社工(しゃこう)

筑波大学の社会工学」についての書き散らしです. 公式サイトには載らないような内容の充実を目指して2015年ごろから書き始めましたが,一向に進みません. 公式サイト,Annual Report,その他公刊された出版物をはじめとした信頼性のある資料を事実関係の典拠として用いていますが,複数の文献間でしばしば生じる齟齬や不正確な記述,また黒田の誤認によって,不本意ながらも虚偽の内容が混入している可能性があることにご注意ください. 主観的で偏った記述も含みます.また経政関連では,現大塚(ビジネス)分も半端に混在しております.

何名かの先生方や同輩からは,記述の空白部分や誤りについてご指導,ご指摘をいただいております. 厚く御礼申し上げます.

※2018年7月追記:Googleサイト(HTMLボックス)の出力挙動が変更されたため,当初意図していたレイアウトとは異なる形で表示されているようです.相すみません.

※2020年8月追記:新しいGoogleサイトに移行したため,さらにおかしくなっているかもしれません.


社工―筑波大学の社会工学―は,「社会工学類(理工学群)」・「社会工学専攻(大学院システム情報工学研究科)」,および対応する教員組織「社会工学域(システム情報系)」から成ります. 一定程度認知・使用されている「社工」以外の略称としては SK (ShaKo), PPS (Policy and Planning Sciences), POPS (POlicy and Planning Sciences), しゃえ(「社」音読み+「工」仮名)などがあります.

社工の誕生は1975年の社会工学系設立まで遡り,1977年に社会工学類の第一期生が入学して本格的な教育活動がはじまりました. その後幾つかの改編や改組を経て,学類は「理工学群社会工学類」として,大学院は「システム情報工学研究科社会工学専攻」として運営されています.

社工は3つの分野,すなわち社会経済システム(社経),経営工学(経工),都市計画(都市 または 都市計)の3つの専攻から成り,専攻ごとに異なる思想,文化,掟,慣習によって運営されます.


「社会工学」とは

詳細は以下の文献を参照されたい.


概要

社会工学は社会問題の解決を目指す実践的なアプローチを試みる学問領域であるとされています. この“社会工学”なる学問を説明する,あるいは定義づける特徴として 「文理融合」,「学際/学融合」,「実践的」,「問題解決」,「意思決定」,「工学/数理」 といった語句が挙げられます. 同時に,社会現象や社会問題に対して単に工学的・数理的手法を適用しただけのものではない,とも説明されます.

東工大の社会工学で長年にわたって教鞭をとられた肥田野登先生は「社会問題解決のための工学」である社会工学を,より厳密には「地域や社会の問題を地域や社会の厚生を増進させることを唯一の目的に,あらゆる手段体系を用いて,特にコンセプト,政策,計画によって,解決するための理論の構築とそれを実現する技術を開発する学問」であると説明されています. 肥田野(2000)は 1. 目的的な技術集団のための個別的手段による問題解決ではないこと,2. 実践的学問であること,3. 意味の付与・価値の再発見や提示など精神世界を視野に入れること,4. 異分野にわたる情報と議論が求められること,5. 新領域創設に際しては原理構築・理論化を重視すること,の5つをその特色として挙げています. 小野善康先生による動学理論(『景気と経済政策』 参照)や中村良夫先生による風景学(『風景学入門』 参照)がこれに該当するとの由. 先生によれば社会工学においては,まず人工物・自然物の世界が存在し,その上に市場経済(財・サービス),さらにその上位に貨幣金融市場が存在し,最上位にメタな精神世界が存在するのだそうです.

類似する学問とはどのように異なるのでしょうか. 例えば「都市工学」は建築,土木などの工学技術を背景とする点で,人文社会科学を主要な原理と位置付ける社会工学と異なります. また都市工学における計画が物的な構造物であるのに対し,社会工学における計画の対象は社会や経済政策です. では社会を対象とし人文社会科学に立脚する「総合政策学科」はどうでしょうか. 肥田野先生によれば,社会工学では実施者の主観が反映されるデータ収集までが対象に含まれる点において,また政策やデザインの実施を自ら行ってそのフィードバックから学ぼうとする態度において,総合政策学科とは異なるのだそうです. (単に企業経営における意思決定を領域に含みうるかという相違点が簡明ではなかろうかと思う節もありますが,詳しくは 今田・橋爪 [2000, Ch. 4] を参照)


思想・学問としての社会工学の歴史

思想としての社会工学(social engineering, social technology)は19世紀末から20世紀初頭には既に認識されており,カール・ポパーの説く漸進的な社会改良(piecemeal social engineering)を目指す社会思想の一つとして存在していました(cf. K・ポパー 『歴史主義の貧困』 第3章など). これは「ある青写真に従って理想社会を一気に実現させることは不可能であり,むしろ私たちができることは,日常にある種々の悪と闘うことが唯一行える道である(原文ママ.今田・橋爪 [2000,p.112] より引用)」というものです(cf. フランス革命の省察から生まれたE・バーク的な意味での保守主義). 一方で1960年代には社会問題への工学の適用という考え方が広がり,social engineeringは社会技術として受容され始めます. 1965年に米国カリフォルニア州で開始されたカリフォルニア・プロジェクトは社会工学的アプローチによる研究開発活動として国外からも注目を集めたようです(『社会開発プロジェクトの展開―アメリカにおける社会工学的アプローチ』 参照). 余談ですが建築家の黒川紀章氏は1969年に「社会工学研究所」を設立されています. 1960・70年代,日本では東工大や筑波大に社会工学の研究教育組織が編成されます. 肥田野先生によれば,数十年にわたる研究により社会工学的アプローチについて [1] 現実との対峙による理論の深化と手法の精緻化, [2] 政策の作成やデザインなどの社会的行為は学問と研究者自らの反省に不可欠, [3] 現実のデータを収集することは現実に肉薄する有効なアプローチである, などの妥当性が実証されたと述べています. 一方で,既存の学問体系を機械的に融合させても問題解決の学問としては成立しない点などが指摘されるようになります.

これらの流れと並行して,科学の発展に伴う専門分業体制と学問領域の細分化,また知識の蛸壺化が指摘されるようになります. このような状況下では,個別の学問領域が持つ自律性と独自性によってひかれた境界を侵犯しないことを前提とした「学際協力」には,領域同士の間隙で発生する問題への対処は困難であったり,また協力体制における責任の所在が不明確であるとの現実があったのです. そこで,それまで進行していた社会の機能分化や学問の専門分化とは逆方向の脱分節化(dedifferentiation)の一つの帰結として文理融合(collage や pastiche ではなく fusion)の学問「社会理工学」が形成されていったようです(もっとも東工大内部に留まっている印象ですが). 「21世紀の研究境域体制はいかにあるべきかという問いと実践から生まれた」とか「大学における研究教育のあり方をリストラクチャリングする試みの中から生まれた」などと表現されることもあります. 今田・橋爪(2000)は社会工学を包含した文理融合の「社会理工学」を解説していますが,そこでは社会理工学の主要なキーワードを「意思決定」とし,経営学,オペレーションズ・リサーチ(OR),政治学(政治算術の学)などがこれに直接的に関係していることを挙げています. 東工大で社会理工学研究科の設立に尽力された今田高俊先生は,この方法論を基礎づける科学の認識活動である観察帰納法(具体・一般),仮説演繹法(抽象・普遍),意味解釈法(特殊・個別)の3つを「メソドロジーの三角形」と呼び,認識を存在に接続する理性手続き(つまりは科学)に従っており方法的に等価であると説いています. 先生によればマックス・ウェーバーの構築した「理解(理解科学)」は「演繹・帰納・解釈が渾然一体となった認識法」であり,これは今田先生の提唱する「メソドロジーの三角形」とトポロジーが異なる同様の類型・区分であるようです(黒田の勝手な解釈).


日本における研究教育組織としての社会工学の歴史

日本において社会工学を冠する組織設立の皮切りとなったのは1966年の東京工業大学社会工学科(Department of Social Engineering)設置で,ここでは社会開発や空間開発を中心としていました(「経済と建築の共存型」という評も). 東工大の社会工学については前掲の今田・橋爪(2000)のほか,石原(1979)中井(2014)などを参照. これに続いて1975年には筑波大学に社会工学系が設立されましたが,東工大に比べて社会経済計画の色合いが強かったようです. 他にも「環境社会工学科」など名称の一部に「社会工学」を含む組織がいくつか存在します. 東工大は2016年4月に学部と研究科が一体となって教育を行う学院制を導入したため,組織としての社会工学は姿を消すこととなります. 改組後,学部は第4類・経営工学系,大学院は工学院・経営工学系などが対応する組織となっているようです.

1966年の東工大・社会工学専攻設置(授業開始は67年)は,人文社会科学系(永井道雄,川喜田二郎,永井陽之助,宮城音弥)と経済系(阿部統,鈴木光男)からの流れに,さらに都市計画(石原舜介ら)からの流れが加わったものが源流であったといわれています. さらに縦割りを避ける新たな領域の工学を創ることが訴えられ,経済工学科,情報工学科,社会工学科の3学科からなる社会工学部の設置が決定されます. 実際には諸事情により社会工学科の一学科として設立されました. 成立当時の東工大では講座制が敷かれており,社会工学,開発計画,計画数理,産業計画,資源計画,地域計画の6講座から成るものでした(ただし講座の教授・助教授は独立して研究室を運営していたとのこと). 1980年代にはゲーム論が社会工学から外れ,その一方で環境,景観工学が社会工学に加わります. その後 [1] 土地利用計画のように施設やモノによって区分された計画よりも国土・都市計画のようにシステム全体のデザインの重要性が認識された, [2] 公共システム・デザインを公共性の概念のもとに考え直す必要性が認識された, [3] 個別計画のバックボーンとなる「計画理論」なる概念が導入された, といった大きな修正を加えられながら,数十年にわたって「計画」を中心として研究教育がなされてきました. 東京工業大学では1996年に人文社会系と理工系を融合した大学院社会理工学研究科(Graduate School of Decision Science and Technology)が設置され,“科学技術と人間社会の不調和から発生する諸問題を解決して住みよい人間社会を実現する”ことがスローガンとして掲げられました. この社会理工学研究科は人間行動システム専攻,価値システム専攻,経営工学専攻,社会工学専攻の4専攻から構成されており,このような文理融合はMIT(米国)やエコール・ポリテクニーク(仏国)に端緒が見られるとのことです. ちなみに東工大には戦後間もなくから経営(システム)工学科が設置されて資産運用理論などが研究されており,やがて盛んにおこなわれるようになった金融分野の研究が後の理財工学研究センターへと繋がっていきました.


