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転生したら悪役令嬢だったので引きニートになります(旧:悪役令嬢は引き籠りたい) 作者:フロクor藤森フクロウ
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幼馴染会議

 ジブリール様降臨の回。

 ジブリールは純粋にアルベルティーナの幸せを願っています。

 でも出来れば本物のお姉様希望です。

 基本、アルベルティーナを巡っての幼馴染トリオへの慈悲はない。地上げするやくざよりない。




 キシュタリア、ジュリアス、ミカエリスは学園のサロンの一室に呼び出されていた。

 世間話をしに惰性で集まったのではなく、とある人物に呼び出されていたのである。

 もちろん、普段も情報交換や面倒な女子生徒から逃げるために三人が固まることは少なくない。

 生徒はキシュタリアとミカエリスだが、ジュリアスは従僕としてラティッチェ家と学園を定期的に往復している。手紙でも報告は各自しているが、ジュリアスは事業に関わる仕事も持っているのでどうしても学園を離れることがある。

 ミカエリスもドミトリアス伯爵家の当主であり領主として、執務をするために戻ることもある。ある程度は執事がこなすことも可能だが、やはり領主がしなければいけないことは多いのだ。忙しさが増せば、寮やサロンの一室を執務室として借りることもある。

 なので、この三人が集まること自体はそう珍しくない。

 周囲から見れば見目麗しい公爵子息、伯爵、子爵が集まっているのだから当然注目を集める。

 ジュリアスはラティッチェ家が仕える先であるから従僕としてもいられるが、普通であればわざわざ使用人の真似事などしない。一人の貴族として振舞うことが許された立場であるのだから。

 ラティッチェ公爵家の事業拡大の立役者の一人として、爵位を得たジュリアスは実力派の成り上がりとしても知られている。ローズブランドは彼の辣腕の成果でもある。発端はラティッチェ公爵家の令嬢だが、それを形にしてここまで育てたのはジュリアスである。

 ジュリアスが従僕という立場を捨てないのは、その令嬢との繋がりを無くさないためだと知るのは、ごく一部である。

 キシュタリアはサンディス王国屈指の名家であるラティッチェ公爵家の令息だ。元は貧乏男爵家の愛人の子であったが、幼い頃に引き取られて徹底的に教育された。今ではその甘い美貌も相まって、学園でも屈指の影響力のある貴公子の一人だ。

 学園でもずば抜けた魔力保持者であり、四大公爵家に連なる人間として一目置かれている。王家の人間ですら、次期公爵のキシュタリアに気軽に何かを言えないほどラティッチェ公爵家は強い家柄であった。

 父は元帥にして四大公爵家当主、そして大実業家――それを引き継ぐ期待を一身に背負った公爵令息。それがキシュタリア・フォン・ラティッチェだ。

 そんな学園でも人目を惹かざるを得ない、今を時めく貴公子たちは一様に顔色が悪い。

 用意されたティーセットから、芳しい湯気が立ち上るがそれらが彼らの緊張をほぐすことはない。



「お待たせしましたわ、皆さま。ああ、来ていただいて本当にありがとう存じます」


 しずしずと落ち着いたオレンジのドレスを纏った美少女がやってきた。

 紅い艶やかな髪をハーフアップに纏め、ドレスと同じコサージュのついたバレッタで留めている。纏うドレスは学園でも大人気のローズブランドのベルラインドレスだった。腰の下からふんわりと広がり、名前通り鈴のような形をしたドレスだ。裾が揺れるたびにビジューが煌めいて動きに華やかさを演出する。

 三人がそろっていることに大輪の薔薇ごとき華やかな笑みで喜んだ。だが、三人ともますます空気を強張らせるだけだった。

 何故か?

