「豊田商事」会長刺殺事件
【事件概要】
1985年6月18日、大阪北区にある豊田商事会長・永野一雄(32歳)宅のマンションに、自営業・飯田篤郎(当時56歳)と建築作業員・矢野正計(当時30歳)が乱入。何人もの報道陣が見守る中で、永野会長を刺殺した。この時に報道するだけで、犯行を止めなかったマスコミに非難が集中。さらには犯行教唆の野次もあったとされている。
飯田篤郎
矢野正計
【永野一男と豊田商事】
永野は1952年、岐阜県恵那市で生まれた。父親が障害者だったこともあり、彼が幼少の頃から農業を営む祖父が一家を支えてきた。ところが祖父が亡くなると、一家は困窮するようになり、永野が中学に入ったばかりの時、母親の実家の島根県に移った。やがて、母親は創価学会(※)の熱烈な信者となり、近所に借金を重ね、島根を出た。
中学卒業後、集団就職で愛知県の日本電装仮谷工場に勤めたが、2年で退職。その後、消火器のセールス、不動産業、商品相場、金先物取引の会社を転々とした。
76年頃、永野は大垣競輪場で競輪客のうしろポケットから164万円入りの財布をスリとるという事件を起こしている。ガードマンに取り押さえられ取調べを受けた際、永野は次のように話したという。
「俺は今まで何千万と競輪場に寄付している。競輪というのは基本的にゲームだ。スリとられる奴が悪い。スリとられるような人間は、自分の身を固めることについて弱い論理しか持っていなかったんだ」
※立正佼成会という説あり
1978年頃、豊田商事の前身となる会社をつくり、81年4月には「大阪豊田商事」(翌年、豊田商事に社名変更)の代表取締役になった。この会社は純金ファミリー証券を販売をし、会員が純金を購入した形にして、豊田商事に預けると1割~1.5割分の賃貸料が入るという振れこみになっていた。ところが実際には金取引そのものも行われておらず、金を返還することもなかった。つまり、この商売は紙とインクさえあればできるペーパー商法だった。
この当時はこうした悪徳商法に対して、人々は そこで豊田商事が目をつけたのは独居老人だった。年金暮らしの独居老人の家にセールスマンを送り込み、話し相手をさせたり、生活の世話を焼いたりしていた。営業の給料は「日給2万円+売上の5%」という歩合制だったから熱心に勧誘した。
永野はこの高齢者の金を狙うやり方で、4年間で2000億円もの金を集めることに成功。会員は4~5万人いたとされる。潤沢の資金を得た永野は事業を拡大し、関連企業を設立してゴルフ会員券販売や、ダイヤモンド販売にも乗り出した。さらに永野は営業社員の歩合などで、営業すれば営業するほど赤字が増えていく構造の「純金ファミリー証券」に限界を感じ始め、次は化粧品の訪問販売に切りかえる計画を持っていた。
85年に入って、いつまでたっても元金すら支払わない「純金ファミリー証券」の会員たちが豊田商事に殺到し、関連企業のセールスマン逮捕、財産を失った老人の自殺などのトラブルも表面化した。マスコミなどにも注目され始め、永野は”時の人”となりつつあった。この頃、豊田商事は営業成績もダウンし始め、1985年6月には営業停止状態となっていた。
【殺害】
1985年6月18日、大阪北区天神橋にある「ストークマンション」5階にある502号室の永野宅の前に、この日も約30人の報道陣がつめかけていた。ドアの前には、騒動の渦中にある永野の「親類」と名乗る男性と雇われた3人の警備員が立っていた。
午後4時半後、年配の薄茶色のブレザーの男と、まだ若い黒ずくめの服を着たパンチパーマの男がやって来た。警備員が名前と用件を尋ねると、年配の方が言った。
「名前なんかどうでもええ。鉄工所を経営しとるもんや。永野に会いたいんや。おまえら、ようこんな奴のガードしとるな。給料なんぼもろとるんや。俺のとこで犬にエサでもやっとけ。給料払ろたるで」
