第7話『狂気の正体』
灰色の壁だった。その中でもがき苦しむ青いブレザー。
小柄だしスカートを履いているのでかろうじて女ではないかと判るが、すさまじき炎が首から上を覆い隠してそれが誰かを教えてくれない。
(あれは…無限塾の…制服!?)
手を伸ばそうとするが届かない。やがて『少女』は倒れた。命が尽きたのだ。
傍らに立つ男は興味を失ったように『ふん』と鼻を鳴らす。奇妙だが音がない。無声映画を見ているようだ。
右手の指をはじく。炎が一瞬にして少女全体を包み込むと業火となる。
髪はなくなり血は蒸発し肉は解け骨は焼け…跡形もなく…死体すら残らずに焼き尽くされた。不思議なことに床にも天井にも焼け跡がない。
男は靴音を鳴らして階段を降りて行く。
「はあっ」
榊原和彦は汗まみれで跳ね起きた。荒い呼吸をする。自分の胸元に『ビッグ・ショット』が吸い込まれて消えて行く。
(そうか…『ビッグ・ショット』の『予知夢』か…てことはあれが現実になりかねないのか…誰だ? あの男は…多分マリオネットマスター。生きながらの火葬だと…いかれた神経してやがる。
いや…落ち着け。むしろ被害者の女を保護するほうが先だ。俺の知っている限りじゃあの小ささの女は…北条。若葉。赤星も制服姿…つまり学校では一応は女か…クラス全体や学年。学校全体にまで広げるととてもじゃないが特定できないな。あんな背丈の女は小山とか珍しくもないし)
考えをまとめるために彼は引出しから煙草を出して一息吸う。いつもは別に換気はしないが、なんとなく外の状況を見るために窓をあけるとまだ星が出ていた。
時計は午前四時をさしていた。
「おはようございます。お向かいさん」
声をかけられて向かいを見ると、二階の窓からメガネの青年がにこにこと笑みを向けていた。どことなく学校の先生のような印象がある。
「あ…おはようございます。楳田さん」
「朝が早いんですね。日曜なのに」
言われて榊原は時計のカレンダーを見た。青年の言う通り日曜だ。
(休みなのにこんな時間に起きてしまうなんて…)
心の中で嘆く。青年はにこやかに話しを続ける。
「私は休日なもんですっかり朝寝坊してしまいました。あんまり寝たので今夜 寝れるか心配ですよ」
(寝坊って…まだ四時だぞ。じゃ仕事に行くときは楳田さんって何時に起きてるんだ? 遠くから都内へ通勤しているならともかく都内から地方へ通勤している? 考えにくいが)
「そろそろコーヒーが沸きあがりますので失礼します。それでは良いお休みを」
「あ…はい。良いお休みを」
にこやかさにつられてそう答えてしまった。青年は窓を閉めていった。ふと榊原は考える。
「…豆腐屋さんなのかもしれない…」
昼下がり。瑞樹と七瀬は学校そばの商店街を歩いていた。
買い物に出たついでだったのだがウィンドウ越しに喫茶店内部に顔見知りを発見した。
「あれ? 村上じゃない」
「あ…ホントだ」
金髪。大きな胸。そしてとにかく背の高さと真理はどこにいても目立つことこの上ない。二人は声をかけるべく中に入っていった。
(はぁ…そろそろ我慢ができなくなってきた…殺したい…殺しの快感は忘れられない…女がいい。あの細い首をくびり殺すのが一番いい。白い肌がうっ血して赤くなりさらに青くなるのが楽しい。絞殺が一番殺してやったと言う実感がある…あの首だ…我慢できない。明日だ。明日にでもやってやる…もう準備はいい)
ボーっと散歩しているようで物騒なことを男は考えていた。
どこにでもある家族の団欒。三人家族が昼下がりの公園を散歩している。絵にかいたような幸せの仮面の下で人殺しは静かに牙を研ぐ。
