夢見る少女④
遂にレナリア編ラスト。次からは通常モードです。
ルーカスが失敗したと分かったのは、意気揚々と戻ってきた彼から女を捕まえたと報告がきた直後だった。
自慢げに成果を伝えてくるルーカスに感謝して褒めたたえ、お茶の準備をすると引っ込んだレナリアは、鼻歌を歌いながら女の末路を考えた。
身分を剥奪して国外追放?
それとも奴隷商や娼館にでも追いやってやろうか?
サンディス王国は治安がいいが、すべてではない。多少悪いところもある。
身を汚され嬲られた女にまともな嫁ぎ先などあるはずもない。身分が高ければ高いだけ、噂だけでも十分致命傷となるのだから。
アルベルティーナがいない今、ビビアンをはじめとする攻略対象者の婚約者たちも今後の断罪最有力候補だ。予行練習に丁度いい。
浮かれ切ったレナリアは、背後から延びる手に気づかなかった。
気づいたときには乱暴に髪を引っ張られ床に叩きつけられ、猿轡をかまされた。そして手足を縛られて乱雑に引きずられた。
驚きのあまり呆然とすると、初めて目にする人物がいた。
なんて美しい人だろう。
心の底から震えた。痺れるような甘さが広がった。
年齢は少し離れているが、それを差し引いても余る圧倒的な存在感、そして人間離れした美貌の持ち主だった。艶めくアッシュブラウンの髪と秀でた額。聡明そうな柳眉と、長い睫毛が影を落とす涼やかな目元。宝石のような双眸は淡い青。通った鼻梁に、やや薄い唇には蠱惑的な笑みが浮かんでいる。
纏う衣装も、上品な濃紺のマントと瀟洒な刺繍の施された白い上着とズボン。グレイのベスト。胸には小さなブローチがついている――レナリアには解らなかったが、あれは階級や褒賞にまつわる勲章であった。余り男物について分からないレナリアでも、はっとするような非常に洗練された印象を受けた。
立ち振る舞いも優美で、すこぶる風采の素晴らしい美丈夫だった。
学園に来て数ある貴公子たちを見てきたが、その中でも群を抜いて洗練された、そして風格漂う青年だった。
彼の連れた騎士に拘束されながら、最初は助けを求めてルーカスを見ようとしたが、その美貌の公爵が目に入った瞬間彼しか見えなくなった。
ラティッチェ公爵というらしい。
キシュタリアの義父であり、アルベルティーナの父親? 彼が?
とても自分と同年代の子供がいるとは思えない。スラリと背が高く、年齢を感じさせない端正な横顔に見惚れる。あまりに美しすぎて分からないのだ。
グレイル・フォン・ラティッチェ。
君に恋してのシリーズの中でも、屈指の難易度を誇る攻略キャラクターだ。
全キャラクターのエンドを網羅した後、彼は一定の確率で学園や王宮、社交場で出会うことができる。だが、その出会いイベントの発生はランダム。
攻略のカギとなる選択の出るタイミングや順番もランダムなうえ、あらゆるパラメータをかなり上げておかなくてはならない。能力引継ぎ機能を選択し、何度も繰り返ししてようやく出会えるかどうかのキャラクターだ。
そして、何より彼は死亡エンドが多い。彼ではなく、ヒロインの死亡率が。ある時は彼を思うモブ女に襲い掛かられたり、彼を恨む相手の謀略に巻き込まれたり、あるいは彼の機嫌がなんとなく悪かったと処刑されたり、学園から追放されることもある。
その読めなさすぎる思考回路と、とんでもない攻略難易度から魔王や裏ボスといわれる。
不思議とアルベルティーナは彼のイベントでは絡んでこない。その攻略条件の異様性もあり攻略できた人数も限られており、挑戦回数はロード回数を抜いても三桁以上。攻略のカギは不屈の精神力と気合と運とすら言われる。
しかしながら、その総合スペックは攻略キャラクターでもダントツである。
彼一人で国が賄えるとすら言う人間も少なくない。
攻略した勇者に寄れば、ラティッチェ家の後妻となったヒロイン。それはもう溺愛されて蝶よ花よと大切にされるという。だが、もともと引き取っていた義息子のキシュタリアだけでなく、実の娘のアルベルティーナはさらっと他所の家にやったと台詞テキストだけで出てくるのに、闇を感じるともっぱらの噂だ。
