デビュー
 デビュー半年くらい前か。米米クラブという名前が気になりだしたのは。思えばこれが「ご縁」だった。それまでは洋楽しか積極的に聴いてなかったことを考えるとこれはもう「運命」としかいいようがない(笑)

 きっかけは下らないことだった。友達が貸してくれた少女マンガのコラムみたいなとこに米米の名前が出ていたのだ。そこに書かれていた脱力しそうな曲のタイトルが強烈なインパクトだったのだ。だって「奥さん米屋です」「農林28号」とかだったんだもん(笑)
それまで日本のバンドには(と、いうか日本の市場には歌謡曲しかないと偏見を持っていたのだ)興味がなかった僕には強すぎる衝撃だったことは想像に難くないであろう。

 こんなバンドがデビューすると聞いて、とにかく「ライブじゃ」と思ったときには人気沸騰。すでにライブハウスのチケットは入手困難な状況になっていた。ともかくまずはレコード(当時はね)を買ってみるしかない、ちゅーことで「Sharisharithm(現在はSharisharism)」を予約したのだ。
ところがそのアルバムが予想に反して超スタイリッシュな内容。既にTVKなどのメディア露出で正体は分かりかけていたものの(笑)、どうにもイメージがつかめなくなってしまった。

 で、ようやく念願の初ライブで見たものは、もう僕の持っていたバンドとかコンサートとかの概念を粉々に破壊するだけのインパクトを持っていたのだ。このライブを経験したおかげで、性格まで変わってしまったような気がする(ちゅーか変わった)。

 音楽性とか、歌詞の内容とか、そういう部分での判断をさせない集団だったのだ米米クラブは。うん、そーいえば「ミッドナイト六本木(なんちゅー番組タイトルじゃ)」では「謎のパフォーマンス集団」って名乗ってたもんなぁ。

 ともかくこの後、結局僕は10年以上も米米に夢中だったのだ。いや、今でも一番好きなバンドは?と問われれば「米米クラブ」って答えるんだろうな。

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米米は歌舞伎だ!
 歌舞伎が大好きな樽屋ならでは?の「米米クラブ歌舞伎説」でございます。まぁそんなに肩肘の張った話ではなくて、単なる妄想なんですけどね(笑)

 歌舞伎の場合、本名・甲という人が役者名・乙という人格を持っていて、その乙が役柄・丙を演じるという形になってます。

 ちなみに芸能人の芸名はちょっと意味が違っています。蒲池典子と松田聖子は基本的に同じ人格で、便宜的により綺麗な目立つ名前という目的で芸名がありますわね。
けど歌舞伎の役者名というのは、すでにその名前そのものが一種の人格を持っていて、素顔の役者個人とは違った存在感を持っているわけです。

 じゃあ米米はというと、本名・石井竜也という人が役名・カールスモーキー石井という人格を持っていて、そのカールスモーキー石井がステージコンセプトにあった人格を演じるという。

 あらまぁ、おんなじ(笑)!

 こんな構造を持っているバンドなんて世界中探しても他にないでしょう、きっと。で、これこそが米米のマジックだったと思うんですよね。ステージにいるカールスモーキー石井も、ジェームス小野田もそこに実在していながら、架空の世界の住人なわけですよ。彼らは石井竜也でも小野田安秀でもないわけだから。

 毎回違うコンセプトで作られるステージはまさしく芝居でいうところの「新作」だったわけで、参加する私たちもそうやって完璧に「作られた架空の世界」で遊んでいたわけです。架空の人たちが作る架空の世界。どこにも「日常」が入り込む隙のない世界。それが米米クラブの奇跡だったと言っていいんじゃないでしょうか(大げさ(^^;?)。

 一方歌舞伎も歌舞伎役者という別人格を持った架空の人たちが架空の世界を演じる世界。江戸の庶民が日常を忘れて、とことん芝居の世界を楽しめたのも、どこにも「日常」が入り込む隙間がなかったからだと思います。