 その少女がジブリール・フォン・ドミトリアス伯爵令嬢という、幼馴染にして時としてこの三人が束になっても蹴散らすような強者だということを知っているからだ。

 そして、この三人がわざわざ呼び出されることで思い当たるのは一つ。

 アルベルティーナ・フォン・ラティッチェという公爵令嬢に関わることくらい。

 普段、ジブリールには鬱陶しい婚約者候補になりたい令嬢を追い払うために、助力を貰い、傍に居てもらうことが多い手前、色々と強く出られない。

 ジブリールはゆったりとゴブラン織りのソファに座ると、扇を取り出してにっこりとさらに笑みを深めた。ぞわり、と三人の背中に怖気が走る。非常に愛らしく美しい貴婦人の笑みが、全力で三人の本能に危険信号をともらせた。


「率直にお聞きしますわ。

 ――この中で、お姉様の心を射止めた方はいまして?」


 直球であった。

 えぐい程の内角ストレートに剛速球。

 お姉様、とはアルベルティーナに対するジブリールの愛称のようなものだ。

 本来なら、伯爵令嬢のジブリールが、兄の婚約者でも伴侶でもない公爵令嬢のアルベルティーナをその様に呼ぶのは不敬だが、アルベルティーナが甘んじてというより、喜んでその呼び名を受け入れている手前誰かが止めることができるはずもない。唯一苦言を呈することのできる父親である公爵は、アルベルティーナのやりたいことを全力で叶える人間なので、余程彼女に不利益がない限り容認している。

 別にアルベルティーナはミカエリスと結婚したいわけではない。ただ、ジブリールが可愛くて仕方ないので甘いのだ。それ以上にも以下にも意味はない。


「………十年以上かけてこのざまですか。情けないこと」


 はあ、失望も露にジブリールはため息をつく。

 その様子が本当に残念そうで、さらに男たちの心に刺さる。慈悲などない。


「では、想いを伝えた方は?」


 ジブリールの言及は続く。プライバシー侵害極まりないが、口答えを許せる空気でない。

 もしジブリールが尋問官なら、さぞ優秀だろうと思いすらする威圧感だ。大きなルビーのような瞳は鋭く冴えており、愛らしいはずの声はどこまでも冷え冷えとしていた。

 すぐに答えない三人に焦れたのか、ジブリールの柳眉が跳ねあがる。


「キシュタリア様、お兄様はもうお姉様から言質を取っていますわ。そして、ジュリアス。貴方もでしょう? 貴方が後れを取るとは思えないもの」


「…知っていたなら、態々聞かなくてもよかったんじゃない?」


「は? なんでわたくしが貴方たちから本音を絞り出すために容赦しなくてはならなくて?

 貴方たちがわたくしに突き回された程度で、長年拗らせた恋を諦める殊勝さなどありまして? この年齢で、結婚どころか婚約者もいない。見合いものらりくらりとかわし続け、実質は婚約者候補すらいないではありませんか。」


 いっちゃうか。隠す気が微塵もないか。

 キシュタリアは毅然と脅迫上等といわんばかりに寂しい胸を張るジブリールを見た。一般的な女性より豊かな義姉と比べるのはいけないが、それを差し引いてもジブリールの胸元は寂しい。視線に不躾な思考を感じ取ったのか、笑みに乗る威圧感が増えた。

 年々手ごわくなる幼馴染の令嬢。屋敷に居る義姉は相変わらずポヤポヤで、ジブリールの苛烈過ぎる本性を知らない。恐ろしさを理解していないといった方が正しいかもしれない。義姉はそういうところがある。ジブリールの激情の片鱗を見ても、おっとりと「それでもジブリールは可愛い」と笑って流してしまう。


「それで、ジブリール様は何をお聞きになりたいのですか?」


「決まっているわ。どれだけ貴方がたがお姉様を攻略できているか、その進捗状況をお聞きしたいのよ!」


「しんちょくじょうきょう…あの、何故ジブリール様にそれを言わなくてはいけないのでしょうか?」


「お姉様が修道院に行きたいやら、平民になりたいやら在り得ないことを仰っているからよ!!!

 驚きよ! 絶句したわ! 全ては貴方がたの不甲斐なさが原因でしょう!?

