従僕の内心
ジュリアス視点。
ちなみにアンナはジュリアスに強いです。先輩であり、容赦なくしばきます。
アルベル過激派。
ジュリアスは膨大な資料に目を通していた。
自分がアルベルティーナ付きを外れていた間の情報を、すべて見直していたのだ。
あのぼやっとしているくせにやたらと発想力豊かなお嬢様は、少し目を離した隙にまたもやとんでもないものを作り出していた。
万年筆と呼んでいた筆記用具は、従来の羽ペンよりも遥かに画期的だった。
構造上の複雑さもあり重さはどうしてもあるが、耐久性やインクの性能は段違いだ。
同じ黒でも、新たに作ったインクは発色の良さがだいぶ違う。しかも従来のものより耐水性もあり滲みにくい。そして、それをインク壺で補充するのではなく、ペン内にあらかじめセットしてあるため多く文字を書くときなどはかなりいい。
インクはなんでも、様々な色を黒く見えるほど高濃度で組み合わせた黒。従来の黒よりも美しいのだ。特殊な粘液で伸びを良くしてあるため、液だれもしない。それをさらに補助するキャップがついている為、周囲も汚れる心配がない。ペン先の保護にもなり、実用的だ。
これは商人や文官などに人気が出るだろう。そして、アルベルティーナが父であるグレイルの為と熱心にデザインも凝らせていた。流麗なデザインは手にフィットしやすく、長時間使用しても疲れにくい。また、高級素材を惜しみなく使っているため胸元に引っ掛けていても浮かないのだ。デザインや素材を凝らせれば、高級嗜好品にも変わる。
アルベルティーナが最愛の父、グレイルのために作ったものだ。しかし、残っていた試作品をキシュタリアが欲しいと頼んだ。アルベルティーナは既に義弟のためにも作らせている最中だからもう少し待ってほしいとニコニコと了承していた。
おそらくだが、ドミトリアス兄妹をはじめとする身近な人たちにも、父親に贈るものよりはグレードは落ちるが用意するつもりなのだろう。
関連資料をざっと目を通すと、アルベルティーナの描いたデザイン画がいくつも出てきた。その中に、紫ベースの万年筆を見つけて思わず表情が緩む。多分ではなく、確信に近い形で理解した。ジュリアスのためのものだ。瞳の色をイメージしたものだということは、前回のくす玉で察せられた。
胸元の内ポケットを探ると、大きく引き裂かれた紫色のくす玉だったものが出てきた。
以前、学園の様子を公爵に直に報告しに行ったときに、思い切り胸を貫かれたのだ。
殺気もなく、あの男はあっさりと突いて見せた。グレイルを前にすれば、どれほど腕に覚えのあるものも塵芥と同様だとは知っていた。ジュリアスも腕に覚えがあるが、それでも微塵も反応できずにあっさりと倒れ伏したことはいまだ記憶に鮮明だ。
一瞬激痛が襲ったかと思えば、不思議とすぐに痛みが消えた。
流石のジュリアスも、背中と胸に穴が開いている血に染まった服を見て唖然とするしかない。
先ほどまでグレイルの前で膝をついて頭を垂れていた。その状況で背中から胸まで刺したのだろう。愛用の魔法剣に僅かに滴る血液をつまらなそうに眺めていた。
「……何故アルベルはお前のような身の程知らずに情を掛けるのだろうか」
しみじみといったグレイルは顔を上げるジュリアスを冷めたように眺めていた。目を見開くジュリアスなど気にも止めず、胸元に剣先を滑らせてくす玉を引っかけて出した。
壊れたアミュレットを傷つけないように床に落とした――魔力の残滓が僅かとなり、魔石やくす玉自体も壊れている。どう見ても発動していた。
使い切りのアミュレット。アルベルティーナのお手製のそれは、彼女の結界魔法の特性をよく引き継いでおり、護りに特化していた。
「……公爵様」
「ああ、少し試したかっただけだ。私のものを使ってしまったら、折角のアルベルからのプレゼントが壊れてしまうからね。
思った通り使い切りだったようだし、お前で試して正解だった」
あれは普通に死ぬ。
ジュリアスでなくても死ぬ。
どうせこの魔王と呼ばれる冷血公爵のことだ。使用人であるジュリアスが死んだり大怪我を負ったりしても、気にも止めないのだろう。
グレイルにしてみれば、ジュリアスは愛娘に邪な感情を抱く小蠅である。アルベルティーナがジュリアスを気に入っているから、目こぼしをせざるを得ないといっていい。