突然、男に毒づかれた親類の男性は「電話で聞いてみる」と言って階段を降りていき、警備員らもそれに続いた。
2人は「被害者6人から、もう金はいらんから、永野をぶっ殺せと頼まれてきたんや」と声を荒げ、年配の男が報道陣が使っていたパイプ椅子を持ち上げ、それで玄関のドアを叩き始めた。だが、中にいる永野の応答はない。隣りではパンチパーマの方が数回窓のアルミサッシを蹴り、折れたサッシをはぎ取ると、窓を割って部屋に侵入した。この間、2人の行動を止めようとした報道陣はいない。この光景はワイドショーで生中継されていた。
部屋の中では鞄から取り出していた銃剣を口に加えたパンチパーマ男が、「お前は死刑や」と永野の頭部を切りつけた。血まみれになって逃げる永野をベッドルームに追い詰め、刃渡り40cmの旧陸軍のごんぼう剣で胸や腹など13ヶ所をメッタ突きにした。道陣たちは永野の悲鳴や「助けてくれ」という言葉が聞こえてきても、「今、中で大変なことが起こっております」とレポーターは中継し、誰も中に入っていこうとしなかった。事件後、視聴者から「なぜ止めなかったのか」と抗議が殺到した。
やがて部屋の奥から、銃剣を持った年配の男が出てきた。返り血をあびており、「殺ってきた。俺が犯人や。警察を呼べ」と言って、再び部屋の中に入っていた。侵入してから5分ほどの間の犯行だった。
数分たって、今度は2人が出てきて言った。
「これで死んどらんかったら、またやったる。87歳のボケ老人を騙しくさって、850万円も取った奴やからな。当然の報いじゃ」
「ほれ、これが永野や」
男は虫の息の永野の首に腕をかけて、窓際の寝室にまで引きずってきた。頭を割られ、血まみれの永野の姿に窓の外に控えたカメラマンたちは一斉にフラッシュをたいた。
2人はまもなく駆けつけた天満署員に殺人の現行犯で逮捕された。ブレザーを着た男は自営業の飯田篤郎(当時56歳)、パンチパーマの男は建築作業員・矢野正計(当時30歳)と言った。飯田は殺害直後、報道陣に「人から頼まれたが、その人の名前は絶対に言えない」と話していたが、逮捕後は「豊田商事のやり方が気に入らないので、義憤にかられてやった」と供述。
永野は病院へ搬送後死亡。所持金は700円あまり、会社の金庫にも現金970万円と純金700gしか残されていなかった。
【飯田と矢野】
▽飯田篤郎
豊中市にある鉄工所「飯田工営」を経営していた。飯田は就職口の少ない高齢者や身体障害者を積極的に雇用していたが、工場は2984年9月に負債5億円を抱えて倒産していた。これは中国の製鉄所建設の下請けの仕事が入り、事業の拡張を図ったが、着工が大幅に遅れたためと、広島の倒産寸前の下請け工場に義理で融資した金がコゲついたためだと言われる。広島の工場は計画倒産だったとされ、信用した飯田はまんまと騙されることとなった。この頃から飯田は怒り、酒をよく飲むようになったという。それでも飯田の人柄を慕っていた従業員達は工場のシャッターを閉めずに細々と仕事を続けていた。
飯田は一方で右翼思想を持ち、自身でも「まことむすび誠心会」という政治結社をの代表委員を名乗っていた。それ以前には「日本貧民党」なるものも名乗っていたこともあるが改名していた。
飯田は高齢者を食い物とする永野のような人間は到底許すことが出来なかった。自身の工場も下請けに騙され、倒産させてしまったことも一因となっていたのだろう。
▽矢野正計
建築作業員。恩のある飯田のために犯行に加わったとされる。
【豊田商事の終焉】
7月1日、被害者らの申したてから11日というスピードで、大阪地裁は豊田商事に破産を宣告した。
7月4日、国会審議に参考人として出席した石川洋社長は「永野会長で動いていただけ」と発言。
7月5日、裁判所の仮差押え直前に資産隠しを行なったとして、財務部長代行、財務部係長らが逮捕された。その後も親会社である「銀河計画」の専務、副社長、豊田商事常務らも逮捕された。
