2015年5月22日 [その他(戦史研究関係)]
今日は、前回と前々回の記事で予告していました、『歴史群像』誌最新号(2015年6月号、第131号)に掲載された、大木毅(別名赤城毅)氏の記事「パウル・カレルの2つの顔」についての「感想文」を、以下に掲載します。ただ、私自身の「感想文」を述べる前に、私の「戦史/紛争史研究家」としての、パウル・カレルの著作に対する「取り扱い方針」について、改めて簡潔に説明しておこうと思います。
私が最初に、パウル・カレルの正体が「元ナチの外務省宣伝部にいたパウル・シュミット博士」だという話を知ったのは、アメリカのシミュレーション・ゲーム雑誌 "Fire & Movement" 誌の第21号(1980年4月)に掲載されていた、ジャック・レデイというゲーム・デザイナーのインタビュー記事でした。独ソ戦のコルスン包囲戦を題材にしたゲーム "Korsun Pocket" の作者でもあるレデイ氏は、ゲームの中でSS部隊の能力評価がカレルの著作に比べて低いのでは、との問いに対して「私の見立てでは、カレルは有能なプロパガンディストであって、歴史家じゃない」と述べていましたが、当時(私がこの雑誌を手に入れたのは、確か1980年代の後半)はその深い意味が理解できず、へぇ、そんな話があるのか、という程度に記憶していました。


その後、大木氏がゲーム雑誌『コマンド・マガジン日本版』(国際通信社)第87号(2009年6月)に「SS中佐パウル・カレル」という記事を寄稿され、パウル・カレルの著作に戦史研究の資料として様々な問題点が存在するという話を詳しく解説されましたが、私はこの記事が出る以前から、大筋を大木氏から直接うかがって知っていました。当時、ドイツ軍に関連する情報について、何度か相談に乗っていただいたことがあり、カレルの隠された経歴や著作に含まれる具体的な問題点を知った私は、大木氏の説明をそのまま信じて、この直後に執筆した文庫本『ロンメル戦記』(学研パブリッシング、2009年11月刊行)では、パウル・カレルの著作『砂漠のキツネ』(フジ出版社)は一切使わない方針をとった上で、あとがきに(パウル・カレルの名前を伏せた上で)その理由を書きました。


しかし、この本が世に出た後、国内の著名な戦史研究家の方々(複数)が「パウル・カレルの著作に問題があるのは事実だが、価値を全否定するのはやりすぎだろう」と書かれているのを見て、あれ? と思い、自分で改めて内外の戦史研究家がパウル・カレルの著作をどのように扱っているのかを調べてみました。すると、必ずしも「問題の存在を認識している戦史研究家」が、著作の価値を「全否定」するという態度をとっておられないことを知り、自分はどうすべきなのかについて、改めて自問自答しました。
その自問自答の末に到達した「結論」を、今から5年前の2010年4月16日に、このブログで書きました。
今回、大木氏の記事を拝読した後、改めて「自分はどうすべきなのか」について自問自答しましたが、5年前のブログで書いた以下の3点を特に変える必要はないという結論に至りました。
今回の大木氏の記事には、今まで日本では紹介されていなかった珍しい写真や、経歴についてのディテール情報など、興味深い情報は多々盛り込まれていたとは思います。ですが、核心部分については「SS中佐パウル・カレル」とほぼ同じだったので、カレルの著作に対する認識を改める必要性は特に感じませんでした。
私は『ロンメル戦記』のあとがきで、同じように参考文献には使わなかった「ハンス・シュパイデル」については名前を出しているのに、「パウル・カレル」の名前は、なぜか明記せずに伏せました。その理由については、今振り返ってもよく思い出せないのですが、たぶん何かしら心理的な抵抗が、頭の中に残っていたからではないか、と思います。シュパイデルについては、完全に自分で評価した上での「確信」に基づいて結論を出していましたが、パウル・カレルについては、大木氏の「受け売り」のような側面があり、100%の「確信」を抱くことができず、名指しで価値を全否定するような行為への躊躇や疑問が、心の片隅にあったのかもしれません。
それでは、今回の大木氏の記事を読んで私が感じた「感想文」を、以下に掲載します。「感想文」の部分のみ、文体が「である調」になります。
【感想文始まり】
1. 極端な「全否定論」の根拠への疑問
大木毅氏は、「カレルは、過去を隠し、おのれの政治的目的に合わせた歴史理解へと読者を誘導する意図を秘めながら、自著を公正中立で客観的なノンフィクションであるかのごとくに装った」(p.92)とあるように、パウル・カレルの著作について「政治的イデオロギーによる偏向」を理由に価値を全否定し、他の戦史研究家が「参照」や「引用」することすら容認しない、という、きわめて硬直した主張を書いている。
しかし、政治的イデオロギーによる偏向がある文献は、一切引用も参照も認められないなら、例えば旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て「引用してはならない」「参考文献に使ってはならない」ことになる。旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て、共産主義イデオロギーに奉仕する内容の偏向を大なり小なり含んでいたからである。大木毅氏の主張が正しいなら、旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て、今後資料として「使ってはならない」ことになるが、そういう主旨なのだろうか?
また、日本でも「旧日本軍の名誉」を守るために、戦争の責任を当時の「全般的情勢」に転嫁するような本は多い。沖縄戦で大勢の県民が犠牲になったり、軍と市民の歪んだ関係(日本軍人による市民からの食糧強奪や市民の殺害)が戦後に禍根を残した事実などには一切言及せず(パウル・カレルが「ホロコーストに一切触れなかった」のと同じ)、純粋に「軍事的合理性」の観点からのみ評価して「沖縄戦は軍事行動として成功だった」「牛島司令官は名将だった」などと「評価」する戦史研究家も少なくないが、そうした「旧日本軍の名誉」を守ろうという特定の偏向がある本も、同様に「引用してはならない」「参考文献に使ってはならない」ことになるのだろうか?
