○1 ネット言説やネットアンケートでは分からないこと
現在、トランスジェンダーの人々(特にトランス女性(MtF))に対する嫌悪の表明が、インターネット空間で広がっています。
「フェミニスト」を名乗る人の中に、そうした表明を支持する人々が目立つ状況にもあります。
また、政界に復帰を目論む松浦大悟さんは、あたかもフェミニストの総意を仮託されたかのような発言をしました。フェミニストと(それは本来不可分であるはずの)差別の廃絶との間にくさびを打ち、ふたつを分断させようとしています。また、「法案を正しく読むこと」は、政治家の資質として決定的に重要な能力の1つであると思いますが、誤読の指摘にはほとんど応じていません(他者からの指摘は、ほとんどすべて「それは極論です」で済ませているか、アカウントをブロックして終わりです)。他方で、ツイッターを通じて自身の曲解を広め、社会に憎悪の種を蒔くことを、恬(てん)として恥じずに行い続けています。
私自身は、松浦大悟さんの一連の言動に対し、強い怒りを感じています。が、これまで直接的な態度表明はしてきませんでした。
しかしトランスジェンダーの当事者のひとりが、ツイッター上での憎悪の発言によってメンタルヘルスを悪化させ、命を絶ったという知らせを聞いて、考えを改めました。そして、「トランスジェンダーへの憎悪」と「ジェンダー平等感覚」の関係について分析した客観的な事実を広くお伝えした方がよいと思い、筆をとりました。
以下の文章は「人々のトランスジェンダー嫌悪が少なくなれば、ジェンダー平等感覚の形成は進む」ことを、社会調査の結果からできるだけ分かりやすく論じたものです。ツイッターのタイムラインを読んで絶望的な気持ちになっている当事者のひとりひとりに、少しでも言葉を届けるために書きました。
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2018年の冬から2019年の初頭にかけて、インターネット上では、ジェンダー平等とトランスジェンダーへの理解が、さも相反するものであるかのような主張が重ねられてきました。トレード・オフの関係かのように語るその主張は、本当に適切なものでしょうか? トランス女性に憎しみを強めれば強めるほど、フェミニストも含めた様々な人々が共生できる社会というものは到来するのでしょうか?
性的マイノリティに関する人々の意識を知るために、何人かの社会学者で2015年にアンケート型の調査を行ったことがあります。結果は詳細な報告書 (PDF)としてまとまっています。調査で用いたアンケート用紙(調査票)はこちらにあります (PDF)。調査は、全国在住の20-79歳の2,600人を対象に行い、1,259人からの回答を得ました。回収率は48.4%で、このテーマで調査員が訪問する調査としては、まずまずの回収率です。
この社会調査のデータを分析することで、上記の問いを確かめます。
もっとも社会調査は、人々の意識がどのようになっているのか、大づかみな様子を教えてくれるものにすぎません。しかし他方で強みも持っています。世論の反映です。この調査では、全国から2,600人を抽出するにあたって、20歳から79歳の誰もが等しく選ばれる確率で選びました。よって以下とりあげる回答者の意識というものは、世間の人々の意識をある程度代表していると言えます(少なくとも、ツイッターやヤフーなどのネットアンケートの結果よりは、ずいぶん正確なものです)。
今回、そうした社会調査のデータから、トランスジェンダーへの嫌悪とジェンダー平等感覚の関係を分析してみました。準備段階として、人々のトランスジェンダーやジェンダーに対する意識についてたずねた項目を合計して数値化し、「トランス女性(MtF)へのフォビア(嫌悪)」という尺度、「ジェンダー平等感覚」に関する尺度をつくりました(→詳しくは ○3)。
以下、若干の数字が出てきます。数字が得意でないかたは太字が引いてあるところだけを読むのでも構いません。また、通常は、分析の手続き→分析の結果、という順に書きますが、結果を先に出しておきます。
○2 結果
図表1
2-1 もっとも単純なモデルで調べる
ジェンダー平等感覚は、何によって説明されるのでしょうか。
まずは「トランス女性へのフォビア」だけを要因に置いてみましょう。「トランス女性へのフォビア」だけを説明する側の変数(「説明変数」といいます)として置いて、「ジェンダー平等感覚」の強弱の変化を説明できるか試みました。つまりトランス女性へのフォビアが強くなった場合、ジェンダー平等感覚は強くなるのか、弱くなるのかを分析してみたのです。「単回帰分析」という手法で調べました(これをモデル1とします。図表1のモデル1の列を縦にお読みください)。
結果は、負の効果(オレンジ色)をもたらすことが分かりました。すなわち、トランス女性へのフォビアが強くなるほど、ジェンダー平等感覚は弱くなる、となりました。結果を図示した図表2も見ましょう。右肩下がりの直線が引かれています。Xが増すとYが減る、Xが減るとYが増す(トランス女性へのフォビアを減らすと、ジェンダー平等感覚が高まる)という関係性が見いだされます。
図表2 (統計に興味のある方に:青い直線の周りにあるグレーの影は95%信頼区画です)