ただ単純に、娘の作ったものをジュリアスが持っていることが気に食わないのと、娘の魔道具の製作技術が知りたかったのだろう。
ただ何となく、試してみたいというグレイルの思い付きでジュリアスは一度殺されたのだ。
予想以上にアルベルティーナの魔道具作成レベルが高くてよかった。箱入り過ぎて経済観念も一般常識もお粗末なあのお嬢様が高級素材を惜しみなく使ったのも良かった。使い切りとはいえ即死レベルの攻撃を肩代わりできるのは稀有な才能といえるだろう。
命を狙われやすい王族や高位貴族、後ろ暗いもののある人間などにも喉から手が出るほど欲しいものだ。彼女がグレイルの、ラティッチェ公爵家の威光の下で強烈なまでの保護を受けていれば安全ではある。
-もし令嬢として生きていけなくなっても、これだけの能力があれば立派な一財産を築くに十分だった――飼い殺しにされる可能性は一層強まったが。
はっきり言って、新しい問題といっていい。アルベルティーナはまだ気づいていないのが幸いだが、これは由々しき能力だった。
アルベルティーナは自分の能力を軽んじている。自分を過小評価しているが、間違いなく彼女の中には一流の才能が数多とある。
クリスティーナがどれほどの魔法の才能を持っていたかは不明だが、アルベルティーナは間違いなくグレイルの能力を受け継いでいる。
その後、壊れて意味をなさなくなったくす玉だが、ジュリアスは大事に持っている。適当な理由をつけて壊れてしまったといえば、アルベルティーナのことだからまた作ってはくれるだろうが――再びグレイルに刺される未来が容易に想像できる。次は消し炭になるような超攻撃型上級魔法を使ってくるかもしれない。
グレイルは誕生日の際にアルベルティーナから二つ目のアミュレットを受け取っていたが、だからといって油断できない。あの公爵の愛娘への執着は尋常ではない。亡き愛妻の面影を強く持ち、繊細で心根優しいアルベルティーナへの溺愛は常軌を逸している
正直、恐ろしすぎると言っていいあのグレイルを父に持つアルベルティーナに懸想するなど狂気の沙汰といっていい。だが、ジュリアスはそれを知っていてなおアルベルティーナへの思いを諦めていなかった。
しかし、ジュリアスと同じようにアルベルティーナに魅了された人間は何人もいる。
特に身近なものは二人。彼らも身をもってあの公爵の恐ろしさと強さを知っているはずだ。そして、彼らは社交界で人気の貴公子なのだから、選びたい放題なはずなのに揃いも揃って初恋を拗らせ切っている。
ジュリアスは自分のことを棚に上げ、遠い目をした。
ふと、窓から庭を歩くアルベルティーナを見つけた。
温室から出てきたのは老いた庭師。腰を痛めているため仕事はあまりできないが、知識が豊富なためこの屋敷にいる――最も大きな要因は、アルベルティーナが彼を怖がらず気に入っているからだ。
アルベルティーナが気に入っている、という理由からラティッチェ公爵家で雇われている使用人は多い。
もともと公爵は仕事ができればある程度は容認する性格だったが、アルベルティーナへの関心が大きくなるにつれて人格性も重んじられるようになった。そして、何よりアルベルティーナが恐れないということを最も重要視されている。
ジュリアスもその一人であり、アルベルティーナの発想から展開した事業は大当たりをした。ラティッチェ公爵家の助力はあるが、一代で一介の使用人が爵位を得るなど滅多にないことだ。
アルベルティーナは気づいていないが、彼女に才能を見出された人間はラティッチェ公爵家内外に多くいる。出入りの商人の中には、丁稚から一等地に店を構えるほど成り上がったものもいる。料理人などは、ラティッチェ公爵家出身というだけで羨望と称賛の的だった。メイドも、アルベルティーナのローズブランドの新製品が試供品として贈られ、アルベルティーナと懇意であれば祝いの品などでも送られる。上級貴族ですら奪いあう様に購入している美容品を手に入れられ、容姿は磨かれる。しかも愛娘の周囲に目を光らせている公爵のプレッシャーに耐えたメイドたちは当然教養も高くなる。かなり良い婚約を結んだメイドたちはかなりいるのだ。
アンナはもちろんジュリアス、セバスといった古なじみには誕生日プレゼントも贈られている。
