第3話『飢えた虎』Part3 Part2に戻る
ちょっとした騒ぎがあったが予定通りに体育の授業を開始することになった。
『女子更衣室』に臆していたみずきも体を動かす段になって表情が明るくなった。
余談だが案外女子といえど乱暴な言葉遣いのものは多く(とくに男がいないときは)『女言葉』は少ない方である。だからみずきも地のしゃべり方をしていても何とかごまかせた。
『男に着替えを見られる』とやはり臆していた真理も元気になったが七瀬は憂鬱そうである。
彼女はどちらかと言うと運動は苦手である。それ故の話。
着替えに手間取っていた姫子も間に合った。男子たちはとっくである。
「よろしい。出席をとる」
体育担当の藤宮が出席を採っていく。全員が出席だ。
「さて…特別編成で少なかった体育がさらに雨で流れてしまってやっと初日か。では体力測定がわりに走り高跳びをしてもらう」
一斉に声が上がる。
「…フツーいきなし走り高跳びなんてやらせるかぁ」
「どっか授業の進んでいるクラスの分かと思ったぜ」
クラスメイトの一人。新庄が指差すのは走り高跳びのセットだ。
「静かに」
穏やかながら迫力のある声で藤宮が一同を制する。
「諸君。『ダッシュとジャンプ』をおろそかにしてはいかんぞ。スポーツの基本は走ることだ。そしてジャンプで君たちのバネを見極める」
「むちゃくちゃだ…」
「でもなんとなくこの人が言うと正しいことのように思える…」
この教師。藤宮博は体育教師であると同時に生活指導でもある。いわゆる不良も多い無限塾だがそれに体当たりで向かって行く。
ほとんどは彼の体当たりの教育に心を打たれ更生する。またその不良生徒のいざこざにも割って入る熱血漢だ。
「だが話はいろいろと聞いている。いろいろと見たいものがある。北条。赤星。風間。上条。君たちに最初に跳んでもらおう」
上条とみずきは顔を見合わせ怪訝な表情をする。姫子はあいかわらず笑みをたたえ、十郎太は無表情だ。四人は手招きされて前に出る。
「良し。まずは北条からだ」
「はい」
言われた姫子は素直にスタートポイントにつく。束ねた長い髪を揺らして軽やかに駆ける。
踏みきりポイントで跳んだ。『ベリーロール』と言う跳び方だ。だが
「きゃっ」
惜しくもバーに触れて落としてしまった。
「うむ。失敗はしたが美しい跳び方だ。次。赤星」
「はい」
怪訝に思ってはいたがみずきも挑戦する気になっていた。戻りしな姫子が忠告する。
「みずきさん。あの棒はここから見るよりずっと高い感じですわ。お気をつけてください」
「…サンキュー。姫ちゃん」
みずきは軽やかに駆け出す。そして踏みきりポイントのはるか手前でマット運動でもするかのように頭から跳ぶ。手で着地して逆立ちするように撥ねる。反動を利用して高だかと跳ぶ。
「コロナフレア」
「おおーっ」
見学の一同は感嘆し、拍手すらする。榊原は白けた表情。七瀬は頭を押さえていた。みずきは見事にバーを飛び越えた。
「よーし。それなら僕だって」
今度は上条が3歩ほど歩いていきなり跳ぶ。
「龍尾脚」
そして着地してから今度は天に向かって拳を突き上げてジャンプした。
「飛龍撃」
「おおーっ」
必殺技の連発で飛び越えた上条にさらに大きな歓声がわく。
「次。風間」
「はっ」
十郎太に至ってはスタスタと歩み寄ると…ひょっとしたら棒高跳びを理解してなかったのかもしれないが…バーの手前で
「えいやあ」
気合もろとも難なく垂直に飛び越える。音もなく着地して印を結び
「これぞ、風間流」
とすら言ってのける。さらに大きな歓声が沸くが藤宮が制する。
「そこまで。いいか。北条以外は悪い見本だ。特技なのは認めるががちゃんと『体育』をしろ」
「えーっ。人にやらせてそれはないよ。だったら先生もいい見本見せてくださいよ」
「む。論より証拠か。良かろう。みんなも良く見ておけ」
藤宮はまっすぐにバーに向かい合う位置にスタートポイントを定めた。軽く走り出す。跳んだ。
「藤宮キィィィィィィッッッックゥゥゥゥ」