様々な定義

  • 工学を単純に社会に適用した考え方、科学技術をセキュリティーや安全、安心の向上に利用したもの、あるいは土木や建築を足して2で割ったもの(中略)では全く有りません。 (中略) 社会工学は社会の問題を人類の知の集大成された哲学を基本として多様な側面から深く考え、最も適切な方法で解決する学問です。したがって哲学なき社会技術とは根本的に異なります。 - 東京工業大学社会工学専攻・社会工学科 「社会工学とは何か」 [リンク切れ]
  • 社会工学は,複雑に絡みあう社会現象を様々な視点からとらえ,工学的・実践的・戦略的に解決するためのシステムをデザインすることを目指す学問 - 腰塚武志による序文 『社会工学が面白い―学祭学問への招待』 筑波大学社会工学類編,開成出版,iii,2008.
  • 現代社会の多様な問題を客観的・数理的アプローチで分析し、解決することを目指す挑戦的な学際分野 - 社会工学専攻 「教員代表挨拶」
  • さまざまな社会現象を,社会という一つの有機的なシステムの中で相互に関連し合っているものとして,その因果関係をシステム工学的に追求していこうとするものである(244頁) - 林雄二郎 「終章 社会工学―これからの課題」 『社会工学―社会システムの理論と応用』 筑摩書房,243-250,1971.
  • 社会工学は,社会システムを工学的に体系づけようとする学問,あるいは,社会システムをシステム工学的に体系づけようとする学問である (中略) 社会工学は,まずシステムとは何かを明らかにし,ここから社会システムとは何かを解明し,その社会システムの研究,設計,運用にシステム工学的手法の適用がどのように可能であるかを検討し,これら一連の考察を体系づけることである(38頁) - 片方善治 「第一章 社会システム」 『社会工学―社会システムの理論と応用』 筑摩書房,37-72,1971.
  • Social Engineering is an academic field of study to construct a theory to resolve various social problems by means of physical, social and institutional approach with special emphasis on step by step or piecemeal (after K. Popper) improvements based upon the two directional planning and designing experiences of the reality. - 肥田野登 「社会工学とは? [リンク切れ]」 1996.
  • 社会工学は従来タテ割りであった社会科学の諸領域(法学,政治学,社会学,経済学,経営学)とは対立し,行動科学,文化人類学,情報科学,科学技術政策,等を含むより広い研究領域を対象とし,これに学際的ないし超学際的手法で問題解決型の接近を行う新しいタイプの学問領域で,すでにカール・ポッパーやロスコー・パウンドの提唱から半世紀の歴史が流れている.(13頁) - 宍戸駿太郎 「序論 二十一世紀への社会工学―いくつかの問題提起」,『社会工学概論・上』 学陽書房,3-17,1987.
  • (社会工学の特色の)第一は学際性であり,社会科学の諸領域とその隣接領域をも加えた広領域の科学であって,社会システムに関する基礎的分析や行動科学的分析が共通の基盤を形成することにある. 第二は政策指向性であって,旧来のたて割型の経済政策,行・財政政策,社会政策等と異なり,むしろこれらを包括した「政策科学」ないしは「計画の科学」としての斉合性を持った政策体系が中心となり,この枠の中で目標と手段の関連についての分析が行われることにある.(87-88頁) - 細野昭雄 「11 国際開発への社会工学的接近」,『社会工学概論・下』 学陽書房,85-97,1987.
  • 社会問題の解決努力という文脈においてみるならば,社会工学は,現代社会に広範に見られる「社会計画的な志向」の中で,一つの特殊な位置を占めている. 広義の社会計画的な志向とは,さまざまな社会問題を,社会システムの構造と作動原理についての科学的知識になんらかの程度において依拠しつつ,社会システムの制禦という志向をもって,解決したり未然に防止しようとする努力の総体として特徴づけられよう. 社会工学とは,広義の社会計画的志向の中でも,社会問題の解決を,工学的問題解決と同型的な領域仮説 (domain assumption) に基づいて行おうという立場である.(40頁) - 舩橋晴俊 「社会工学の領域仮説と限界問題」,『社会労働研究』,27 (2),39-61,1981.


下図は『学問のしくみ事典』(日本実業出版社,2016.amazon.co.jp)に「工学のフィールド」として掲載された図に,社工に関連するものに下線を加えたもの.

Field of engineering and relationships among sciences

“つくばの社工”の来歴

詳細は以下の文献を参照されたい.

年譜

    • 1975 - (系)社会工学系 (院)社会科学研究科計量計画学専攻
    • 1976 - (院)経営・政策科学研究科
    • 1977 - (学群)第三学群社会工学類
    • 1978 - (院)社会工学研究科計量計画学,都市・地域計画学専攻に改組
    • 1979 - (院)経営工学専攻
    • 1997 - (院)計量ファイナンス・マネジメント専攻
    • 2000 - (院)システム情報工学研究科社会システム工学専攻(一貫制)と計量ファイナンス・マネジメント専攻に改組
    • 2001 - (院)経営・政策科学研究科から社会人大学院に相当する専攻が離脱し,ビジネス科学研究科(東京キャンパス)へ
    • 2005 - (院)経政がシス情の下に移動.社シスは計量FMを吸収し,社会システム・マネジメント専攻(後期)と社会システム工学専攻(前期)に改組
    • 2007 - (学群)理工学群社会工学類に改名
    • 2014 - (院)社会工学専攻に改組.学位プログラム制を採択


発足

1973年10月,のちのつくば市となる茨城県新治郡桜村に筑波大学が開学します(この時期までの我が国における教育政策については 文部省 『学制百年史』 1981年. を参照). 70年代の大学紛争から生み出された“新構想大学”「筑波大学」は,その特色として (1) 学群・学系制度の導入,(2) 新しい大学自治,(3) 開かれた大学 を掲げていました. 遅くとも同年9月に示された「筑波新大学創設準備会」の報告(通称「青表紙」)では,筑波大学全26学系の一つとして社会工学系が定められ,学際性と政策指向性を大きな二つの特色とされていました. また,のちに社会工学系に所属することとなる一部教員は1974年創立の地域研究研究科(修士課程)で教鞭をとり始めており,社会科学系に籍をおいていたようです.

1975年には教員の研究組織である社会工学系(当時の英称は Institute of Socio-Economic Planning)が設立されます. 第一陣で着任したのは,宍戸駿太郎,福地崇生,目良浩一,渡辺浩,大西治男,和合肇の計6名の先生方でした. 宍戸先生は筑波大学社会科学系から,福地先生は国際基督教大学から,目良先生は(財)国際開発センターから,渡辺先生は東北大学から,大西先生は京都大学から,そして和合先生は日本経済調査協議会からの異動です. 初代学系長を務められたのは宍戸先生でした. 当時は第三学群の学舎がなかったため,体育芸術学群棟が拠点だったそうです. 6月には7人目の教員となる丹羽冨士雄先生が西ドイツ原子力研究所(西ドイツ・カールスルーエ原子力研究所?)から異動してこられます. 七人の侍の略歴を示します.

    1. 宍戸駿太郎 - 東京帝大(旧制)を1947年に卒業. 行政管理庁,通産省,Harvard Economic Research Project (HERP),経済企画庁などで活動し,1974年に筑波大学着任,翌95年より教授として社工へ. Hollis B. Chenery らとの共著で Econometrica 30(1):98-139, 1962 に業績を持つ. その後,筑波大学副学長,国際大学学長,筑波大学名誉教授,国際大学名誉教授となる. 2016年11月,92歳で逝去.
    2. 福地崇生 - 日本語版Wikipedia「福地崇生」を参照. 経済企画庁時代の上司が宍戸先生だったらしく,その後宍戸先生の説得により教授職で社工に着任.
    3. 目良浩一 - 戦時中に韓国で生まれる. 東京大学では建築家・丹下健三先生のもとで学び,修士課程を終えた年の夏にフルブライト留学生として渡米しプリンストン大学で過ごす. その後ハーバード大学に移籍したが,当時在籍していた研究科の研究科長は William Alonso,目良先生の論文指導教員は John R. Meyer であったという. 1965年に学位を取得し(参照:Dissertation: Harvard U., 1965),ハーバード大学講師・助教授,世界銀行,国際開発センター主任研究員などを歴任. その後,教授職で社工に着任. 現在では歴史問題に関する活動も行う(参照:産経ニュース 「目良浩一さん「米国に蔓延する『慰安婦=性奴隷』説は大きな障害」」 2015年8月4日).
    4. 渡辺浩 - 東京大学を1952年に卒業し,東京工業大学,東北大学,統計数理研究所などを渡り歩く. 教授ポストで着任. 筑波大学の生命環境系にいらっしゃった「渡邊浩」先生(1989年に名誉教授)とは別人. 社工の渡辺浩先生は1992年に筑波大学名誉教授になり,1997年12月から1年間「筑波大学名誉教授の会」役員を務める.
    5. 大西治男 - 1965年に京都大学を卒業し,フルブライト・プログラムによりイリノイ大学に留学して1973年に農業経済学でPh.D.を取得する. 京都大学に奉職したのち,助教授として社工に着任.
    6. 和合肇 - 早稲田大学大学院を卒業. 講師として社工に着任. その後,富山大学,新潟大学,名古屋大学,京都産業大学で教授職を歴任. 2016年12月,逝去.
    7. 丹羽冨士雄 - 1942年,中国北部に生まれる. 1966年に東京大学を卒業,1970年に西ドイツに渡独. 助教授として社工に着任. 以前から宍戸先生と面識があったらしく,宍戸先生が引き抜いた模様. その後,政策研究大学院大学などで教鞭をとる.

島田勘兵衛は宍戸先生でした. 宍戸先生に関しては以下のような言及も確認できます.

  • そして,この研究部局は,元経済企画庁のテクノクラートであったところの宍戸駿太郎学系長によってリードされる. 宍戸教授(理論経済学,経済政策,計量経済学,社会工学)は,昭和四九年四月に筑波大学教官に就任するまでは,経企庁審議官というエリート官僚であった. (中略) 大学中枢部の信任があつく,いまや筑波大学の “目玉” ともいうべき「社会工学」という耳新しい研究・教育部門の設営は,彼の力によるところが大きい. (中略) 筑波大学には,国際問題関係の第四学群の設置の構想もあるが,それは,宍戸ラインによって進められて居るときく.(186-188頁) - 長須祥行 「第5章 首領とその教官たち」 『筑波大学―新構想は何をもたらしたか』 現代評論社,1980.

初年度の主な研究活動は,1974年度の社会科学系共同プロジェクトから引き継がれた「プロジェクト研究―公害制御についてのマクロ分析」や,2010年代現在も続く「各種の社会・経済統計のデータバンクの作成」などでした. 同年7月に第一回目となる社会工学系研究会が開かれ,福地先生が発表されました. 12月には Institute of Socio-Economic Planning Discussion Paper Series No. 1 が発刊されます. 記念すべき第一号は,宍戸先生と経済企画庁の星野進保先生による "Economic Planning Techniques in Japan" と題する55ページにわたる論文でした. ちなみに No. 2 も宍戸先生の共著論文です.

社会工学系の設立と同時に,大学院博士課程社会科学研究科に計量計画学専攻(Quantitative Policy Analysis)が発足します. 計量計画学専攻の編入学試験が4月に行われ,翌5月には大学院の入学式が挙行され,授業が開始されました(入学定員6名). 当初の計画によれば「社会工学研究科」として発足する予定だったそうですが,なぜか「社会科学研究科」を構成する下位組織として設置されました(Annual Report によれば「時期的な配慮から」だそうです).

1976年,おそらくは7月前後と思われますが,年次報告書に相当する "Annual Report 1975-1976 No. 1" が発刊されます. 当時は現在のそれとは異なり,研究の具体的な内容や学会発表時の討論内容,さらには着任した教員の自己紹介までが含まれていました.

1976年,修士課程である大学院経営・政策科学研究科(Graduate School of Management Sciences and Public Policy Studies)経営政策科学専攻が筑波キャンパスに発足します(定員20名). この“経政”はのちに2学年合わせて100名程度を定員とする小規模のビジネス・スクールとなります. 後年には日本語を母国語としない学生の割合が3割から4割程度となり,東アジアからの留学生や,2003年からはJICA奨学生の受け入れもなされていました. 金澤雄一郎先生によれば「授業内容はいわゆる文科系のビジネス・スクールとはかなり異なり、アメリカのビジネス・スクールの標準にかなり近い」とのことです. 教員のほとんどは社会工学系の先生方でした. 詳細は渡辺(1984, OR)を参照されたい.

同じく1976年,第三学群設置のための準備委員会が作られ,内部からは宍戸先生などが参加しておられました. 社会工学類設立のための準備委員会には,大阪大学の筑井甚吉先生や,地域計画連合(民間コンサル)の小島重次先生などがおられました. 小島先生が委員となられたのは社工に着任する前で,外部識者としての参画だったようです. この時点では一般社会工学,経営工学,都市工学の3専攻体制が検討されていたとのこと.

1977年,第三学群(Third Cluster of Colleges,別名「経営・工学群」)の創設とともに社会工学類(College of Socio-Economic Planning → 90年代 College of Policy and Planning Sciences に変更)が設置され,4月19日に第一期生116名が入学しました(男性92%・現役率61% / 競争倍率4.16 / 定員120名). 当初の(主)専攻は社会経済計画経営工学都市計画の3つでした(専攻振り分けは2年次に実施し,3年次進級時に配属). この時点での教員(国立大学の法人化前なので正確には「教官」)は23名です. 教員のほとんどは東京教育大学以外の教員で,多くは学士の入学と同時に着任したのだそうです. 初代学類長の倉谷好郎先生は新入生のオリエンテーションで以下のように語ったそうです.

