ミカエリスの受難
そろそろ更新ペースが落ちるかも・・・
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異世界転生日間ランキング4位に入りました(*- -)(*_ _)ペコリありがとうございます!
まだ十代にして異様な老け込みというか死相を出すミカエリスは、理由をつけて温泉に連れ出した。だって見ていられない。真面目なミカエリスは、あってないような約束を振りかざす自称婚約者に辟易しながらも、レディを無下にできないという紳士精神を発揮して今まで只管我慢してきたようだ。じゃあ、恩義ある公爵家のレディはもっと無下にできないわよね?
オホホ、この腕を払えるものなら払ってごらんなさい!!
セイラ嬢の様にがっしりと腕をつかんで連行した。胸があたってる? あててんのよ! 大してないけど!
意気揚々と引っ張る私に、大人しく引きずられるミカエリスは始終歯切れ悪く呻いていた。
ミカエリスのほうが年上だし、男の子だからヒキニート令嬢より全然力があるんだけど逆らわない。逆らえないというべきか。
ふと、密着している状態だとミカエリスからなんだか香ばしいようなツンとくるような匂いがして首をかしげる。
「ミカエリス、何か匂いがするわ。変わった香水でも付けたの?」
そもそもミカエリスはキツイ香水など余りつけそうなタイプではない。
私の知っている範囲では使っているのは二人。お父様はもちろん甘く上品であり、どこか怜悧さを感じる魅惑の香りがする。何気にジュリアスも香水をつけていたりする。お父様と系統は似ているのだけれど、ジュリアスはほんのり甘くしっとりとしたなかに、なにか深い森みたいな香りを感じる。
犬のように嗅ぎまわった幼き日、エリート従僕に顔面を掴まれたのはいい思い出だ。淑女のすることではないとお灸をすえられた。ごもっともです。確かに。
お父様は少しでも離れ離れになると、再会するたびに私を抱きしめるのでそれで気づいた。ジュリアスは私が夜中に発狂した時や、熱を出した時などに抱き上げたりするのでそれで知った。細そうに見えて、ジュリアスって結構力持ちよね。
しかし、ミカエリスの匂いはお上品というか、むしろ野生味を感じる。
「・・・・・香水じゃないんだ、これは」
げんなりとした表情で、苦々しく言うミカエリス。匂いの正体に思い当たるのはあるようだが、答えたくないようだ。
温泉を楽しんでいる間に、すっかりその匂いは消えてしまった。だが、ドミトリアス邸に戻ってそんなに時間がたたないうちにその匂いはミカエリス――と、いうか時々ドミトリアス邸自体からも感じるようになった。
しばらく匂いの正体を確かめようとミカエリスの周囲をうろついたが、強い時と弱い時がある。大抵午後一番のお茶会が一番強い。あと、たまに朝から匂う時もある。
そして、その匂いが強い時に限ってミカエリスは疲れた表情が多い。
公爵令嬢として犬のようには嗅ぎまわれないが、気になって仕方がない。そして、相変わらずセイラ嬢は良くバッティングし、私を睨んできて周りの顰蹙を買っている。ほっとけばいいのよ、あんな小物。
それより、匂いの正体が気になる。なんか新手の植物でも植えたのかしら?
好奇心がむくむくと湧いてきて仕方のない私を心配そうに見つめるキシュタリア。大丈夫よ、保養所に来て倒れたりしないわ。ジュリアスという有能なストッパーもいるし、なんとかなる。
そして今日は一段と例のにおいが充満している。
せめてラティッチェ邸に戻る前のこの正体を看破したいと勝手な目標を立てていたら、前方にミカエリスを見つけた。窓枠に寄り掛かり、なんかアンニュイそう? その隣に、おろおろしているジブリールもいる。
「ごきげんよ・・・ろしくなさそうですわね、ミカエリス。どうしたの? ジブリール、何があったの?」
「お、お兄様がわたしの分のお料理まで食べてぇ・・・」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、目に涙の幕を張ったジブリールは揺れた声で答える。つまりご飯を取られて泣いてる? 違う気がする。だって、ミカエリスはとても妹想いで、ジブリールを大切にしているから。でも、体調が悪いのはミカエリスが食べ過ぎってこと?
