お父様の遠征
お父様、お仕事に出る。
ファンタジーなのでそういう災害もあります。
お父様は規模がでかかったのでお呼び出しがかかりました。
「お父様、お怪我には十分気を付けてくださいましね」
「勿論だよ、アルベルティーナ。お前の顔を翳らせるようなことはしないよ」
心配のあまり、眉が自然と下がってしまう。
元帥というお立場でありながら、サンディス王国有数の魔法の使い手であるお父様。当然、お父様にしかできない仕事がある。それが戦いにまつわることが多いのは詮無いことなのかもしれません。ですが、それでもやはり危険な場所へ赴くと分かってしまえば、どうしても快く送り出すことなどできない。そんな私の頬を労わるように撫でるお父様。
そんな情けないわたくしとは違い、お父様はいつも通りの平静さで立っている。顔には不安も焦燥もありはしない。
胸に蟠る辛さを押しやり、お父様と抱擁を交わす。
「キシュタリア、留守は任せる。セバスもいるから問題は起きないだろう」
「ええ、行ってらっしゃいませ。父様」
簡潔な挨拶を終え、お父様とキシュタリアはあっさりと別れを済ませた。
お父様が乗り込んだ遠ざかる馬車を見送る。
胸の前で指を組み小さくなっていくその姿を目に刻み込んだ。
「大丈夫だよ、アルベル。お父様はとてもお強いのだから」
「…ええ、わかっていますわ」
私の心配を読み取ったように、キシュタリアが優しく声をかけてくれた。
だけどうまく笑顔も作れず、俯いてしまった。
「風が出てきた。屋敷に戻ろう」
「…ええ」
お誕生日から数日後、お父様は再び屋敷から出かけて行った。
なんでも、北部でスタンピードが起こったのだという。
スタンピードは魔物の大量発生。魔素溜まりが噴出し、辺り一帯の普通の動植物たちが魔物化してしまうパターンや、ダンジョンという魔物の巣が何らかの原因で地上に出現することにより起こる。この二つがよくある原因だ。
ダンジョンはしばらくたてば落ち着くのだけれど、魔素だまりによって発生したスタンピードは生態系を大きく崩す恐れがあるうえ、いつ終わるか分からないので早急にその場所に封印を施す。または、消し飛ばす必要がある。大抵は、スタンピードで魔素を使い果たして沈静化するらしいのですが。
スタンピードでは、普段出ないような強力な魔物も出現する。そして、稀少な素材も手に入るのですべてが悪いというわけではない。でも、放置をすれば国土に大打撃を与えることは間違いない。数年前、虫型の魔物が穀物を食いつくしかけたこともある。オークやゴブリンなんかは近隣の小さな村を襲って壊滅させることもある。
戦争が無くても、この国から軍が消えることはないだろう。
ファンタジーの世界ならではの災害があるのだ。
キシュタリアは今ラティッチェ家に戻っている。学園でのあの大騒ぎにより、今までのルーカス殿下をはじめとする一派の横暴にメスが入ったのだ。
今まで王家の威光でうやむやになっていたことも含め、すべて洗い直しとなっているそうだ。
ルーカス殿下とレオルド殿下は王宮の一角にある貴賓牢で謹慎中らしい。特にルーカス殿下の処分は重く、出歩くこともままならず軟禁状態という。
宰相子息のグレアムは自宅で謹慎中。ルーカス付きの騎士のジョシュアも同様。カインはその膨大な魔力もあり、特殊な牢に入れられているという。
そして、ルーカスと同じく主犯格といわれているレナリアは現在牢にいれられている。
王族への犯罪教唆、上級貴族の殺人教唆、狂言、脅迫、詐欺行為、様々な不敬罪と罪状に事欠かないらしく重罪は確定。処刑がされていないのは、余りに多い罪状をまだ調べ切れていないためという。
良くて自決を求められる。毒杯を賜ることは、貴族の尊厳は守られる。だが、レナリアはその温情すらなく死ぬまで犯罪奴隷として扱われ様々な労働を課せられるか、すぐさま死刑にされるというのがキシュタリアの見解だった。
君に恋してのヒロインの、余りにもという末路だったが――罪状を聞けばそうなるしかないのだろう。
同じ詐欺や教唆でも、平民より貴族、貴族より王族に行った方が当然罪は重い。
「ダチェス男爵家は取り潰しを免れないだろうね。
いくらあの女が勝手にやったこととはいえ、事が大きすぎるから」
「まだお若い女性ですのに…」
「そのお若い女性とやらにアルベルは殺されかけたってわかってる? しかも完全な逆恨みだよ?」
「…わたくし、正直ルーカス殿下がとても怖かったことしか…ダチェス令嬢と面識がないもの」
珍しく表情を厳しくさせて私に言い聞かせるキシュタリア。
うう、この様子だとキシュタリアはだいぶあのご令嬢をお嫌いみたい。
ラブロマンスは程遠いようね……あの事件は偶然なのかしら? それとも、やはり私が悪役令嬢だからかしら?