    • 第三学群は,その教育理念と,新設学群としての革新的気概において筑波大学の目玉であり,社会工学類は,第三学群の目玉であるので,社会工学類は,筑波大学の大目玉である.(172頁) - 倉谷好郎 「社会工学類の発足」,『筑波大学十年史〈回顧篇〉』,172-173,1984.

当時は校舎の建設中だったらしく,第二学群棟の仮学舎を使用していました. 倉谷先生は社会工学類の特徴を以下のように語っています.

    • 社会工学が,政策指向型の総合社会科学であると,その本質を規定して,教育理念として,高度の理論に裏打ちされた実証主義 (Empiricism) を掲げ,社会経済データバンクの整備,学類専用大型計算機,社会行動実験室その他の実験設備の充実をはかり,我が国は勿論欧米先進国を通じて,極めてユニークな教育プログラムの開設を目指して努力を行ってきたのである.(172頁) - 倉谷好郎 「社会工学類の発足」,『筑波大学十年史〈回顧篇〉』,172-173,1984.

ちなみに「学群」という名称をはじめて使用したのは筑波大です(出典:日経「大学で増殖する造語、「学群」「学域」「学環」って?」2015年5月6日). 当初の計画では以下のような科目が開講されることが決まっていました.

    • 社経 ... 比較体制論,社会経済計画実習,計量経済学,計量政治社会学,国際経済学,開発経済学,数理経済学,資源計画,金融論,国際金融,財政学,労働経済学,計量心理学,経済統計,経済計画,国際政治学,公共経済学,厚生経済学
    • 経工 ... 企業行動科学,経営工学実習,数理統計学,数理統計学演習,応用確率論,数理計画,数理計画演習,応用確率過程,経営経済学,経営組織論,会計学概論,産業心理学,生産管理,シュミレーション,シュミレーション演習,財務管理論,マーケッティング,国際企業論,投資計画(のちに「経営計画」に改称)
    • 都市 ... 都市発展史,都市地域計画実習,都市構造論II,土地利用計画,環境計画,地域計画,都市計画手法,都市設計,農村計画,都市施設計画,地区計画,交通計画,投資計画(のちに「公共投資計画」に改称),地域経済学,都市財政,都市行政,都市防災
    • 共通 ... 社会工学概論,経済学原論,数学概論,統計学,情報論理学,社会工学実習I,行動科学概論,ミクロ経済学,社会調査方法論,社会システム論,マクロ経済学,経営工学概論,数理解析,数理解析演習,現代都市論,都市構造論,社会工学実習II (以上、すべて『開設授業科目表』原文ママ)

1977年の第三学群創設時は,社会工学類のほかに情報学類と基礎工学類をあわせた計3学類で発足しました. 1983年には国際関係学類(国際総合学類の前身),1991年には工学システム学類が開設されます. 組織改編は複雑なため,理工学群の公式サイト「学群の歴史」をご覧ください. 社工の関係組織である環境科学研究科(修士課程)が発足したのも1977年4月でした(内部からは社工のほかに自然(現・地球学類),農林(現・資源),生物学類の進学先の一つだった).

社会工学類は発足初年度から学園祭(第一回は「紫桐祭」として1975年に開催.翌年からは「雙峰祭」として開催)に参加し,以後各クラスで模擬店を出店したり,学術企画として実習作品の展示や社会工学に関連した研究発表などを企画していました. 参加初年度の1977年は社工学類文集「社会工学われらの原点」を発行し配布したようです. ちなみに1979年の筑波大学は,学生が無許可集会を繰り返し行う,学園祭実行委員の主張(主に,企画内容審査拒否と顧問教官制廃止)が大学側に受け入れられず,学長への直接交渉を求めて学生が本部等に座り込む,学生呼び出し等への抗議として当時の基礎工学類長を深夜2時まで拘束する,これに関連した無期停学を含む学生処分と,その告示を持ち去ろうとした学生の現行犯逮捕,等々,大変に物騒でした. そのために1980年は学園祭が中止となり,自主学園祭(幻の学園祭)が開催された,という歴史があります. 翌1981年には再開しますが,1984年は再び中止され,翌1985年からは現在に至るまで毎年開催されています(2020年=第46回=は新型コロナウイルスのため中止).

1977年11月,学内連絡バスの運行が始まります. 当初は8:30-17:15に15分間隔で運行しており,区間は大学本部棟前から大学附属病院までとなっていました(一の矢までは行かずに,現在の「第二エリア前」を経由するルート). なお2005年8月からは新学内交通システムの運用が開始され(TXの開業と同日),関東鉄道バスの路線バスを使用することとなります. この検討プロジェクトチームの主査を務めたのは,社工の石田東生教授でした. 詳細はWikipedia「筑波大学キャンパス交通システム」をご参照ください.

1978年,社会工学研究科(Graduate Program in Socio-Economic Planning)が開設され,すでに発足していた計量計画学専攻(博士課程)を納め,これに加えて都市・地域計画学専攻(Urban and Regional Planning,博士課程)が新たに設置されました. 課程修了者が取得する学位は,のちに「学術博士(Ph.D. in Socio-Economic Planning)」(または学術修士)に決定します. また学系ではデータバンク委員会が発足します. さらに同年筑波大学ラテン・アメリカ特別プロジェクト研究組織が発足し,系の細野昭雄先生らが活動を開始されます. 年度末には前年度に入学した1期生の専攻振り分けが行われ,社会経済計画専攻 41名,経営工学専攻 21名,都市計画専攻 48名 として,翌79年度に3年次に進級しました. 当初は各主専攻に受け入れ上限人数が設定されており,これ(各48名)を超過した場合には“総合成績算出方式”によって選抜が行われることとなっていました. 第1期生の場合は都市計画の希望者が定員を上回ったために,成績下位者は他専攻への移動を余儀なくされたそうです.

1978年度初めには第三学群棟や工学系学系棟の工事が終わり始め(完成は1979年3月),教官室,教室などが移転してきます. 年度末には第三学群B棟も完成します. また,同じく1978年8月には,新制度である帰国子女の入学選考が行われ,2名の学生が社会工学類に入学しました. この制度は現在でも続いています. 9月には何回かの引っ越しを経て3F棟が学系の本拠地とされ,これが現在まで続くこととなります(F棟への全面移転は翌79年11月).

1979年,社会工学研究科に経営工学専攻(Management Science and Engineering,博士課程)が加わります. がしかし,設置決定直後に行われた4月の入学者選抜試験では適格者がおらず(!),在学生が一人もいないまま初年度は終了します. 学系所属の教官はおよそ80名を数えるまでになり,筑波大学では臨床医学と体育に次ぐ第三位の大型学系へと成長します. なんでもこの頃には教員の筑波山合宿があったとか.

遅くとも1980年頃から,東京工業大学の社会工学科や東京大学の都市工学科と比較して教官積算校費単価が軽実験扱いのために低く,これを重実験化するべしとの意見が継続的に出ていました. 東工大・東大では実験講座単価となっていたため,軽実験扱いの筑波は相対的に低額だったようです.

詳細な時期は不明ですが,1980年代の学類の入試では個別検査(2次試験)で数学と社会が選択可能だったようです(関谷・山本,2010). その当時は共通一次が利用されていましたが,センター試験になってしばらくは後期日程を受験するためには社会科目が2科目必要という時期が続きます. 前期・後期ともに社会科目が1科目のみと変更されたのは2010年代初めのようです.

1980年には統一教会に傾倒していた福田信之先生が学長に就任し,1983年に発足した国際関係学類(通称「こっかん」,現・国際総合学類)でも統一教会系の人物や核武装論者などが教員に就任するなど筑波大学は大いに騒がしかったようですが(出典:朝日新聞「筑波大の国際関係学類 どこか偏った感じの教授陣(真相・深層)」1984年9月1日3頁),社工周辺ではそのような物騒な話もなかったようです. 社工発足当初に名を連ねた経済学者の先生方も,近代経済学の方ばかりでした.

筑波大学で教員を務めていた降旗節雄先生は自著 『筑波大学―開かれた大学の実態』 の中で,筑波大学における社会科学系の弱体化と対比して,また国際関係学類との関連について,および学問の計量化の象徴として,社工について言及されています.

  • たとえば社会科学系教員一人当たり1.1の研究費に対して,社会工学系教員は3.1-3.8の研究費が与えられるが,これは研究審議会で決定される. 前者が五〇万円なら,後者は二〇〇万円に近いというわけだ.(49頁) - 降旗節雄 『筑波大学―開かれた大学の実態』,三一書房,1983.
  • その総合大学としての奇形性は,理工系偏重の基本構造にあらわれている. 「体育・物理大学」という奇妙な呼称は,学生や教員が筑波大を自嘲していう場合の慣用語であり (中略) 筑波移転に最も頑強に抵抗した文学部と密接な関係を持つ人文・社会科学系は日の当たらない部局として取り残された. (中略) 社会工学と較べて,その劣悪な研究・教育条件は容易に推測できよう. (中略) 人文・社会科学系冷遇というマスター・プランは,研究費の学内再配分という独自の措置によってさらにその不公平感を増幅する. 文部省からの研究費は,実験と非実験とによって一対三の較差がつけられているのは周知のとおりだが〔原文ママ〕, (中略) 同じ社会問題を扱いながら,その方法が異なるだけで社会科学系と社会工学系とはほぼ一対三の比率をつけられた.(Ibid. 62-63頁)
  • 学内プロジェクトも,国民体力,核物性,ラテン・アメリカという,体育,物理,社会工学の陽の当たる三系列と結びついた研究しか採用されていない(後略)(Ibid. 76頁)
  • 文部省=大学の姿勢が,従来の人文・社会科学を可能な限り縮小して,社会工学系の飛躍的拡大を狙っていることがうかがえよう. では社会工学・情報学類とは何か. 学生へのガイダンス資料によると「社会工学類は狭義の社会工学(公共セクターを対象)に経営工学(民間セクター)を加え,いずれかの部門の計画企画調査部門で計画業務に従事する有能な人材を養成することを目的と」するとされ,その内部は社会・経済計画,経営工学,都市計画の各専攻に分かれる. (中略:情報学類の説明) 要するにコンピュータを使い,国家や企業の経営政策にそうプランやモデルや統計づくりに習熟した技術者の養成機関ということになろう. かつて大学は,真理を追及する学問の研究と伝達の場であるとされ,その成果の企業や国家での利用が産学また政学協同として可否を議論された. しかし現在は全く違う. 学問そのものが最初から国家ないし企業によってしか利用できない「論理―セオリー」と技術の集積にすぎず,学生はテキストによって専門用語と分析手法を習得し,コンピューターで練習問題を解くことによって「計画業務に従事する有能な人材」として仕上げられるのである. (中略:新設される国際関係学類について) 計量分析・社会工学の全面支配をめざして,学部・学科のスクラップアンドビルドが強行されているのである.(Ibid. 90-91頁)
  • 「社会科学の一分野に,標準教科書なるものが存在し,〈訓練〉によって一人前の社会科学者が〈養成〉され,しかも養成された専門家たちが巨大な職業集団を構成する」という「一昔前の日本では想像もつかないこと」(佐和氏)が一九五〇年代のアメリカで進行し,一九六〇年代から日本に輸入されるようになった. 文部省の肝いりで,それを組織的に実現しようとしたのが,筑波大の社会工学類・情報学類であり,これをモデルにして経済学の制度化は現在多くの国立大の経済学部に拡大しつつあり,(後略)(Ibid. 93頁) [引用者注:佐和氏とは経済学者の佐和隆光先生を指す]
  • (国際関係学類について)国際関係は通常社会科学とみなされるから,社会学類専攻をふくむ第一学群におかれるのが自然であろう〔原文ママ〕. ところが,この学類は応用的側面を重視するから政策科学的アプローチをめざす社会工学類と相補的関係があるとして,第三学群に設置されることになった.(Ibid. 177-178頁) (中略) これはどうみても大学内におけるスクラップ・アンド・ビルト政策の強行であろう. 政府や体制への批判的研究をふくむ従来の社会科学系をできるだけ冷遇し縮小し,現体制のもとで政策を提言し対象を計量研究のみに限定しようとする社会工学系を優遇し拡大しようというわけである.(Ibid. 181頁)

降旗先生は,社会工学系の佐藤英夫教授がこの国際関係学類設置を推進する中心人物であったと指摘しています. なお降旗先生が社会学類(当時は第一学群)で教鞭をとっていた経済学者であることを知れば,上記発言の偏りに留意できるでしょう.