確かに飛び越えはしたが明らかにジャンピングキックだった。
「……先生……」
「……確かに…つい出てしまうものだな…」
とにかく1回目の体育の授業は進んでいった。
夕方。北条邸。姫子は1日の授業を終えて帰宅した。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさいませ。姫子お嬢様」
ずらっと並んだ執事やメイドが恭しく出迎える。その中を微笑みながら姫子は通りすぎて行く。
使用人たちも職務や義務や義理ではなく、赤ん坊を見るような優しい笑顔で姫子を見ている。
みんなこの優しい姫君が大好きだった。
「ねえさま」
ショートボブの美少女が出迎える。海老茶色のブレザーとプリーツスカート。明らかに姫子と違う制服だ。
「あら。愛子さん。お帰りになっていたのですか」
彼女の名は北条愛子。姫子の一つ下の妹で現在は中学生。姉と違いアクティブな性格だがそれでも品のよさはある。
しかしこちらは茶目っ気と元気がありすぎて、使用人たちも苦笑の連続だが人はみな対等と言うポリシーがあり相手がメイドであろうが執事であろうが分け隔てはしない。
その点でも姫子同様に愛されていた。
「今日も大変なことがあったそうですね」
「痴漢さん騒ぎですか? あれはこの前の剣客さんが十郎太様に挑戦をなさりに来まして、それをみなさんが勘違いなさって」
(姫さま…『痴漢』に『さん付け』は要りません…)
その場の使用人たちがみな心中で突っ込むが口には出せない。
「まぁ。十郎太様に」
「ええ。幸い先生が来てくださったので痴漢さんはお逃げになりましたから大事に至りませんでしたが」
「大丈夫ですよ。ねえさま。十郎太さまはお強いですから。だからねえさまの護衛をまかされているのですし」
「そうですわね。でも…やっぱり心配ですわ」
いつも微笑みをたたえた姫子の表情が曇る。
彼女にして見れば自分を護って誰かが傷つくなど耐えられないのだ。
ただ、それでありながら護衛を断らないのは十郎太とともにいられるこの状況が心地よいからである。
そして、心配はしていても十郎太の腕前には絶大な信頼は置いているので結局は現状のまである。
「じゃあ愛子さん。わたくしは着替えてまいりますので」
「はい。ねえさま」
自室へと向かう姫子にたくさんのメイドが付き従う。
頭脳明晰な姫子だがとにかく何かとトロイ傾向があった。
特に着替えの遅さは凄まじく決まった服から決まった服に替えるのにさえ人の倍はかかる。
これが待ち合わせなどで外出となると、服の選択から恐ろしい時間がかかる。
いくら女の身支度は時間がかかると言えど少々ひどすぎた。
自立心を促すために無限塾に入れた親だが、この着替えのメイドははずすつもりがなかった。
姉の姿を見送り愛子は中庭へと出る。人気がなくなった所で小声で「弥生さん。葉月さん」とつぶやく。
その途端に影が二つ現れた。一人はいわゆるポニーテール。もう一人は三つ網を二つにした髪型たったがうりふたつだった。双子なのは間違いなかった。
年のころなら13~15。愛子と同じ制服を着ていた。
「愛子さま。葉月はここに」
「弥生はここに」
二人は傅いて臣下の礼を取っている。愛子はちょっと切り口上な印象の口調で言う。
「今日は…『今日も』ですね。ねえさまの学校に暴漢が現れたそうです」
「なんと?」
「もしや橘どのの」
「いいえ。どうやら無頼どもの十郎太さまへの遺恨が原因のようです」
「兄の…」
二人は黙ってしまう。二人は十郎太の妹なのだ。
「ああ。違う違う。別にあんたたちを叱ろうってわけじゃないのよ」
緊張感を和らげるためか。それとも単に地が出たためか粋なる砕ける愛子。
「ねぇ。その暴漢がねえさまに跡が残らないようなキズでもつけて、それで十郎太さまが怒ってソイツをやっつけちゃってねえさまへの愛に気がつき二人は一気にらぶらぶ…なんてなったらよかったのにねぇ。そう思わない」
「え? でも愛子さま。あの朴念仁の兄ではとてもそんなことは」