どちらにしても、キミコイのヒロインは素朴で可憐な割にはガッツのある性格ではあったけど、逆恨みをするようなタイプではなかったと思うのだけれど。接点のないはずだし、わざわざ男爵令嬢が公爵家に喧嘩を売るような真似をするって、なんの得があるのかしら?
王家ですら敬遠するはずよ。ラティッチェ公爵家に危害を加えようなんて…
いずれにせよ、ダチェス令嬢はハーレムルート失敗といっていいのでしょう。
キシュタリアやミカエリスの好感度も低いとしか思えないこの状況は、ゲームの攻略条件と照らし合わせてもまず間違いない。そして、現実的に見てもこれだけ罪状を連ねた令嬢など、どこにも相手にされないだろう。彼女は償う時間さえ与えられず処刑される可能性が高い。
「持たせるわけないよ。あんな汚らわしい女――男をとっかえひっかえ侍らせて、その男たちの権力をいい様に使って我儘放題していたんだよ?」
「……男の人をたくさん侍らせて、周りの方に威張り散らすのってそこまで楽しいことなのかしら?」
恋人は、自分をちゃんと見てくれる、愛してくれる人が一人いれば十分だと思うのですが。
元祖アルベルがまさにそれだったけど、私には理解できないわ。
ダチェス男爵令嬢はハーレム狙いのようでしたが…この世界は恋愛ゲームを擬えているようであっても現実なのですから、そう上手く行くはずもないのです。
「随分楽しそうにしていたね。少なくともあの女は」
「……不潔ですわ…」
思わず鼻のまわりにきゅっと力が入る。顔を顰めてしまうのはよくないが、不快なのは仕方のないことだ。
『キミコイ』のファンとしては、ハーレムルートはゲームとしては楽しいけれどリアルでは引く。ドン引きにも程がある。貴族の地位も剥奪され、命も風前の灯火のダチェス令嬢の現実を見ると、やはり堅実が一番だと改めて思う。
一応ゲーマー魂としてはヒロインに愛着があるが、キシュタリアから聞いた罪状には引くしかない。乾いた笑いすら漏れない。
ジュリアスの淹れてくれたとっても美味しい紅茶のはずが、なんだか今日は苦く感じる。
国王が複数の妃を持つことはある。貴族でも、基本は一夫一妻だが跡取りに恵まれない場合は第二夫人や愛人を迎えることはある。逆に女性が相続権のある場合でも同様だ。王侯貴族は血脈を尊ぶ。
まあ、下手に第二夫人や愛人を家に入れれば、家督争いが勃発する恐れが高いので、うちのように分家から養子をとることもある。
…ますますハーレムルートってヤバくない?
ヒロインが誰の相手か分からない子を…とかないよね? いや、いくら何でもそこまでビッチではないよね? ヒロイン像をこれ以上木っ端にしないでください。
そもそも、ハーレムルートってかなり難しいはず。
同時進行で、各キャラクターの攻略イベントをこなしていかなくてはならない。
当然時期が重なる部分は、プレゼントや会話などの回数をこなして補わなくてはいけない。攻略対象に応じて必要な能力パラメータも存在するため、はっきり言って能力引継ぎ機能とアイテム引継ぎ機能の両方を使って3週目以降がお薦めだ。
しかもエンディングは、攻略対象全員のうちで一番好感度の低い数値をもとに決められるというシビアなもの。バッドエンド率が普通に高い。
私だったら普通に一本に絞っても怖いので、普通に卒業する友情エンドというノーマルエンドを選択する。パラメータがもろ反映されるエンディングでもあって、それによって魔力が高ければ魔法使いになったり、魅力が高ければちょっといい子爵家との縁談が組まれたりとエンディングテキストが色々変わる。ちなみに魔力と知力が両方高いと、王宮魔術師としての推薦を得られたりもする。社交などが高ければ、貴族の作法の家庭教師とかにもなる。
普通に堅実で、現実的よね。
私なら間違いなくそっち一択だわ。
ハーレムルートを開いたってことは、ヒロインさんはもしかして私と同じ転生者…?