傍らの少女は気味悪そうに父親を見上げている。変わってしまった父親を…。まるで人が変わってしまった父親を。
喫茶るりー東京支店。瑞樹と七瀬は入って行く。
「村か…」
声をかけようとして窓越しでは見えなかった相手が見えた。ゆかりだった。
(やべっ)
二人はとっさに空いている席でゆかりの死角になる位置に座る。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
猫目のウェイトレスが注文を取りに来た。逃げるに逃げられなくなった。
「アイスティー」
「私も」
とりあえず注文はすませる。これで短時間でも居座れる。
「るりーちゃん。こっちもオーダーね」
常連らしい青いキャップの男が声をかける。ノートパソコンが開かれそこではどこかで見たような女性キャラクターが戦っていた。対戦プレイだ。
片方の青年は操作するキャラクターの動きに合わせてなぜか「はわわ。はわわ」と口走りながら操作していた。
格段に上手いのだがその作業がミスを呼んだ。
「私はアイスティーでお願いします」
戦っていたメガネの青年がすばやくパッドのキーをまわす。相手キャラを捕まえくるくる回り地面にたたきつける。いわゆる回転系だ。これで体力ゲージが一気に減る。
「私はオレンジジュース」
「私はアイスコーヒー」
「私も」
最後は戦っている相手だ。余裕がないらしく短く言う。ウェイトレスも心得ているらしく何も言わない。だがそのときにはすでに負けていた。
「いやあ。やられたやられた」
「そりゃあやられるでしょう。アテレコに夢中で操作がおろそかになるとは…このダメ人間」
青いキャップの男にからかわれている。騒がしいが瑞樹たちには好都合だった。
「やっべー。まったく知らない相手か正体知ってる相手ならこのままでいいけどゆかりじゃまずい」
「あんたって本当に後先考えないのね」
「おまえだってついてきたじゃん」
ケンカしてしまう二人だが、それでもつい会話を聞いてしまう。
「ゆかり…そろそろ誕生日だよな」
「うん。実は明日なんだけど」
文章だけだと男と女の会話に聞こえる。
「…アタイはああ言うちゃらちゃらしたのは苦手だから行かないけど…プレゼントはあげるよ」
「えっ?」
小さな包みを差し出される。本当に真理は赤くなっている。
「あけていいよ」
「うん…」
あけてみると銀のペンダントだった。
「わぁ…」
「あ…アタイの知り合いにさ。道端でこう言うの作って売ってるやつがいるんだ。そいつに作ってもらったんだ」
「ありがとう…でもどうせなら明日来て渡してくれたらいいのに」
「だからああいう席は苦手だって言ったろ」
「みずきのところには行ったのに?」
(あいつはおまえほどべたべたしないからアタイも恥ずかしくないんだよ…)
「でも嬉しい…ありがとう」
ぎゅっと手を握り締めてくる。
「だ…だからその手の事をするなと…」
実は真理はその能力ゆえに握手と言う行為が苦手だったが、このときばかしは握らせていた。
(うそのない…本当の嬉しい気持ちが伝わってくる…贈って良かった)
うっすらと目に涙を浮かべながらゆかりが真理に迫る。
「あたしたちずっと友達よね」
「ああ…ああ」
不器用にうなずくだけで十分だったようだ。
(うっひゃー)
(旗から見てたら恋人同士ね…女同士だけど)
自分たちがどう見られているかは棚上げしている七瀬である。
「邪魔しちゃなんだから茶を飲んだら出ようぜ」
「そうね」
「お待たせしました。アイスティーお持ちしました」