なるほど、わからん。
しかしまあ、当のミカエリスの顔色は本当に悪い。
「本当に酷い顔色ですわ、ミカエリス。一度横になったらいかが? お医者様をお呼びしたほうが良いかもしれませんわね・・・・」
「その方がよさそうですね。お呼びしてまいります」
「頼んだよ。僕は誰か運べる人を探してくるから、アルベルとジブリールはそこで待っていて」
ジュリアスもキシュタリアも私と同意見のようだ。ミカエリスが顔色は真っ青なのに脂汗をかいて、口をおさえている。目は少し伏しているが、眉間にはしっかり苦悶のしわが寄っている。
そして、いつも礼儀正しい彼が私やキシュタリアに一切挨拶をしないなんてよほどのことである。
「酷い顔色よ、ミカエリス。せめて腰を下ろしてはいかが?」
ずるずると壁にもたれながら、崩れ落ちるように座り込むミカエリス。
食べ過ぎにしては酷い有様だ。毒を盛られたといった方がいいくらい。滲む脂汗にハンカチを当てると、一瞬彼がびくりと震えた。
「ミカエリス?」
「アルベル、はなれ・・・」
ぐらりと傾いた体を咄嗟に支えると、危なげなほどに体を戦慄かせたミカエリス。
そして、濁音の混じった何とも言えない嗚咽を漏らしたと思ったら、彼は盛大に吐しゃした。思いっきり吐いた。最高級のローズブランドのシルクドレスに、汚物が流れる。嘔吐物独特の、胃酸まじりの鼻についた匂いがその場に広がる。
口を押えて、なんとか次の衝動を抑えようとするミカエリスだが、始まったえづきはそうそうなくならない。これだけはいたらもう二度だろうが十度だろうが変わらない気がする。混乱が一回転して頭に菩薩が降臨する。震えるミカエリスの背中を撫でて、慈愛と諦観の悟りを開いた。
すっかり吐き終わった彼は、先ほどとは違う意味で真っ青になっている。
自分より身分が上のご令嬢のドレスにゲロったんだもの。そりゃそうだ。だが、嘔吐をやりすごしても、体調はなかなか戻らないらしい。でもそれ以上に今度は精神的ショックがでかいのか譫言のように只管謝罪している。
「お、おれは・・・申し訳ございません・・・ごめんなさい、ごめんなさい・・・っ」
「体調が悪かったのだもの。仕方がないわ。少しは楽になったかしら?」
「しかし、アルベルのドレスが・・・・」
「わたくし、とても衣装もちなの。これくらいのドレスもっとたくさんあるわ」
嘘ではない。でも、エンパイア型の青と白の細かいストライプドレスは旅行先に持ってきた中でもかなりのお気に入りの一つだ。
だけれど、少しでもそんなそぶり見せたらミカエリスは気にするだろう。
なので、にっこり笑って断言した。おおよしよし、と粗相をしてしまった子供をあやす様に、ミカエリスの頭をなでると彼は茫然としていた。
「まずはお口をゆすぎましょう? 歩けそうですか?」
なんかミカエリスは首をくくりそうな顔しているけど、私は悪気のない病人をしばくほど鬼ではない。
努めて優しい笑顔で話しかけたが、呆然とするミカエリスの耳に届いているかは微妙だ。
「ミカエル様ぁ~、もしよかったら今からあたくしとお散歩にって・・・・って汚い! ヤダ! なにこれ!? 吐いたの・・・やだー、さいあく・・・」
甘ったるい声を響かせながらやってきたのはセイラ嬢。だが、私のドレスの惨状と、ミカエリスの有様を見て合点がいったように引いている。正直は美徳だが、少しは繕いなさいな、ご令嬢でしょうアンタ。
だが、これにすぐさま怒ったのはジブリールだ。
「貴方のせいじゃない! いっつもお兄様に変な料理ばかり出して、無理やり食べさせようとして!」
「へ、変な料理!? あれは王都でも流行りのゴユラン国の高級な香辛料を使った、とても豪華なものなのよ!? 平民どころか、下級貴族なんか一生食べれないモノなんだから!」
「あんなのラティッチェの御屋敷にいるものだったら、ネズミでも食べないわ! 辛いばっかり臭くて痛くて拷問みたいな味じゃない!」
「わたくしの料理にケチをつける気!?」