そうだったら、いや、そうじゃなくても相当な男好き…? どっちにしろチャレンジャーすぎやしないでしょうか。
一人頭を悩ませていると、キシュタリアがそっと頭に手を乗せて撫でてきた。
「大丈夫だよ、アルベル…ちゃんと、次こそは守るから。
あんなことは二度と起こさせはしないから」
大きな温かい掌は、お父様を思い出す。
キシュタリアって分家筋なのに、アッシュブラウンの髪色といいアクアブルーの瞳の色といいお父様に似ているわよね。わたくしよりも、余程実の子ですと言われて説得力がありますもの。
この貴公子然とした整いに整いまくった甘い美貌。それにふさわしく、声音も甘く耳朶に響き腰砕けになる。微笑を浮かべるその容貌は、目に毒なほど――らしい。ごめん、ポンコツヒキニートは幼い頃から培った弟フィルターが全力作動しまくっているせいか、イマイチ理解できないのです。
今日もキシュタリアは優しいなぁとほっこりした感想しか出てこない。
多分、普通の令嬢なら頬を染めるタイミングなんだろうけど、ガチファザコンヒキニートでもある私にはその容姿にお父様要素を強く感じちょっとジェラシーすら感じる。
美容の最先端を行くラティッチェ領、そしてローズブランド。当然、当家で使われている石鹸をはじめ、シャンプー、リンス、ヘアパックなどたくさんある。
メイドや従僕などの使用人たちが手間暇かけて磨いてキラキラ三倍増しくらいのはずのキシュタリアは、私の反応が相変わらずポンコツなのを理解して苦笑する。
キシュタリアは好きなのですが、異性としてかといわれると首を傾げる。
私は草食系女子を通り越して、苔女なのではなかろうか。
キシュタリアよ、こんなお綺麗なイケメンにすくすく育ったのに、なぜこんなヘボ女に引っかかったのだ?
じいっとキシュタリアを見つめる。最初は笑顔を浮かべていたキシュタリアだが、10秒ほどを過ぎたところでだんだんと顔が赤くなってきた。
耳まで赤くなって、視線をそっとそらしてぷいと横を向いた。
カッコいいくせに、その上可愛いだと…? いえ、もともと紅顔の美少年ではありましたよ。出会った当初は、本当に可愛かった。女装させたくなるほど可愛らしかったが、気づけば私の身長を超え、すくすくと立派な青年に。なのに…
こっちの方がよほど乙女力高いでござる。
なんてこった………
女子力すら、キシュタリアに劣るだと‥‥!?
「今すぐマリモになって、冷たい湖の底に沈みたい……」
「は!? 何言っているのアルベル!!? 父様が出られて寂しいのは解るけど、何そんな危ないこと言っているの!? 風邪ひいて、下手すれば死んじゃうよ!?」
何故か物凄く心配されて、お布団に運ばれた。
別に熱なんてないですわ! ちょっと寂しかったけど! 嫉妬したりしていただけで!
