日本が先の大戦の降伏文書に調印して、今日で75年になる。それだけの年月を経てなお、積み残されたままの課題がいくつもある。その一つが戦争で犠牲になった民間人の救済だ。
空襲や艦砲射撃、原爆投下などで亡くなった民間人は約60万人とされる。負傷者はさらに多いが、実態はわからない。
戦時中にあった民間被害を救済する法律は占領期に廃止。独立回復後、軍人や遺族への恩給は復活し、各種年金を含めた支給額は60兆円を超すが、民間人は蚊帳の外に置かれ続けた。
かろうじて、凄惨(せいさん)な地上戦に巻きこまれた沖縄県民の一部や原爆被害者、戦後引き揚げ者らについては一定の手当てがされた。だが、先の広島「黒い雨」訴訟で明らかになったように、こぼれ落ちた人も大勢おり、それ以外の戦争被害に至っては一切手つかずのままだ。正義にもとると言うほかない。
人々の前に立ちはだかってきたのが「戦争被害受忍論」である。国の非常事態下で起きた身体や財産の被害は、国民が等しく受忍(我慢)しなければならない――というもので、失った海外資産の補償を求めた裁判の判決で、1968年に最高裁が打ち出した理屈だ。
政府が設けた有識者会議がこれを踏襲して、空襲被害などを受忍すべき「一般の犠牲」と位置づけ、その後の裁判で国に賠償義務がないことを主張する論拠となった。司法も追認し、請求を退ける判決が続いた。
それが21世紀になって様子が変わる。空襲被害をめぐる訴訟で東京地裁は09年、受忍論に立たず「立法を通じて解決すべき問題だ」と指摘した。これを受ける形で、3年前には超党派の国会議員連盟が戦災市民を救済する法律素案をまとめた。
体に障害が残った生存者に絞って一時金50万円を支給し、国による被害の実態調査を行うという内容だ。それでも財政負担や他の戦後補償問題への波及を懸念して賛同は広がらず、国会提出に至っていない。
「苦しみを背負わせたまま被害者が死ぬのを待つ国のやり方は、あまりに冷酷で非情です」
先月中旬、空襲で左足を失った安野(あんの)輝子さん(81)が他の戦争被害者との合同会見で語った言葉は、戦後日本がたどった道の理不尽を突く。同じ敗戦国のドイツは軍民の区別なく補償し、他の欧米各国も戦災市民を何らかの形で救済してきた。
受忍論によりかかる政府の姿勢は、平和主義や基本的人権の尊重をうたう憲法価値とも相いれない。過ちを繰り返さず、民主社会をより確かなものにするために、考えを改めるときだ。残された時間は少ない。
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