 揃いも揃って図体ばかり育って、お姉様の御心ひとつ引き留められない甲斐性なしども!!! わたくしが男だったら、今すぐ手袋を投げつけて全員叩き切ってやりたいほど腹立たしいわ!!!」


 びりっびりとサロンにジブリールの怒りの咆哮が響く。

 ガラス窓は震え、紅茶も波紋を生んだ。耳にも痛いが、心にも痛いジブリールの絶叫を甘んじて受ける。

 ジブリールの眼には涙が浮かんでいる。怒りと悔しさの涙だ。いつもなら完璧に装っている貴婦人の仮面は粉々だった。


「そもそも、お姉様は貴方がたを嫌いでないのに、なぜ頑なまでに婚姻は避けるのでしょうか…」


「それは僕も知りたい。本人がかなりそういったものに疎いのも含め、かなりしっかり言い含めているはずなのに未だに頷かないんだ…

 それ以外なら僕の頼みは大抵聞いてくれるのに」


「ちょっと、キシュタリア様。お姉様におかしなことを頼んでいないでしょうね?」


「頼んでいたら、アンナに睨まれて母様から蹴りが飛んでいるよ」


 じっとりと睨んでくるジブリールに、キシュタリアが肩をすくめて見せる。

 学園の女子生徒が黄色い悲鳴を上げる流し目に対し、胡散臭そうなものを見たといわんばかりにジブリールが顔をゆがめる。


「あれだけ口説いているのに、お見合いの釣書を薦められかけた僕の気持ちわかる?

 姉弟としてあり得ないほど際どく触ってもにこにこ無防備に笑っているし――あとで母様にばれて説教だったけどね。

 僕が我慢しているのに、アルベルは相変わらず僕の腕を平気でとるし抱き着こうとするし……僕はもう子供じゃないし『可愛い弟』で終わるつもりはないのに」


「おっふ…お姉様相変わらず生殺しの所業」


 その光景が目に浮かぶ。アルベルティーナのことだ、義弟の戯れだと多少のことは流して受け入れたのだろう。

 もとより、アルベルティーナは心を許した人間に対しては寛容だ。義弟に関しては、さらに甘いといっていい。完全にザル警戒だ。


「それをいうなら、私は手紙で散々好意を伝えたつもりが『気になる女性はいないのか』と面と向かって聞かれたことがあるが」


「あー、ありましたわ。つい最近、わたくしも覚えがありましてよ」


「嫌われている気配はないが、周囲に浮ついた気配を感じると嬉しそうにされるのはなかなか辛いな。

 純粋に私に良縁を望んでいるようだが、基本アルベル自身は候補として外すことが前提の口ぶりだしな…」


 ミカエリスの平たい声に、ジブリールは頭を抱えて唸った。

 そういえば、アルベルティーナはミカエリスの縁談を気にしていたが、あれは当事者としてではない。ただ、幼馴染を案じての様子だった。


「好意を告げはっきりと肉欲の対象として感じているといったのに理解されなかった挙句、直後に胸に腕を埋められたことがありますが?」


「ジュリアス・フラン。お前はこの話が終わったら訓練場まで来なさい」


「また成長していましたよ、あのポンコツ。中身の危機管理能力はオムツはいた幼女の癖に、なんでああも無駄に成長するんでしょうか」


「ジュリアス、お兄様をけし掛けましてよ?」


 ジュリアスの唐突にぶち込まれた発言に、サロンルームが凍り付く。

 しかし、腕を組んだ麗しい従僕は眼鏡の奥の眼をしんなりと細めただけだった。笑っているが寧ろ本心は逆だろう。

 詩吟でもするように滑らかな声音は優雅であった。ジブリールが赤い瞳に苛烈な感情を燃やして睨み返しているのに、びくともしない。

 妹に勝手にけし掛けるといわれたミカエリスは、静かにジュリアスを見ている。否定しないあたり、懸想する女性を評するためにその様な言葉を投げたことに内心は怒りを覚えているのかもしれない。だが、あくまで表情は変わらなかった。