1984年6月,社会工学類としてはじめてやどかり祭に参加し,模擬店を出店したようです.

1985年2月,『社会工学類誌』 Vol. 0 が発行されます. 同年7月,学類誌の正式名称が決まり "SOCIO-TECH" として Vol. 1 が発行されます(実質的には第2号). Vol. 1 最初の記事は社工の新入生に向けたPC入門者向けの記事「やさしい(?!)コンピューター講座」,2つ目の「平砂悲惨物語」は天久保にある平砂学生宿舎の不快さを余すことなく伝える記事となっています. 以後,多い時では月1-2回ほどのペースで発行されました. 主な内容は,社工に纏わる時事ネタ,社工教員へのインタビュー,「学園祭問題を考える」(連載),「東京人による私の東京マップ」(連載),「私のいばらき」(連載)などの正統的な内容でしたが,中には「ためになるアイドル教室」と題する日本の女性アイドルを取り上げた連載記事も掲載されていました. また,このページにタイトルを記載することすらためらうような内容の記事も含まれていました. 1978年5月には社会工学類誌 『海嘯(資料によっては「海瀟」のような表記)』 (おそらく「かいしょう」と読みます)が創刊されていますが,詳細は不明です. また1980年には社会工学類ミニコミ誌 『快翔』 が発行されていました(Ibid. p. 120). 概要によれば「好き勝手に発言できる場」として設けられたもので,教員似顔絵から,「自由主義国における唯物史観の崩壊」と題する論考まで掲載されていました. この当時は,大学の大半の学類が学類誌を発行してたようです. 2010年代にも残っている歴史ある学類誌は,情報科学類誌 『WORD』 (1979年創刊)と社会学類誌 『そおしあ~る』 (1981年創刊)くらいです. 近年では,知識情報・図書館学類誌 『MILK』 が2011年に発刊し,情報メディア創成学類誌 『MAST』 は2015年よりWeb形式に移行しました.


10周年を迎え,安定期へ

1985年6月,3F棟に飛び降り防止の網が設置されます. 理由はお察しください.

1985年12月,設立10周年を記念して筑波大学で記念シンポジウムが開催されました. シンポジウムは,第1部会「国際社会と日本―21世紀への国際政治・経済課題」(司会:宍戸先生,加藤先生),第2部会「21世紀の日本的経営システム」(司会:高柳先生),第3部会「21世紀の都市・地域政策」(司会:坂下先生),第4部会「新しい総合社会システム論」(司会:山田先生)の4領域に分けられ,発表と討論が行われました. 1987年には参加者による論説20本が収録された 『社会工学概論―21世紀への問題提起』 が出版されましたが,この時すでに社工を離れていた倉谷先生はこの書について「社会工学研究者の恐らく世界でも最大の集団である筑波大学社会工学系の教官を主体とする今回の労作」としながらも,

    • 社会工学的視点はその参加者によって認識されているものの,その総合的学問の特性である学際的研究の成果がここに提示されているとは思い難い点もある. たとえば先述の20編の力作がことごとく単著で,社会工学を志す研究者の研究報告としては若干奇異な感じもする. 社会工学の研究成果として収録するとすれば,各々その学問的背景を異にする集団が1つのcoherentな集団として具体的事例を中心に共著による正に学際的な研究成果を披露すべきではなかったろうか. (中略) 社会工学はモザイク的な社会科学の集合ではなく,その方法論としては社会システム論があり,しなやかなシステム論があるとすれば,その構築されるべき全理論体系をあらためて明示し,これを強く主張すべきであろう. 今回シンポジウムとそれをベースにした本書はあるいはその方向への努力の成果を示す1つのマイルストーンをめざしたものと言えるかもしれない. - 倉谷好郎による書評(NAID:110001187524).『オペレーションズ・リサーチ―経営の科学』 32(7):495,1987.

と評されています.

1988年,筑波大学で初となる寄付講座「山一證券ファイナンス講座」が開設されます. メインは経営・政策科学研究科(修士)だったものの,学類でも授業が開講されました. 寄付金は5年間で1億2500万円. 先方の意向は「金は出すが口は出さない,ただし超一流の人事をしてもらいたい」というものだったそうです(柴川先生談.SOCIO-TECH Vol. 18 参照).

同じく1988年,やどかり祭のための神輿を作る「社会工学類神輿を作る会」(企画委員会に相当)が発足しました. かつて存在した "Socio-Tech-Omaturi-Project" (参照元の原文ママ)を源流とするそうです. このころ,社学・国際・情報と並んで「就職四天王」と呼ばれていたとか.

1989年4月,夜間修士課程となる経営・政策科学研究科経営システム科学専攻が文京区の大塚キャンパスで発足します. 翌1990年には同じく大塚キャンパスに企業法学専攻が設置され,これによって経政(科)が経政(専攻)・経シス・企業法学の3専攻を擁する形式となります. 1996年には夜間博士課程となる企業科学専攻が発足します. 経政(専攻)では修士(経済学)または修士(経営科学)の学位を取得することができました. 一方でこれら課程のための新規教員採用は少なく,大半は「筑波キャンパスから振替/協力」という形であったため,東京教育大学(筑波大の前身)の跡地への移転計画においては「多大な苦労と犠牲を払って東京から筑波に移転したのに,なぜ東京に新教育組織を作るのか,なぜ筑波地区の教育組織が犠牲を払って東京に作らねばならないのか」という疑問も呈されたとのことです(『筑波大学30年史稿』 p. 58).

この頃の社経は研究面でとりわけすぐれた業績をあげていたようです. 朝日新聞社の「大学ランキング」によれば,筑波大学所属者の1989年と1992年における一流経済学雑誌への論文掲載数が東大,阪大に次いで3位になっていたのだそうです(過去の学類公式パンフレットより).

1992年4月,関連組織となる国際政治経済学研究科(博士課程)も発足します. 1992年度,初となる工業高等専門学校(高専)卒業生を対象とする編入学試験が実施されました. この制度も,現在でも続いています.

1995年12月,社会工学類に対して外部評価が実施されました. 委員長を務められたのは東京大学名誉教授の近藤次郎先生です.

1996年には,経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)の修士課程修了生が「自分のアイデアの論文なのに筆頭の著者名をすり替えられ、名誉を棄損された」として同研究科の教員らを相手取って訴訟を起こしました. 同年7月に東京地方裁判所は原告の主張を認める判決を下しています(出典:朝日新聞 「論文著者順位、『変更は不法』 東京地裁判決」 1996年7月31日朝刊 p. 26; 「論文差し替え裁判 筑波大学に賠償金支払い命令」『筑波大学新聞』第136号、1997年4月10日; 日本ユニ著作権センター 「学会誌著者順序入れ替え事件」).

1997年4月,社会工学研究科に博士課程として計量ファイナンス・マネジメント専攻(Quantitative Finance and Management)が加わります. 斯波先生曰く,楠本先生の指導のもとで開設され,当初は順調だったものの,教員は社工に限定され「寄せ集めの感は免れないもの」だったようです(証券アナリストジャーナル2008年10月号 pp. 60ff). さらに,従来の3専攻(計量計画学,経営工学,都市・地域計画学)は社会経済システム専攻(Socio-Economic Systems),システム情報数理専攻(System, Information and Mathematical Science),都市・環境システム専攻(Urban and Environmental Systems)にそれぞれ名称を変更しました.

大学院重点化による研究科の部局化と学系の幕切れ

2000年4月,理工系大学院の改変に伴って社会工学研究科は新設されたシステム情報工学研究科(Graduate School of Systems and Information Engineering)に再編され,社工相当の組織は計量FM専攻と社会システム工学専攻(Doctoral Program in Policy and Planning Sciences)に再編されます. 翌2001年,シス情にリスク工学専攻(Doctoral Program in Risk Engineering)が新設されます. 担当教員は理工学群(社会工学類,工学システム学類),情報学群(情報科学類),ビジネス科学研究科を担当する教員などです. 詳細は紀要『リスク工学研究』 Vol. 1 を参照されたい.

2001年4月,経営・政策科学研究科のうち経営システム科学専攻(89年~@大塚,Mのみ),企業法学専攻(90年~@大塚,Mのみ),企業科学専攻(96年~@大塚,D)の3専攻が研究科から分離・独立し,この3専攻からなる「ビジネス科学研究科」(社会人大学院)を東京キャンパスに新設します. これをもって経営・政策科学研究科は博士後期課程の専攻を含まないこととなり,翌2002年度には修士課程研究科に戻りました. 2001年度には従来の経営科学分野/政策科学分野が,「MBA」,「ビジネス情報数理」,「社会経済システム」,「都市計画」の“コース制”に変更されます。 2000年度には同窓会「経政会」が発足したようであるが,果たして現在は……?

2004年4月,筑波大学が国立大学法人になってシステム情報工学研究科は部局化し,社会工学系は組織評価・企画提言を行う組織へと変更されます. これにともない,社会工学系に所属していた教員の多くが社会システム・マネジメント専攻の所属となりはじめます. ただしこの時点で「学系」自体はまだ廃止されていません. この年のAnnual Reportでは歴代の学系長がこの改編について所感を述べる節が設けられました. 2003年8月にこの世を去った坂下先生を除いた歴代系長が社工に対するそれぞれの想いを寄稿されているのに対して,腰塚先生だけは,腰塚系長時代に雷が鳴っているとかの理由で会議を休んだ先生の思い出話に終始するという誰にも真似できない自由さを見せつけておられました. 腰塚先生の寄稿は「季節はずれの激しい雷雨があった10月のことであった.」で始まり,「後になって,その人は雷が激しくなったので帰ったのだという.よほど雷に恐怖をお持ちだったのだろうか.」で終わったのです. アニュアル・レポートにまとめられた研究活動報告で「基礎的理論的研究では紙屑以外のものは殆んど得られなかった(原文ママ)」と総括されたことも印象的です(1979年度). 豪傑な方だったようです.

2004年度には学類でカリキュラムの大改革も行われました. 社経は「社会経済専攻」から「社会経済システム主専攻」に改称され,主専攻に加えて副専攻も指定できる,いわゆるメジャー・マイナー制度も導入されます. 基礎と専門を織り交ぜた「くさび型カリキュラム」のもとで,専門科目についてはエリア制が導入されました. このタイミングで主専攻ごとのエリア(各主専攻4つ)に加えて2つの学際エリアも開設されますが,2008年度には「21世紀と社会工学」の1エリアに減少し,2014年度頃を最後に廃止されます.

    • 社経 ... グローバルシステム,計量ファイナンスシステム,公共システム,戦略行動システム
    • 経工 ... 経営工学基礎,マネジメント,情報技術,数理工学モデル化
    • 都市 ... 都市計画共通,まちづくりと都市設計の実践,都市機能とフィジカルプランニング,都市地域環境の経済
    • 学際 ... 21世紀少子高齢社会における社会工学政策,社会基盤政策の未来 (以上、いずれも2004年時点)

リスク工学の先生方が総合研究棟Bに移られたのはこの時期だったようです(2004年3月).

2005年4月,社会システム工学専攻は社シス(英称は Master's Program in Social Systems Engineering に変更.前期)と社会システム・マネジメント専攻(Doctoral Program in Social Systems and Management,後期)に改組されます. 経営・政策科学研究科はシステム情報工学研究科経営・政策科学専攻(前期)へ. 同年の入学者から,修士(ビジネス)を取得するMBAコース,または修士(公共政策)を取得するMPPコースのいずれかを選択することになりました。 2005年12月(?),学生による学生のためのサイト「InfoShako-Students」の運営がはじまり,2008年3月ごろまで続いたようです. これとは別に,2015年頃には学類の有志などで運営する「InfoShako Students」というサイトもあったようですが,長くは続かなかったようです.

