1冊目:太宰治「晩年」

太田「処女作。太宰はこれを書いて死のうと思っていたんですね。もの凄い才能の塊のような人です。僕が丁度一番多感な17歳に出会った本。過去にも良く話していた高校時代、友達が出来ずに一人で本ばかり読んでいた。本の中に逃げ込むことが唯一自分をガードするっていうか、その世界にいれば、もう周りで何言われていても関係ない、現実逃避みたいな(もんでした)

で、「晩年」が最初(処女作)だっていうから、読んだときに、”ここに書かれていることはまさか誰も知っているはずがない事だと思っていた。自分のこと(大田自身の醜さ)が書かれているような気がした””こんなことを他に知っている人がいるの?”と。

それはどんなことかと言うと、例えば子どもが人に受けようとしたり、ちゃんと勉強や運動が出来てヒーローになる人は素直に表現できるのだけど、我々(大田)みたいに、勉強もスポーツもできない人間は、わざとしくじったり、知っているのに知らない振りしたり、無意識のうちに僕は、子どもの頃にやっていたんです。それは、”こうすれば大人に、仲間に受けるだろう”というのを自分の中だけの秘密にして絶対にコレは誰にも言えない、おそらく他の人はこんなことをしてないだろうと思って、ずっと自分だけの秘密にしてきた。でも意識的にしていない無意識のことが、「晩年」を読んだら、まさに太宰治がそこに全部告白していたのね。太宰は「道化」と言いますけれど、”自分はそうやって他人に受けてきた”と、”そうやって他人の注目を浴びてきた”と。「そんな自分のいやらしさが嫌で僕は死ぬんだ」と書いてあったんです。「人間失格」の中に冒頭で、体育の授業の時に鉄棒が出来るのだけれどわざと砂場に尻餅をついて、みんなから”あっはっはは”と受けたときに、一人クラスのバカと言われている奴が側に寄ってきて、後ろの方で太宰の事を指でツンツンと突っついて”ワザワザ”って言ったんですよ。その時に”見抜かれている。知っているコイツ。一番バカって言われているのに”。その事が、まさに「晩年」を読んだ時に自分が感じた事だったんです。”お、オレだよ。と”

そしたら、太宰治って人が延々悩むわけです。「晩年」書き始めてからずーっと、自分のいやらしさに、「生まれてすいません。こんなにインチキな人間が、精神的に純粋じゃない、見にくい人間が生まれてきてすみません」って太宰が言ってるんですよ。だけど、ここからは一段階来るんです。太宰治っていやらしいから「そうやって悩んでいる俺」みたいな事があるわけです。「そうやって悩んでいる俺って、他とちょっと違うだろ」って意識がそこからまた伝わってくる。この冒頭に『選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり』というヴェルレーヌの詩が載っているんだけれど、要するに”自分は天才である。選ばれた。ここに気付くのは俺だけだ”という意識もある。で、これを読んだときに、自分という人間がいかに醜いか、他の人と比べていかに薄汚れているかっていうのを凄く痛感するんですよね。俺もそういう所凄く解るから。

友達は皆、学校の帰りにもんじゃ焼きを食ったりしている。俺はそういうのに行かずに太宰治をずっと読んでいる。で、”俺って嫌らしいな”と悩んでいる。でも、もんじゃ食っている奴より俺の方が上等じゃねぇか?っていう思いと(てを交互に重ねて)”自分って嫌らしいな”ってのが、もう交互にやってくる。」

真鍋「でもこれが太田さんの原点なんですね」

田中「でもやっぱりそうやって悩んだけれども、今思うと、これ(「晩年」)に出会って(どうですか)」

太田「いや、コレに出会わなかったら、ここまで深く追求しなかったと思う。


2冊目:宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

(ここで2冊目の宮沢賢治の本を出して)この人の小説、「銀河鉄道の夜」は、やはり(太宰と)同じ頃に読んで、この人(宮沢)はまさに太宰と対照的なんです。自分の事なんか書きゃしないから。全て子どもに向けて、子どもを楽しませる為に童話を書き続けたんですよ。この「銀河鉄道の夜」は、僕は小説っていうのは1回読むと僕読まないんだけれど、何故か何年かに一度読み返すんですよ。凄いんですよ、これが。要するに、地球だ宇宙だ、生き物だ動物だなんだって、全部”いいな”って思える、素晴らしいなって思える、綺麗な文章(なんです)。僕が日本の文学の中で信頼できる作家っていうと、太宰治と宮沢賢治、日本の文学だとこの二人なんですね!」