「しかも、妙にこそこそ商人と話していると思ったら、情報収集していましたよ。小賢しい。市井の調査とは言っていましたが、馬鹿は馬鹿なりに考えているようです」


「…その話、詳しく」


 馬鹿とかポンコツとか散々に言うジュリアスに、先ほどからジブリールの顔はひくひく動いている。ジュリアスの饒舌は、キシュタリアやミカエリスからも温度の下がった視線にさらされても止まらない。

 この眼鏡従僕がアルベルティーナに対して慇懃無礼を通り越して、時折純粋に不敬なのはなんとなく感じていた。これでアルベルティーナに嫌われていないあたり、この男が食えないところである。立場的にも、その生意気の過ぎる態度は一番よろしくないのだが、その無礼を含めて気に入られている要領のいい男である。


「私がキシュタリア様の従僕として動くと、どうしてもラティッチェ家を留守にしがちですからね。

 信用できる商人だけ、お嬢様と商談をできるようにしたんです。アンナをはじめとして、必ず使用人はつけさせましたが……最近、平民向けの商品を考えているのは良いのですが、お嬢様がやけに市井について聞きたがると報告が上がっています」


「本気ってこと…よね」


「修道院も本気だったでしょうね。かなり戒律も厳しい場所ばかり選んで、外部から干渉ができない牢獄、といっても貴賓牢に近い施設ばかり探していたようです。

 特に入念だったのがグレイセス修道院、ヴァン・ロヴィンソン修道院、ウエリータ修道院……規律が厳しい分、下手をすれば国家からの圧力すら退けるような場所ばかりです。国内だけでなく、国外まで調べていました。

 あまり本気でないようだったら、公爵に領地内でそれらしい修道院を立てていただいて、気が済むまで安楽な修道女生活をさせても良かったのですが…

意外とアルベル様の調査がしっかりしていたので、急ごしらえでは無理でしょうね」


 流石というべきか、公爵から愛娘を任されていただけあり、ジュリアスは有能だった。すらすらとジブリールの気にしていた情報が出てきた。


「でも、修道院は少し諦めたみたいでしたわ…お姉様は市井で生活できるかしら?」


「能力はありますが、現実的には不可能ですね」


「どういうことよ」


「アルベルティーナ様は危機管理が低いですが、発想、知識や能力といった点は悪くありません。また、忍耐力は高い方ですし、純粋な勉学等を見る限り学習能力も高い方です。

 あのぼやっとした言動に忘れがちですが、頭自体は良い方です。自分をどこへ売り込めばいいか考え、行動すればそれなりに裕福に暮らせると思いますよ。

 あの方は稀少な属性魔法の持ち主ですし、魔法使いや冒険者などとしても十分身を立てられる魔力量と技術を御持ちです」


 ですが、とジュリアスは続ける。


「あの方の容姿は人を狂わせるに十分です。

 ラティッチェで厳しくしつけられた使用人でも、本物を目の当たりにした瞬間にあの方の美貌に目が眩み理性を失ったものはいます。アルベル様の知らぬところで処分された人間は少なくありません。

 本人に自覚がなくともアルベル様がもつ発想や知識の真価を発揮する前に、外見に目のくらんだ人間が押し寄せるのは目に見えています。

 きっと、その辺を歩いているだけで誘拐されて監禁されるでしょうね。そうでなくてもさぞ高く売り飛ばせるでしょうし、良くてお人形、最悪心身が壊れるまで欲望のはけ口にされますよ。