2-2 モデルに年齢と性自認を足してみる
しかし、次のような疑問が出るかもしれませんね。
「トランス女性へのフォビアは、年齢が高いほど強いのではないか」「また、ジェンダー平等感覚は年齢が高いほど弱いのではないか」「であるならば、『トランス女性へのフォビア』と『ジェンダー平等感覚』の間に見いだせる負の関係性は、『年齢』の影響を受けているにすぎないのではないか?」
鋭い指摘だと思います。私たちの調査でも、ジェンダー平等感覚と年齢に関係性が見いだされています。また、性別との関係も見いだされています(女性自認より男性自認※の人の方が、ジェンダー平等感覚が弱い人の割合が多く、トランス嫌悪が強い人の割合も多い)。
※なお、回答者の1,259人中、戸籍の性別は、男性が585人、女性は674人でした。性自認もたずねていて、トランス女性、トランス男性にあたると調査グループが判断した回答者は各1人でした。よって、各1人を入れ替え、男性自認を持つ人・女性自認を持つ人の数を、585人・674人としました。以降、本稿での「男性の性自認を持つ人」とは、ほとんど「シス男性」のことを指しているものとしてお読み下さい。調査においてどんな風に「戸籍の性別」や「性自認」を聞いたのか、分析において性自認を男/女の2値としたことに妥当性はあるのかについて、関心を持たれる方もきっといらっしゃることと思います。報告書の203-204ページに詳しく書かれています。お読みください。
そこでモデル2では、トランス女性フォビアに加え、性自認と年齢を説明する側(説明変数)において、ジェンダー平等感覚の説明を試みました。以下行っている一連の分析は「重回帰分析」と呼ばれるもので、他の説明変数の影響を排したその変数の正味の影響力を知ることができます。すなわち、「トランス女性フォビア」に影響を与える「年齢」や「性自認」の影響力を取り去って(このことを「統制」と言います)、トランス女性フォビアがジェンダー平等感覚に与える正味の影響力を知る分析をします。
結果、性自認が男性であったり、年齢が高かったりするほど、ジェンダー平等感覚が弱くなる、つまり負の効果をもたらすことが分かりました(図表1のモデル2の列を縦にお読みください)。しかし、トランス女性フォビアもジェンダー平等感覚を統計的に説明する負の効果として残りました。つまり、年齢と性自認で統制してもなお、トランス女性フォビアが強いとジェンダー平等感覚が弱くなる(トランス女性フォビアが弱いとジェンダー平等感覚が強くなる)という結果が見いだされたのです。
2-3 モデルに学歴と収入を足してみる
さらに次のような疑問も出るかもしれませんね。
「学歴が影響を与えているのではないか」。
「収入が影響を与えているのではないか」。
そこで、モデル2の説明変数に、「教育年数」と「世帯年収」を加え、「モデル3」とし、これらの説明する変数を投入したときに「ジェンダー平等感覚」を説明変数として何が残るのか、を調べてみました。
結果、「世帯年収」は説明変数として残りませんでしたが、新たに「教育年数」が正の効果として残りました(図表1 青色)。つまり、教育年数が高いほど、ジェンダー平等感覚が強い、という結果が見いだされました。
もちろんこれは集団に対する統計上の分析なので、「学歴が高い人はすべてジェンダー平等感覚が強い」とか「学歴が低い人はすべてジェンダー平等感覚が弱い」という命題が導かれるわけではありません。また、私は原因を学歴に還元したいのではありません。図表1のモデル3の列を縦にお読みください。
「トランス女性へのフォビア」「年齢」「性自認が男性」という変数が、依然オレンジ色の説明変数として残っています。ここからわかるのは、たしかに、「ジェンダー平等感覚」は「教育年数」の正の影響を受けているが、その効果を取り除いてもなお、「トランス女性へのフォビア」は残り、それは「ジェンダー平等感覚」に対して影響を与えている、ということです。すなわち「トランス女性フォビアが強いのは、高等教育を受けていないからだ」に還元されないのです。
図表1の「モデルの調整済みR2乗値」もご覧ください。値が0.281→0.298→0.305へと上昇しています。「R2乗値」は、その時採用したモデルがどの程度現象(「説明される変数」。今回の場合「トランス女性へのフォビア」)をうまく説明するかを表した数値です。「0」から「1」の範囲で値は算出され、「0」が0%、「1」が100%です。モデル3では現象の解読に約3割まで迫ったということです。経済学や心理学と比べ、社会調査には様々なノイズが入り、考慮すべき変数も多いとされています。この少ない変数のセットで「0.305」という結果は、現象を割とうまく表していると言えます。もっとも、単純なモデル1で、すでに「0.281」です。性自認や年齢、教育年数より、トランス女性嫌悪がジェンダー平等感覚にいかに大きな影響を与えているのかが分かります。
重回帰分析の結果を図で読める人のために、図表3を用意しました。「0.00」より左が負の影響、右が正の影響です。
図表3(統計に興味のある方に:黒丸が点推定、直線が95%区画推定です)
2-4 導かれた知見