2006年に社会工学類30周年記念式典が行われ(archive),初代学類長の倉谷先生より社会工学類の教育の発展を願った寄付によって基金が設立され,ここから倉谷賞が授与されることとなりました. 2006年度が第一回目で,社会経済システム1名,経営工学2名,都市計画1名の計4名に賞が贈られました. その後はほとんど各主専攻一名ずつになっています. ちなみに経営工学主専攻では卒業研究の発表に対する教員の評価に基づいて推薦者を決定しているようです. 長年教鞭を取られていた山本先生曰く,はじめに6段階での教員評定の中央値によって数名選び,次いでその中から成績を考慮して選出するという2段階の選考が行われています(山本,2017).

2006年,明治大学情報コミュニケーション学部元助教授F先生の論文に対して盗用が指摘され,翌2007年1月には盗用が認められて懲戒免職処分となりました(出典:朝日新聞 「明大元助教授の論文「全体の96%が盗用」大学が会見」 2007年1月30日朝刊 p.33). このF先生は2000年から2004年3月まで社工に在籍した人物で,論文盗用と同時に問題視された国費の不正受給は社工在籍中である2004年3月上旬にフランスから無断帰国したことが関係しています.

2007年4月,筑波大学が数字で分類する学群制(ナンバー学群,英訳は cluster of colleges)を改め,第三学群社会工学類から理工学群(School of Science and Engineering)社会工学類になります.

2008年3月,開成出版より社会工学類編 『社会工学が面白い―学祭学問への招待』 が出版されます. この本はオムニバス形式で構成され,社工の教員26名それぞれが自身の研究対象における代表的なトピックのうちの一つを社会工学的側面から簡潔かつ平易にまとめたものです. そのため,社会工学とは何ぞやという問いに対する答えが明示的に示されているわけではなく,学部の一年生が授業の最初に聞くであろうお決まりのネタが一揃い集められた本,というイメージです. 表紙には「自由に社会好学してみよう」という文字がポップなフォントで配置されていますが,この語呂合わせが本体で触れられることは一切ありません. 執筆者を主専攻ごとに掲載順に敬称略で列挙します. 社工から離籍された方についてはカッコ書きで転出先等を記します(2016年時点). 半数以上の方はもう社工にはいらっしゃらないのですね.

    • 社会経済システムの先生方(10名) - 江口匡太(→ 中央大学),石川竜一郎(→ 早稲田大学),石井健一,秋山英三,藤井英次(→ 関西学院大学),原田信行,焼田党(→ 名古屋市立大学),橋本昭洋(→ 定年退職),中村豊,浅野皙(→ 定年退職,東京理科大学)
    • 経営工学(9名) - 三橋平(→ 慶應義塾大学),松田紀之(→ 定年退職),住田潮(→ 定年退職,慶應義塾大学),佐藤亮(→ 横浜国立大学),岡田幸彦,吉瀬章子,鈴木秀男(→ 慶應義塾大学),岸本一男(→ 定年退職),繁野麻衣子
    • 都市計画(7名) - 谷口綾子,吉田謙太郎(→ 長崎大学),小場瀬令二(→ 定年退職,練馬まちづくりセンター),吉田友彦(→ 立命館大学),斎尾直子(→ 東京工業大学),梅本通孝,村尾修(→ 東北大学)

2011年度(頃)の入学者から,社工での体育科目(必修・実技)に関する卒業のための履修要件が4単位から3単位に減りました. さらに,1980年度(1981年3月)から続いた筑波大学英語検定試験(いわゆる「筑波英検」)が廃止されます. ちなみに合格点は「TOEFL相当で約410点」(外国語センターの人文社会系・磐崎弘貞教授談)だったそうです. さらに余談ですが,当初はA-Dで評価されており(Dは不合格),初回の受験者数は1,600人,Aは46人,Dは約150人だったそうです. Aの42%が医学専門学群と生物学類であったたのに対して,芸術専門学群の学生はCとDのみで,基礎工学類と体育専門学群では20%程がD,という学類間格差もあったようです(『筑波大学新聞で読む筑波大学の40年』 p.47).

2011年10月,(学系を経て2004年ごろから)研究科に所属していた教員が,「系」に所属することとなります(全学レベル). 社シマ所属の先生方が所属する教員組織として,システム情報系社会工学域が発足します. 開学から続いた学系は,2012年3月末をもって廃止されました.

2011年12月,経営・政策科学専攻の特定課題研究報告書(修士論文のようなもの.個人ではなくグループで執筆)に不正(無断引用)が発覚し,一名の学生について学位取消しになっています(参考:修士の学位及び課程修了の取消しについて, 2011-12-16).

2013年3月,長らく社工で教鞭をとってこられたゲーム論の金子守先生が定年退職し,最終講義が開かれました. 社工の先生方が退職される際の最終講義は毎年決まって3A棟の204教室(300人以上を収容する大教室)で開催されていましたが,金子先生の最終講義には大学会館が選ばれました. さすがに金子先生だけあって,前座となる紹介や来賓挨拶からして,他の先生方の最終講義とは違った様相を呈していました.

2013年頃から「つくばの社工」と銘打ってブランディングを行いはじめ,2013年5月頃からはtwitter,翌年4月からはfacebookの公式アカウントの運用が開始されました.


改組―経政からサービス工学へ

2014年4月には改組により社会システム工学専攻(修士)と社会システム・マネジメント専攻(博士)が社会工学専攻社会工学学位プログラムとして新たな門出を迎え,さらに経営・政策科学専攻は廃止されました.また,社会工学専攻に修士のみのサービス工学学位プログラムが新設されました.「経政 → サービス工学」という単なる改名ではなく,別組織と考えたほうがよさそうです. この大規模な改組により,博士の学位として「博士(社会工学)」しかとれなくなってしまいました. 英語では「Ph.D. in Policy and Planning Sciences」だそうです. ちなみに改組以前(社シマ)は社会工学(Doctor of Philosophy in Policy and Planning Sciences),社会経済(Economics),マネジメント(Management),工学(Engineering)の4つから適切な学位を選択することができました.

改組によって,2013年後半ごろより,それまで社工一族が拠点としていた工学系3C・3E・3F棟に加えて,経政の根城8A(文科系修士棟)も含んだ広範囲にわたって,事務室・研究室の引っ越しが数多く行われました. 研究棟については,リスク工学の先生方がいらっしゃる総合研究棟Bのみ美しく,3C/E/F/8Aは相対的に劣ります. 3Fが数理系のリサーチ・ユニットに,8Aが計画系のリサーチ・ユニットにおおむね対応しているとかいないとか. 院のコースワークは3C(サービス工学学位プログラム)や3E(社会工学学位プログラム)がメインとなります.

この改組のタイミングで,大学院の授業科目から通常日程(通年や半期など)で開設される「ミクロ経済学」が消失するという俄には信じがたい事態が生じます. 「価格理論」と「ゲーム理論」に分割して大学院ミクロの標準的な範囲を実質的にカバーする,ということであればよかったのですが(ちなみに契約理論は改組以前から殆ど扱われてこなかった模様),そうではありません. 2013年度以前から続いていた「ゲーム理論」(主に非協力ゲームや社会選択理論を対象とし,金子守先生や山本芳嗣先生をはじめとする錚々たる先生方も担当)は改組後もそのまま据え置かれ,改組前には消費者理論から一般均衡理論までを扱っていた「ミクロ経済学」の領域がすっかりなくなってしまったのです. 社工として経済理論をどのように位置づけるかのみならず,経営工学や都市計画の教員が経済系の教員とどのように付き合っていくのかという意思表示も含まれていると見ても飛躍のしすぎではないでしょう(2013年3月に金子先生が退職された後というタイミングにも着目). 2014年度は社シス用に他大学から非常勤講師を招いて夏季集中講義として「ミクロ経済学」という名称の科目が開講されましたが,内容は数理ファイナンス. 2015年度も同様に社シス開設としてのみ(集中でないコマで)「ミクロ経済学」が開講されますが,内容はやはり数理ファイナンス. 2016年度は社シスに在籍する学生がいなくなったと見られ(正確には,2017年3月に閉組?),これで社工系列で「ミクロ経済学」はシラバス上からも姿を消します. ちなみに時を同じくして「計量経済学」も同様の仕打ちを受け,シラバス上には既にエコノメの授業はありません. 学類の「ミクロ経済学」を長年担当されていた渡邊直樹先生は2016年4月に他大学に異動されながら,2016年度は非常勤講師として引き続き授業を担当されており,学類についてもミクロという基幹科目を学外の先生に頼らざるを得ない状況です(のちに解消).

2015年1月,「サービス開発・改善のためのビッグデータ利活用」(Center of Excellence in Big Data & Analytics for Service Engineering、サービス工学ビッグデータCoE)を設立しました. これに関連して日本IBMからソフトウェア提供などの支援を受けるようです.

2015年2月,つくば国際会議場で 「(第1回)筑波大学サービス工学シンポジウム」 が開催されました. これ以降毎年2月にシンポジウムが開催されていますが,シンポジウムの後半(第2部)はサービス工学学位プログラムの修士論文計画発表が行われています. 2015年度の学類生研究室配属より,長年続いてきた話し合い(という名のじゃんけんが行われていたこともある)中心の研究室決めに替わってDA(deferred acceptance)アルゴリズムを用いた配属が始まります. 当初は社経のみで実施されていたものの,その後経工,都市(の一部の研究室)と対象が拡大しています.

2015年9月にはトヨタ自動車との共同研究開始を記念した「トヨタ・社工共同研究キックオフシンポジウム」が開催されました. シンポジウムの総括をした石田東生先生は「いい意味で噛み合っていなかった」と講評するなど石田節が炸裂. トヨタ自動車とは,筑波大学だけでも数理物質科学研究科や生命環境科学研究科などとも共同研究等で連携・協同しているようです.

2016年4月,社会工学コモンズ・センターが開室します. 告知によれば「社会工学関係者が共通して使用する社会工学コモンズ(社会工学実験室、サービス工学ビッグデータCOE、都市計画アーカイブ等)の中心としての役割を担う場所」となるのだそうです.

2015年4月の改組から2年後の2017年度入学者から,サービス工学学位プログラムで推薦入試が開始されます. 2017年4月には「未来社会工学開発研究センター」(R&D Center for Strategic Frontiers (in) Social Planning, 通称「F-MIRAI」)が大学に設立され,社工で学位を取得されたばかりのトヨタ・髙原特命教授がセンター長として就任しました(筑波大プレストヨタプレス). また同じ時期に社会工学学位プログラム地域未来創生教育コースの入学が開始されました.

長い間続いていた学類のAC入試は2018年度(2018年4月入学)で終わり,2019年度入試からは実施されないこととなりました. また,2018年度から教職非対応となりますが(それまでは社会・数学の中学校教諭一種,公民・数学・情報の高等学校教諭一種が取れた),2020年度から数学の中学一種・高校一種が取得できるようになります.

2019年度から,学士課程では全学的に「専門導入科目」が提供されることになります.社工が提供する専門導入科目は以下の6つです:経済学の数理,経済学の実証,会計と経営,社会と最適化,都市計画入門,都市数理(社工生にとってはいずれも専門基礎科目.cf. ミクロ経済学・マクロ経済学は専門基礎科目から専門科目に区分が変更).2020年4月に大学院課程は全学的に改組され,社工については理工情報生命学術院(Graduate School of Science and Technology)システム情報工学研究群(Degree Programs in Systems and Information Engineering)社会工学/サービス工学学位プログラムとなります.リスク工学は学位プログラム化するとともに,リスク・レジリエンス工学学位プログラム(Master's/Doctoral Program in Risk and Resilience Engineering)に改称されました.また,社会工学類が文科省の「大学における数理・データサイエンス教育の全国展開」の協力校に採択され(2020・21年度),この業務のために新たに助教が雇用されました.