それは「金魚鉢」だった。その中に砕かれた氷が砂利のように敷き詰められてアイスティーがなみなみと注がれていた。それが一人分で二人の前に置かれる。二人は青くなる。
「あの…こんな特注サイズは頼んでなくて…」
「はい。ですからこれが当店での標準サイズです」
「え゛?」
隣のゲームをしていた卓にも届く。
「おっ。来た来た」
「喫茶るりー名物」
「金魚ばちアイスティーと花瓶ジュース」
「これで六百円は安いよな」
本当に常連らしく平然と受け入れていた。さっさと出ようにもとても呑みきれない。顔を見合わせてしまう瑞樹と七瀬。
二人が店を出たのは一時間後であった。
日曜日と言うのに学生服の男たちが集まる。悪漢高校だ。
「四季隊が全滅か…ならば俺が出る」
いよいよ総番が動くかと言うときだ。
「総番。お待ちください」
「われわれに復讐のチャンスを」
「あのシノビ野郎を切り刻んでやる」
「かみじょおーっっっ。脳が、脳が痛ぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉ」
それぞれに退けられた四季隊の面々が再対決を総番に直訴する。言わせるだけ言わせると太くて低い声で言う。
「一度敗れておきながら再び挑むからには勝算があるのだろうな」
「はい。策がございます」
「絶対のフォーメーションが。ぐふふふっ」
「オレは乗らねぇ。あくまで斬りたいのはあのシノビ野郎だ」
「存分にやりなぁぁぁ。そのほうが良く引っかかってくれるぜぇ」
どうやら発案は冬野らしい。総番は考えていたが
「いいだろう。やってみろ」と短く命じた。
月曜日。
「おっはよー。真理」
「あ…ああ…おはよう」
登校してきた真理にゆかりが元気良く声をかける。うれしそうにそれまでしまってあったペンダントをこれ見よがしに首に下げる。
「バ…馬鹿。恥ずかしいだろ。学校でなんて…」
瞬間的に赤くなった真理がゆかりの元に詰め寄る。
「えー。いいじゃない。友情の証でしょ」
「それはそうでも…そんなに見せびらかすもんじゃないだろ」
「エーどれどれ」
「へー。これが真理からもらった『婚約指輪』なんだー」
「やっぱり『死が二人を分かつまで』?」
「…なんでそうなるんだ…」
追いかける真理と笑って逃げる女生徒たち。その様子をボーっと見ている榊原。彼が女を見ているのは珍しくもないが何か異常だ。
「どうしたんだよ。元気ないじゃん」
「お風邪を召してしまわれたのでしょうか?」
にこやかにみずき。憂い顏で姫子が榊原の机の前に立つ。榊原は二人もジーっと見ていた。
「きゃーっ。遅刻遅刻遅刻―っっっ。ぎりぎりせーふっ」
けたたましく綾那が教室に突入すると今度はそちらを見る。
「おぬし、先ほどより単身痩躯の娘ばかり見ておるようだが」
「念能力で予言があったとか」
上条にしてみればいつもののりである。だがその『予言』の一言で榊原の表情がこわばったのを十郎太は見逃さなかった。
やがて授業の前のホームルームが始まる。中尾は連絡事項を淡々と述べる。最後に
「それから村上。若葉。もう少し早く登校しろ。いつもぎりぎりだろう」
苦々しく言う。
「はぁーい」
てへっとばかしに自分の頭を小突く綾那。だが真理は綾那ほど素直じゃない。
「別に間に合ってんだからいいと思いますけど」
彼女にしてみるとどうしてもそりが合わない。
もともと他人と接触せずに生きてきた少女だが、この担任は生理的といえるレベルで好きになれなかった。
「それから休み時間といえどあんまり馬鹿騒ぎはするな。示しがつかん」
(なんだよ。この野郎。ねちねちと…こんなナリだから目をつけられたかな?)