「ならあれ、アンタが全部食べなさいよ! アンタが料理もって来るたびにお屋敷が香辛料臭くなるのよ!」
合点がいった。
どうやら、セイラ嬢は自慢の料理と称して香辛料まみれのブツをたびたび出して、ミカエリスの味覚にダイレクトアタックをかましていたようだ。ついでに胃もやられているのだろう。あの草臥れたミカエリスは、散々ラティッチェの美食三昧から急に香辛料地獄に叩きこまれた反動だったのだ。
そして、ミカエリスは私が連れてきた彼の妹まで香辛料地獄に晒されると危惧し、咄嗟にジブリールの分を無理やり食べたのだろう。不器用ながらに妹想いの彼は、自分の身を犠牲にして妹の健康を死守したのだ。
分かるぞ・・・あの高級食材として出された香辛料まみれの肉。あれは暴力的な味だった。高級イコールで美食とは限らないと私の五感に叩きこんだ一品だった。おかげで、食の革命に躍起になってしまったわ。だってご飯が美味しくないって、拷問じゃない。
そんなヤバい料理など突き返せばいいものの、根が紳士でまじめなミカエリスは、鬱陶しい我儘令嬢といえレディ相手にそんな失礼な真似はできなかったのだろう。
私がたびたび感じていたあの鼻にくる匂いの正体はコレだったのだ。
ジブリールとセイラ嬢がキャットファイトを始める横で、すっかりメンタルがつぶれて脱魂状態のミカエリスをよしよしして私も現実逃避した。
ジュリアス、キシュタリア・・・・早く帰ってきて!! 座った腿から膝あたりにかけて嘔吐物の広がるドレスでは立ち上がれない。そして失神直前のミカエリスを放置などできない私は、罵声を飛ばしあい殴り合う小さなレディたちを眺めることしかできなかった。
その取っ組み合いは、ドレスがちぎれてもリボンが捥げようと続いた。それこそ、大人たちが集まって二人を羽交い絞めにして止めるまで続いた。
その後、体調不良の原因がはっきりしたミカエリスに、すりおろしたフルーツやよくふやかしたオートミールのミルク粥や良く茹でた野菜のスープなどを中心とした胃に優しいメニューを一週間きっちり取らせた。三日目あたりからもっとお肉やガッツリしたものが食べたそうな顔をしていたが、譲らなかった。だって吐いたものに赤っぽいの混じってたんだもの。香辛料だとしても血液だとしてもやばすぎる。
ちなみにセイラ嬢には私直々に筆を執り、おたくのお嬢さんどういう教育してやがるんだということを貴族風にご両親あてへお手紙を出した。私のお友達になにしてけつかるという旨をきっちり添えて。監修はジュリアスだから、ちゃんと丁寧に見えて辛辣なのは間違いない。
折角ジュリアスに探してもらったテンガロン伯爵家の弱みは、使いどころがなくなってしまったわ。これまで使ったら、テンガロン伯爵家に対してやりすぎになっちゃう。ジュリアスは納得していなかったけど、余り大事にしたくないし――してないわよね? そう思いたい。
「ジブリール、貴女は女の子なのですから男の子のようなケンカをしてはだめよ?」
「でもあの女、アルベル姉様を侮辱しました! お兄様もいじめました! ゆるせません!」
ジュリアスとキシュタリアをドン引きさせ、やってきた医者と騎士を青ざめさせ、実の兄のミカエリスの魂を宇宙に飛びたたせたジブリールは、傷だらけになっても可愛らしい顔に憤怒を滲ませた。
セイラ嬢との取っ組み合いの末、セイラ嬢が鼻血ブーになる右ストレートを顔面にお見舞いするとか、ちょっとまずい気がするの。問題になっても、公爵家権力でもみ消すけど。だって可愛いジブリールはちょっと兄想いで姉想いなだけなのよ。そうっていったらそうなの。
血の気が多いのは、ドミトリアス家は伯爵家でありながら同時に優秀で勇猛な騎士を輩出する家だからということにしよう。深く考えちゃだめだ。
でも今後、ジブリールが令嬢として瑕疵が残るようなことはあってはならない。傷によく効く軟膏をジブリールに塗りながらメッとするけど分かっているのかな?