田中「かおりちゃん、太宰とか宮沢賢治とか読んだことあります?」

真鍋「教科書でしかないです」

太田「銀河鉄道の夜なんか、泣くよ、もう」

田中「走れメロスとかどうです」

真鍋「あっそれ教科書に載っていた。(太田さん)走れメロスとかどうですか? べつにーって感じですか」

太田「いいじゃないですか。太宰の憧れている清らかさなんです。メロスと友達の友情って無垢じゃないですか。太宰は、全部イヤらしさだなんだって(彼の)中に内蔵されていて、そこで”憧れるのはコレなんです”ってああゆう美しい小説を書くわけです。だから太宰治の気持ちってのは ”ああゆう人に生まれたかった”ってことなんです。」



田中「じゃ、続いての、死ぬ前にコレを読め」

太田(誰かわからない人に視線をむけ、頷いてみせる)

3冊目:サリンジャー「フラニーとゾーイ」

太田「サリンジャーという代表的な作品でいえば「ライ麦畑でつかまえて」という本を書いた人なんですけれど、この「フラニーとゾーイ」というのは、グラース家の人々を題材にいくつか小説を書いているんです。それはグラース家サーガっていって、「ナインストーリーズ」最初の短編があるんですけれどそれの最初に「バナナフィッシュにうってつけの日」という短編があるのね。そこで、シーモア・グラースという少年が出てくるんです。彼は天才なんですね。それで少女と海辺で話すという、何のことはない小さい短編なんだけれど、その最後でシーモアが突然自殺するっていう衝撃的な幕切れの短編があって、「ナインストーリーズ」の最初を読むと”え?”って思う。そこから色々他の短編を読むと、全部グラース家の人々の、シーモアが海辺のホテルで自殺したって事の事件の後のグラース家の人達がどういう混乱をしたかっていうのを全部小説にしてあるんです。

で、この「フラニーとゾーイ」っていうのは、フラニーはグラース家のシーモアが一番上の兄で7人兄弟か何かの一番下の妹なの。その一つ上のお兄さんがゾーイ。シーモアっていうのは言ってみれば、さっきの太宰が目指した無垢な青年なんですね。で、全く汚れてない。フラニーっていうのは、冒頭で「フラニー」という小説があるんですが、その場面というのが、あるレストランで恋人と会話してるところから始まるんです。恋人はちょっと気取った奴なんです。そうするとフラニーは頭の中に、理想はシーモアと言う人が死んじゃったって人がずーっとあるわけで、そのトラウマみたいなものがあって、どうしても目の前にいる彼とおにいちゃんを比較しちゃうんだね。(彼氏が)どうしても小さい人間、嫌らしい人間に見えてしまって嫌だと。だけど、こいつ(彼)に怒るんじゃなくて、フラニーはそんな自分に怒っている訳。”なんで、私あのお兄ちゃんの事ばっかり考えているんだろう?。こんなんじゃ人と接する事が出来ない。あんな人はいないんだから”って思いつつも、どうしてもそれを(引きずって)人を好きになれないんだよ。で、蒲団をかぶってずーっと寝込んじゃう。そうするとそこに役者をやっているゾーイが来て、この兄弟って皆天才なんですよ。で、ゾーイがお袋に”フラニーが寝込んでしまっているから何とかして”と言われてフラニーの所にやってくるんです。そこからのフラニーとゾーイの兄弟の会話っていうのが延々と続くんだね。それがもう、大論争なの。「人間の嫌らしさとは何か」やフラニーは(に)「そんな事で寝込んでいるけれど、おまえの方が嫌らしい馬鹿野郎!」ってのから始まって、「彼氏はどうだか判らないけれど、シーモアなんてあんなのは糞だ。おまえはそんな事じゃ生きていけない」など延々、フラニーを責め続ける。フラニーは、「もういいからあっちへ行ってお兄ちゃん」って、もう、もの凄い喧嘩。この1冊全部それです。で、結局ね、最終的にどこまで行くかっていうと、シーモアって言ってみればフラニーにとっては『神』であり、ゾーイはそれを、一生懸命…自分もシーモアに影響受けているんですよ、自分も悩み抜いているわけですよ、ゾーイってのは、フラニーより先に。だけど、「それはダメなんだ」、と。「シーモアってのはそんな奴じゃなかったよ、そんな綺麗な奴じゃなかったんだよ」。で、(兄弟は)皆天才だから、子どもの頃に【これは神童】ってラジオ番組があって、皆天才ちびっ子集合のクイズ番組に皆この家族出ているんですよ。そん時に、ラジオだからめかし込む必要はないんだけれども、ゾーイと上のバディって兄貴がね、ちゃんとネクタイしていたわけ。ゾーイが「こんなもの誰の為にやるんだ」「ラジオだぞ。大体嫌らしい。めかし込んで外見気にするのは嫌らしい」って言った時に、シーモアが「このラジオをどっかで聞いている、どこの州にいるかもわからないけれど、太っちょのおばさんがいる。その太っちょのおばさんの為に綺麗な恰好をするんだって自分は思ってるんだよ」と(いうんです)。要するに誰かに良く見られたいとか外見を良く飾りたいというのは嫌らしいなって、太宰治なんか読んでいると思うわけですよ。そう、良くない、こんな嫌らしいやつはヤダっていう時に、いや、適当にその理由を、自分のためとか、功名心とか、って深刻に考えずに、どこかの太っちょのおばさんがそれを聞いていてそのおばさんの為にやっているんだよ、と、その程度の解釈で、人間っていうのは所詮いやらしいんだからその程度の解釈でいいじゃないかよって言うんだな、ゾーイが。フラニーはその言葉に凄く救われるわけ。今までシーモアってのが完璧に(で)、自分はそれになれないと思っていたけれど、シーモアだってゾーイだって、皆人間ってのは未熟だった。だから私だって未熟でいいじゃん!恋人だって何だって未熟でいいじゃん!っていう風に最後納得するって話なの。だから、おれはこれ(太宰)で悩んでいた所で救われたんです。」