「先生。あれはあたしたちが悪いんです。真理をからかったあたしたちが」
ゆかりが真理をかばう。そのゆかりの首筋を見つめている中尾。ぞくっとした悪寒を感じる。だが
(あっ。ベンダントの鎖が見えてるんだわ。凄い目してるわ。それとも光ってるのかしら)
そう解釈したゆかりは反射的に首に手を差し伸べてしまう。
「注意はした。これで聞けないなら考えがある」
強引なまでに打ち切りホームルーム終了を告げて出て行く。
昼休み。十郎太に呼ばれ榊原は校舎裏にまで来た。
「大丈夫なのか? お姫さまを放っておいて」
おどけて言うのが不自然だ。そしてそれが本気で心配しているのがわかる。
「お告げがあったようだな」
「……かなわんな…忍の直感には…俺もいささか隠し事に疲れてきた」
嘆息と共に告白の準備に入る。そして予知夢のことを話す。
「及川と…そして村上はあの身長だから多分違う。それでも該当する体格の女は多い」
「炎でござるか…」
「幸い今日と明日は家庭科がない。俺の予知は本当に近未来しか読めない。この場合逆にそれが安心材料だな」
「制服を纏っていたゆえ学校の中だけ注意すれば良いでござるか」
「ああ。できるだけ火のそばに近づけたくない」
だがそんな杞憂と裏腹に招かれざる客が無限塾にやってきた。放課後のことだ。
「見…見ろよ。周囲すべて悪漢の奴らに囲まれたぞ」
「これじゃ帰れないわ」
「あ…あいつらは…」
無限塾の四方を悪漢高校の兵隊たちが囲んでいた。それも東は秋本の軍が。西は春日の軍が。南は夏木軍が。北は冬野軍が囲んでいた。
つまり混成チームじゃないだけにチームワークの乱れには期待できない。そして正門から堂々と突入するのは
『悪漢高校四季隊最強。春日マサル』
『悪漢高校四季隊ナンバーワン。夏木山三』
『悪漢高校四季隊一の使い手。秋本虎次郎』
『かーっかっかっ。そしてオレさまが悪漢高校四季隊リーダー。冬野五郎様よぉぉぉぉぉぉ』
「こら」
得意になっている冬野をロッドでつつく春日。
「誰がテメーの下についたんだ」
「ふざけているとテメーから斬るぞ」
いささかチームワークには不安があるが四季隊がまとまってやってきた。
「あいつらがまとめてきたと言うことは」
「ねらいは…赤星たち」
判っていた。だから歯噛みするみずきたち。
「全校生徒が人質かよ…」
「この程度の方位網。風魔に掛かれば造作もないが…きゃつは…秋本は拙者を追ってくるであろうな」
「返り討ちにしてやるぜ」
「私も行くわ。みずき」
「上条君。ボクも行くよっ」
「しかし無関係な生徒たちは巻き込めないし…」
「ですが…みなさんすでに戦い始めてらっしゃいますわ」
「え?」
無限塾には誰かのとばっちりを食ったからといって安易に責める面々はいない。
悪漢高校ほどではないものの不良で鳴らした連中の魂に火がついた。
人質に甘んじるどころか積極的に戦闘を開始していた。生徒どころか教師もである。
「藤宮キィィィィィックゥゥゥゥ」
なんと生活指導の藤宮博が高々とジャンプしてのキックを見舞っていた。
「ぶっぎやあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
食らった相手はたまらず倒れこむ。続け様に別の相手を捕まえて担ぎ上げて猛烈な回転を。
「藤宮きりもみシュート」
「ぎにゃああああああ」
熱血生活指導。藤宮博。そして彼を慕い結成された正義クラブの面々が血路を開いていた。特に目を引くのが三人の少女。
ショートカットの娘は力技で突破して、ロングヘアーの少女は大の男を軽々と投げ飛ばす。泣いているのに相手を蹴散らして行く少女もいる。
開かれた血路で戦闘の意思のない生徒たちは脱出する。当然追撃があるが
「おイタはそれまでになさい」
腰まで伸びたロングヘア。太ももが見えるスカート。ボディラインのくっきり出たブラウス。
知的なメガネでクールな表情でそれを許さないのは無限塾・英語担当。氷室響子である。
「ま…待て…」
地面にはいつくばっていながらなおも手を伸ばす悪漢の生徒だが、それを非情にもハイヒールのかかとで踏みつけるあたり容赦しない性格をうかがわせる。
裏門ではやはり血路が開かれていた。
「ここから逃げろ。ゆかり」
「真理!! 真理はどうするの」
「あのデブのねらいはアタイだ。アタイがやってやればすむ」
それだけ言うと校庭のほうへと走る。
運動神経がないゆえに逃げるしかないと考えたゆかりだが、それでもこの混乱に出て行くのは勇気がいる。
だがその手を引く者がいた。担任教師だ。