ジュリアスは誕生日にアルベルティーナが商品化を渋っているものを強請るように承諾させた記憶がここ最近に多い。アルベルティーナの頭は悪くないのだが、駆け引きはへたくそだ。ジュリアスの話術に翻弄され、いつの間にか色々聞きだされ、色々な事を承諾されていることに気づいていつも目をきょときょとさせている。『なぜ自分は頷いてしまったのだろう』とありありと顔に書いてあり、呆然としている姿を眺めるのは結構楽しい。
オイタが過ぎればアンナやセバス、最悪の場合グレイルまで出てくるので加減はしている。だが、それを差し引いてもこのお嬢様は騙されやすい。これは市井に出せない。貴族の社交界なんてもってのほかだ――あれは絢爛で陰惨な魔窟だ。
(もし手に入れられたとしても、公爵の真似はしたくないが屋敷に閉じ込めるしかないだろうな……)
幸い、引き籠ることを苦に感じない――というより、知らない人間を極端に怖がるアルベルティーナの性質はありがたい。
あのグレイルの激しい執着と束縛を笑顔で受け入れている軟禁上級者だ。
ジュリアスもかなり執着心が強い方だ。特にアルベルティーナに関しては、といえるだろう。アルベルティーナの前でもその執着心を出してしまったことはあるが、あのぽやぽや令嬢は恐れる様子も怯える気配もない。思いを告げたとき、言葉を荒らげ激情を叩きつけた後では多少ぎこちなさはあった。だが、時間を置けばすっかり落ち着いた。
分かっていないのか、気づかないのか、敢えて見て見ぬ振りか。
ジュリアスにとってどれであっても構わなかった。
アルベルティーナの心を許した笑みが向けられているのであれば、些細な事だった。
絆されている。呆れるくらい、愛している。かつては殺したいと憎悪を燃やしていたのに。
誘拐事件以降、別人となったようなジュリアスの幼い主人。
いっそ別人といった方がしっくりくるほどに変わった。
だが、あの公爵が愛娘と別人を取り違えて連れて帰ってくるはずがない。
そもそも、あの稀有な王家の瞳と美貌がそうそう転がっているはずがない。結界魔法を使えることが、アルベルティーナを王家筋のクリスティーナの娘であると示していた。性質は真逆だが、強い魔力は父親のグレイル譲りだ。
間違いなく、彼女があのアルベルティーナなのだ。
(……せめてあの時の千分の一でもいいから、姑息さと傲慢さを残しておけばまだ口説きやすかったんだが)
窓越しに見下ろすアルベルティーナは、再教育送りになった使用人が残した薔薇の前ではしゃいでいる。
あの年頃の少女だとしても無邪気過ぎる性格は、性格の悪さに自負のあるジュリアスにとっては時折耐え難い。
もう少しねじくれた性格だったら、汚すのにも躊躇いはなかった。
ジュリアスに気づいたアルベルティーナが大きく手を振ってきた。それに一礼したが、慇懃な態度に少し不満げな彼女に手を振り返すと満面の笑みでさらに手を振り返し――後ろに転びかけた。
アンナと庭師の若者がすごい反応速度で支えた。
おそらく、身のこなしからして庭師の若者のほうは護衛を兼ねた庭師だろう。
きょとんとしたアルベルティーナは最初、何が起こったか理解していないようだった。だが、転んだのを理解して礼を言っている。
一瞬、ジュリアスも肝が冷えた。流石にこの距離では駆け付けられない。
「本当に、目の離せない人ですよ……貴女は」
ぽつり、と呟いたジュリアスの言葉は誰にも聞かれることなく消えた。
眼鏡の奥の紫の瞳が切なく細められたのを知るのは、誰もいなかった。
レイヴンの薔薇が蕾を付けました。
その報告を聞き、いそいそと温室に向かう。
例の学園の事件は記憶から抹消したいレベルに怖かったけれど、レイヴンのくれた薔薇に罪はない。今はどこにいるか分からないレイヴンを偲ぶ、唯一のものだ。死んでいるみたいないい方であるが、お父様のいう再教育というのが過酷そうとしか分からないので、そうなってしまう。
私と同じくらいの身長の小柄な男の子。浅黒い肌と彫りの深い顔立ち。真っ黒な髪は丸く形のいい頭もあって撫でるのが好きだった。
従僕兼護衛だったレイヴン。余り表情が変わらない、黒い子猫のような少年だった。
「レイヴンは元気にしているかしら……」