でもオフトゥンの魔力は圧倒的で、心配そうなキシュタリアに手を握られたままぐっすり寝てしまった。
眠りについたアルベルティーナを見下ろし、ほっと溜息をつくキシュタリア。
義姉である少女は気づいていないが、父親のグレイルが出かけるたびにアルベルティーナは今生の別れの様に青白い顔して、その姿を見送るのだ。登城するときくらいであれば、それほどではないのだが、長期の遠征の時などは大きな緑の瞳を涙の膜で潤ませ、赤い唇を小さく食いしばり――無理に笑みを作って見送る。
温室どころか、結界育ちと周囲に言わしめる極度の箱入り令嬢が、見送る時は早朝であろうが、深夜だろうが、雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうが公爵の乗った馬車が遠く小さくなり、屋敷の外門から出て閉じるまで動こうとしない。
一度、アルベルティーナが無理して外にまで見送るのを気にした公爵が、彼女が目覚める前に出て行った時があった。アルベルティーナは怒りもしなかったし、咎めもしなかった。ただ、何か自分が父に対してしてしまったのかと困惑して暫く部屋ですすり泣いていた。その日は碌に食事もとらず、屋敷に残った公爵家総出で慰めた。それでも口にしたのが、蜂蜜入りのホットミルクだけ。
その報告がグレイルの耳に入ったのか、三日もせず帰ってきたグレイルの弁明により、アルベルティーナは安堵の笑みを浮かべてようやくいつものように食事をとれるようになった。
普段、人でなしそのもののグレイル・フォン・ラティッチェがあれほど動揺しているのは見たことがなかった。
本人が思っている以上に繊細なアルベルティーナ。
遠慮がちに小さくノックが響く。僅かな音にアルベルティーナは身じろぐ様子もなく、瞼すら動かない。普段、感情豊かな彼女から表情が無くなれば、精緻な人形のようだった。それも稀代の芸術家が作った至高の美術品である。起きる様子がないのを確認し、小さく「入れ」と許可を出す。
そっと入ってきたのはアルベルティーナ付きの侍女であるアンナと、従僕のジュリアスだった。
その手にはティーセットがあった。柔らかな香りのハーブティーと、アルベルのお気に入りの蜂蜜の入った瓶。白い皿には小さな焼き菓子が乗っている。
「大丈夫、すぐに寝たよ」
「そう…ですか。キシュタリア様、お嬢様についていただきありがとうございました」
アンナはあからさまなほどの安堵を浮かべ、礼を述べる。普段、冷静沈着なアンナであるが、アルベルティーナに関しては話が変わる。
義姉の無自覚な人誑しぶりは身をもって知っているが、今は苦笑すら出ない。
持ってきたティーセットは、緊張を解きほぐす類の物だろう。アルベルティーナがすぐに休む気配がなければの時のために。
近づいてきたジュリアスは香炉を持っていた。手早く火を入れベッドサイドに置く。ややあって、甘く爽やかな香りが漂い始めた。
アルベルティーナが好みそうな優しい香りだ。
「……昔から公爵様の不在には神経を尖らせる気がありましたが、最近は特に顕著ですね」
褥に沈むいつもより白い顔を見て、ジュリアスは僅かに眉をしかめた。
潜めた声にキシュタリアも同じく小さく答えながら頷いた。
「やっぱりそう思う?」
「ええ、気落ちされるのはいつものことですが、キシュタリア様が学園に上がられるようになって以降からでしょうか。アルベルティーナ様のお心の翳りようは酷いと言えます」
アルベルティーナ付きの侍女はもっと肌で感じていたのだろう。
ベッドサイドに静かに歩み寄ったアンナは、アルベルティーナの頬に少しかかった黒髪を払い。少しだけ襟元を整えてベッドの天蓋を解いて降ろした。
いくら幼い頃から見知っているとはいえ、妙齢の令嬢の寝顔をいつまでも晒すのは、侍女として見過ごせなかったのだろう。
アルベルティーナは知っている人間の気配であれば、多少の物音では起きない。
逆に不慣れなメイドや従僕の足音には敏感で、部屋に入った途端にパチリと目を覚ます。しかも、恐怖で強制的に目覚めたような狼狽した様子で。
一度でも気を許せばザル警戒の癖に、そのあたりの線引きはかなり強いうえにシビアだ。
「あとルーカス殿下の一件ですね。外へ赴かれるのを……というより、馬車を好まなくなりました。あと男性との接近や面会を以前に増して敬遠しております」
「本当に碌なことしないな、あの糞王子」
「キシュタリア様、眠っているとはいえアルベルお嬢様の前ではおやめください」
「……ごめん、つい」
漏れた悪態を恥じるように、キシュタリアは手を口に当てる。
アンナの少しとげのある視線に射貫かれ、キシュタリアは素直に謝る。
だが、アンナのそれは王子殿下を貶すことを咎めるものではなく、アルベルティーナの前で口汚い言葉を使うことを咎めている。
ルーカスに対しての碌でもないや、糞などという言葉に対しては一切咎めていない。
つまり、アンナも似たり寄ったりの内心なのだ。
来年度、キシュタリアやジブリールは学園の最高学年になる。
アルベルティーナはキシュタリアが学園を卒業したら、修道院に入ろうとしていた。
きっと、自分は今後公爵家の邪魔になるだろうから――寂しげに瞳を揺らし、かつて自分の告白を拒んだ。
(……アルベルティーナは、その程度で本当に僕から離れられると思っているのかな?)