組織

社会工学類は他大学の学科に相当します.

入試偏差値は,代ゼミ 60,河合塾 57.5,駿台 52 (出典:大学受験プラス,2015年度)程度との由. 一般入試・前期の競争率(受験者数÷合格者数)推移は,2.1倍(2010年4月入学) → 2.3倍('11) → 2.6倍('12) → 2.3倍('13) → 3.2倍('14) → 3.0倍('15). 社会工学類は社会経済システム主専攻,経営工学主専攻,都市計画主専攻から成り,学生は二年次進級時に一つの主専攻を選択します. 主専攻とは「卒業してから,何を中心に勉強したかを明確に主張できる分野」を意味しています(『筑波大学十年―その成果と課題』 p. 10). かつては各種専攻ごとに50名程度の定員が設けられていたため,志望者が50名を超えた場合は(当時は3年次から主専攻に分かれていたため)1-2年次の成績上位者が選ばれる制度もあったようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 9, p. 12). 一時期「仮進級」という制度もあったようですが,1987年頃から廃止されています. 主専攻の他に副専攻を選択することもできますが,この major minor 制度を利用するのは例年数えるほどしかいません. 2009年度入学(33期生)では学類全体で2名が選択しており,一人は主・経工(副・社経),もう一人は主・都市(副・経工)でした. 大学院からは専攻の垣根が取り払われていることになっていますが,建前と実運用に差があるのはいかなる組織にも共通することでして…. かつて(1980年代)は都市計が一番人気だったようですが,その後都市計の人気は下がり,現在(2010年代)まで経工が人気ナンバーワンになっているようです.

以下,SOCIO-TECHを典拠として過去の社工の専攻ごとの特徴を振り返ります. 1986年の社会工学類座長を務めたある学生(当時B2)は「体力の都市計・数学の経工・ノミよりひまな社経」と表現しています(前後の文脈を読めば冗談めかして書かれていることが分かりますので,念のためその旨追記しておきます). 社経(当時の正式名称は「社会経済計画」)主専攻については「学生の色としては,経工ほどドライでなく,都市計ほどパワーはなく,要領のいいタイプの人間が集まっている」「イージーな人間でも生きていける」のだそうです. 経営工学主専攻については「マイペースな人が多い」とのこと. 都市計画主専攻については「なんたって知力がない代わりに体力がある!」「実習のために生きている」「徹夜を苦にしない」「グループワークが多いことから集団で学び,集団で遊ぶ」のだそうです. SOCIO-TECH(No. 13, 1987年)に掲載された特集「専攻紹介」によれば,以下のような特徴が挙げられていますが,あくまでも当時の実態であって,2010年代は必ずしも当てはまらない部分もあるような.

    • 社経 気力,要領いい,割といいかげん(悪く言うと,いくらでも手を抜ける)
    • 経工 知力,ドライ,地味で存在感ない(悪く言うと,他とつながりがない)
    • 都市 体力,パワー,人数勝負(悪く言うと,頭脳がいらない)
    • 授業の困難度(出席やレポートを含む)
        • 経工(4) > 社経(2) > 都市(1)
    • 試験の難易度
        • 社経(4) > 経工(3) > 都市(0)
    • 実習の苦しさ
        • 都市(6) > 経工(3) > 社経(2)
    • 暇具合(社経は真面目にやる人を除いた数値.経工は理数系科目の履修が多い人は2,文科系が多い人は4)
        • 社経(5) > 経工(3) > 都市(2)

以上にない項目を中心に2010年代の社工を振り返ってみると,以下のようなイメージです.

    • 内輪の絆 ... 都市 ≫ 経工 ≫ 社経
    • 徹夜礼賛度(≒実習やグループワークの量) ... 都市 > 経工 ≫ 社経
    • 要求される数学力/プログラミング力 ... 経工 > 社経 > 都市
    • 卒論の分量 ... 都市 > 経工 > 社経
    • 卒論最終発表の学生持ち時間(2015年度) ... 経工 (12m) > 社経 (10m) > 都市 (9m)
    • 大学院進学率 ... 都市 > 経工 ≫ 社経

卒論・修論の発表会には主専攻ごとの違いが顕著に表れます. 卒論発表会については,指導教員と討論者を中心に数えるほどの教員しか参加しない社経,教員の半数ほどが参加し討論者などは設定されていない経工,教員の大半が参加しコメント希望教員が決められている都市計. 経工では2015年度(2016年1月)から発表エリアが設定され,数理工学,マネジメントなどと区切られるようになっています. 学生と指導教員の主専攻が異なる場合,学生の主専攻側で発表する場合,指導教員側の主専攻で発表する場合,両方で発表する場合があります. ちなみに社経では中間発表がなく,経工は各学生が中間発表担当教員と個別に日程調整して発表,都市計は最終発表と同様に教員勢揃いの場で発表. 修論発表会については,社経と都市計は卒論時と同様ですが,経工は出席する教員の数が明らかに少なくなります(それでも社経よりはずっと多い). 発表会に参加すると,どの先生が学生の教育に注力されているのか,どの先生のもとに優秀な学生さんが集まる傾向にあるのかが観察できます.

学類の一年生は,確認できる範囲では遅くとも1980年代からは,必修科目としてプログラミングを学んでいました. 当初はPascal(Turbo Pascalを使用),2000年代にはJava,その後はJavaに加えてPython,という変遷を辿っているようです. 必修であるかは不明ですが,CやFortranなども授業で扱われていたようです.

第二外国語(いわゆる「二外」)は,いつのまにか必修ではなくなりました. 以下に示すカリキュラムのように,過去には社工にも二外はあったようなのですが.

多くの学生は入学と同時に学生宿舎に入居しますが,二年次ではほとんどの学生が抽選に漏れて民間のアパートに引っ越していきます. ところが1986年頃の記録によれば,社工の学生のうち抽選のくじ引き(1年生 → 2年生)での当選率は60%ほどで,2人部屋に移る学生も含めれば,定員120名のうち100人ほどは宿舎に残っていたようです(出典:SOCIO-TECH Vol. 8, p. 18).

SOCIO-TECH(Vol. 13, p. 32, 1987年)に掲載された「社工度チェック」を転載します. 当てはまる項目数が 11-19 の学生が「標準的社工生」とのこと.

    1. 自分が理系なのか文系なのかわかっていない.
    2. 文学より経済が好き.
    3. やっぱり筑波大学といえば社工だと思っている.
    4. 標準語がパスカルである.
    5. 端末室で朝を迎えたことがある.
    6. 学類長の名前を知っている.
    7. 笹井琢氏を知っている. (引用者注:のちに山口県光市の市議会議員になられた方で,座長を務めるなど社工の有名人だったようです)
    8. 座長の顔と名前がわかる. (引用者注:座長とはクラ代会の座長を指します)
    9. 授業には真面目に出席する.
    10. クラスメイトの学籍番号と筆跡を5つ以上知っている.
    11. テストの時には朝8時に家(宿舎)を出る.
    12. 平日の昼間にバイトをしたことがある.
    13. 団体行動が好き.
    14. ブランド品を着こなせない.
    15. スポーツデーの全種目にエントリーする.
    16. ラッキー定食をしたことがある.
    17. 自動車を持っている.
    18. 日光に行ったことがある.
    19. 週に一度は宮ランチを食べに行く.
    20. 助手席に女の子を乗せて事故ったことがある.
    21. 酒(コンパ)が好きである.
    22. 東工大を受けようと思った.
    23. 就職について考えたことが無い.
    24. 社学に対抗意識をもている.
    25. "SOCIO-TECH" を知っている.

社会工学類には同窓会 「筑波社工会」があります(東工大の社会工学科学科・同窓会の名称は「社工会」です). 卒業時のクラス代表が幹事となり,年に一度(7月頃) 倉谷賞 受賞者の発表会と懇親会が開催されています. 出席される教員はほとんどが経営工学の方で,都市計画からはかろうじて役職者(≒専攻長)のみ参加,社経の先生はほぼ出席されません.都市計画同窓会 がある都市計画の先生方はともかくとして,社経の先生方が来られないあたりに溝(文化の違い)を感じます. 2014年には同年3月に亡くなった倉谷先生偲ぶ会も同時に行われました(写真:専攻公式FB 2014年7月17日).

歴代の社会工学類長は以下のとおりです(敬称略).

    1. 1977年4月- 倉谷好郎(経工)
    2. 1981年4月- 渡辺浩(経工)
    3. 1982年4月- 坂下昇(都市)
    4. 1983年4月- 川手昭二(都市)
    5. 1985年4月- 高栁暁
    6. 1987年4月- 市川洋
    7. 1989年4月- 谷村秀彦(都市)
    8. 1993年4月- 楠本捷一朗
    9. 1995年4月- 腰塚武志(都市)
    10. 1997年4月- 穂鷹良介(経工)
    11. 1999年4月- 黒田誼(社経) ※第三学群長:谷村秀彦(都市)
    12. 2001年4月- 石田東生(都市)
    13. 2003年4月- 佐藤亮(経工)
    14. 2005年4月- 吉田雅敏(社経)
    15. 2007年4月- 小場瀬令二(都市) ※理工学群長:吉田雅敏(社経, 2008.4-2010.3)
    16. 2010年4月- 金澤雄一郎(経工)
    17. 2012年4月- 中村豊(社経)
    18. 2014年4月- 張勇兵(経工)
    19. 2016年4月- 秋山英三(社経)
    20. 2018年4月- 川島宏一(都市)
    21. 2020年4月- 鈴木勉(都市) ※理工学群長:秋山英三(社経)


社会工学専攻は社会工学学位プログラム(博士前期+博士後期),サービス工学学位プログラム(博士前期)から構成されます. 2014年4月以前の入学者は社会システム工学専攻/社会システム・マネジメント専攻に属し,2015年4月時点ではこれら旧専攻の在籍者が在学しているため,旧専攻も正式に存在しています.

推薦入試による選考については,出願の主な要件は「総取得単位のうち A+ または A の割合が概ね 70% 以上」で,A+ 導入前(A-Dの4段階評価の時代)は「A 70% 以上」となっていました. ただし指導教員によってこの要件の捉え方が異なり,あくまでも目安と考える先生もいれば,わずかでも基準を下回っている場合は推薦入試を認めない先生までいらっしゃるようです.

経営・政策科学研究科長(敬称略)

    1. 1977年4月- 福地崇生
    2. 1979年4月- 市川洋
    3. 1981年4月- 山田圭一(社経)
    4. 1983年4月- 柴川林也(経工)
    5. 1985年4月- 渡辺浩(経工)
    6. 1987年4月- 高橋磐郎(経工)
    7. 1989年4月- 門田安弘(経工)
    8. 1991年4月- 太田誠
    9. 1995年4月- 山本芳嗣(経工)
    10. 1997年4月- 大西治男
    11. 1999年4月- 岸本一男(経工)
    12. 2001年4月- 松田紀之(経工)
    13. 2003年4月- 糸井川栄一(都市)
    14. 2005年4月- 古川俊一(2006年に逝去)
    15. 2006年4月(6月?)- 高木英明(経工)
    16. 2009年4月- 吉田あつし(都市)
    17. 2011年4月- 浅野皙(社経)
    18. 2013年4月-2016年3月 吉瀬章子(経工)

社会工学研究科長(敬称略)

    1. 1978年4月- 厚見博(社経)
    2. 1979年4月- 目良浩一
    3. 1982年4月- 厚見博(社経)
    4. 1985年4月- 坂下昇(都市)
    5. 1989年4月- 大谷順彦(社経)
    6. 1991年4月- 藤重悟(経工)
    7. 1993年4月- 池田三郎(都市)
    8. 1995年4月- 楠本捷一朗(1996年5月末から大学院博士課程長)
    9. 1996年6月- 斯波恒正
    10. 1997年4月- 高木英明(経工)
    11. 1999年4月- 大村謙二郎(都市)
    12. 2001年4月- 金子守(社経)
    13. 2003年4月-2005年3月 山本芳嗣(経工)

国際政治経済学研究科長(敬称略)

    1. 1992年4月- 佐藤英夫
    2. 1996年4月- 蒲島郁夫
    3. 1997年4月- 細野昭雄
    4. (調査中 TBC)


社会工学域は1975年の社会工学系発足に端を発し,2011年にシステム情報系社会工学域となって現在に至ります. 学系は公的には「専門分野別の研究組織」とされていますが,実質的には「専門分野別の教員組織」でした(『筑波大学30年史稿』 p. 44). 教育組織である学群・学類や大学院の博士課程とは別に研究組織が設置されていたことになり,筑波大学全体で「研究と教育の分離」がなされていました. 筑波大学の開学当時は「全学の教員は必ず専攻分野に応じたいずれかの学系に所属する」ことになっていました(『筑波大学30年史稿』 p. 61). 1980年時点で社会工学系の研究分野は「公共政策科学,経営政策科学,都市・地域政策科学」でしたが,2003年時点では「社会経済,公共政策,計量ファイナンス,数理工学,情報システム,経営学,都市・地域計画,環境システム,国際関係論」と細分化された分野が示されていました. 学問領域の広さは,一般的な学部より狭く,学科より広かったようです. 系の発足当時から,他の系に比べて人事異動の激しさは突出して多く,初期には毎年10人近い転出と転入があったようです. 専門の多様性も特徴の一つで,1990年ごろの資料によれば教員の所属する学会は重複を除いて100を超えていたようです. 歴代の社会工学系長,および社会工学域長は以下のとおりです. いつからか,博士課程(社シマや社工後期)の専攻長を兼務されています.