 そう、米米と歌舞伎の共通のキーワードはズバリこれです。



 私、友人には(ほとんど全員)「歌舞伎と米米なんてどーゆー趣味じゃ!?」と言われますがが・・・。どーです、これほど首尾一貫した趣味も珍しいじゃあーりませんか(笑)

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解散
 最初、この話を聞いたとき「え・・・嘘だろ」という気持ちと「やっぱり」という思いが整理しきれないままグチャグチャになった状態でした。

 米米はどんな形になっても自由に、アメーバーのように生き残れるエネルギーとバイタリティを持っていると僕は思っていました。

 しかし一方でシュークリームシュが解散した時点で、少なくともこれまでと同じショーの形態はもう維持出来ないだろうとも思いました。ある意味で米米と観客を一番身近に感じさせていたのが、決してプロのダンサーとして一流とは言い切れない(ゴメンね)シュークだったと思うからです。

 だからシュークが解散を表明したときに「米米は変わるだろうな」とは思っていました。それもかなりドラスティックに変化せざるを得ない、と思っていました。

 しかしその「変化」を見ることがないまま米米は「解散」という選択肢を選びました。

 はじめは「どんな形ででもやっていくんじゃなかったの?」という腹立ちが収まりませんでした。しかし、ある程度時間をおいた結果、僕はそれなりの考えにたどり着きました。

 元々、ボンやてっぺーちゃんが言っていたのは「僕らは毎回解散しているようなものだ」ということです。これは仲が良い悪いではなくて、毎回違うコンセプトで舞台に臨む劇団のような感覚だったと僕は思っています。

 だからこそ米米は自由で、ファンを良い意味で裏切り続けてきたのだと思うわけです。ところが解散の数年前から米米は余りに巨大になりました。ステージは毎回アリーナクラス、チケットはプレミア。どんなメディアも「米米のライブは派手で、面白くて、大がかりですごい」という定評が出来ました。

 でも、この「定評」こそ、実は米米が一番嫌ったことではなかったかと思うのです。結局は新しいファンもオールドファンも含めて、「これが米米クラブだ」という「型」に米米を押し込めていたのではないかと思うんです。

 それが顕著だったのがリョージ、得能が抜けた後の「OPERA BLUE」でした。もう今までとは違ったやり方にせざるを得ないはずなのに、なんとか「今まで通り」やろうとした結果、あのライブはどうにも居心地の悪いものになりました。それは、その時点で米米が「自由じゃなかった」からだと思います。

 結局「凄いステージセット、派手な演出、てっぺーちゃんの美味しいポップスとジェームスのノリノリファンク、シュークのコーナーあり、BHBコーナーあり、面白い曲あり、なんでもありのゴッタ煮ライブ」というのも一つの「型」でしかないわけで、そうでなければファンが喜ばない、お金にならないという時点で米米が本来持っていたバイタリティを奪われてしまったのだと思うのです。

 大勢のスタッフを路頭に迷わせる訳にもいかない、周囲の「型通り」の期待や会社の思惑など、巨大になったが故に自由に身動きできなくなってしまった。そんな風に見えたわけです。

 で、ここからは邪推でしかないわけですが。てっぺーちゃんはそういうドラスティックな解体、再生を目指したんじゃないかと思うんです。でも気配りの人であるボンは絶対に大勢のスタッフに対する責任感とかがあって、容易に「今までとは違う米米クラブ」にはすでに踏み切れない状況になっていたんじゃないかと。
で、結局「こんな状態なら俺はもうやっていけない」というてっぺーちゃんの意志が覆らない以上、中途半端に続けるよりは「解散」してスタッフや関係者もリセットしてあげた方がいいだろうという回答に行き着いたんじゃないかと思うんです。

 こう考えた時に、じゃあ米米は続くべきだったのか、解散して正解だったのかというのは凄く複雑です。僕としては「今まで通り」を無理に続けて、毎回「いつも通り楽しいコンサート」をやる米米だけは見たくないと思うし、でも、解散してしまったら二度とあの「祭り」は帰ってこないし。

 まだ答えは見つかりません。

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