デビュー45周年の角川博「ダメなら戻ればいい」の言葉受け「ここまで来ちゃった…」
デビュー45周年を迎えた演歌歌手の角川博(66)が、8月5日に記念曲「雨の香林坊」をリリースした。角川が金沢を舞台にした曲を歌うのは初めて。角川は「女性からの反応がいい。男性も最初から飛ばして歌える曲」とアピールした。
角川は歌手生活45周年を迎えた心境を「何もないですよ。いつもと一緒」とサラリ。「人生はいろいろあるけど、特に区切りは必要ないと思っている。1年、そして一日を大事にして行きたい」と自身の哲学を披露した。
角川も新型コロナウイルスの感染拡大で「Stay Home」を余儀なくされたが、スマホで映画を見ることに加え、朝のウォーキングも習慣化したという。「生活の時間が早めになっちゃったよね。夜の10時には寝ちゃうし、朝4時に起きて“おはよう時代劇”でしょう。それから40~50分、約4キロぐらいかな。走るのは膝にくるから」と明かした。
角川は広島の名門・広陵高校野球部に所属していた。もちろん、地元のプロ球団・広島カープを応援するファンでもある。今季のカープは開幕から“低空飛行”を続けており、角川は「打線は水物だから、問題は投手だよね。(新人の)森下君は素晴らしいけど、もっと大瀬良とかが頑張らないと。投手の整備しないと。監督が投手出身なんだから、そこはうまくやってほしいよ」と苦言を呈した。
角川は、45周年の歌手生活で一番印象に残っているのは「デビューして新人賞を取れたことじゃないかな。あそこの舞台に立てたことは、事務所の皆さんの力があったからだと思ったし、大きな事務所(芸映)に入れて幸せだったね」と振り返った。
博多でクラブ歌手をしていた角川は、スカウトされ1976年4月、「涙ぐらし」でRVC・RCAレコードから歌手デビュー。同年、第18回日本レコード大賞新人賞、第9回日本有線大賞新人賞をはじめ、新人賞を総なめにした。
角川は「プロになるつもりはなかった。断り続けていたんです。“ダメだったら、戻ってくればいいじゃないか”と言われて、ここまで来ちゃったんですけど」という。博多では当時で月に30万円の給料をもらっていたそう。上京した当時の給料は4万5000円となり、住居も昭和女子大(世田谷区)近くの事務所の女子寮をあてがわれたそう。角川は「玄関前の大広間に寝てました。番犬みたいに。僕が出る頃、岸本加世子が入ったのかな」と振り返る。さらに、駒沢大学近くのマネジャー寮、北新宿など転々としたそう。
角川は2018年に亡くなった西城秀樹さんとも不思議な縁がある。角川は西城さんをスカウトした人からスカウトされており、しかも、同郷(広島)で所属事務所も一緒だった。角川は「博多で歌っている時、ツアーの打ち上げで僕の店に来たんですね。秀樹もいました」という。
記念曲の「雨の香林坊」は、作詩の麻こよみ氏と担当ディレクターが「川の流れる街を舞台に。ネオンが川面に映える街」を候補に金沢の繁華街・香林坊に白羽の矢を立てた。角川は「僕はいつものように、いただいた曲を一生懸命歌うだけ」とサラリとした言葉にプロ魂を込めた。
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