戦史関連の書物には、多かれ少なかれそうした偏向が含まれているもので、この程度の「政治的偏向」や「事実誤認」を含む著作など、世の中にはざらにある。研究者はそれを承知の上で、偏向を考慮して補正しつつ参照するが、「パウル・カレルの著作だけ」が取り立てて異常で「触れてはいけない危険物」であるかのように論じ、価値を全否定する意図がよくわからない。
事実関係の表記に瑕疵はつきものだが、例えば同時代のソ連公刊戦史と比較して、カレルの著作に内容の「歪曲」や「捏造」が著しいとまでは言えない。冷戦終結後に数多く出版された独ソ戦研究書と比較して、カレルが「意図的に一切書かなかったこと」「特定の解釈を施すことで読者を特定の結論に誘導しようとしたこと」そして「その欠落を埋めるために、光をより強く充てた(多くの文量を割いて記述した)こと」が何だったかは、おおむね判明しているが、同時代のソ連公刊戦史にしばしば見られた「存在しない事実を存在したかのように書いた」という事例は、少なくとも戦史記述の結論を左右するほど重要な部分では、特に見られない。
私自身も文庫本『クルスク大戦車戦』で、パウル・カレルの著作にある問題点(事実認識の「解釈」と「誘導」)に踏み込んで指摘・批判したが、そのような重要な問題点があるとしても、全体の存在価値まで全否定する行為が正当化されるとは思えない。
大木毅氏は「彼の記述を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまう」(p.94)と書いているが、著作に含まれる問題点を「問題」として価値中立的に指摘して注意喚起するだけに留まらず、著作としての価値を全否定した上で、パウル・カレルの著作を参照・引用した他の戦史研究家の著作や原稿までもが、あたかも政治的中立性の無い、あるいは事実認識に大きな瑕疵があるかのような書き方をしているのは、大きな問題であるように思える。
なぜなら、これらの言説は、世界の多くの第一線の独ソ戦研究家が、現在でもパウル・カレルの著作を参照・引用しているという「事実」に全く反しており、読者の印象や知識をミスリードすると思われるからである(詳しくは「感想文」とは別に後述)。
2. 全体の論旨矛盾
大木毅氏は、パウル・カレルの執筆意図について「元ナチスという経歴」を理由に、あたかもカレルの記述を参考にすることは「ナチズム肯定の政治思想」に繋がるかのように、論旨を大きく飛躍させているが、記事全体として読むと、前半部分と後半部分で問題点の指摘対象が整合せず、矛盾している。
大木毅氏は、カレルを「元ナチであるがゆえのナチシンパ」であるかのように書いているが、実際にカレルの著作を読めば、ドイツ軍の東部戦線での敗北をすべて「愚かで傲慢なヒトラー」に押し付けるという「ナチス悪玉説の立場」であり、ナチスを肯定する記述は特に見受けられない。それどころか、ナチシンパなら絶対やらないはずの「総統ヒトラーの能力の全否定」とも言える描写を、著作の中で数え切れないほど繰り返している。
戦後のカレルが「元ナチであるがゆえのナチシンパ」だとしたら、どうして「ナチスにとって英雄であるヒトラー」を、これほど「愚かで傲慢で判断能力のない無能な指導者」に描くのか?
記事では、カレルの戦後の足跡や著作の内容と、戦中の「ナチの経歴」がどう結びつくのか論理的に説明できていないように見える。大木毅氏は、途中まで「ナチスの政策に積極的に加担したナチ主義者」としてカレルを描いているが、途中でいきなり「ナチス否定、ドイツ国防軍弁明論ありき」が彼の特徴であるかのように切り替えている。どういう理由で彼が前者から後者に「転向」したかについては、全然解説していない。
パウル・カレルの著作を「参考にしてはならない道義的な理由」は、元ナチス幹部が書いた「ナチス弁護本」だからなのか?
それとも「ドイツ国防軍の弁護本」だからなのか?
ドイツ国防軍の戦争犯罪を「隠蔽」したのが「元ナチス幹部」というのは、構造的に奇妙な事例だが、結局のところ大木毅氏が言うところの「彼の記述を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまう」(p.94)という説明の「ある種の政治的な立場」とは何なのかについて、大木毅氏は明確にせずにぼかしており、受け手は「ナチス」と「国防軍弁護」という、性質の異なる(あるいは矛盾する)二種類の「悪いイメージ」を頭の中で融合させ、パウル・カレルのイメージに重ねて見るように、印象を誘導されている。
大木毅氏の原稿には、膨大な「ディテール情報」が詰め込まれていて、物理的な情報量に圧倒され気圧されそうになるが、論理的な整合性という観点で見れば、論旨が途中で大きく矛盾しているように思える。
3. より大きな視点の欠落
大木毅氏は、パウル・カレルが「戦後のドイツでドイツ国防軍弁明論に奉仕した」「アメリカでも広く読まれた」と書いているが、守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』(錦正社、2009年)などで指摘している、アメリカ主導で行われた戦後の西ドイツ再軍備と「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」との関連については、なぜか全く触れていない。
戦後のアメリカは、東西冷戦で敵対するソ連の軍事的脅威に対抗する目的で西ドイツの再軍備を進め、ソ連軍戦車部隊との実戦を経験・指揮した元ドイツ国防軍の将官(特に装甲部隊の指揮官)を味方に引き込むため、ドイツ国防軍の「名誉回復のイメージアップ戦略」を考案し、「悪いのはナチスで、ドイツ国防軍は中立あるいは被害者側だった」との構図を創り出し、元ドイツ軍参謀総長フランツ・ハルダーや元南方軍集団司令官エーリヒ・フォン・マンシュタインらもそれに加担した。
こうした政治的な思惑によって、マンシュタインのクリミアでの戦争犯罪加担(守屋純氏は『ドイツ国防軍潔白神話の生成』で指摘)などのドイツ国防軍の戦争犯罪は、ナチスによる戦争犯罪の陰に隠された。
カレルの著作内容とこうした「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」の内容は、ほぼ完全に方向性が一致しており、カレルの著作がアメリカ国内でも広く読まれた背景を説明するには、カレル個人の問題だけでなく、こうした東西冷戦期の「戦史研究分野における政治的なイメージ操作」への言及が不可欠であるように思える。
ところが、大木毅氏は記事中で、ドイツ国防軍弁明論は「パウル・カレルの個人的資質の問題」であるかのように話を終わらせており、アメリカ主導で行われた戦後の西ドイツ再軍備や「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」との関連は無視している。端的に言えば、パウル・カレルという「木」だけを顕微鏡的に見て、当時のヨーロッパで繰り広げられていた「戦史研究を用いた政治宣伝」という、より大きな「森」を見ていないように思える。守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』などで提示した「大きな視点」を、完全に無視している。