嫌いだ、疎ましいと拒絶されるならともかく、将来キシュタリアや公爵家に降りかかる不利益を思って身を引くといわれてしまえば、その裏にある深い愛情にだって気づく。
昔からそうだ。アルベルティーナは、いつだってキシュタリアに対して愛情深い人だった。
成長するにしたがって、貴族社会の絢爛で苛烈で陰惨な世界を見て、聞いて、経験してきた。良い人も、悪い人も、立派な人も、下種な人も見た。
だからこそ、こんな世界でアルベルティーナのような人が自分の身近に現れてくれたのが奇跡だと理解した。
分家の中でも零細といえる名ばかりの貧乏貴族。しかも、その愛人の息子。そんな義弟を受け入れ、愛してくれる人などそうそういない。ましてや、アルベルティーナの血筋も家柄も最上級といえた。
そんな人が義姉となり、キシュタリアに親愛をもって接してくれた。
だが、キシュタリアの中に芽生えたのは同種の感情ではなかった。
数多の人間との関わり合いを持っても、常にキシュタリアの特別はただ一人だった。
だが、キシュタリアは当主になってラティッチェ公爵家の全権とまでいかずとも、ある程度実権を握れたらすぐさまアルベルティーナを還俗でもなんでもさせ、無理にでも公爵家に戻す。
身近にいれば、アルベルティーナの無防備さと無欲さの反面、彼女自身の持つ莫大な価値がいつどんな形で災いとなるか分かってくる。身を護るすべをもたなすぎる彼女を、放置などできない。
どうせ、父のグレイルだって愛娘が目の届かない場所へ行くなど、当の娘の懇願をもってしても受け入れがたいはずだ。
アルベルティーナはラティッチェ公爵家が大貴族で権力を持っているとは理解していても、それがどれほどのものかを理解しきってはいない。表の権力も、裏の権力もその手にゆだねられている――影の王家といって、差し支えないレベルで。
アルベルティーナの王家の瞳を理由に担ぎ上げれば、今の王家を引きずり下ろすことが容易い程に。
グレイルもアルベルティーナも、王家との交流には消極的だ。そして、そもそも権力欲が二人ともない。自分の手の範囲の大事な人さえ無事で幸福であればいい。それ以上は深く望まない。二人は似ていないようで、似ている。
二人そろって王族に等なりたくないと思っているのだ。王子たちとの婚約すらあっさり振ったあたり、縁故すら拒んでいる。
そもそもグレイルは、傍でアルベルティーナが幸せに笑っていればすべてが丸く収まるといっていい人間だ。冷酷無比で人でなしだが、その点はキシュタリアとも意見が一致している。
ちらり、と控えている従僕を見る。
アルベルティーナのお気に入りの従僕。今はキシュタリアの従僕だが学園生活が終われば、またアルベルティーナの従僕に戻るだろう。彼は非常に有能で、理知的な容貌はとても端正だ。使用人だが、同時に護衛も兼ねている。彼もアルベルティーナに対して並々ならぬ執着を持っていることを、キシュタリアは知っている。同じものを持つ者同士だから。
(というより、下手に目を離したらコイツあたりは誘拐して国外逃亡くらい平気でしそうだしな……)
ミカエリスのほうがまだ相手をしやすい。
彼は真面目で真っ当だ。正攻法が基本なので、手順を守ってアルベルティーナに求婚するだろう。
だが、厄介なのは三人のうち異性として圧倒的に意識されているのがミカエリスだということだ。
押しが弱いとジブリールはぎりぎりしているが、ミカエリスのその慎重さと心遣いはアルベルティーナに信用や信頼といった形で確かに積もっている。
キシュタリアには義弟、ジュリアスには従僕兼兄という呪縛がある。
だが、少なくともまだ猶予がある。アルベルティーナは誰の手も取っていない。素振りすら見せない。求愛され、それがきちんと伝わればしっかり断っている。
余計な期待すら持たせてもらえないのだ。
残酷で真摯な対応といえるだろう。
様々な高貴な子息たちを誑かした学園の悪女を見習えとはいわないが、もう少し浮ついてほしい。
しかし、あのレナリアとかいう女は不気味だった。
ほとんど秘匿されているアルベルティーナをさも知っているかの言動。とんだ的外れな言動であったが、それを現実だと信じ込んでいた。狂気すら感じるあの思い込みは、自信たっぷり過ぎて知らない人間は騙される可能性があった。
レナリアはアルベルティーナを気にしていたが、今思えばアルベルティーナもレナリアを気にしていた。
