2014年7月9日(水)
Traduttore, traditore.
前にも書いたかな、イタリア語の格言で「翻訳することは裏切ること」と直訳できる。
「翻訳に誤訳はつきもの」「完全な翻訳などというものはありえない」ぐらいに薄めて訳されることが多いようだが、それこそ少々「裏切り」の匂いがするだろう。素直に読めばそんな限定的な内容ではなく、「翻訳することは、とりもなおさず裏切ることだ」と解するしかないだろう。部分的な批評ではなく全面的な宣告なのだ。
たとえ一文の外国語でも、真剣に翻訳作業に取り組むならば、この言葉の真実であることがひしひしと実感される。
その「裏切り行為」に敢えて仲間と挑戦しようとしているが、今はそのことではなくて。
これをもじって言ってみたい。
「記憶は裏切る」
「記憶に誤訳はつきもの」だとか「完全に正確な記憶はありえない」という薄まった話ではなく、「記憶はその本性からして裏切るものだ」というんだが、言い過ぎかなあ。
記憶の食い違いについて、若い作家が面白い短編を書いていた。そのタイトルも作家名も思い出せず、本棚に現物を見つけられず、それこそ記憶に翻弄される図。
気まぐれな暴君というか、猫の性の悪女というか、ほんとに記憶というやつは・・・!
***
『ねじクロ』で回り道をしてしまったが、6日(日)に名古屋へ往復したのは中学校の同窓会に出るためだったのだ。ついでにA君 ~ 本名で行こう、桜美林健心一期生の相羽大輔君とランチを共にした。
相羽君はこの春から愛知教育大学に職を得て、こちらへ来ている。職場は刈谷 ~ 徳川家康の母方・水野氏の土地だが、住まいは名古屋の熱田神宮近く。20km足らずの近さでも、名古屋は尾張で刈谷は三河、本来別の国でメンタリティが面白いぐらい違う。同県内なのに今でも厳然と存在する境界が、人事異動などで浮き彫りになることを面白そうに話してくれた。
許諾を得て写真を載せる。念のために付記すれば、彼は好んで髪の色を抜いているのではなく、いわゆるアルビノなのだ。ストロボの赤目が強調されるのも同じ理由により、決して軽くはない弱視がある。その境遇が彼を障害児教育に導いた。今後、間違いなく良い仕事をしてくれるだろう。
(右の2枚は、一緒に食べた名物の櫃まぶし御膳。)
***
同窓会は3時開宴、冒頭に俊ちゃんを覚えて合掌する。
前回は来なかったコイデ君が、マイクを握って『千の風になって』を歌い出した。プロみたいな歌いっぷりだが銀行勤めだそうで、そういえば中学の時は合唱部だった。音楽祭の『スイカの名産地』、面白い歌だったな。
これも前回欠席のショウゲンジ君は、ちびっこくてすばしこいサッカー少年だったのに、今は堂々たる押し出しの出版社勤務。
「人にボールをぶつけるの、うまかったよね?」
「三人兄弟の末っ子だったね?」
「ケンダマの名人だったよね?」
「授業中に両耳に鉛筆つっこんでブツブツ言ってたよね?」
皆それぞれ覚えていることが違う。そして皆、他の誰も覚えていないことを一つは覚えている。ジグゾーパズルのピースを持ち寄るように、手持ちの記憶をあわせるとみるみる全体像が浮かび上がってくる。
集合記憶の面白さだ。四つの福音書を生み出したのも、イエスの思い出を語る人々の共同作業だった。
で、ようやく本題。
アリタケさんという女の子がいた。2回とも欠席だが、誰かがスマホで写真を見せてくれた。お嬢さんの結婚式の写真である。
アリタケさんは小顔のかわいい子で、勉強もよくできた。お医者さんの娘だった。(ここまでは全員一致)
「お父さんが早くに亡くなったよね、確か中三の時」と僕。
「高一の時だな」とモリセが修正し、皆がそれに同意する。
「中三だと思うよ、僕は高校で東京に移ったから僕が知ってるってことはさ、お葬式にも行ったんだから。」
「いや、アリタケさんは瑞陵で、それを違う高校の連中に急いで伝えたりしたから、間違いない。」
「でも・・・」
「それはおまえ、東京まで伝わったんだよ、何かあったんだろ、かわいい子だったから。」
で、お決まりの和やかな大笑いに終わるんだが、どうも腑に落ちないのだ。
これほどはっきり記憶していることが、間違ってるんだねえ、どうも。
***
記憶は裏切る。それは間違いないが、そこから想像/創造も生まれてくるのではあるまいか。
DNAの複製における間違いが、しばしば進化の源になるように。
Traduttore, traditore.