守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』で紹介しているように、例えば元参謀本部勤務のアドルフ・ホイジンガーがパウル・カレルと全く同様の印象操作、つまり「第二次大戦におけるドイツの犯罪は全てヒトラーとナチズムの責任で、ドイツ国防軍もまた彼らの『被害者』だった」と読者に信じさせるような著作を1950年(パウル・カレルが新聞や雑誌に寄稿し、ペンネームを「パウル・カレル」に統一し始めた時期)に刊行している。
パウル・カレルの「ドイツ国防軍の名誉回復とイメージアップ戦略」のような意図を反映させた著書が、なぜ当時のドイツやアメリカで大歓迎され、人気を博したかという理由を分析する上で、こうした時代背景や同時代のドイツの戦史研究界で働いていた「政治的バイアス」との関連への言及は不可欠であるように思えるが、大木毅氏はこうした側面には一切、目を向けていない。
大木毅氏は、同じドイツ史の研究家である守屋純氏と面識があるはずだが、今回の『歴史群像』誌に掲載された原稿の中で、大木毅氏は守屋純氏の研究にも『ドイツ国防軍潔白神話の生成』などの研究成果にも、なぜかまったく言及していない。







【感想文終わり】
ちなみに、余談になりますが、特定の歴史的題材について書かれた本や記事を悪意で貶し、印象操作でイメージを悪くする行為というのは、それ専用の「テクニック」を使えば、誰でも比較的簡単にできます。
個々の本や記事は、物理的にも内容的にも一定の枠内で書かれているので、そこから「漏れた」あるいは「著者・筆者が全体の主旨やバランスを考慮して意図的に割愛した」ポイントを探して、そこを大げさな表現であげつらえば、あたかも標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づけられます。
世の中には、さまざまな内容や主張の本や記事が存在しているので、それらを恣意的に使えば、標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づける行為を正当化することができます。歴史的な題材については、結論や解釈が大きく分かれることも多く、両極端の本を常に手元に置いておけば、たいていの本や記事を「貶す」のに使えます。
例えば、ある本の中で「A将軍はBについて知っていた」と書いてあれば、「この著者は『A将軍はBについて知らなかった』と書いている誰々の本をネグレクトしている」と書くことで、著者の信用を貶めることができます。もし本に「A将軍はBについて知らなかった」と書いてあれば、「この著者は『A将軍はBについて知っていた』と書いている誰々の本をネグレクトしている」と書けば、やはり本の価値を貶めて、著者の信用や評判に傷をつけることができます。
他にも「この著者/筆者は、誰々のこの本を読んでいない」というのも有効で、それが全体の主旨や全体の価値にどう影響するのかという重要(本質的)なポイントには一切触れず、ただ特定の著者や筆者が特定の本や記事を「参照していない」ことだけを「職務怠慢」や「無能力の証し」であるかのように大げさにあげつらうことで、あたかも標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づけられます。
言うまでもないことですが、こうした行為は「嫌がらせ」ではあっても、「批評」や「批判」ではありません。「批評」や「批判」を行う人間は、問題点の指摘を行いつつも、対象やその著者の業績に少しでも肯定的に評価できる点があれば、それを普通に評価しますが、「嫌がらせ」目的の場合は部分的な瑕疵を著作全体や著者の業績全体に拡げるような形で強引に論理を飛躍させ、対象やその著者の存在価値を全否定します。
もしかしたら、私が上に書いた「西ドイツ再軍備と、戦後の冷戦期の戦史研究分野における『ドイツ国防軍擁護的傾向』の関連性」に、大木氏が全然触れていないという指摘も、その種の「嫌がらせの揚げ足取り」ではないか、と思われる方がおられるかもしれません。
しかし、記事の筆者である大木氏の「主旨」が、パウル・カレルという一個人の人格否定ではなく、政治的意図や印象操作が巧妙に織り込まれた戦史書を一般読者が読む際に留意しなくてはならない「政治的背景」への注意喚起なのであれば、問題を単に「パウル・カレル個人の人間的資質」に矮小化し、同時代に出版された、同様の偏向を含む「西側世界の戦史研究全般が内包する問題点」(マンシュタインをはじめとする軍人の回想録を含む)に触れずに済ませるのは、読者の問題認識に新たな視座を提供するという意味においては、無視できない欠落であるように思います。
ところで、大木氏は「今日、パウル・カレルの著書が全否定に近い扱いを受けている」(p.92)と書かれていますが、現在の独ソ戦研究者は、パウル・カレルの著作をどのように扱っているのでしょうか。最近出版された独ソ戦研究書で、パウル・カレルの著作を「参考文献や典拠」に使っているものは、ただの一冊も存在しないのでしょうか。
大木氏の言葉が正しいなら、最近の独ソ戦研究書で、パウル・カレルの著作を「参考文献や典拠」に使っているものは、少なくとも「博士」や「教授」や「軍の戦史研究官」などプロフェッショナルな研究者の仕事では、一冊も無いはずです。そう思って、書庫を軽く漁ってみたら、意外なことに、大量に見つかりました。以下は、その一覧です。2009年から2015年までの直近7年間に出版されたものに限定しましたが、私の書庫だけで16冊ありました。
◆David Stahel "Operation Barbarossa and Germany's Defeat in the East" Cambridge University Press, 2009.
◆David Stahel "Kiev 1941" Cambridge University Press, 2012.
◆David Stahel "Operation Typhoon" Cambridge University Press, 2013.
◆David Stahel "The Battle for Moscow" Cambridge University Press, 2015.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "To the Gates of Stalingrad" Kansas University Press, 2009.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Armageddon in Stalingrad" Kansas University Press, 2009.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Endgame at Stalingrad, Book 1" Kansas University Press, 2014.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Endgame at Stalingrad, Book 2" Kansas University Press, 2014.
◆David M. Glantz "Barbarossa Derailed, Volume 1" Helion, 2010.
◆Robert Forczyk "Where the Iron Crosses Grow: The Crimea 1941-44" Osprey, 2014.
