「あしたのジョー」原作者 梶原一騎邸に眠るお宝 没後33年、ファン垂ぜんの品々
2020年9月4日 07時06分
漫画「あしたのジョー」などの原作者である梶原一騎(本名・高森朝樹)が亡くなってから33年。練馬区の自宅には漫画ファン、格闘技マニア垂ぜんのお宝グッズが眠っている。梶原の長男・高森城さん(52)は「父が生きた証し。いつか多くの人に見てほしい」と思い出を語った。
百七十坪の敷地にそびえ立つ「漫画御殿」。一九六九年、梶原が野球漫画「巨人の星」を大ヒットさせ、ボクシング漫画「あしたのジョー」の連載開始から一年半が過ぎたころ、建てた豪邸だ。
門から玄関のたたずまいは梶原が亡くなったときのまま。愛車ベンツが止まり、玄関では梶原がほほ笑む写真とタイガーマスク像がお出迎え。高森さんは「玄関以外は当時と様変わりした」と言うが、応接室の本棚には漫画がずらりと並び、リビングにはトロフィーや記念写真が飾られている。トレードマークだったサングラスや極真空手の黒帯も保管されている。
梶原は六六年から「週刊少年マガジン」で連載した「巨人の星」で脚光を浴び、「スポ根」ブームの先駆けとなった。従来のギャグや子ども向けの漫画の世界から「劇画」と呼ばれる作風に変化させ、人気を博した。「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「空手バカ一代」「愛と誠」などに若者は心を熱くし、夢中で読んだ。
◆入院前に削った鉛筆
高森さんが大切にしているのは、梶原が死の直前に削った3Bの鉛筆六本だ。「父は死ぬと分かっていた。入院する前に家で鉛筆を全部削り、これで絶筆となった『男の星座』の最終話を書いたんです」
鉛筆の芯が長いのが梶原流だった。「書家が墨を研ぐかのように、カッターナイフで削るんです。筆圧を強くせず、踊らすように原稿を書いていた。だから、この芯の長さで大丈夫だったのでしょう」
「あしたのジョー」や「愛と誠」の生原稿を見ると、文字は少し丸い。柔らかいタッチでよどみなく書き、消しゴムは使わない。原稿用紙を大切にし、丸めて捨てることは一切なかったという。
玄関から居間へと続く約十五メートルの廊下は高森さんと父の思い出の場所。梶原が大病を患い、車いすで自宅に戻ったときだった。鼻に管を通した父が高校生だった高森さんに「肩を貸せ」と頼んだ。「この廊下で毎日、何往復も歩行練習をしたんです。父は腕力がすごくて、肩がちぎれるかと思うくらいの強さで握り締めてくる。歩けるようになった父が誇らしかったですね」
自宅は築五十一年。梶原が旅立ってから三十三年が過ぎた。住む人はおらず、扉は固く閉ざされている。「父はこの空間で、時に悩みながら書いていた。当時をしのぶ物がたくさんある場所。原稿は保管できるが、月日がたち、その他の物は維持が難しくなってきている」としんみり言った。
◆「あいつは無欲」 力石のモデル明かす
高森さんには父・梶原の忘れられない言葉がある。自宅の食堂でのことだった。梶原が珍しく作品の話をしたという。「『あしたのジョー』の話になって、力石徹のモデルは極真空手の山崎照朝という奴(やつ)で、あいつは無欲なんだ、と言ったんです。父が作品のモデルの話をするなんて一切なかったので、驚きました」
刊行中の「力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝」(森合正範著)では極真空手の第一回全日本選手権王者で、孤高の空手家・山崎さんの半生が描かれている。梶原が語る山崎さんをはじめ、極真黎明(れいめい)期やキックボクシング時代の秘話、全日本女子プロレスでクラッシュ・ギャルズを指導したときの様子などを収めた。
また山崎さんは人気格闘漫画「刃牙」の回し蹴りのモデルにもなっている。漫画家の板垣恵介さんは本紙の取材に「刃牙や主要キャラクターの回し蹴りの土台は山崎さん」と明かした。
「力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝」は定価1650円、306ページ、四六判。問い合わせは東京新聞出版・社会事業部=03(6910)2527=へ。
文・森合正範
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