だが、たった一人を耽溺するように愛するグレイルはコアなファンも多かった。難易度が玄人向き過ぎる仕様だが、レナリアが前世でも攻略できず、途中であきらめたキャラクターだ。
彼が欲しい。
だって、私はヒロインだもの。この世界は私のためにある。ヒロインである、レナリア・ダチェスのために。私こそ、彼の隣に相応しい。
社交界にあまり詳しくないレナリアであるが、ラティッチェ公爵家が大家ということはよく知っている。そして、莫大な資産を持っており、今は彼の妻の座は空席のはずだ。アルベルティーナがキシュタリアの実母を苛め抜いた結果、後妻のラティーヌは自ら命を絶つのだから。だからこそ、キシュタリアはアルベルティーナを深く憎悪している。
レナリアは失念していた。
学園での出会いで、面白いほどたくさんの異性がレナリアの手のひらで踊った。打算まみれの甘い言葉にあっさり陥落していき、ゲームの知識の優位性に酔いしれた。
多少の差異はなんとかなった。だが、キシュタリアがアルベルティーナを憎悪するどころか、真逆の感情を抱いているとは思わなかったのだ。
激しい執着は恋慕と溺愛からくるもので、憎悪はむしろレナリアへ向かっていた。
キシュタリアの実母は現在も健在で、アルベルティーナと茶の席を共にするのが当然のように仲がいい。公爵が溺愛するのは愛娘のみ。そのアルベルティーナが二人を受け入れたことにより、父親である公爵はラティーヌもキシュタリアも冷遇はしなかった。ゲームのような家族の軋轢など微塵もないキシュタリアなど、微塵も想像していなかったのだ。
穏やかで優しく、だれよりも美しい義姉。それがキシュタリアにとってのアルベルティーナ。幼い頃のトラウマを抱える頼りない繊細な人。その弱さすら愛おしい一人の女性だった。
そして、レナリアはジュリアスもアルベルティーナに苦しめられている一人であると当然思っていた。ジュリアスはアルベルティーナを疎むどころか、隙あらば自分の手で掻っ攫おうとするような激情を持ち合わせた男であるなど知る由もない。思慕も劣情も敬愛もなにもかもを使用人の仮面の下に押しやりながら、彼はアルベルティーナが喜ぶのならば嬉々として動く――無気力な人形などではないのだ。幼い頃から慈しんだ高嶺の花に懸想し、そして必ず手に入れると野心を燃やしている血肉を持った青年であった。
さらに、接点のないと思っていたミカエリスは筆まめなほど、アルベルティーナに手紙を送り続けているなどとは知らない。幼い出会いから、兄妹ともに救われた恩義があり決して浅からぬ仲だった。本来手の届かないほど高貴な生まれであるのに、あどけなく心優しい少女への初恋に溺れたまま、年々その恋慕は膨れ上がるばかり。望まれるのならば、許されるのならば剣を捧げることもそれ以上も厭わないほどの深い思い。その剣に揺れるくす玉の意味など、不勉強な田舎貴族のレナリアにわかるはずもない。冷静沈着な顔の下に、既に心に決めた女性がいるなどとは思いもしない――それが、稀代の悪女とレナリアが思い込んでいるアルベルティーナなどとは、考えもしていないのだ。
そして、それらを凌駕してグレイルが、アルベルティーナを溺愛していることを。
うっとりとグレイルを眺めるレナリアを見た彼のアクアブルーの瞳が、どれほど冷酷な思考を巡らしているかなど思いもよらなかったのだ。
レナリアに彼が愛を囁くことなどないのだ。
泡沫の夢は血腥さで途絶えた。
ごろん、と鈍く転がる人体の一部。
鼻先に飛沫がかかった。レナリアの青い目に、一筋の光が見える――光ではなく、ガラスのような透明感と不思議な燐光を帯びた剣だと気づいたのは暫くしてからだった。
死にたくない、助けてと先ほどまで命乞いをしていた下級貴族の青年は、文字通り物言わぬ存在となった。
紅い絨毯を更に染め上げ、胴体は力なく転がった。まだ体は生きているように、微妙に痙攣していた。首からはとめどなく赤いものがさらに零れ落ちている。