    1. 1975/77年4月- 宍戸駿太郎(社経) 【学系長】
    2. 1982年4月- 渡辺浩(経工)
    3. 1984年4月- 山田圭一(社経)
    4. 1986年4月- 川手昭二(都市)
    5. 1988年4月- 柴川林也(経工)
    6. 1990年4月- 厚見博(社経)
    7. 1992年4月- 坂下昇(都市)
    8. 1994年4月- 門田安弘(経工)
    9. 1996年4月- 大谷順彦(社経)
    10. 1998年4月- 谷村秀彦(都市)
    11. 1999年4月- 腰塚武志(都市)
    12. 2000年4月- 高木英明(経工)
    13. 2002年4月- 橋本昭洋(社経)
    14. 2004年4月- 熊谷良雄(都市)
    15. 2005年4月- 石田東生(都市)
    16. 2007年4月- 香田正人(経工)
    17. 2009年4月- 橋本昭洋(社経)
    18. 2011年4月-2011年9月 大澤義明(都市)
    19. 2011年10月- 大澤義明(都市) 【域長】
    20. 2015年4月- 谷口守(都市)
    21. 2017年4月- 吉瀬章子(経工)
    22. 2019年4月- 藤川昌樹(都市)


ここ数年の転出者を列挙します.連携大学院教員(国土技術政策総合研究所、国立環境研究所、建築研究所、産業技術総合研究所)は除きます.職階が変更された場合(e.g., 准教授→教授)は併記しているつもりですが,漏れがあると思います.

    • 敬称略.「E」は社経,「M」は経工,「U」は都市の先生を表します.
    • 2020年3月 小西祥文E(→ 慶應義塾大学・教授),生稲史彦M(→ 中央大学・教授),倉田久M(→ 横浜国立大学・教授)
    • 2019年3月 中村豊E(定年退職),石井健一E(→ 文教大学・教授)
    • 2018年3月 岸本一男M(定年退職),高橋正文E(定年退職),栗野盛光E(→ 慶應義塾大学・教授),小林佑輔M(→ 京都大学),鬼頭朋見U(→ 早稲田大学・准教授)
    • 2017年6月 吉野邦彦U(→ 東京大学)
    • 2017年3月 石田東生U(定年退職:→ 筑波大学特命教授・日本大学特任教授・日本みち研究所理事長 他)
    • 2016年9月 金澤雄一郎M(→ 国際基督教大学)
    • 2016年3月 山本芳嗣M(定年退職:→ 静岡大学客員教授),石川竜一郎E(→ 早稲田大学.2020.4 教授),木島陽子E(→ 政策研究大学院大学.20?? 教授,20?? 副学長),渡邊直樹E(→ 慶應義塾大学),高橋義明E(→ 世界平和研究所),竹原浩太M(→ 首都大学東京・准教授)
    • 2016年2月 川村大伸M(→ 名古屋工業大学・准教授)
    • 2015年3月 浅野晳E(定年退職:→ 東京理科大学),橋本昭洋E(定年退職),藤原良叔M(定年退職),住田潮M(定年退職:→ 慶應義塾大学),高木英明M(定年退職),永易淳E(→ 東北大学・教授),桃田朗E(→ 立命館大学・教授),太田尚孝U(→ 福山市立大学 → 2017年4月 兵庫県立大学.社工OB)
    • 2014年3月 庄司功E(→ 龍谷大学 → 2016年 東京理科大学)
    • 2013年7月 大貫裕二E(→ 内閣府消費者委員会事務局 → 2015年7月 公正取引委員会事務局中部事務所長)
    • 2013年3月 金子守E(定年退職:→ 早稲田大学),江口匡太E(→ 中央大学・教授),村尾修U(→ 東北大学・教授),辻爾志M(→ 中央大学・教授),桑原史郎E(→ 兵庫県立大学・准教授)
    • 2012年3月 吉田あつしU(3月19日に逝去),大村謙二郎U(定年退職),小場瀬令二U(定年退職:→ 練馬まちづくりセンター),吉田雅敏E(→ 龍谷大学.社工OB)
    • 2011年3月 松田紀之M(定年退職),香田正人M(定年退職),斎尾直子U(→ 東京工業大学),佐藤弘史(詳細不明),根立俊恵(詳細不明)
    • 2010年7月 高安雄一E(→ 大東文化大学.2013 教授)
    • 2010年3月 藤井英次E(→ 関西学院大学),佐藤亮M(→ 横浜国立大学),土井正幸U(→ 群馬大学)
    • 2009年3月 腰塚武志U(→ 南山大学),焼田党E(→ 名古屋市立大学 → 2016年 南山大学),吉田謙太郎U(→ 長崎大学),藪友良E(→ 慶應義塾大学.2010.4 准教授, 2017.4 教授)
    • 2008年3月 三橋平M(→ 慶應義塾大学),鈴木秀男M(→ 慶應義塾大学),吉田友彦U(→ 立命館大学),水野誠M(→ 明治大学)


転入者:

    • 2020年7月 大山智也U(← 学振PD@筑波大.社工OB)
    • 2019年4月 作道真理E(← 日本政策投資銀行),和田健太郎U(← 東京大学),金澤輝代士M(← 東京工業大学),木下陽平U(← リモート・センシング技術センター)
    • 2018年3月 高野祐一M(← 専修大学.社工OB),黒瀬雄大M(← 大阪大学),折原正訓E(← 早稲田大学)
    • 2017年9月 小西祥文E(← 上智大学)
    • 2017年7月 阿武秀和E(← 学振PD@筑波大)
    • 2016年4月 澤亮治E(← 会津大学),チャン・ラン・アン・ズーンE(← 一橋大学),フンドック・トゥアンM(← 東京工業大学)
    • 2015年4月 川島宏一U(← (株)公共イノベーション.社工OB),鬼頭朋見U(← 英・University of Oxford),小林佑輔M(← 東京大学),三崎広海E(← 東京大学),五十嵐岳E(← 北海道大学大学院博士課程)
    • 2014年4月 高橋義明E(← 国際協力機構),佐野幸恵E(← 日本大学),安東弘泰M(← 理化学研究所)
    • 2014年3月 雨宮護U(← 東京大学.社工OB),栗野盛光E(← 独・ベルリン社会科学研究所)
    • 2013年4月 牛島光一U(← 東京大学.社工OB)
    • 2012年11月 太田尚孝U(← 計量計画研究所.社工OB)
    • 2012年9月 川村大伸M(← 東京理科大学)
    • 2012年8月 山本幸子U(← 山口大学)
    • 2011年4月 生稲史彦M(← 文京学院大学),甲斐田直子U(← 名古屋大学),竹原浩太M(← 東京大学大学院博士課程)
    • 2010年9月 倉田久M(← 国際大学)
    • 2010年8月 大貫裕二E(← 総務省統計局)
    • 2010年4月 松原康介U(← 東京外国語大学)


関連人物(一部)

教員(主な担当が東京キャンパス以外)