回帰系の分析は直線を引いて変数の関係性を調べる分析なので、2-3の結果から次のような言い方もできます;
「トランス女性へのフォビアを減らすと、人々の間でジェンダー平等感覚が高まる」。
日本に住む20-79歳の人々の意識を調べた結果、一般的には、トランス女性への強い嫌悪と高いジェンダー平等感覚は、両立しませんでした。むしろ、トランス女性への嫌悪を減らしていくことは、ジェンダー平等感覚のある社会を作っていくことにつながります。そしてこれは、年齢や性別(性自認)、教育変数などの影響を排してもなお、導かれる知見です。となると、企業や自治体での啓発や研修が重要になってくるかもしれませんね。
結論です。人々の意識のあり方を見て次のことが分かりました。トランス女性への嫌悪を増大させてもジェンダー平等感覚が醸成する社会は来ません。私たちは差別感情をあおるような「憎悪の政治」をやめて、共生を前向きに考える段階に来ています。
ちなみに、逆の分析もやってみました。すなわち、「トランス女性への嫌悪」を「説明される変数」に置き、「ジェンダー平等感覚」を「説明変数」に置くというモデルです。こちらもほぼ同様の知見が得られています。人々のジェンダー平等感覚を高めれば、トランス女性への嫌悪は弱くなります。(なお、2つの変数の相関係数はr = -.531 (p<.000)です。)
昨今のトランス女性を排除する言説は、インターネット空間で増幅しています。女性、性的マイノリティ、外国人、障がい者…、すべての人に本来保障されるべき人権が、まるでないかのように踏みにじられています。人々はインターネット上の書き込みに、どれだけ影響を受けているのでしょうか。今後調べていく必要は、大いにあります。
私たちの研究チームでは、ヤフーニュースなどのコメント欄、5ちゃんねるなどの匿名掲示板、まとめサイトなどの視聴頻度と、各種差別的な観念がどのように結びついているか、調査・研究を進めているところです。これ以上、ひとりの大切な命も失うことがないように、私を含めた研究者たちは、社会に耳を傾け、結果を社会に還元していきたいと考えています。
○3 変数作成の手続き
以下は、変数の作成手続きを書いています。
性自認は、女性を0、男性を1としました。ダミー変数化と呼ばれる手続きです。
年齢はそのままです。例えば28歳なら「28」です。範囲は20-79です。
教育年数は、最終学歴を年数化しました。中学卒業であれば9、高等学校卒業であれば12です。専門学校は様々な年数がありますが、さしあたり短大・高専と同じ14を入れました。大学以上(大学院含む)は16を入れています。本当はダミー変数化して投入すべきですが、結果の見方が煩雑になるため、今回は簡易的に投入しました。
世帯年収は、「100~200万円未満」「200~300 万円未満」などのカテゴリーで聞いています。今回は、カテゴリーの中の中心の値を採って、前者を「150」、後者を「250」などとして投入しました。
これも本当は対数を用いるなど、精錬された方法があるようですが、簡易的に投入しました。
トランス女性へのフォビアは、左記の3項目を用いました。点数を逆転化し、値が高いほど「トランス女性へのフォビアが強い」とする尺度を作りました。得点範囲は3-12点です。読者の中にはひょっとしたら、「この3つはまったく別の内容を尋ねている」と思われる方もいるかもしれませんが、主成分分析を行ったところ、1因子構造でした(=1つの内容を示しています)。この尺度がどれだけ一貫性をもっているか調べたところ、α=.781という数値が得られ、十分に高い数値なので問題はありませんでした。削除したらαが上昇するような項目もありませんでした。
ジェンダー平等感覚は、右記の5項目を用いました。値が高いほど「ジェンダー平等感覚が強い」とする尺度を作りました。得点範囲は5-20点です。こちらもひょっとしたら、「この5つはまったく別の内容を尋ねている」と思われる方もいるかもしれません。主成分分析を行ったところ、1因子構造でした。この尺度の内的一貫性を調べたところ、α=.709で、特段の問題はありませんでした。削除したらαが上昇する項目もありませんでした。
▼調査の概要
2015年3月実施「男女のあり方と社会意識に関する調査」
住民基本台帳をもとにした層化二段無作為抽出法。全国に在住する20-79歳から2,600人を抽出。地点数は130。
訪問留置訪問回収法。1,259人が回答(回収率48.4%)。一部郵送回答あり(回収票中の4.8%に相当)。
質問数は59問、全157項目。
▼調査報告書は以下からダウンロード
釜野さおり・石田仁・風間孝・吉仲崇・河口和也(2016)『性的マイノリティについての意識─2015年全国調査報告書』科学研究費助成事業「日本におけるクィア・スタディーズの構築」研究グループ(研究代表者・河口和也)編.
図表2・図表3は平森大規さん(ワシントン大学大学院)に作成いただきました。ありがとうございました。
本論考は、以下のサイトに初出されたものです。 https://wezz-y.com/archives/62967
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