「殿下にお見せしてやれ」
「畏まりました」
グレイルの言葉に短く答え、ジュリアスは血まみれの生首を拾い上げる。簡単に手早く顔を拭くと、死に顔がルーカスからよく見えるように置いた。近くにいたレナリアにも良く見えた。
あまりの光景にさっと目を逸らして、レナリアは青い顔でえずく。吐き気をこらえきれず、思わず戻してしまった。気づいたジュリアスは視線だけを寄越し、すぐさま仕事に意識を戻した。
目すら伏せられず、どろりとした虚ろな眼差しがどこかに視線を彷徨わせている。銀の皿に赤が広がる。
ルーカスはその死に顔に顔色を青くする。先ほどまで喋っていた人間が、こうして目の前に突き出された。それは、すべてルーカスの行動に加担したからだ。
泣き叫ぶ若者が、また一人グレイルの前に突き出される。それを再びあっさり断頭する。面白いほどあっさりと、こと切れる。まるで粗末な玩具のように。
血飛沫は絨毯を深く染め、グレイルの革靴やズボンの裾を僅かに汚す。
そして首はまた銀の皿に並べられる。
ルーカスの宝石のようだった明るいエメラルドグリーンの瞳がどんどん暗くなっていく。恐怖と罪悪感で彼の心がどんどん蝕まれていく。それをレナリアはぼんやりと眺めていた。
口の中は不快な酸っぱさが残り、胃や喉に違和感が残る。口端をぬぐいながら、先ほど見た醜い生首は視界からはずし遠ざけて、レナリアの好きな美しいものだけを見ようとした。
背筋を伸ばして美しい白刃を持つ公爵と、失墜して恐怖に狂う寸前の王子。
やっぱり、ルーカスよりグレイル様の方が素敵だわ――と。
私が殺されるはずがない。
だって、レナリア・ダチェスはヒロインなのだから。
しくじったりしない。ゲームでもこの世界でも色々な男を何度も何度も落としたし、ちゃんと会えることさえできれば難攻不落といわれようとグレイルだって攻略する自信があった。
じっとグレイルを見つめる。こちらを見て欲しい。だが、なかなかこちらを見ない。
ルーカスは多少見るのに、レナリアのほうには一瞥もくれないのだ。
ふと、グレイルがなにかに気づいたように顔を上げた。ふ、と笑みの種類が変わる。酷薄で感情の読めない、張り付いたものとは違う。柔く綻ぶようなものへと。
「――お父様!」
「ああ、アルベルティーナ」
その名を呼ぶ声の、なんと甘いことか。
転がる亡きがらたちにも、恐慌状態のルーカスや、待ち焦がれるレナリアにも、処刑を待つ人たちも、かたずをのんで見守る教師生徒たちすら目もくれずグレイルは声の主に向き直る。まっすぐにそちらに向かう。
彼の中で、心傾ける存在はただ一つといわんばかりに。
レナリアには、目もくれずに。
優しく甘いバリトンが、労わる様にアルベルティーナに向けられる。
声だけで、背を向けているというのに愛しさが溢れてくるようだった。
伸ばされる手は恭しい程ゆっくりと、丁寧だった。
床に打ち捨てられたように蹲って居たレナリアは、呆然と見る。
違う、違う、違う。アルベルティーナが愛されるはずがないのだ。愛されるのは、レナリアだけなのだから。
切々としたアルベルティーナの言葉に応えるグレイル。暫く、少女の美貌に見惚れていたものの周囲は急にやってきた少女への警戒と、窮地を救ってくれるのではないかという期待を綯交ぜにして固唾をのんでいる。ややあって、アルベルティーナの哀願に折れたのは、まさかのグレイルだった。ざわりと空気が揺れる。
すべてが終わるまで止まらないと思っていた一方的な殺戮という名の断罪は、アルベルティーナの言葉一つで終息した。
愛娘の登場に、既にここにいる人間たちへの興味が消え失せたようにさっさと出ていくグレイル。義息子のキシュタリアたちに後始末を任せ、アルベルティーナより優先するものなどないといわんばかりだった。
この騒ぎに加担した者達は、厳重注意と謹慎となった。
減刑や免罪からくる無罪ではない――真逆だ。
首謀者は王族、被害者は重鎮の娘。しかも完全なる冤罪。