前にも書いたかな、イタリア語の格言で「翻訳することは裏切ること」と直訳できる。
「翻訳に誤訳はつきもの」「完全な翻訳などというものはありえない」ぐらいに薄めて訳されることが多いようだが、それこそ少々「裏切り」の匂いがするだろう。素直に読めばそんな限定的な内容ではなく、「翻訳することは、とりもなおさず裏切ることだ」と解するしかないだろう。部分的な批評ではなく全面的な宣告なのだ。
たとえ一文の外国語でも、真剣に翻訳作業に取り組むならば、この言葉の真実であることがひしひしと実感される。
その「裏切り行為」に敢えて仲間と挑戦しようとしているが、今はそのことではなくて。
これをもじって言ってみたい。
「記憶は裏切る」
「記憶に誤訳はつきもの」だとか「完全に正確な記憶はありえない」という薄まった話ではなく、「記憶はその本性からして裏切るものだ」というんだが、言い過ぎかなあ。
記憶の食い違いについて、若い作家が面白い短編を書いていた。そのタイトルも作家名も思い出せず、本棚に現物を見つけられず、それこそ記憶に翻弄される図。
気まぐれな暴君というか、猫の性の悪女というか、ほんとに記憶というやつは・・・!
***
『ねじクロ』で回り道をしてしまったが、6日(日)に名古屋へ往復したのは中学校の同窓会に出るためだったのだ。ついでにA君 ~ 本名で行こう、桜美林健心一期生の相羽大輔君とランチを共にした。
相羽君はこの春から愛知教育大学に職を得て、こちらへ来ている。職場は刈谷 ~ 徳川家康の母方・水野氏の土地だが、住まいは名古屋の熱田神宮近く。20km足らずの近さでも、名古屋は尾張で刈谷は三河、本来別の国でメンタリティが面白いぐらい違う。同県内なのに今でも厳然と存在する境界が、人事異動などで浮き彫りになることを面白そうに話してくれた。
許諾を得て写真を載せる。念のために付記すれば、彼は好んで髪の色を抜いているのではなく、いわゆるアルビノなのだ。ストロボの赤目が強調されるのも同じ理由により、決して軽くはない弱視がある。その境遇が彼を障害児教育に導いた。今後、間違いなく良い仕事をしてくれるだろう。
(右の2枚は、一緒に食べた名物の櫃まぶし御膳。)
***
同窓会は3時開宴、冒頭に俊ちゃんを覚えて合掌する。
前回は来なかったコイデ君が、マイクを握って『千の風になって』を歌い出した。プロみたいな歌いっぷりだが銀行勤めだそうで、そういえば中学の時は合唱部だった。音楽祭の『スイカの名産地』、面白い歌だったな。
これも前回欠席のショウゲンジ君は、ちびっこくてすばしこいサッカー少年だったのに、今は堂々たる押し出しの出版社勤務。
「人にボールをぶつけるの、うまかったよね?」
「三人兄弟の末っ子だったね?」
「ケンダマの名人だったよね?」
「授業中に両耳に鉛筆つっこんでブツブツ言ってたよね?」
皆それぞれ覚えていることが違う。そして皆、他の誰も覚えていないことを一つは覚えている。ジグゾーパズルのピースを持ち寄るように、手持ちの記憶をあわせるとみるみる全体像が浮かび上がってくる。
集合記憶の面白さだ。四つの福音書を生み出したのも、イエスの思い出を語る人々の共同作業だった。
で、ようやく本題。
アリタケさんという女の子がいた。2回とも欠席だが、誰かがスマホで写真を見せてくれた。お嬢さんの結婚式の写真である。
アリタケさんは小顔のかわいい子で、勉強もよくできた。お医者さんの娘だった。(ここまでは全員一致)
「お父さんが早くに亡くなったよね、確か中三の時」と僕。
「高一の時だな」とモリセが修正し、皆がそれに同意する。
「中三だと思うよ、僕は高校で東京に移ったから僕が知ってるってことはさ、お葬式にも行ったんだから。」
「いや、アリタケさんは瑞陵で、それを違う高校の連中に急いで伝えたりしたから、間違いない。」
「でも・・・」
「それはおまえ、東京まで伝わったんだよ、何かあったんだろ、かわいい子だったから。」
で、お決まりの和やかな大笑いに終わるんだが、どうも腑に落ちないのだ。
これほどはっきり記憶していることが、間違ってるんだねえ、どうも。
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記憶は裏切る。それは間違いないが、そこから想像/創造も生まれてくるのではあるまいか。
DNAの複製における間違いが、しばしば進化の源になるように。