私の来歴について
現行の公職選挙法上、候補者に日本国籍があることは要求されていますが、自身や父母、配偶者等の国籍や帰化の事実に基づく制約はなく、また、その来歴の公開も義務付けられていません。
しかし、私は、国会、都道府県、市区町村いずれの議員・首長であれ、国籍等について一定の制限を設けるべきと考えています。
※ 参考記事(金田けいすけ個人ブログ内)
また、現行法上制約がないとはいえ、公選の議員の来歴は有権者にとって重要な判断資料となります。
故に、私は、少なくとも候補者は任意に自らの来歴を公開すべきと考えています。
そこで、個人ブログで私の来歴を公開していましたが、選挙向けの公式サイト(本サイト)作成に伴い、来歴情報をこちらへ移動します。
存命の親類もいることから、氏名や本籍地等を全面的に公開することは難しく、見づらい部分もありますが、以下、私の来歴となります。
本人及び1代前(父母)
本人及び父母共に帰化情報なし。配偶者はなし。
父方
2代前(祖父母)
日本国籍、かつ、帰化情報なし。
3代前(曽祖父母)
日本国籍、かつ、帰化情報なし。
母方
2代前(祖父母)
日本国籍、かつ、帰化情報なし。
3代前(曽祖父母)
日本国籍、かつ、帰化情報なし。
以上をまとめますと、私は3代に渡る日本国籍を有する(かつ帰化の事実もない)日本人です。
先祖は武士だった?
祖父母は共に亡くなってしまっているのですが、金田の先祖は武士だったと話していました。
ところが、大叔父が先祖のことを調べた際、名字として金田が出てくるのは明治になってからとのことでした。箔をつけるために武士だったと主張していたのかなとも思っていました(もっとも兵農分離完成までは武士と農民・商人との区別は曖昧なのですが)。
しかし、昨年、祖母の法事の際に伯父から聞いた話では、「足軽大将だった。厳密には士分には区分されないため(※)、名字は持っていても公式には名乗れなかったのだろう」とのことでした。
(※藩によって差異はあるようです。石川県、能登加賀・前田藩の取扱いをご存知の方、教えて頂ければ幸いです)
大叔父は直接会うことなく亡くなってしまっており、一度会って話を聞いておくべきだったと悔いています。
金田という名字の元々の由来は、もはや分かりませんが、「かね」は元々はゴールドではなく広く金属を表す言葉でした。
その中で、黄金(こがね)、白銀(しろがね)、鉄(くろがね)等に種類が分かれます。
推測でしかありませんが、製鉄に関わる一族だった、あるいは、武器(鉄製)を取り扱うという意味で武士だった可能性もありえます。
いずれにせよ戸籍を見ていると、こういうルーツがあって自分がいるのだということが分かって非常に面白いです。木の股から生まれてきたのではないという言葉も腑に落ちますし、アイデンティティも意識します。
話が逸れましたが、以上、私の来歴です。