余りにも大事なので追って沙汰を伝えるという話だったが、レナリアは寮につく前に捕まって牢屋へと押しやられた。
押しやった人間は騎士でも憲兵でもなさそうな全体的に黒っぽい衣装だった。
僅かに見えた目元は酷く冷ややかで、レナリアを汚物でも見るように見ていた。
出してと何度叫んでも出されるわけがなかった。
部屋は剥き出しの石床と壁。入り口は頑強で重そうな鉄製で、目線の部分に太い鉄格子がある扉だった。
部屋は狭く、仕切りもないトイレがあるだけだ。こんな粗末なもので用は足したくないと文句を言ったが、聞き入れられなかった。
窓もない狭い部屋は、暖房器具もなければ毛布や布団すらない。連れてこられたときに着ていた服のまま、部屋に詰められた。眠るには寒いので、寝具を求めても無視された。
そもそも食事も粗末で、薄い塩味の屑野菜スープと、酸っぱくて硬い黒パンのみ。貧乏な男爵領に戻ったようで酷く惨めだった。しかも時々野菜の腐ったようなえぐみのある匂いがするし、パンも黴臭い時があった。
レナリアの好物は、ここ数年で貴族の中で流行りだした白くてふわふわしたパンだ。そしてバターをたっぷりつかった三日月パンだ。前世のクロワッサンによく似たそれは、ほんのり甘くてバターの香りが癖になる。学校でも滅多に出なくて、それが食べられるのは王族であるルーカスといられるレナリアの特権だ。スープも少し前に流行っていたゴユラン風のやたら辛いものではなくて、野菜とお肉のうまみがたっぷり詰まったコンソメスープのほうが好きだ。
「私は次期王太子妃なのよ! ルーカスに言いつけて、アンタたちなんか処刑してやるわ!」
ついに痺れを切らしたレナリアが唾を飛ばして凄むが、看守の男は冷めた態度だった。
レナリアが中にいるのを確認し、部屋を一瞥して再び戻っていった。
しばらくしてレナリアは別の部屋に移されたが、やはり独房。牢屋には変わりない。
最初は強気だったレナリアも、だんだんと恐ろしくなってくる。誰も助けに来ない。誰もレナリアの言葉に耳を貸さない。
牢の入り口には、狭い食事の差し出し口があるだけで普段は開け閉めさえされない。お風呂に入りたいと訴えても、数日に一度濡れた小さなタオルがいれられるだけだった。体を必死に拭いても不衛生が続けば匂い出すし、肌はすっかりくすんで垢っぽくなってきた。髪も艶を無くしべたべたと油っぽい地肌になり、その反面毛先はパサついてきた。
どれくらい牢にいれられたか分からなくなってきたとき、膝を抱えてうつむいていたレナリアの耳に声が聞こえた。
またいつもの不愛想な看守だろうか。食事の時間だろうか。何か重く引きずる音と、鈍い金属のきしむ音が聞こえた。
普段は聞かない物音に顔を上げると、そこには場違いな美丈夫がいた。
人間離れした美貌の公爵が、レナリアを見ていた。
青い目がまっすぐレナリアに注がれている。何か言おうとして口を動かすが、譫言にもならない音が漏れるだけだ。最近、ずっと喋っていなかったのですっかり声が上手く出ない。
「よろしいのですか?」
「調べはついた。もういい。少し時間がかかりそうだからな」
今まで不愛想だった看守たちが、膝をついて首を垂れている。
恭しい程、言葉一つ一つを丁寧に作り出していると分かる声音が、この男が『特別』だと知らしめるに十分だった。
踵を返す麗しい男はレナリアに背を向けて颯爽と去っていった。
僅かに薫る牢屋に不釣り合いな芳しい残り香が、その男がいたという余韻を残していた。
レナリアはそれから、別の牢へさらに移動された。その時から漸く満足な食事と、入浴が認められた。それから間もなくグレアムがやってきて、ようやく解放された。
グレアムの話では学園から唐突にレナリアの消息は途絶え、その後、牢屋にレナリアがいる情報をようやく入手し駆け付けたのだという。
グレアムは自分の手柄と言いたげだったが、レナリアにとって一番は違う。最初にレナリアを見つけたのは別の人物だった。
「……助けてくれたの…?」
