夫の弁護士さんに対する、私の心情はフクザツだ。
逮捕直後の夫は、すさまじい希死念慮に襲われていたそうだが
今は落ち着いて、社会にでてからの計画を練って過ごしているそうだ。弁護士さんのメンタルサポートの賜物だろう。なぜなら刑事裁判被告の人権は、法制度で守らねばならないことになっているから。夫が自殺すれば、留置所のみなさんも弁護士さんも、管理責任を問われるからだね。
しかし無罪の可能性がほぼない以上は、夫が我が子を「犯罪者の子ども」にしない唯一の方法は、判決が確定する前に死ぬこと、しかない。にもかかわらず、夫の周辺にいるプロ(専門職)にのせられて、社会に出てからのあらぬ希望をもっている夫に「どこまでいっても自分のことしか考えていないんだな」と憎悪を覚える。
夫の絶望は、社会に出てから始まる。が社会に出てから死んだとしても、誰も責任は問われないから、それでいいのだ。一方、加害者家族である私たち母子が、何の支援も受けられず、日々絶望と不信に直面しているのは、やはり私達母子が死んだとしても、誰も責任を問われないからなんだよね。
夫が逮捕されたときの報道はすさまじく、矢面にたった妻の私のことまで、ひどい扱いだった。だがそれも、マスコミは「仕事で」やっている。犯罪を犯すのはいけないことなので、家族まで悪者にされるようないけないことなので、追随する人があらわれないように、こてんぱんに叩くのだ、仕事として。
「どのクチがいうか」と思いながら、当院から紹介した利用者さんや患者さんの受け入れを断った医療機関や福祉事業所について、保健所や厚生局に通報している。うちの患者を断った医療機関や事業所だって、患者さん自身に罪はないことはよくわかっておられるはず。だけど、医療への不信を煽るルール違反を犯した愉一の関係者は、締め出さないと、今後のお仕事に差し支えるのだろう。よってうちの夫が逮捕されたのがそもそも悪いのに、「応召義務を守らない医療機関・福祉事業所は間違っている」と通報せねばならない。受け入れ側の医療福祉機関に「保健所や厚生局に言われたから、受け入れなければしょうがない」という弁明の余地を与えるためだ。
夫逮捕から今日まで、もう、自分のことはいいから、どうなってもいいから、どう思われてもいいから、これ以上患者さんや利用者さんに不安を与えたくない。周囲にご迷惑をかけたくない。子どもに害が及ばないようにしたい。
という思いで、いろんな折衝をしてきた。そしてほとんど、努力の甲斐は実らなかった。ただただ打たれ損であった。最近すっかり、自分の身を顧みない状況が普通になってしまい、
「このまま終活しようか」
と考えるようになっている。
家の中断捨離して、
不動産売却して、
売却益を子どもの通帳に入れて、
子どもを里親か児童養護施設にうつし、
未成年後見人をたてたら。
「死」というご褒美がまっている。
最近日常が絶望に満ちていると、死は甘美に感じられることを知った。今私に必要なのは、目標であり計画だ。伴走者がいないのだから、目標がないと走れない。
加害者家族の自死なんて、よくある話だ。
私はそのよくある一人になるにすぎない。
自己責任、自己責任の国ですから。
犯罪を犯すような夫を選んだ自己責任。
愛した人に、自死に追い込まれるなんて
茶番を通り越した喜劇だね。
これが加害者家族の日常です。
みなさん、家族を大切に思う気持ちがあるなら
法令は守りましょうね。