 アルベルティーナ様の魔法は、致命的なまでに攻撃系統が使えないですし、本人がそもそも荒事を恐れる人ですから。多少の理不尽は飲んでしまうでしょうしね」


 余程運よく、理性的で有能な人間がアルベルティーナを見出さなければ、彼女は能力があれど平民の生活はできない。

 能力があっても、本人の意思があっても、第三者の欲望に追い回されて事実上不可能となる可能性が非常に高い。

 さらりとジュリアスが語る。


「まあ、あくまで仮定です。それ以前に、お父上たる公爵がアルベルティーナ様をその様なところへ下ろすことを許さないでしょう。

 それなら、アルベルティーナ様用に一つ街をこしらえた方が早い程です」


「街をこしらえる…?」


「アルベルティーナ様はずっと屋敷暮らしですよ? そして体力もそれほどあるとは思えない。行動範囲も狭いでしょう。長らく公爵様の御意向もあり、引きこもり生活をしていました。そんな女性がいきなり見知らぬ場所にいって、動き回れるはずもありません。

 ならば、最初から公爵家の手のもので揃え、それらしい場所を用意すればいいんです。

 高名な修道院なら警護も厳しいので、治安は当然良いので心配はなかったのですが…平民の生活となるとどうしても警備に穴が開きやすいですからね。

 ……それ以外の問題は、あの人見知りのアルベル様が、心労で御心が病んでしまわぬかが危ういですが」


 修道院はだいぶ下調べをしていたが、平民になることについてはまだまだ調べが進んでいないようだ。どの街に降りるかまではアルベルティーナはまだ調査していない。

 ミカエリスは同じ領主として、その壮大過ぎるアルベルティーナ包囲網に少し引いている。だが、それをしそうなのがあの公爵だ。


「だから、お姉様を修道女にも平民にもさせないために、恥を忍んでお呼びしましたのよ!?」


 忍んでいたか、恥? ――ジブリール以外の三人は思ったが口を噤んだ。

 ジブリールのパンチは痛い。彼らは身をもって知っているから口を貝のように閉ざした。女性らしからぬ、重い鉄拳を再び食らいたくない。

 ジブリールの美少女っぷりにコロッとやられて求愛して、決闘で心をへし折られる若者を何度も見たことがある。ミカエリスほどでないにしろ、ジブリールの剣の腕前は相当なものだ。手の平に強化魔法を施し、血豆やたこで武骨な手にならないようにしているが「うっかり持ち手ごと圧し折っちゃうのよね」と特注の頑強な持ち手の柄を注文しているのを彼らは知っている。


「ジブリール、私を含め、三人ともアルベルをその様な場所へ寄越したいとは思っていない」


「…知っていますわ。ですが何故お姉様はああも頑ななのでしょうか」


 激昂する妹を窘めるミカエリスの言葉に、我に返ったジブリールは項垂れる。

 キシュタリアもそのあたりは思うところがあったのか、難しい顔をしている。

 ジュリアスが珍しく顔を険しくさせて、歯切れ悪く呟いた。


「可能性として考えられるのは、誘拐事件かその直後くらいですが」


「…たしか、王女殿下と取り違えという噂もありますわね」


「ええ、アルベル様のお姿は『王族』の血筋を感じさせるに十分なものですし、余り声を大にしては言えませんが二つも年下だったエルメディア殿下は当時から大層肥満体形で大きかったといいます。華奢で割と小柄なアルベルティーナ様と、幼いながらに近い年齢と勘違いされたのも原因の一つとされています」


「ああ、今も大層御立派だがな」


 ぼそ、とミカエリスが呟くと、ジュリアスとキシュタリアが遠い目をした。社交界で、見たことがある彼女の姿は常に一般のレディとはボディラインが大きく異なっていた。それに求婚するように求められていたミカエリスには同情する。

 そして、サンディス王家の美姫として有名な祖母システィーナの面影の強いアルベルティーナとお肉に埋もれて色々不明なエルメディアをならべて、本当の二人をあまり知らずに近づいた場合どちらが王女に見えるか――など、絵姿詐欺を考えればアルベルティーナを選んでもおかしくない。

 当時二人ともお茶会デビューだった為、顔も知られていない。王族とはいえ幼過ぎる王女の絵姿も少なかった。アルベルティーナの絵姿など出回らないし、ラティッチェ公爵も愛妻と愛娘を全く当時から外に出したがらなかった。そこには公爵が決闘による強奪に近い嫁取りに起こした親戚や婚家との軋轢もある。