その後の損害賠償請求訴訟では、豊田商事の集めた2000億円の大半は社員の給料や永野の相場資金、政治献金に消えたとされ、被害者に戻った金額はわずかなものだった。関連企業をまとめていた会長・永野の死でさらに真相は不明瞭なものになった。
事件後、訪問販売法が整理されるなどして、豊田商事のような商法はほぼなくなったが、それでも悪徳商法は跡をたたなかった。
豊田商事の残党が設立した海外金融先物取引会社「飛鳥」(本社・東京)は1986年、負債総額15億円を残し、自己破産。さらに同じ残党グループの「フェニックス・ジャパン」(本社・福岡)も多数の客から4300万円を騙し取っていた。
【裁判】
1986年3月12日、大阪地裁は「残虐だが義憤が動機」と飯田に懲役10年、矢野に同8年の実刑判決を下した。
飯田は出所後、事件当時、野次をとばしていた報道陣の犯行教唆があったとして再審請求を起こした。
リンク
悪徳商法.NET
http://www15.ocn.ne.jp/~eclipce/index.html
≪参考文献≫
朝日新聞社 「メガロポリス犯罪地図」 朝倉喬司
飛鳥新社 「嫉妬の時代」 岸田秀
イーストプレス 「日本凶悪犯罪大全」 犯罪事件研究倶楽部 河出書房新社 「青木雄二のニ十世紀事件簿 犯罪・社会編」 青木雄二
河出書房新社 「現代日本殺人史」 福田洋・著、石川保昌・編
現代書林 「戦後ってなんなんだ!? 風俗+事件+人物でさぐる」 いいだもも 武谷ゆうぞう 講談社 「ビジュアル版・人間昭和史 昭和の事件簿」 扇谷正造監修
国書刊行会 「報道は真実か」 土屋道雄
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋
主婦の友社 「詐欺師たちの殺し文句」 日名子暁
集英社 「中坊公平・私の事件簿」 中坊公平
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」 新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
新潮社 「新潮45 05年8月号」 新潮社 「新潮45 05年9月号」
新潮社 「『フォーカス』 スクープの裏側」 フォーカス編集部・編
水声社 「犯罪地獄変」 犯罪地獄変編集部編 大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
筑摩書房 「犯罪百話 昭和篇」 小沢信男・編
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
東京法経学院出版 「黒幕・疑惑の死 ロッキードから豊田商事事件まで」 吉原公一郎 徳間書店 「人間臨終図鑑 上巻」 山田風太郎
日本文芸社 「突破者流 殺しのカルテ」 宮崎学
双葉社 「増刊週刊大衆7月11日号 現代犯罪百科」
扶桑社 「日本怪死人列伝」 安部譲二 平凡社 「『犯罪』の同時代史」 松本健一・高崎通浩 毎日新聞社 「シリーズ20世紀の記憶 かい人21面相の時代 山口百恵の経験 1976-1988」
未来社 「犯罪と家族のあいだ」 山崎哲
ミリオン出版 「別冊ナックルズ 昭和三大事件」 有斐閣 「法学教室 2009年11月号」 友人社 「一冊で昭和の重要100場面を見る」 友人社編
洋泉社 「犯罪の向う側へ 80年代を代表する事件を読む」 朝倉喬司VS山崎哲
ワニマガジン社 「極悪人 世界悪漢列伝―脅威の悪人たち!」
ワンツーマガジン社 「華麗なる暗殺者たち100選 ~殺人犯か英雄か?~」 暗殺事件研究会
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