    • お名前(在任期間 / Wikipedia等) - 〇〇学者.学会長,学長,名誉教授,受賞など
    • 宍戸駿太郎(1975年 - 1987年 / Wikipedia / KAKEN) - 経済学者.初代社会工学系長,筑波大学副学長,国際大学学長,筑波大学名誉教授,国際大学名誉教授
    • 福地崇生(1975年 - 1988年 / Wikipedia) - 経済学者.京都大学名誉教授,筑波大学名誉教授
    • 倉谷好朗(1976年 - 1981年) - 経済学者,経営工学者.筑波大学名誉教授
        • 1919年ごろに生まれる. 1942年,大阪商科大学卒業. 1950年に第1次ガリオア留学生として渡米し,ウィスコンシン大学で修士号,カリフォルニア大学でPh.D.を取得する(UCLA, 1961). カリフォルニア大学,ケース工科大学,フルブライト交換教授(一橋大学),統計数理研究所などを渡り歩いた後に,社会工学類の初代学類長に就任. 社工を離れた後は東京国際大学で教鞭をとる. 1982年11月に開催された「OA日米フォーラム」(主催=国際科学振興財団,電気通信総合研究所,筑波大学社会工学系)で企画実行委員長を務める. 2014年3月10日に逝去.
        • (『意思決定支援システムDSS』東洋経済新報社,1986.訳者紹介等より)
    • 小島重次(1976年 - 1982年 / Wikipedia) - 都市計画家
    • 若林時郎(1976年 - 1986年 / Wikipedia) - 都市計画家
    • 細野昭雄(1976年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 宮川公男(1977年 / Wikipedia) - 経営学者.一橋大学名誉教授.麗澤大学名誉教授
    • 岡部篤行(1977年 - 1981年 / Wikipedia) - 都市工学者.東京大学名誉教授.青山学院大学教授
    • 松原望(1977年 - 1986年 / Wikipedia) - 統計学者.東京大学名誉教授
    • 山田圭一(1977年 - 1995年 / Wikipedia) - 写真家.筑波大学名誉教授
    • 安田八十五(1977年 - 2002年 / Wikipedia) - 都市工学者
    • 金子守(1977年 - 2013年 / Wikipedia) - 経済学者.Econometric Societyフェロー.筑波大学大学院人間総合科学研究科の金子守先生とは別人
    • 星野克美(1978年 - 1989年 / Wikipedia) - 多摩大学名誉教授
    • 黒川洸(1978年 - 1996年 / Wikipedia) - 都市工学者.東京工業大学名誉教授,筑波大学名誉教授
    • 加藤栄一(1978年 - 1997年 / Wikipedia) - 行政学者.筑波大学名誉教授
    • 川手昭二(1978年 - 1984年,1985年 - 1990年 / Wikipedia) - 建築家,建築研究者.筑波大学名誉教授
    • 腰塚武志(1978年 - 2009年 / KAKEN) - 都市工学者.筑波大学副学長(2000-2002年,2004-2009年).筑波大学名誉教授.日本オペレーションズ・リサーチ学会会長(2012・13年度),同名誉会員
    • 小田切宏之(1978年 - 2000年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授
    • 柴川林也(1979年 - 1991年 / Wikipedia) - 経営学者.一橋大学名誉教授
    • 坂下昇(1979年 - 1996年 / Wikipedia) - 経済学者.筑波大学名誉教授.流通経済大学学長(第3代:2001-2002年).応用地域科学研究会(現・応用地域学会)会長(初代:1987-1990年)
    • 田渕隆俊(1979年 - 1991年 / KAKEN) - 経済学者.応用地域学会会長(第12代:2009-2011年)
    • 小口登良(1979年 - 1993年) - 経済学者
        • 1943年3月,長野県生まれ. 1999年,共著書『年金改革論―積立方式へ移行せよ』によって日経・経済図書文化賞を受賞 2010年2月に満66歳で逝去.
    • 高柳暁(1979年 - 1994年 / Wikipedia) - 経営学者.筑波大学名誉教授
    • 金本良嗣(1980年 - 1989年 / Wikipedia) - 経済学者.東京大学名誉教授.応用地域学会会長(第8代:2001-2003年)
    • 浅子和美(1980年 - 1981年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 大橋勇雄(1980年 - 1981年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授
    • 蒲島郁夫(1980年 - 1995年 / Wikipedia) - 政治家,政治学者.熊本県知事(17-18代:2008年 - )
    • 山本芳嗣(1980年 - 2016年) - 応用数学者.
    • 我妻洋(1980年 - 1984年 / Wikipedia) - 心理学者
    • 佐藤英夫(1982年 - 不明 / Wikipedia) - 政治学者
    • 林文夫(1982年 - 不明 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学教授.Econometric Societyフェロー.日本学士院恩賜賞(2001年)
    • 岩崎駿介(1982年 - 1998年 / Wikipedia) - 建築家
    • 二階堂副包(1983年 - 1987年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授,東京国際大学名誉教授.日本経済学会会長(第10代:1978-1979年)
        • 「沢山論文を読んで博識になっても論文は書けない。これはと思う論文を徹底的に読み込む事。そうすると新しい世界が見えてくる。」(出典:早大・佐々木宏夫先生
    • 門田安弘(1983年 - 2004年 / Wikipedia) - 経営学者.筑波大学名誉教授.日本組織会計学会創設者、会長
    • 翁邦雄(1985年 - 不明 / Wikipedia) - 経済学者
    • 井尻秀憲(1985年 - 1988年,準研究員・助手として / Wikipedia) - 国際政治学者
    • 北畠能房(1986年 - 1992年 / Wikipedia) - 環境学者.京都大学名誉教授
    • 神保雅一(1987年 - 1989年 / Wikipedia) - 数学者
    • 小場瀬令二(1987年 - 2012年 / KAKEN) - 都市計画家
    • 石見利勝(1987年 - 1994年 / Wikipedia) - 政治家.都市計画家
    • 西條辰義(1988年 - 1996年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 松島斉(1988年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 田村亨(1988年 - 1992年 / Wikipedia) - 交通工学者
    • 山本拓(1988年 - 1991年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授.日本統計学会会長(2005-2007年)
    • 山田直志(1988年 - 2003年 / NBER / KAKEN
        • 経済学者.1981年に学位を取得(指導教員:Michael Grossman先生).兄である現・ラトガース大学のTetsuji Yamada先生も,のちに同じ指導教員のもとで学位を取得している.1988年までニューヨーク市立大学で教鞭をとり(tenured),社工へ.Marquis Who's Who in the World 2004 (21st Ed.) に economist, educator として掲載された.2004年度から人文社会科学研究科に所属し,(人文社会科学研究科)国際政治経済学専攻(現・国際公共政策専攻)や国際総合学類などを担当.2011年9月に開催された医療経済学会ではGrossman教授が Memorial Lecture in Honor of Tadashi Yamada として特別講演を行った(プログラム,スライド等).
    • 斯波恒正(1990年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者.一橋大学名誉教授
    • 大野健一(1991年 - 1997年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 戸田裕之(1991年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 大澤義明(1991年 - 現在 / Wikipedia) - 都市工学者
    • 金澤雄一郎(1991年 - 2016年 / Wikipedia) - 統計学者.筑波大学名誉教授
    • 谷口守(1991年 - 1995年,2009年 - 現在 / KAKEN) - 都市工学者
    • 鹿野嘉昭(1992年 - 1994年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 赤根谷達雄(1992年 - 2001年 / Wikipedia) - 政治学者
    • 山田真裕(1993年 - 1996年 / Wikipedia) - 政治学者
    • 高木英明(1993年 - 2015年 / Wikipedia) - 数理工学者
    • 大橋和彦(1994年 - 1996年 / Wikipedia) - 金融工学者.日本ファイナンス学会会長(2008-10年度,2014-16年度)
    • 松井彰彦(1994年 - 2001年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 星野靖雄(1994年 - 2007年 / Wikipedia) - 経営学者.筑波大学名誉教授
    • 大村謙二郎(1994年 - 2012年 / Wikipedia) - 都市工学者.筑波大学名誉教授
    • 古川俊一(1994年 - 2006年 / Wikipedia) - 法学者,政治学者
    • Henrich R. Greve(1995年 - 2002年 / English Wikipedia) - 組織論学者
    • 梶井厚志(1996年 - 2002年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 祝迫得夫(1997年 - 2001年 / wikipedia) - 経済学者
    • 繁野麻衣子(1997年 - 現在 / Wikipedia) - 応用数学者
    • 宇井貴志(1999年 - 2002年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 村尾修(2000年 - 2013年 / Wikipedia) - 都市研究家.一級建築士
    • 吉田あつし(2001年 - 2012年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 有田智一(2001年 - 現在 / Wikipedia) - 都市工学者
    • 白波瀬佐和子(2002年 - 2006年 / Wikipedia) - 社会学者
    • 焼田党(2003年 - 2009年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 川口大司(2003年 - 2005年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 石川竜一郎(2005年 - 2016年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 藪友良(2007年 - 2009年 / Wikipedia) - 経済学者


教員(主な担当が東京キャンパスの社会工学系教員.2004年,ビジネス科学研究科に移籍.その後,ビジネスサイエンス系へ)

    • 寺本義也(1988年 - 1994年 / Wikipedia) - 経営学者
    • 木島正明(1989年 - 1997年 / Wikipedia) - 金融工学者
    • 岩城秀樹(1999年 - 2000年 / Wikipedia) - 経済学者
    • 河合忠彦(1988年 - 2004年 / Wikipedia) - 経営学者.筑波大学名誉教授
    • 玉井哲雄(1988年 - 1994年 / Wikipedia) - 工学者
    • 猿渡康文(1996年 - 2004年 / Wikipedia) - 応用数学者
    • 八重倉孝(2001年 - 2004年 / Wikipedia) - 会計学者
    • 大澤幸生(2001年頃 / Wikipedia / KAKEN) - 「チャンス発見学」を創始


卒業生

    • 細野助博(1981年,社会工学研究科(博士課程)単位取得満期退学 / Wikipedia) - 経済学者
    • 栗田治(1983年,社会工学類卒業.1989年、社会工学研究科(博士課程)修了,学術博士 / Wikipedia) - 都市工学者.慶應義塾大学教授
    • 青木玲子(1983年,経営・政策科学研究科(修士課程)修了.1983年,社会工学研究科(博士課程)中途退学 / Wikipedia
    • 土岐大介(1984年,社会工学類卒業) - ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社 元・副会長(2011年),筑波大学客員教授 など
    • 中村良平(1984年,社会工学研究科修了.同年,学術博士 / Wikipedia) - 経済学者.岡山大学教授.修士は筑波大の環境科学研究科で,博士号の取得は社会工学研究科第1号との由
    • 山田奨治(1986年,社会工学類卒業 / Wikipedia) - 情報学者
    • 高橋伸夫(1984年,社会工学研究科退学.1987年,学術博士 / Wikipedia) - 経営学者.東京大学教授
    • 浜口誠(1988年,社会工学類卒業 / Wikipedia) - 政治家(民進党 → 国民民主党)
    • 岩城秀樹(1989年,社会工学研究科(修士課程)修了.1991年,社会工学研究科(博士課程)単位取得退学.1996年,博士(経営工学) / Wikipedia) - 経済学者.京都産業大学教授
    • 中妻照雄(1991年,第三学群社会工学類卒業.1994年,社会工学研究科(修士課程)修了 / Wikipedia) - 経済学者.慶應義塾大学教授.日本金融・証券計量・工学学会副会長(? - 現在)
    • 伊東暁人(1991年,経営・政策科学研究科修了 / Wikipedia
    • 井口典夫(経営・政策科学研究科(修士課程)修了 / Wikipedia) - 官僚,経済学者
    • Ning Sun (孫寧) (1998年,博士(社会経済)) - 経済学者
    • 岩井克行(1999年頃,社会工学類卒業 / Wikipedia) - アナウンサー
    • 白田佳子(経営・政策科学研究科(修士課程,博士課程)修了.1999年,博士(経営学) / Wikipedia) - 会計学者
    • 瀬尾佳美(社会工学研究科(博士後期課程)修了.2000年、博士(都市・地域計画) / Wikipedia) - 経済学者
    • 葉聰明(経営・政策科学研究科(修士課程)修了.社会工学研究科(博士課程)修了.2002年,博士(経営学) / Wikipedia) - 経営学者.2006年より社工の非常勤講師も務める
    • 中田浩二(2020年,社会工学学位プログラム修了 / Wikipedia) - サッカー選手(元日本代表)


社工(東京キャンパスを含む)OB/OG → 筑波大教員(常勤)

    • 山本眞一(1979年,経営・政策科学研究科(修)修了 / Wikipedia) - 教育学者.筑波大教教授,広島大学教授,桜美林大学教授.日本高等教育学会会長.広大『大学論集』 2011を参照
    • 大澤義明(1982年,社会工学類卒業(1.5期生).1987年,社会工学研究科(博)修了,学術博士 / Wikipedia) - 都市工学者.1991年より社工
    • 川島宏一(1982年,社会工学類卒業(2期生).1984年,環境科学研究科修了.2010年,社シマ修了,博士(社会工学)) - 2015年より社工
    • 長谷川秀彦(1983年,社会工学研究科中退.修士号は社工で取られ,博士号は工学研究科のCS) - 1983年図書館情報大学,2002年合併
    • 竹原均 (学類-博士-助教授 まで社工.博士(経営工学)) - 経済学者.早稲田大学教授,日本ファイナンス学会会長(2010年6月-2014年)
    • 佐野享子(経営・政策科学研究科修了) - 2001年教育学系,現大学研究センター
    • 水野誠(1985年,経営・政策科学研究科(修)修了) - 商学者.2003-2008年に教員として社工に在籍後,明治大学へ
    • 歳森敦(1986年,社会工学類卒業.1992年,社会工学研究科単位取得満期退学.2002年,学位取得) - 1994年図書館情報大学,2002年合併
    • 吉田雅敏(1987年,社会工学研究科修了,博士(学術)) - 2012年まで社工
    • 門田安弘(1990年, 博士(学術) ) - 1969年に神戸大(院)単位取得満期退学し,博士号取得のみ社工.1983年から2004年まで社工
    • 梅本通孝(1994年,社会工学類卒業.1996年,環境科学専攻修了.2006年,リスク工学専攻修了,博士(社会工学)) - 2007年より社工
    • Benton Caroline Fern(1994年,経営・政策科学研究科修了) - 2008年ビジネス科学研究科.筑波大学副学長・理事(国際担当)
    • 木野泰伸(1996年,経営・政策科学研究科(修)修了.2003年,同(博)退学,博士(システムズ・マネジメント)) - 2005年ビジネス科学研究科
    • 崔宰栄(1997年,社会工学研究科単位取得満期退学.2003年,博士(工学)) - 2000年より社会科学系
    • 藤井さやか(1997年,社会工学類卒業.1999年,環境科学研究科(修)修了) - 2005年より社工
    • 石井健一(2000年,社会工学研究科,博士(社会工学)) - 1987年に東大・社会学研究科を単位取得満期退学し,博士号取得のみ社工.1990年より社工
    • 雨宮護(2000年,社会工学類卒業.2007年,社シス(後)修了,博士(社会工学)) - 2014年より社工
    • 高野祐一(2005年,社会工学類卒業.2007年,社シス修了.2010年,社シマ修了,博士(工学)) - 2018年より社工
    • 牛島光一(2006年,経営・政策科学研究科(修)修了.2010年,社シマ修了,博士(社会経済)) - 2013年より社工


OB/OG紹介など


報道等


リンク集

関連リンク (外部向け)


関連リンク (内部向け)


関連リンク (内部向け.学内/社工ネットワーク内からのみ接続・閲覧可能なページ)