だが、おそらくエルメディア王女の姿絵など正確なのはおくるみ状態な時であるし、絵姿がないなら幼過ぎる王女の姿は一般には知られていない。ラウゼス陛下は灰銀髪に近い御髪だが、絵によっては色味が異なり、若い頃は黒に近く描かれているものもあった。

 あの誘拐事件は王家と公爵家の禁忌だ。その後の情報には緘口令が敷かれている。

 そして、被害者のアルベルティーナに対しての真実とは程遠い噂話はともかく、まともな情報は異常なほど隠蔽されている。


「アルベルティーナ様がかどわかされ消息を絶ったあと、暫く誘拐犯に連れ回されていたかもしくは監禁されていたそうです。その間に心が折れるようななにかがあったのは想像に難くありません」


「僕や母様が初めて会ったときも、かなり怖がっていたものね…」


 思い出したのか、幼い日に思いを馳せるキシュタリアは苦笑する。それに頷くジュリアス。

 少し間を置き、躊躇う様にゆっくりと口を開くジュリアス。いつも浮かんでいる笑みをけし、心なしか苦々しそうに問いかけた。


「……お三方は、誘拐前のアルベルティーナ様がどんな方かご存知ですか?」


「いや、私の家は伯爵といえ、あの催しに王城に招かれるほどの家柄ではなかったからな。

 おそらく、誘拐事件のときがアルベルのお茶会のデビューだろう?」


「ええ、ではジブリール様もですね?」


「はい。あのお茶会は王子たちの側近候補と婚約者候補を集めたものとも聞きますわ。

 とてもではないけれど、当時のドミトリアス家は…」


「ドミトリアス伯爵家が無理なら、僕はもっと無理だよ。当時そんな茶会があったことすら知らなかったし」


 三者の答えをジュリアスも解っていたのだろう、頷いた。


「誘拐される以前のアルベルティーナ様は、非常に恐ろしい方でした。

 横暴、冷酷、我儘の三拍子。そしてかなりの加虐嗜好。今のお嬢様からは想像できないほど、幼い少女とは思えない残虐な方でした」


――は?


 三人の知るアルベルティーナのおっとりと温和な姿と、ジュリアスの語る誘拐前のアルベルティーナの苛烈な少女像が重ならないのだろう。

 誰ともなく間の抜けた声が漏れた。


「当時のアルベルティーナ様の好んだ遊技は、失態した使用人を全裸にして部屋から見える木に蜂蜜を塗りたくって縛り付け、使用人に虫が集り悲鳴を上げて藻掻く姿を眺めることでした。

 声を上げて、手を叩いて喜んでいましたよ」


 想像を絶する遊び方だ。

 遊戯ではなく、拷問にしか聞こえない所業である。

 今のアルベルティーナからは想像できない姿だ。そして、それを年端もゆかぬ少女が思いつき命ずる。そんな発想ができることすら悍ましいと言える。

 キシュタリアは口を押えて凍り付いているし、ミカエリスは眉間にしわを寄せて信じがたいといわんばかりだ。ジブリールは明らかに狼狽している。


「そ、それは本当にお姉様ですの?」


「ええ、それが誘拐前のアルベルティーナ様です。何をしても許される。反吐が出るほどご自分の御立場を理解していましたよ」


 吐き捨てたジュリアスには、当時のアルベルティーナに対する愛着はないらしい。むしろ、その逆の感情が蟠っている気配がする。

 少なくとも三人の知るジュリアスは、良くも悪くも箱入り娘のアルベルティーナをなんだかんだ非常に甲斐甲斐しく世話をする姿である。時折辛辣だが、アルベルティーナにだけは甘さが目立つし、心を許している素振りさえ感じた。


