退陣するのだから、もういいだろう。安倍首相がそう考えているなら大きな間違いだ。
首相は何度も「丁寧に説明する」と言った。だが結局、口先だけだった。このまま追及に背を向け続けることなど許されるはずがない。
たとえば、森友問題では、公文書改ざんの具体的な指示内容など、肝心な点がはっきりしていない。国有地を8億円余りも値引きした根拠もあいまいだ。
改ざんに加担させられ、命を絶った近畿財務局職員の手記が今年3月、公表された。それを元に、遺族が求めた再調査を首相は拒んでいる。
しかし、「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」と首相が言った直後に改ざんは始まったのだ。首相には事実を究明する責任がある。
加計問題も結果的に、首相の「腹心の友」が優遇されたように見える。その過程には、行政の公正さをゆがめる「忖度(そんたく)」の形跡が数多くある。
獣医学部新設にあたり、首相秘書官が「首相案件」と述べたり、首相補佐官が「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」と語ったり。発言者は否定するが、聞いた側がウソをつく理由もない。
何よりも、国会で追及された首相が突然、従来の答弁を撤回し、加計案件を「特区」の正式決定まで知らなかったと言った不自然さは説明がつかない。
自分が案件を知らないのだから、周囲の忖度もあり得ぬという論法は説得力がないし、虚偽答弁の疑いもぬぐえない。
桜を見る会も疑問が満載だ。
首相主催の公的行事なのに、地元事務所が後援会関係者を広く募ったこと自体、「私物化」と批判されて当然だ。
さらに、参加者名簿を野党の資料要求の直後に破棄したり、ホテルでの前夜祭の明細書も出さなかったり。
首相にまつわる疑惑にふたをする一連の対応は、長期政権の「おごり」そのものだ。
とりわけ、前代未聞の公文書改ざんは、政治史に負の遺産として刻まれる。
にもかかわらず、退陣会見で首相は反省するどころか、公文書管理の新ルールを定めたと胸を張った。こんな態度が政治不信をいかに増幅させることか。
首相を退いても、政治家として、説明責任がなくなるわけではない。野党が国会招致を求め続けた妻の昭恵氏や、加計学園の理事長らと記者会見をしたらどうか。
問われているのは首相の政治姿勢だけではない。自民党に自浄能力があるか、ないかだ。
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