恋愛資本主義なんてあるわけねーだろ。社交性ゼロ人間の戯言です
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なんかTwitterで恋愛資本主義なんてバカバカしい概念が流行っているようだが、そんなものこの世に存在するわけがない。
どうやら本田透という作家?がその概念を作り出したようだ。
しかし、自分のしょぼくれた人生経験の上からいっても、ある程度いろんな人のエッセイを読み込んだり、数多の恋愛ドラマや映画を観ても、その結論はおかしいと思う。
だいたい恋愛ドラマや恋愛映画なんて「現実の恋愛や交際がドラマや映画ほど大体スリリングでない、エキサイティングなものでない」ことを前提に作られていると言っても過言ではない。その点ではAVもピンク映画も官能小説も同じだ(それが倫理的に許されるかどうかは貴方方で判断してください。僕は結論を出しません)。
要するに、
こういうことだ(苦笑)
僕は女性のアプローチがきわめて苦手な男だし、おそれ多くもモテ男の概念はかけはなれたところにいる。別にモテ男になりたいとは思わないけど普通に楽しく交際はしたい。ただそれだけなんだよね。
恋愛資本主義なんてないのは田舎のやんちゃな兄ちゃん姉ちゃんみればわかるし、そもそもインナーサークル(会社のみならず、NPO、労働組合、趣味の社会人サークル)で簡単にカップルになっていくところを見ていった。もちろん不景気で恋愛も性体験も少ない人は増えてる。
しかしそれ抜きにしても恋愛資本主義なんてありえねー、あるわけねーだろんなもん!
と言わざるを得ない。
なにより俺様に変わる努力をしろとは何様か!的な甘やかし理論が鼻につくったらありゃしない。
細かい理屈は気にせずコケながら、ときにはドキドキしながらバンジージャンプのような感覚を味わいながら、一皮二皮むけていくような人生でありたいものだ。 借り物の理屈に甘えて「恋愛資本主義」などという戯言に浸っているうちはそれに気がつかないだろうけども。
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東フツメン共和国のぶっちゃけた本音をひたすらぶちまけます。