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フットワークの軽さって意味でのコミュ力はどこで生きてても必要だろ?

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日本じゃ就活とかのせいでコミュ力って言葉が社畜のために濫用されてるが、本来のコミュ力ってのは「ある程度の人間とフットワーク軽く付き合える柔軟性」なんだよね。
だからコミュ力ってのは失敗なしで絶対につかないんだよね、本来。
だから界隈とかそういうのが僕はすごく嫌いなわけだけど、その言葉が嫌いなのは「界隈という発想が社交性に乏しいから」だと思う。

僕もそんなに日本社会に適応してるわけじゃないしならず者の類ではあるんだけど、Twitterとか見てると、とくに政治の話になると、日本人の政治ユーザーは驚くほどコミュ障が多すぎる。やれ天皇制認める認めないだの(別案件だろ)、やれジェンダー認識だの(言ってることはわかるが大衆の理解してる知識が乏しいのになにからなにまで求めすぎ)、言ってることが正しい間違ってるじゃなくて「他人とは意見が相違するものだ」という認識が恐ろしいほど欠けている。
日本が好きでないのはいい。その気持ちは十二分にわかるんだけど、そもそも海外がフットワークの軽いコミュ力を日本以上に要求される世の中だってことをわかっている人はどのくらいいるんだろうか?
少なくともやれ界隈でなんたらと求めるくらいだったら最初から相手にしないかツイキャスで対決したり直接会って言い合えばいいのに。そのほうがよっぽどか生産的だ。結局観念界の争いでくだらないなというほかない。

自分のフットワークが重いくせに他人に完璧な政治認識を求める風潮に嫌になり、僕はこのアカウントではリツイートすることをやめ、すべて自分の言葉でしゃべるようにしている。
他人へ完璧な政治認識を求めてやり合うことほど馬鹿馬鹿しいものはない。ましてやそれが野党側ならば。これが基本的な感想。大人のやることではないよね。







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東フツメン共和国のぶっちゃけた本音をひたすらぶちまけます。
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