「お嬢様……」
「使用人の再教育というものがどれほどのものかは存じませんが、やはり時間がかかるのでしょうか」
アンナと庭師の青年が一瞬顔を見合わせる。
二人とも使用人だし、何かを知っているのかしら。
口を割らせることは、立場的に可能だろう。でも、誰かに迷惑をかけてまで必要な事ではない。
「ごめんなさい、詮無いことを聞いてしまいました。では引き続き、薔薇をお願いいたしますわ…大切なものなの。花が咲くのが楽しみですわ」
「はい、お嬢様。謹んでお受けいたします」
庭師のお爺さんはにこやかに応じる。厳つい顔立ちで、お髭がふさふさなので分かりにくいが確かに笑っていたと思う。
だが、土入りの鉢を持ち運ぶのには腰が痛むのか、青年がそれをもって温室にしまいに行った。
ジュリアスであればきっと、二人よりよっぽど知っているだろう。
あのエリート従僕はその有能さ故、爵位を得た。子爵であるが、一代で一気に成り上がった新興貴族が男爵を飛ばして得た爵位としては異例だ。
欲しいものがあると以前も言っていたが、教えてくれる気配はない。
ただ意味深な笑みを返される。
そんなに欲しいなら、使用人ではなく貴族として動いた方がいいのではないだろうか、
そう思ったが、正直ジュリアスがラティッチェ公爵家を辞めてしまうのは寂しい。そもそも、あの頭脳明晰なジュリアスが使用人のままでいるということは理由があるはずだ。
ふと、子爵というワードに何か引っかかりを覚える。
――子爵籍くらいでしたら用意しますよ。それで我慢してください。
………
…………
…………え、あれってプロポーズ……?
あの時は久々にジュリアスの淹れたお茶が飲めると浮かれていて、深くは考えていなかった。
子爵って、やっぱり貴族じゃないと無理ってことじゃないとしか思っていなかった。爵位は下がるが、立派な貴族だ。
今更に気づいたジュリアスの求婚。物凄く今更だ。
ジュリアスは冗談か本気かよくわからないからかいや要求をよくするので、結構振り回されるのだ。
「い、今からでもちゃんと断った方がいいのかしら……?」
「どうしたんですか、お嬢様?」
「ジュ、ジュリアスに求婚されていたみたいなの。ちゃんとお断りしなきゃ!」
「はあ!? あの鬼畜眼鏡が!? あの調子づいたジュリアスがお嬢様に袖にされるのは大変結構ですが、ムカつくので今すぐカチ割ってきます!!!」
「アンナぁああ?!」
何を割るの!?
眼鏡!? 眼鏡のレンズなの!? 眼鏡よね!? 眼鏡であって欲しいわ!
眼鏡がゲシュタルト崩壊しそうですが、アンナの持った武器代わりと思われるのが壁にインテリアとして掛けてあったもの。よりによって斧! 小型だけど斧!
普段物静かなアンナの豹変。私がおろおろしているうちに、アンナは勇み足で別のメイドに私の傍付きを頼んで出て行ってしまった。
数分後「セバス様に止められました」と無表情の中に不服そうな感情を滲ませながら戻ってきた。でも手には斧はなかった。
セ、セバスぐっじょぶ!!
何事もなかったと安堵したのもつかの間、お茶の時間に現れたジュリアスがいつもと違う眼鏡をしており、しかも眼帯をつけていた。
セ、セバス、怒ったの……? まさか、あの優しいセバスが? まさか、セバスがジュリアスを殴ったりしませんわよね? もうお爺ちゃんのセバスが?
私の疑問を察したのか、達観した表情のジュリアスは言った。
「セバス様は、ラティッチェ公爵家の家令長。そしてあのグレイル様付きの執事ですよ?
ただの御老人なわけがないでしょう」
とりあえずジュリアスが器用とはいえ片目でお仕事はきつそうだし、とにかく見ていて痛そうなので治癒魔法をかけた。
ジュリアスは何故か困った表情をしていたけれど、なんでかしら?
ちなみに公爵パパにとって、ジュリアスは一番気に食いません。
何故って? アルベルに近い野郎のうちで一番こいつが国外逃亡しそうで、悪知恵が働いて、手段を選ばないタイプだからです。
刺した時は死にはしないけど怪我はするだろうなぁと思って刺しています。無傷な事に内心舌打ちしています。
読んでいただきありがとうございます。
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