◆Craig W. H. Luther "Barbarossa Unleashed" Schiffer, 2013.
◆Lloyd Clark "Kursk: The Greatest Battle" Headline, 2011.
◆Samuel W. Mitcham, Jr. "The Men of Barbarossa: Commanders of the German Invasion of Russia, 1941" Casemate, 2009.
◆Michael Jones "The Retreat: Hitler's First Defeat" 2009.
◆Raymond Bagdonas "The Devil's General: The Life of Hyazinth von Strachwitz, The Panzer Graf" Casemate, 2013.
◆David Porter "Das Reich at Kursk: 12 July 1943" Amber, 2011.




ディヴィッド・スターエル氏は、オーストラリアの大学で教鞭を執る戦史研究の博士。
ディヴィッド・グランツ氏は、元アメリカ陸軍大佐の戦史研究官でソ連軍に関する世界的権威の一人。
ロバート・フォーチュク氏は元アメリカ陸軍の中佐で国際関係史と安全保障の博士。
クレイグ・ルーサー氏はフルブライト留学生(西ドイツ時代のボン)で元アメリカ空軍の戦史研究官。
ロイド・クラーク氏は英サンドハースト陸軍士官学校で講義を行う戦史研究の博士。
サミュエル・ミッチャム氏は元アメリカ陸軍将校で国際的に知名度の高い戦史研究家。
マイケル・ジョーンズ氏は英王立戦史学会のフェローを務める戦史研究家。
レイモンド・バグドナス氏は、オーストラリア在住の戦史研究家。
デイヴィッド・ポーター氏は、元英国防省勤務の戦史研究家。
つまり、戦史研究分野での実績と知名度のある研究者ばかりで、博士や教授も含まれています。
特に、ディヴィッド・スターエル氏とディヴィッド・グランツ氏は、現在の独ソ戦研究では無視できない「二大スター」とも言える人物です。「彼(カレル)の著書を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまうのである」と、大木氏はまるで「脅し」のように書いていますが、それではディヴィッド・スターエル氏やディヴィッド・グランツ氏は「パウル・カレルの著作を典拠として挙げる」という行為によって、一体どんな「政治的な立場を表明」したというのでしょうか?
彼らは「ナチシンパ」だと言いたいのでしょうか? それとも、ディヴィッド・スターエル氏やディヴィッド・グランツ氏の著作は「ドイツ国防軍擁護の偏向が疑われるから、参照する価値が無い」と主張したいのでしょうか?
改めて書くまでもないことですが、嘘八百のデタラメばかりを並べた、箸にも棒にもかからないような「トンデモ本」を、「博士」や「教授」や「軍の戦史研究官」などプロフェッショナルな戦史研究者が自著の「参考文献」に挙げることはありません。そんなことをすれば、自分の研究に対する信用や評価を失墜させ、研究者としてのキャリアを自分の手で潰すことに繋がるからです。プロの研究者は、参考文献を列挙する際に「適当にその辺にある本を並べる」ようなやり方は絶対とりません。
また、前記したスターエル氏らは、ドイツ連邦軍の戦史研究部局とも親密な関係を持っていることで知られていますが、もし大木氏が言うように「カレルの著作を参考文献に使う人間は相手にされない」「カレルを参考文献として挙げるだけでアウト」みたいな教条主義(ドグマ)的とも言える思考が同局内を支配しているなら、スターエル氏はなぜ「出入り禁止」になっていないのでしょうか。
スターエル氏が、参考文献にカレルの著作を挙げた後も、普通にBA-MA(ドイツ連邦軍公文書館)の史料を参照して研究されている事実を考えれば、ドイツの戦史研究界において、パウル・カレルの価値を評価することがタブーとなっている理由については、「ヒトラーの戦争遂行に協力した元ナチ幹部」という経歴の要素を無視できないように思えます。

米国AMAZONのスターエル氏に関する著者ページ。
さらに言えば、版元の「カンザス大学出版局(米)」や「ケンブリッジ大学出版局(英)」などは、どこの馬の骨ともわからない人間の著作を無批判に出すような出版機構ではなく、内容を精査された研究書だけを厳選して刊行している版元です。
私は逆に、1960年代に刊行された「古い本」であるパウル・カレルの著書が、直近7年の間に出版された16冊もの独ソ戦研究書で、未だに参考文献として使われているという予想外の事実に驚きました。私は『歴史群像』誌の原稿や単行本の執筆で独ソ戦について書くとき、パウル・カレルの著書は参考にはせず、いつも「もうパウル・カレルの著作が必要なくなるような内容の濃い記事にしよう」と思って取り組んでいますが、刊行から50年経ってもまだ第一線の研究者から参照される本というのは、当事者の手記や回想録を別にすれば、なかなか無いような気もします。
下は、パウル・カレルの『バルバロッサ作戦』ドイツ語版原書(Ullstein, 1985)の表紙と、巻末の参考文献リスト。先に紹介した守屋純氏の著書で「アメリカの思惑に協力した元ドイツ軍参謀将校」として名前の挙がった、クルト・フォン・ティペルスキルヒ、ヴァルター・フーバッチュ、ハンス・アドルフ・ヤコブセン、アルフレート・フィリッピ、そしてエーリヒ・フォン・マンシュタインらの著作が参考にされています。カレルの著書に見られる「国防軍弁護」の誘導は、カレル個人の問題なのか、それとも背景にあるもっと大きな問題に根源があるのか。





なお、大木氏は『コマンド・マガジン日本版』第120号(2014年12月)に「幻の大戦車戦」という記事を寄稿されていますが、この記事の参考文献として、David Stahel "Operation Barbarossa and Germany's Defeat in the East" と David M.Glantz "Barbarossa Derailed" を挙げておられます。と言うことは、この二人の研究者が自著で、パウル・カレルの著書を参考文献として挙げている事実は、当然大木氏も知っているはず(参考文献欄を特に細かくチェックされる方です)ですが、今回の『歴史群像』誌の記事では、そうした事実にはなぜか一切、言及されていません。逆に、前記したように「今日、パウル・カレルの著書が全否定に近い扱いを受けている」というような、正反対とも言える説明をされています。