単に、キシュタリアたちの学校の様子や交友関係に興味を持っていただけかもしれない。でも、ジブリールもレナリアに興味を持つ様子を気にしていた。身分差ラブロマンスなどと当時は言われていたが、蓋を開けてみれば犯罪の見本市である。
以前、ジュリアスが誘拐前のアルベルティーナは嗜虐趣味であったといっていた。もし、あのままのアルベルティーナが義姉となっていたら、確かにレナリアの言うことは現実になっていただろう。
実際は絶世の美少女で中身幼女成分多めなぽやぽや令嬢であるが。
アルベルティーナに叩かれた記憶といえば、身長を追い抜かしたときに拗ねてしまってポカポカと子猫のような軽さで胸を叩かれたくらいだ。あれなら、転んだアルベルティーナに倒れこまれて頭突きされたときのほうがよほど痛かった。
「ジュリアス、アンナ」
「はい」
「アルベルに叩かれたりしたことってある?」
「誘拐以前のアルベルティーナ様になら、頭から紅茶を掛けられて蹴られたことはあります」
「同じく誘拐以前のアルベルティーナ様にならオルゴールを投げられたことがあります。あと乗馬鞭で叩かれたこともあります」
前者がアンナ、後者がジュリアスだ。
実際に目にしたことの無い、誘拐前のアルベルティーナ。幼いながらに残虐と冷酷の権化のような子供だったらしい。本当にそれはアルベルティーナなのかと疑いたくなる。
「今のアルベルには?」
「ありませんね。しいて言うなら…自分で本棚の本を取りたいとおっしゃったお嬢様が脚立から落ちかけ、それを支えそこなって下敷きになったことはあります」
「無理に敢えていうなら散々おちょくった時にむくれて軽く叩いてきたなら数えきれないほど。
ダンスの練習中にステップを間違えや転びかけて思い切り足を踏まれたことはありますが…
階段などから足を踏み外して転びかけたときもありましたね…あとは…」
まだあるのか、というよりほとんどアルベルティーナのドジや事故だ。そしてやっぱりジュリアスは自業自得もある。
キシュタリアは思った。これに好かれてしまったアルベルティーナに同情する。
ジュリアスはかなりアルベルティーナをからかうのが好きだ。それはもう笑顔でいじるのだ。そのいじり方はアルベルティーナ以外の令嬢にしようものなら懲罰ものである。
アルベルティーナもにゃーにゃーと子猫のような猫パンチで抵抗を試みているが、それも込みで遊ばれているといっていい。
むしろ、それを目撃した時のアンナのゴミを見る目のほうがよほど危険だと言える。
一度、アンナがカップやポット、お湯のたっぷり入った薬缶やシルバートレイ、ケーキスタンドまでティーセットを乗せたカートでジュリアスの足を轢いたのを見たことがある。磨かれた革靴の上に、ごりっと乗り上げる寸前に、絶妙のスピードをつけて角度を変えて狙いつけていた。確実に態とである。
ジュリアスは露骨に飛び上がったり、顔を歪ませたりはしなかったものの流石に一切無反応とまではいかなかった。
ジュリアスはもの言いたげに見ていたが、アンナが鋭く冷たい一瞥で黙らせていた。
「……例の発作の時は平常心を無くしておりますので、暴れた拍子に引っかかれたり蹴られたりはしましたね」
最近はだいぶ減ったが、アルベルティーナの暗闇恐怖症や閉所恐怖症は残っている。人に対する恐怖心も、その事件からだという。
広めの馬車程度の空間であれば平気なため、日常を送る分ではそれほど問題はない。
ベッド脇に置かれた魔石のランプがまだなくなったわけでないと教えていた。
ゆっくり椅子から立ち上がって、魔石に魔力を注いでランプに光をともす。カーテンを閉めれば、ほんのりとした明かりが柔らかく室内を照らす。
キシュタリアにも使用人たちにも当たり散らさないようなアルベルティーナを、レナリアは悪女だと侮辱した。在りもしない噂を作り流した。
投獄されているという話は聞いているが、キシュタリアの腹にはまだ煮えくり返るような怒りが残っている。
今のキシュタリアでは力不足だ。
大切な人を守ることすらままならない。義父であるグレイルは他愛もなくやってのけることすらできないのだ。
「そろそろ出ようか」
どうか、彼女が暗闇でも眠れる日が来ますように。
怯える夜がありませんように。
読んでいただきありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ
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