じわり、とすっかり凝っていたレナリアの心に広がるモノ。
誰も来なかったのに、あの人だけは来てくれた。
初めて私を見てくれた。こんなにすっかり草臥れて、汚れていたのに目を逸らさなかった。
会いたい。あの人に会いたい。どうしたら会えるだろうか。
あの人に会えるなら、あの人を手に入れるためならなんだってしてやる。
グレアムに頼んでもグレイルに会う方法は見つからなかった。
彼は公爵であり、元帥であり、この国でも最も多忙な人の一人だった。
最近は特に精力的に動いており、国境沿いの争いはすべて鎮圧し、国内の揉め事もきつく取り締まっているという。魔物の暴動も容赦なく粛清にも積極的。普段はあまりしない貿易の条約締結も行い、有利な条件を数多ともぎ取ってきたという。
話を聞けば聞くほど有能だと分かる。ますますレナリアに相応しいと感嘆した。
学園で出会った誰よりも、群を抜いて有能だった。比較するべきでないほど。
グレアムは替え玉だというレナリアと同じくらいの年代の少女を牢屋に入れて、レナリアを脱獄させてくれた。レナリアとしては、あんなブスが自分の代わりというのは不満だが、それは我慢した。
あの美しい公爵に会いたいと色々な人に頼むのだが、誰も芳しい返事はくれなかった。たいていが青ざめて止めてくる。第二王子のレオルドですら苦い顔をして首を横に振るのだ。
確かにルーカスに怒っていた時は怖かったけど、あの人はレナリアには優しいはずだ。だって、牢屋から出してくれたのだから――そもそも、公爵がレナリアを牢屋に追いやった人物だということを、レナリアは微塵も考えていなかった。グレイルの唯一といえる愛娘を侮辱し、危険にさらしたレナリアに憎悪さえ持っていることすら気づいていない。それどころか、公爵に見初められたのではないかと浮かれていた。
久々にあったルーカスは痩せていた。やつれたといった方がいいかもしれない。
いつものキラキラとした華やかなオーラが激減し、愁いを帯びた緑の双眸をぎこちなくレナリアに向ける。いつも籠ったあの鬱陶しいくらいの熱が無いことに、レナリアはその時気づかなかった。レナリアの頭は、グレイルのことでいっぱいだった。なんとしても彼を落とすと、息巻いていたのだ。
ルーカスにグレイルとの再会を願っても叶わなかった。それどころか、気安く名を呼んではいけないとつまらないお小言までいってくる。ルーカスと会話をしても、レナリアに同調せず、欲しい言葉をくれない。つまらない、とレナリアは内心思いながらもいつもの高く愛らしい声と笑顔を作り続ける。
「…どうしたのかしら、ルーカス様。あんなに暗い人だったかしら?」
「レナリアがそう思うなら、そうなんじゃないのかな」
「どういうこと?」
「いや、こっちの話。それより早く行こう。騎士の中には君の顔を覚えているのもいるから」
レオルドが急かすので、あまり考えられなかった。
それよりグレイルだ。あの人に会いたい。会って話がしたい。
会って話をして、一緒にお茶をしてお菓子を食べれば――あの人だって、レナリアを好きになる。好きで好きでたまらなくなって、頭を垂れて騎士のように傅くのだ。あの極上の楽器のような声で愛を紡ぎ、レナリアの愛を求めるのだ。
なによりも高価な宝石のようなアクアブルーの瞳には、悪女のアルベルティーナではなく可愛いヒロインのレナリアだけしか映さなくなる。
うっそりとした笑みを浮かべ、夢想に浸るレナリア。その笑みはとてもではないけれど、王族教唆を断罪される沙汰を待つ人間のものではない。そもそも、罪の意識など毛頭ないのだろう。余りにも不遜で、それでいて仄暗い笑みだった。それをレオルドがもの言いたげに見ていたのには気づかなかった。
不器用に回っていた歯車は、もう滑落し始めていた。
読んでいただきありがとうございました。
ちなみにグレイルは自称ヒロインを死ぬより苦しい目に会わせる気満々です。生まれたこと後悔してやるぜ、レベルのことを平気で考えています。
まあ、泳がせているのには別にも理由がありますが…