私が最初に、パウル・カレルの正体が「元ナチの外務省宣伝部にいたパウル・シュミット博士」だという話を知ったのは、アメリカのシミュレーション・ゲーム雑誌 "Fire & Movement" 誌の第21号(1980年4月)に掲載されていた、ジャック・レデイというゲーム・デザイナーのインタビュー記事でした。独ソ戦のコルスン包囲戦を題材にしたゲーム "Korsun Pocket" の作者でもあるレデイ氏は、ゲームの中でSS部隊の能力評価がカレルの著作に比べて低いのでは、との問いに対して「私の見立てでは、カレルは有能なプロパガンディストであって、歴史家じゃない」と述べていましたが、当時(私がこの雑誌を手に入れたのは、確か1980年代の後半)はその深い意味が理解できず、へぇ、そんな話があるのか、という程度に記憶していました。
その後、大木氏がゲーム雑誌『コマンド・マガジン日本版』(国際通信社)第87号(2009年6月)に「SS中佐パウル・カレル」という記事を寄稿され、パウル・カレルの著作に戦史研究の資料として様々な問題点が存在するという話を詳しく解説されましたが、私はこの記事が出る以前から、大筋を大木氏から直接うかがって知っていました。当時、ドイツ軍に関連する情報について、何度か相談に乗っていただいたことがあり、カレルの隠された経歴や著作に含まれる具体的な問題点を知った私は、大木氏の説明をそのまま信じて、この直後に執筆した文庫本『ロンメル戦記』(学研パブリッシング、2009年11月刊行)では、パウル・カレルの著作『砂漠のキツネ』(フジ出版社)は一切使わない方針をとった上で、あとがきに(パウル・カレルの名前を伏せた上で)その理由を書きました。
しかし、この本が世に出た後、国内の著名な戦史研究家の方々(複数)が「パウル・カレルの著作に問題があるのは事実だが、価値を全否定するのはやりすぎだろう」と書かれているのを見て、あれ? と思い、自分で改めて内外の戦史研究家がパウル・カレルの著作をどのように扱っているのかを調べてみました。すると、必ずしも「問題の存在を認識している戦史研究家」が、著作の価値を「全否定」するという態度をとっておられないことを知り、自分はどうすべきなのかについて、改めて自問自答しました。
その自問自答の末に到達した「結論」を、今から5年前の2010年4月16日に、このブログで書きました。
琥珀色のノート 2010年4月16日
今回、大木氏の記事を拝読した後、改めて「自分はどうすべきなのか」について自問自答しましたが、5年前のブログで書いた以下の3点を特に変える必要はないという結論に至りました。
◆原稿を執筆する際の参考文献としては、従来とは別角度からの情報提供を重視する立場から、当分の間使用しない意向
◆ただし著作の資料的価値を全て否定するような意図はない
◆特定のテーマを総合的に理解する助けになると思えば、注記付きで他の方に薦める場合もある
今回の大木氏の記事には、今まで日本では紹介されていなかった珍しい写真や、経歴についてのディテール情報など、興味深い情報は多々盛り込まれていたとは思います。ですが、核心部分については「SS中佐パウル・カレル」とほぼ同じだったので、カレルの著作に対する認識を改める必要性は特に感じませんでした。
私は『ロンメル戦記』のあとがきで、同じように参考文献には使わなかった「ハンス・シュパイデル」については名前を出しているのに、「パウル・カレル」の名前は、なぜか明記せずに伏せました。その理由については、今振り返ってもよく思い出せないのですが、たぶん何かしら心理的な抵抗が、頭の中に残っていたからではないか、と思います。シュパイデルについては、完全に自分で評価した上での「確信」に基づいて結論を出していましたが、パウル・カレルについては、大木氏の「受け売り」のような側面があり、100%の「確信」を抱くことができず、名指しで価値を全否定するような行為への躊躇や疑問が、心の片隅にあったのかもしれません。
それでは、今回の大木氏の記事を読んで私が感じた「感想文」を、以下に掲載します。「感想文」の部分のみ、文体が「である調」になります。
【感想文始まり】
1. 極端な「全否定論」の根拠への疑問
大木毅氏は、「カレルは、過去を隠し、おのれの政治的目的に合わせた歴史理解へと読者を誘導する意図を秘めながら、自著を公正中立で客観的なノンフィクションであるかのごとくに装った」(p.92)とあるように、パウル・カレルの著作について「政治的イデオロギーによる偏向」を理由に価値を全否定し、他の戦史研究家が「参照」や「引用」することすら容認しない、という、きわめて硬直した主張を書いている。
しかし、政治的イデオロギーによる偏向がある文献は、一切引用も参照も認められないなら、例えば旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て「引用してはならない」「参考文献に使ってはならない」ことになる。旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て、共産主義イデオロギーに奉仕する内容の偏向を大なり小なり含んでいたからである。大木毅氏の主張が正しいなら、旧ソ連で出版された独ソ戦やソ連の軍事関連書籍は全て、今後資料として「使ってはならない」ことになるが、そういう主旨なのだろうか?
また、日本でも「旧日本軍の名誉」を守るために、戦争の責任を当時の「全般的情勢」に転嫁するような本は多い。沖縄戦で大勢の県民が犠牲になったり、軍と市民の歪んだ関係(日本軍人による市民からの食糧強奪や市民の殺害)が戦後に禍根を残した事実などには一切言及せず(パウル・カレルが「ホロコーストに一切触れなかった」のと同じ)、純粋に「軍事的合理性」の観点からのみ評価して「沖縄戦は軍事行動として成功だった」「牛島司令官は名将だった」などと「評価」する戦史研究家も少なくないが、そうした「旧日本軍の名誉」を守ろうという特定の偏向がある本も、同様に「引用してはならない」「参考文献に使ってはならない」ことになるのだろうか?