真鍋「そっかー。じゃぁこれ(晩年)で自分がダメだと思っていた事を、”(自分と)同じ風に思っている人がいるんだ”って思って吃驚して、これ(フラニーとゾーイ)でちょっと”これでいいじゃん”って救われたと」

太田「そう、救われた。そうそう」



太田光究極の一冊 人生の意味が分かった一冊!!

4冊目:「タイタンの妖女」カート・ヴォネガット・ジュニア

太田「最後はね、もう何度もこの番組で言ったと思うんですけれど、「タイタンの妖女」っていうね、言ってみれば僕の色んな読書の中での最高傑作で、こういう事(他の三冊を指さす)全て総合した中に最終的な結論としてこの「タイタンの妖女」がある。」

田中「うちの事務所は【タイタン】っていうんだけれど、この本のタイトルから太田さんが付けたんですね」

真鍋「どういう影響を受けたんですか」

太田「これはね、今まで言ってることの確認みたいな事で、嫌らしかったり醜かったり、人間は未熟だったりずっとあるわけで、俺ってもう何でこんな事とかできないんだろうとか、才能ねえなっとか何とかって思って、人は傷つけるわ、もうなんだろうなぁ~って思ってたけど、 この「タイタンの妖女」ってのは主人公がそういうへっぽこな奴なんですよ。それが、これはSFですからね、色々な時代に連れてかれちゃぁ~何かそこである使命を持って、タイタンという土星の衛星にある物を届けろというような事で、その間にタイムスリップしながらずーっと色々な時代をやりながら、最終的にその使命っていうのが、どういう事なのかってのが明かされるんだけれど、これがね、実にくだらない。で、要するに”あっ、こんなことなのっ”っていう位、人類が、というより宇宙が生まれてずーーーっと今まで来て、ここまで発展してきましたよね、この時間の流れって言うのは全てこの最後のヴォネガットが考えたオチの為だったって話なんです。」

真鍋「おー、ちょっとおもしろそー!」

太田「ねっ!。で、そのオチがメチャクチャくだらないんだ!。でも不思議とその後にね、僕はねこの本を読んで号泣したんですけれど、すーごいね、感動的な気持ちになるのね、ダーっと(涙が)出てくるの。というのは、ヴォネガットが凄い優しいと思ったわけ。要するに、俺たちは何のために生きているのだとか、悩むわけじゃない。だけど、(人の生きる意味は)大した事のためじゃないよってヴォネガットは言うわけです、そこで。「人間が生きている意味なんて、大した意味なんてありません。だから安心して」って言ってくれるんだね。「世の中がこの世界に存在する意味なんて大したことじゃない。それでも、みんな未熟な人間達がいて、それでも人間は生きていていいんだよ」って最後言ってくれるの。それが凄くハッピーなんだよね。」



田中「最後に 太田さんにとっての読書の一番の魅力(はなんですか)。この番組3年半やってきましたけれども」

太田「今僕がこれらを説明した事っていうのは、僕が勝手に考えた事で、もしかしたら太宰治は「ばかやろー、そんな事思ってねぇよ」って言うかもしんない。サリンジャーなんか山籠もってるんだから、ね。」

田中「読む人によってもそうかもしれない。俺も読んだけれど太田何言ってるんだって今、テレビ見ながら思っているかもしれない」

太田「で、そこが、自分で考えた的はずれかも知れないけれども、実はそういう解釈っていうのが出来るのが本であり、そうやって自分の性格が浮き彫りになるんだね。うん。」

「そこの、ズレがキャラクターじゃん。個性じゃん。このズレこそが個性で、違うって言われたからって捨てる事ないんですよ。”俺はこう思う”で、いいんだよね・それが凄く俺は大事なんだと思う」

田中「正解はないんだね」