「ラティッチェ公爵が血眼になって探し当て、救出したばかりのお嬢様はとにかく怯えていました。

 物に怯え、音に怯え、人に怯え、唯一怯えないのは父親の公爵のみ。

 お医者様に診せるにも、メイドが世話をするにも、以前とは違う意味で一苦労でした。

 近づけば泣き叫んで怯えて、会話もままならず、食事すらとらない。泣きながら気絶するように眠り、漸く静かになれば整えられる有様でした。

 ラティッチェ公爵が視界に入る場所にいれば、かなり落ち着いていました。

 時間が経って、漸く一部の使用人を受け入れるようになりましたが……それもかなり限られた数のみです。むしろ、使用人選びは以前より厳しくなったと言えます。気に食わないと当たり散らしはしませんでした。逆に余程目に余らない限り我慢して神経をすり減らす傾向がありましたから。ただでさえ弱っているのにやせ我慢をする…それを見分けるのが、本当の意味でアルベル様に許されたものたちの役目でした。

 今思えば公爵の溺愛が酷くなるのもそれからでしたね」


 ジュリアスは使用人の中でもアルベルティーナと年が近く、華奢な部類でありあまり怯えられなかった。それがきっかけで、専属になったともいえる。

 嫌悪と憎悪すら感じていたアルベルティーナがあんなにも無残に泣き叫ぶ姿は胸が空いたが、世話をするうちにだんだんと憐みを覚えた。


「ようやく落ち着いて、まともに話せるようになったころには今のアルベル様でした。

 人を人と思わないあの傲慢で悪辣な性質は消え失せ、あのお優しくおっとりとした方となっていましたが……ですが、人を極端に怖がるようにもなりました。特に自分より体の大きい人間ですね。暗闇や閉所を怖がるのは、箱に詰められていたのが原因だそうですが…

 今思えば、兆候はあったと思います。余りにご気性自体の変化が大きすぎて、見落としていたことが悔やまれます」


 性格の変貌がきっかけで、付け上がった使用人の一部が彼女を虐めて追い詰め、その裏で慰めて心を支配し、傀儡にしようとしていた。

 未だ誘拐の爪痕は消えず、相変わらず暗闇と狭い場所を怖がる。そんな傷ついた幼い子供すら利用しようとする悪辣さに、怒りを覚えた使用人は少なくなかった。

 あの奔放で享楽的な幼い悪女は、可哀想なほど怖がりの頼りない幼女となってしまった。

 ジュリアスは少しでもアルベルティーナの心の慰めになればと、夜闇に怯える彼女を抱きしめてあやした数は両手でも足らない。不器用でへたくそな子守唄も歌ったし、幼児向けのような童話を諳んじた。アルベルティーナが喜ぶから、苦手で恐ろしい公爵の話もした。美味しい紅茶の淹れ方を覚え、メイドたちには内緒だと蜂蜜多めのミルクを用意した。

 最初はアルベルティーナをとにかく泣き止ませるためだった。それが彼女の笑顔を向けられたいがために変わったのは、いつだっただろうか。


「……その、対人恐怖症だが…」


 ぽつ、とミカエリスの声が落ちた。


「多分、男性恐怖症はさらに悪化したぞ。恐らくルーカス殿下の一件で、こちらからあまり触れすぎると――特に異性を意識させすぎると一気に顔色が悪くなった」


「…え、ちょっと待って。ミカエリスまで? 他はともかく、僕やジュリアスとかミカエリスとの接触はかなり平気だったよね?」


 その点、危機管理が薄いといわしめるほどかなり寛容だった。

 周囲が神経をとがらせるほど、無頓着だった。

 アルベルティーナはむしろスキンシップが好きだといわんばかりに許容していた。

 恐れず接触できる年齢の近い異性など特にアルベルティーナの周囲にはいない。それは三人の特権というべき部分だった。だからこそ、三人は互いをライバル視しているし、同時にアルベルティーナを守るために暗黙の容認をしている。