戦史関連の書物には、多かれ少なかれそうした偏向が含まれているもので、この程度の「政治的偏向」や「事実誤認」を含む著作など、世の中にはざらにある。研究者はそれを承知の上で、偏向を考慮して補正しつつ参照するが、「パウル・カレルの著作だけ」が取り立てて異常で「触れてはいけない危険物」であるかのように論じ、価値を全否定する意図がよくわからない。
事実関係の表記に瑕疵はつきものだが、例えば同時代のソ連公刊戦史と比較して、カレルの著作に内容の「歪曲」や「捏造」が著しいとまでは言えない。冷戦終結後に数多く出版された独ソ戦研究書と比較して、カレルが「意図的に一切書かなかったこと」「特定の解釈を施すことで読者を特定の結論に誘導しようとしたこと」そして「その欠落を埋めるために、光をより強く充てた(多くの文量を割いて記述した)こと」が何だったかは、おおむね判明しているが、同時代のソ連公刊戦史にしばしば見られた「存在しない事実を存在したかのように書いた」という事例は、少なくとも戦史記述の結論を左右するほど重要な部分では、特に見られない。
私自身も文庫本『クルスク大戦車戦』で、パウル・カレルの著作にある問題点(事実認識の「解釈」と「誘導」)に踏み込んで指摘・批判したが、そのような重要な問題点があるとしても、全体の存在価値まで全否定する行為が正当化されるとは思えない。
大木毅氏は「彼の記述を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまう」(p.94)と書いているが、著作に含まれる問題点を「問題」として価値中立的に指摘して注意喚起するだけに留まらず、著作としての価値を全否定した上で、パウル・カレルの著作を参照・引用した他の戦史研究家の著作や原稿までもが、あたかも政治的中立性の無い、あるいは事実認識に大きな瑕疵があるかのような書き方をしているのは、大きな問題であるように思える。
なぜなら、これらの言説は、世界の多くの第一線の独ソ戦研究家が、現在でもパウル・カレルの著作を参照・引用しているという「事実」に全く反しており、読者の印象や知識をミスリードすると思われるからである(詳しくは「感想文」とは別に後述)。
2. 全体の論旨矛盾
大木毅氏は、パウル・カレルの執筆意図について「元ナチスという経歴」を理由に、あたかもカレルの記述を参考にすることは「ナチズム肯定の政治思想」に繋がるかのように、論旨を大きく飛躍させているが、記事全体として読むと、前半部分と後半部分で問題点の指摘対象が整合せず、矛盾している。
大木毅氏は、カレルを「元ナチであるがゆえのナチシンパ」であるかのように書いているが、実際にカレルの著作を読めば、ドイツ軍の東部戦線での敗北をすべて「愚かで傲慢なヒトラー」に押し付けるという「ナチス悪玉説の立場」であり、ナチスを肯定する記述は特に見受けられない。それどころか、ナチシンパなら絶対やらないはずの「総統ヒトラーの能力の全否定」とも言える描写を、著作の中で数え切れないほど繰り返している。
戦後のカレルが「元ナチであるがゆえのナチシンパ」だとしたら、どうして「ナチスにとって英雄であるヒトラー」を、これほど「愚かで傲慢で判断能力のない無能な指導者」に描くのか?
記事では、カレルの戦後の足跡や著作の内容と、戦中の「ナチの経歴」がどう結びつくのか論理的に説明できていないように見える。大木毅氏は、途中まで「ナチスの政策に積極的に加担したナチ主義者」としてカレルを描いているが、途中でいきなり「ナチス否定、ドイツ国防軍弁明論ありき」が彼の特徴であるかのように切り替えている。どういう理由で彼が前者から後者に「転向」したかについては、全然解説していない。
パウル・カレルの著作を「参考にしてはならない道義的な理由」は、元ナチス幹部が書いた「ナチス弁護本」だからなのか?
それとも「ドイツ国防軍の弁護本」だからなのか?
ドイツ国防軍の戦争犯罪を「隠蔽」したのが「元ナチス幹部」というのは、構造的に奇妙な事例だが、結局のところ大木毅氏が言うところの「彼の記述を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまう」(p.94)という説明の「ある種の政治的な立場」とは何なのかについて、大木毅氏は明確にせずにぼかしており、受け手は「ナチス」と「国防軍弁護」という、性質の異なる(あるいは矛盾する)二種類の「悪いイメージ」を頭の中で融合させ、パウル・カレルのイメージに重ねて見るように、印象を誘導されている。
大木毅氏の原稿には、膨大な「ディテール情報」が詰め込まれていて、物理的な情報量に圧倒され気圧されそうになるが、論理的な整合性という観点で見れば、論旨が途中で大きく矛盾しているように思える。
3. より大きな視点の欠落
大木毅氏は、パウル・カレルが「戦後のドイツでドイツ国防軍弁明論に奉仕した」「アメリカでも広く読まれた」と書いているが、守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』(錦正社、2009年)などで指摘している、アメリカ主導で行われた戦後の西ドイツ再軍備と「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」との関連については、なぜか全く触れていない。
戦後のアメリカは、東西冷戦で敵対するソ連の軍事的脅威に対抗する目的で西ドイツの再軍備を進め、ソ連軍戦車部隊との実戦を経験・指揮した元ドイツ国防軍の将官(特に装甲部隊の指揮官)を味方に引き込むため、ドイツ国防軍の「名誉回復のイメージアップ戦略」を考案し、「悪いのはナチスで、ドイツ国防軍は中立あるいは被害者側だった」との構図を創り出し、元ドイツ軍参謀総長フランツ・ハルダーや元南方軍集団司令官エーリヒ・フォン・マンシュタインらもそれに加担した。
こうした政治的な思惑によって、マンシュタインのクリミアでの戦争犯罪加担(守屋純氏は『ドイツ国防軍潔白神話の生成』で指摘)などのドイツ国防軍の戦争犯罪は、ナチスによる戦争犯罪の陰に隠された。
カレルの著作内容とこうした「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」の内容は、ほぼ完全に方向性が一致しており、カレルの著作がアメリカ国内でも広く読まれた背景を説明するには、カレル個人の問題だけでなく、こうした東西冷戦期の「戦史研究分野における政治的なイメージ操作」への言及が不可欠であるように思える。
ところが、大木毅氏は記事中で、ドイツ国防軍弁明論は「パウル・カレルの個人的資質の問題」であるかのように話を終わらせており、アメリカ主導で行われた戦後の西ドイツ再軍備や「ドイツ国防軍のイメージアップ戦略」との関連は無視している。端的に言えば、パウル・カレルという「木」だけを顕微鏡的に見て、当時のヨーロッパで繰り広げられていた「戦史研究を用いた政治宣伝」という、より大きな「森」を見ていないように思える。守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』などで提示した「大きな視点」を、完全に無視している。
