうね。
そうやって
これがなくなっちゃって
みんなの頭の中で
どんどんいい場所になっていく
ような気もしますよね。
小学校の校舎だって
みんなそうでしょう、結局。
校庭だって
こんなに小さかったっけ
今行くと思ったり。
何かもっとすごいとこ
だったような
気がだんだんしていくから
人間って美化するからね。
武田≫本当にきのうで閉園して
しまったんですけど
そうやって皆さまの心の中で
いつまでも回り続ける。
そういうものであるんでしょうね。
太田≫そうでしょうね。
僕、でも本当に思ったのは
東京周辺のごく一部の人
(国枝)ワッスィー! ワッスィー!
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