「ああ、だが学園に来た時には多少触れても緊張する様子はあったが、畏縮はされなかった。だが、剣技大会では明らかに怯えるそぶりがあった」


「お姉様はもともと恋愛を忌避というか、嫌悪というか、遠ざける印象はありましたが…

 もしや、お姉様のトラウマが余計なところでつながってしまいました?」


恐る恐るといったジブリールの確認に、ミカエリスが重々しく、だが「おそらく」と頷いた。

 キシュタリアの顔がこれでもかと歪み、少しだけジュリアスの眉が動いた。

 少なくともあの時点で触れられたなら、アルベルティーナの精神に何か影響を与える事件なんてたった一つだ。


「ほんと碌なことしないな、糞王子」


「キシュタリア様、お言葉が乱れております」


 従僕から気のない言葉で、一応は窘められたキシュタリア。

 どうせ皆似たような感想を抱いているはずである。


「うーん、ではお姉様の恋愛や結婚に距離を取りたがるのは誘拐がきっかけということ?」


「男性への忌避が関わっている可能性はあるかと…

あれ以降、公爵様のアルベル様の周囲への眼の厳しさは以前にも増しました。

 アルベル様が庇えばかなり目こぼしはされるが、それも度が過ぎれば使用人が勝手に始末することも少なくない――まあ、今は近づく前に消えますが」


「まあ、それは貴方とか?」


「さあ、どうでしょうか?」


 ジブリールのにっこりとした笑みに、負けず劣らずの完璧な笑みを返すジュリアス。

 キシュタリアがその空々しい笑顔の応酬に、思わず温かい紅茶に手を伸ばす。


「以前のアルベルについては知らないが…可能性としては十分ありうるな」


「だけどアルベルに誘拐事件のことを聞くことは公爵家では最大級のタブーだよ」


 すぐさまキシュタリアが厳しい顔で言った。

 キシュタリアも幼い頃、アルベルがトラウマに触れたときの狂乱ぶりを知っている。恐怖に泣き叫ぶ姿を知って、掘り返すつもりはなかった。

 そして、アルベルティーナは誘拐事件で体にも消えない傷を負っている。

 じかに見たことの無い背中の傷は、塞がっても痕として残っている。傷跡を消すのは、魔法でも難しい。欠損などならまだ方法がある。既に癒えてしまった傷なのだから、癒しようがないのだ。もしも治すならば、その傷の上からそれを上回る傷でもつけて癒すというかなりの荒療治となる。それでも、傷が消える可能性がある程度だ。

 それをご令嬢である少女に行うにはリスキーすぎる。

 アルベルティーナの人格が変わるほどの恐怖など、想像を絶する。引き金になったら、今度こそ彼女の心は恐怖に飲まれるかもしれない。

 下手に触れて繊細な少女の心を壊すことになってしまえば、後悔では済まされない。







 だが、それ以上に四人とも――今のアルベルティーナが完全に別のところから来た人格で、本来のアルベルティーナの壮絶な未来を知ってしまっている故に怯えているなど更に知らないことだ。

 誘拐されたアルベルティーナ本来の恐怖心と、その無数の未来で自分に降りかかる断罪への恐怖心が交じり合い凝り固まっている。

 乙女ゲームの『恋愛』という、避けては通れないシナリオを恐れている。

 そして、誰かを選ぶことによりその恐ろしいエンディングを呼び寄せる引き金になることを恐れている。

自分が『アルベルティーナ』である以上、物語の強制力を恐れている。

そして、ずっと『アルベルティーナ』でありながら、本当の『アルベルティーナ』でないことに怯えている。

偽り続けている自分を誰も知らず、与えられて愛されているのは外側だけなのだろうと漠然と信じ込んでいる。

 アルベルティーナは自覚と周囲の認識の齟齬を見誤っていることに気づかない。

 彼女が現実を知る時は、逃げ場もなく追い詰められたときだろう。









「案外さ。アルベルって、結構…いや、かなり? 相当に思い込み激しいからなんか余計なこと考えて自己完結している気がするんだよね」



 シスコンを拗らせすぎた義弟がぽつりと漏らした言葉が、ずばりと核心をついていたことを誰も知らない。



 読んでいただきありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ

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