守屋純氏が『ドイツ国防軍潔白神話の生成』で紹介しているように、例えば元参謀本部勤務のアドルフ・ホイジンガーがパウル・カレルと全く同様の印象操作、つまり「第二次大戦におけるドイツの犯罪は全てヒトラーとナチズムの責任で、ドイツ国防軍もまた彼らの『被害者』だった」と読者に信じさせるような著作を1950年(パウル・カレルが新聞や雑誌に寄稿し、ペンネームを「パウル・カレル」に統一し始めた時期)に刊行している。
パウル・カレルの「ドイツ国防軍の名誉回復とイメージアップ戦略」のような意図を反映させた著書が、なぜ当時のドイツやアメリカで大歓迎され、人気を博したかという理由を分析する上で、こうした時代背景や同時代のドイツの戦史研究界で働いていた「政治的バイアス」との関連への言及は不可欠であるように思えるが、大木毅氏はこうした側面には一切、目を向けていない。
大木毅氏は、同じドイツ史の研究家である守屋純氏と面識があるはずだが、今回の『歴史群像』誌に掲載された原稿の中で、大木毅氏は守屋純氏の研究にも『ドイツ国防軍潔白神話の生成』などの研究成果にも、なぜかまったく言及していない。
【感想文終わり】
ちなみに、余談になりますが、特定の歴史的題材について書かれた本や記事を悪意で貶し、印象操作でイメージを悪くする行為というのは、それ専用の「テクニック」を使えば、誰でも比較的簡単にできます。
個々の本や記事は、物理的にも内容的にも一定の枠内で書かれているので、そこから「漏れた」あるいは「著者・筆者が全体の主旨やバランスを考慮して意図的に割愛した」ポイントを探して、そこを大げさな表現であげつらえば、あたかも標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づけられます。
世の中には、さまざまな内容や主張の本や記事が存在しているので、それらを恣意的に使えば、標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づける行為を正当化することができます。歴史的な題材については、結論や解釈が大きく分かれることも多く、両極端の本を常に手元に置いておけば、たいていの本や記事を「貶す」のに使えます。
例えば、ある本の中で「A将軍はBについて知っていた」と書いてあれば、「この著者は『A将軍はBについて知らなかった』と書いている誰々の本をネグレクトしている」と書くことで、著者の信用を貶めることができます。もし本に「A将軍はBについて知らなかった」と書いてあれば、「この著者は『A将軍はBについて知っていた』と書いている誰々の本をネグレクトしている」と書けば、やはり本の価値を貶めて、著者の信用や評判に傷をつけることができます。
他にも「この著者/筆者は、誰々のこの本を読んでいない」というのも有効で、それが全体の主旨や全体の価値にどう影響するのかという重要(本質的)なポイントには一切触れず、ただ特定の著者や筆者が特定の本や記事を「参照していない」ことだけを「職務怠慢」や「無能力の証し」であるかのように大げさにあげつらうことで、あたかも標的となった本や記事が「不完全な内容」「完成度の低い内容」であるかのように印象づけられます。
言うまでもないことですが、こうした行為は「嫌がらせ」ではあっても、「批評」や「批判」ではありません。「批評」や「批判」を行う人間は、問題点の指摘を行いつつも、対象やその著者の業績に少しでも肯定的に評価できる点があれば、それを普通に評価しますが、「嫌がらせ」目的の場合は部分的な瑕疵を著作全体や著者の業績全体に拡げるような形で強引に論理を飛躍させ、対象やその著者の存在価値を全否定します。
もしかしたら、私が上に書いた「西ドイツ再軍備と、戦後の冷戦期の戦史研究分野における『ドイツ国防軍擁護的傾向』の関連性」に、大木氏が全然触れていないという指摘も、その種の「嫌がらせの揚げ足取り」ではないか、と思われる方がおられるかもしれません。
しかし、記事の筆者である大木氏の「主旨」が、パウル・カレルという一個人の人格否定ではなく、政治的意図や印象操作が巧妙に織り込まれた戦史書を一般読者が読む際に留意しなくてはならない「政治的背景」への注意喚起なのであれば、問題を単に「パウル・カレル個人の人間的資質」に矮小化し、同時代に出版された、同様の偏向を含む「西側世界の戦史研究全般が内包する問題点」(マンシュタインをはじめとする軍人の回想録を含む)に触れずに済ませるのは、読者の問題認識に新たな視座を提供するという意味においては、無視できない欠落であるように思います。
──────────────────
ところで、大木氏は「今日、パウル・カレルの著書が全否定に近い扱いを受けている」(p.92)と書かれていますが、現在の独ソ戦研究者は、パウル・カレルの著作をどのように扱っているのでしょうか。最近出版された独ソ戦研究書で、パウル・カレルの著作を「参考文献や典拠」に使っているものは、ただの一冊も存在しないのでしょうか。
大木氏の言葉が正しいなら、最近の独ソ戦研究書で、パウル・カレルの著作を「参考文献や典拠」に使っているものは、少なくとも「博士」や「教授」や「軍の戦史研究官」などプロフェッショナルな研究者の仕事では、一冊も無いはずです。そう思って、書庫を軽く漁ってみたら、意外なことに、大量に見つかりました。以下は、その一覧です。2009年から2015年までの直近7年間に出版されたものに限定しましたが、私の書庫だけで16冊ありました。
◆David Stahel "Operation Barbarossa and Germany's Defeat in the East" Cambridge University Press, 2009.
◆David Stahel "Kiev 1941" Cambridge University Press, 2012.
◆David Stahel "Operation Typhoon" Cambridge University Press, 2013.
◆David Stahel "The Battle for Moscow" Cambridge University Press, 2015.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "To the Gates of Stalingrad" Kansas University Press, 2009.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Armageddon in Stalingrad" Kansas University Press, 2009.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Endgame at Stalingrad, Book 1" Kansas University Press, 2014.
◆David M. Glantz with Jonathan M.House "Endgame at Stalingrad, Book 2" Kansas University Press, 2014.
◆David M. Glantz "Barbarossa Derailed, Volume 1" Helion, 2010.
◆Robert Forczyk "Where the Iron Crosses Grow: The Crimea 1941-44" Osprey, 2014.