「今度あったら『ハナッパシラ』とやらをへしおってやります!」
「・・・アンナ、ジュリアス――たしかジブリールの先生はわたくしとおなじはずですわよね? 同じ令嬢として、最高の教育とやらをうけているのですよね?」
これまずくない? 力いっぱい言い切っているけど令嬢が鼻っ柱なんて単語どうやって覚えてくるの。
ヒキニート令嬢のアルベルティーナならともかく、今後社交界にでるジブリールがこんなワイルドな男塾系でいいのかしら? お姉様は、妹が心配でなりません。
アンナは困ったように首を傾げ、ジュリアスはご臨終ですと云わんばかりの悲壮感で、重々しく頷く。そうですか、最高の令嬢教育でこれですか。お姉様はますます心配です。
「わたくしの可愛いジブリール。そんな乱暴な言葉を使ってはいけません。貴女は伯爵令嬢です。ですが、セイラ様と同じ土台になどあがってはいけませんわ」
「・・・アルベルお姉さまがそうおっしゃるなら・・・」
「ああ、そんな顔をしないで。わたくしはジブリールの笑顔が大好きよ。
いくらセイラ様が嫌いでもレディが殴り合いなんて、良くないわ。こんな怪我なんてして欲しくないの。貴女の可愛いお顔や体に傷が残っては大変よ。ジブリールが心配なの、わかってくれる?」
「はぁい、お姉さま」
ちょっとむくれながらも私の愛するジブリールは了承した。頼むからやめておくれ。
その日、珍しくジュリアスとキシュタリアから手放しに誉められた。私は知らなかったが、ジブリールは実は大層お転婆なご令嬢で、説得するにかなり覚悟が必要だと思っていたようだ。
知らなかったよ、私。先入観があった。原作のジブリールはこうなんていうかさ、地味だったんだよ。
華やかなミカエリスと同じ髪色や瞳の色を持ちながらも、兄に劣等感と羨望と憧憬を抱きながらも思春期の複雑な心情を屈折させていた。今のジブリールはそんな面影もないくらいキラキラのルビーの様に輝かしくも華やかな美少女令嬢だ。
ジブリールの少女らしい愛くるしい笑みは超絶重いお父様の愛や、従順に見えて時々なんか怖いスーパー従僕のジュリアス、今は懐いているけど数年後は破滅に追いやってくるかもしれない義弟キシュタリアのなかでとても素晴らしい清涼剤だったのだ。
ミカエリスは何かよくわからん。あのゲロ吐き事件から私に引け目を感じているのか、なんかちょっとぎこちない。まあ、アルベルティーナ様ではなくアルベルととっさに出てくる程度には仲の良い関係だとは思う。
私をそのまんま愛称のアルベルと呼べるのはお父様とキシュタリアとミカエリスくらいだ。潤いなくないでしょうか。私の周囲の女性ってアンナとラティお母様とジブリールだけじゃない?
しかもジブリールはテンガロン伯爵家の一件もあり、ミカエリスも伯爵として持ち直してきたのでドミトリアス領に近々戻るという。寂しいですわ~。
後日、私にゲロ吐いたミカエリスをしばいていいかとお父様から打診があった。
やめて差し上げろくださいまし!!!
・・・動揺してしまいました。朗らかに『処していい?』とチャーミングに首を傾げられて、うっかり頷くところでした。美形パワー怖い。
あれは不幸な事故だったんです。不慮の事故です。
お父様の気をそらすために「そんなことに時間を割く余裕があるのなら、わたくしと遊んでくださいませ!」と精一杯可愛らしく拗ねてみた。溺愛する娘の可愛いおねだりにお父様の記憶から、即刻ミカエリスゲロ吐き事件は削除された。
ちなみにしばいていいって言ったらどうなってたんだろうと、ほんの出来心でジュリアスに聞いてみた。
ずれてもいない眼鏡を直し、視線を逸らすジュリアス。
「・・・・・貴族名鑑からドミトリアス家が消えるのは確かでしょうね」
お父様、やめて差し上げてくださいまし!
疎遠になったり、爵位が下がったりするどころの話ではない。
あとで聞いたが、すでにお父様は娘のGOサインさえもらえれば、即刻焼き払う気であったそうだ。どこを。なにを。準備万端だったそうだ。怖い。何を用意していたの。
読んでいただきありがとうございます。
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