◆Craig W. H. Luther "Barbarossa Unleashed" Schiffer, 2013.
◆Lloyd Clark "Kursk: The Greatest Battle" Headline, 2011.
◆Samuel W. Mitcham, Jr. "The Men of Barbarossa: Commanders of the German Invasion of Russia, 1941" Casemate, 2009.
◆Michael Jones "The Retreat: Hitler's First Defeat" 2009.
◆Raymond Bagdonas "The Devil's General: The Life of Hyazinth von Strachwitz, The Panzer Graf" Casemate, 2013.
◆David Porter "Das Reich at Kursk: 12 July 1943" Amber, 2011.
ディヴィッド・スターエル氏は、オーストラリアの大学で教鞭を執る戦史研究の博士。
ディヴィッド・グランツ氏は、元アメリカ陸軍大佐の戦史研究官でソ連軍に関する世界的権威の一人。
ロバート・フォーチュク氏は元アメリカ陸軍の中佐で国際関係史と安全保障の博士。
クレイグ・ルーサー氏はフルブライト留学生(西ドイツ時代のボン)で元アメリカ空軍の戦史研究官。
ロイド・クラーク氏は英サンドハースト陸軍士官学校で講義を行う戦史研究の博士。
サミュエル・ミッチャム氏は元アメリカ陸軍将校で国際的に知名度の高い戦史研究家。
マイケル・ジョーンズ氏は英王立戦史学会のフェローを務める戦史研究家。
レイモンド・バグドナス氏は、オーストラリア在住の戦史研究家。
デイヴィッド・ポーター氏は、元英国防省勤務の戦史研究家。
つまり、戦史研究分野での実績と知名度のある研究者ばかりで、博士や教授も含まれています。
特に、ディヴィッド・スターエル氏とディヴィッド・グランツ氏は、現在の独ソ戦研究では無視できない「二大スター」とも言える人物です。「彼(カレル)の著書を引用したり、典拠にすること自体、ある種の政治的な立場を表明することになってしまうのである」と、大木氏はまるで「脅し」のように書いていますが、それではディヴィッド・スターエル氏やディヴィッド・グランツ氏は「パウル・カレルの著作を典拠として挙げる」という行為によって、一体どんな「政治的な立場を表明」したというのでしょうか?
彼らは「ナチシンパ」だと言いたいのでしょうか? それとも、ディヴィッド・スターエル氏やディヴィッド・グランツ氏の著作は「ドイツ国防軍擁護の偏向が疑われるから、参照する価値が無い」と主張したいのでしょうか?
改めて書くまでもないことですが、嘘八百のデタラメばかりを並べた、箸にも棒にもかからないような「トンデモ本」を、「博士」や「教授」や「軍の戦史研究官」などプロフェッショナルな戦史研究者が自著の「参考文献」に挙げることはありません。そんなことをすれば、自分の研究に対する信用や評価を失墜させ、研究者としてのキャリアを自分の手で潰すことに繋がるからです。プロの研究者は、参考文献を列挙する際に「適当にその辺にある本を並べる」ようなやり方は絶対とりません。
また、前記したスターエル氏らは、ドイツ連邦軍の戦史研究部局とも親密な関係を持っていることで知られていますが、もし大木氏が言うように「カレルの著作を参考文献に使う人間は相手にされない」「カレルを参考文献として挙げるだけでアウト」みたいな教条主義(ドグマ)的とも言える思考が同局内を支配しているなら、スターエル氏はなぜ「出入り禁止」になっていないのでしょうか。
スターエル氏が、参考文献にカレルの著作を挙げた後も、普通にBA-MA(ドイツ連邦軍公文書館)の史料を参照して研究されている事実を考えれば、ドイツの戦史研究界において、パウル・カレルの価値を評価することがタブーとなっている理由については、「ヒトラーの戦争遂行に協力した元ナチ幹部」という経歴の要素を無視できないように思えます。
米国AMAZONのスターエル氏に関する著者ページ。
さらに言えば、版元の「カンザス大学出版局(米)」や「ケンブリッジ大学出版局(英)」などは、どこの馬の骨ともわからない人間の著作を無批判に出すような出版機構ではなく、内容を精査された研究書だけを厳選して刊行している版元です。
私は逆に、1960年代に刊行された「古い本」であるパウル・カレルの著書が、直近7年の間に出版された16冊もの独ソ戦研究書で、未だに参考文献として使われているという予想外の事実に驚きました。私は『歴史群像』誌の原稿や単行本の執筆で独ソ戦について書くとき、パウル・カレルの著書は参考にはせず、いつも「もうパウル・カレルの著作が必要なくなるような内容の濃い記事にしよう」と思って取り組んでいますが、刊行から50年経ってもまだ第一線の研究者から参照される本というのは、当事者の手記や回想録を別にすれば、なかなか無いような気もします。
下は、パウル・カレルの『バルバロッサ作戦』ドイツ語版原書(Ullstein, 1985)の表紙と、巻末の参考文献リスト。先に紹介した守屋純氏の著書で「アメリカの思惑に協力した元ドイツ軍参謀将校」として名前の挙がった、クルト・フォン・ティペルスキルヒ、ヴァルター・フーバッチュ、ハンス・アドルフ・ヤコブセン、アルフレート・フィリッピ、そしてエーリヒ・フォン・マンシュタインらの著作が参考にされています。カレルの著書に見られる「国防軍弁護」の誘導は、カレル個人の問題なのか、それとも背景にあるもっと大きな問題に根源があるのか。
なお、大木氏は『コマンド・マガジン日本版』第120号(2014年12月)に「幻の大戦車戦」という記事を寄稿されていますが、この記事の参考文献として、David Stahel "Operation Barbarossa and Germany's Defeat in the East" と David M.Glantz "Barbarossa Derailed" を挙げておられます。と言うことは、この二人の研究者が自著で、パウル・カレルの著書を参考文献として挙げている事実は、当然大木氏も知っているはず(参考文献欄を特に細かくチェックされる方です)ですが、今回の『歴史群像』誌の記事では、そうした事実にはなぜか一切、言及されていません。逆に、前記したように「今日、パウル・カレルの著書が全否定に近い扱いを受けている」というような、正反対とも言える説明をされています。