三つ編みの方。弥生がやはり砕けた口調で返す。二人も姫子に対する十郎太同様クラスメートとして護衛をしていたが、同姓と言うこともあり、また愛子の性格もありちょっとしたきっかけで友達レベルになってしまう。もっともそれは愛子の希望であるが。
「弥生。口の利き方」
ポニーテールの方。姉の葉月が叱る。双子と言えどこちらは生真面目でいつでも態度を崩さない。しかしそれを愛子自身が軽く流してしまう。
「いいわよ。葉月さん。他に誰もいないんだから。かたっくるしいのはよしましょ」
「愛子さま。そうは参りませぬ。けじめはつけませぬと」
「いいっていいって。で、話を続けるわよ。やっぱり私としてはねえさまには十郎太さまがお似合いなのよねぇ。でもお二方とも古風だから告白なんて夢のまた夢だし。もう。その暴漢もだらしないわね。もうちょっとがんばってピンチになれば二人のらぶらぶファイヤーが燃えたのに」
「無理ですよぉ。愛子さま。兄ったらとにかく固くて」
「弥生!!」
「そうなのよねぇ。でもそれがかっこいいのよねぇ。ストイックなのもいいし。ねえさまと結婚してくれたらにいさまと呼ぶのに。ああ。いいわぁ」
ほとんど暴走であった。しかし当の愛子もその『暴漢』秋本が今だ牙を研いで付け狙っているとは思ってもいなかった。
夜。とある暴力団事務所。惨劇だった。乱雑になった部屋に血しぶきが飛びかい、そこいらにカタギと言えない男たちが転がっていた。
暴力団員たちたちはみな刃物を抜いていたのだが、いかに刃物と言えど木刀のリーチの方が長くて当たらなければ意味がない。
中には『長ドス』を抜いていたものもいたが、胸に痛撃をくらい肋骨が内臓をいためて吐血して気絶も出来ずに悶絶していた。
そして乱入者・秋本は組長を追い詰めていた。特に面白くもなさそうである。一方の組長は恐怖に顔面蒼白だ。やっとの思いで引出しから拳銃を取り出す。
「ふ…ふはははははは。ばかめ。どこの鉄砲玉かしらないがハジキにかなうか」
形成逆転とばかしに高笑いする。だが秋本はため息を芝居抜きでつく。
「……待ちくたびれたぜ……そいつを出すだけで何分かかってやがる」
「な…何?」
「邪魔が入りまくりでいらいらしてたんで遊びに来たが…肩ならしにもなりゃしねぇ。どうやら組は組でも土木の方へ来ちまったか」
「や…野郎」
侮蔑され逆上した組長は簡単に引き金を引いたが、秋本はその視線や銃口から当たらないことを予知してダッシュする。そして机ごと逆袈裟に切り上げる。机は真っ二つになり組長は宙を舞う。
「ぐはあっ」
組長が地面に叩き付けられた時はすでに秋本は部屋を出ていた。
(けっ。笑わせやがる。これでケンカのプロだと? 一介の高校教師や学生の方がよほどましじゃねぇか。てめえらがオレを満足させたのは血の匂いだけだぜ)
秋本は再三邪魔が入った鬱憤ばらしで暴力団事務所に八つ当たりしていた。
(それにしてもあの野郎も護衛護衛といつまでも…ふ…そうか。それなら…闘わざるを得ないようにしてやるぜ)
ここではじめて秋本はにやりと笑う。鬼でさえ逃げそうな冷たい笑いだった。
同時刻。十郎太は物思いをしていた。さすがに屋敷では大勢の警護もいるので任を解かれていた。それに年頃の娘に夜になってまで近寄るのはさすがに抵抗があった。
(それにしてもあの男。あれだけ血に飢えていながらああまであっさりと遁走を…そうか。見えたぞ。やつの弱点。だがそれとて必要ない……拙者は姫に降りかかる火の粉さえ振り払えればよいのだからな)
翌日。たまたま全員がクラブもなく7人で駅方向へと向かっていた。商店街を歩いている。
「よう。ニンジャ野郎」
その目前に木刀を担いだ秋本が現れた。周囲の買い物客はその禍々しい雰囲気に後難を恐れて遠ざかりつつも遠巻きに見ている。
「またお主か。何度言ってもわからぬようだな」
「ああ。だから『話し合い』をしようじゃねえか。ここじゃなんだからよ。川原まで来い」
「無用」
十郎太は背を向ける。だがその反応は予想の範疇だったらしい。秋本は木刀を掲げる。
「十」
警戒して秋本の心を読んでいた真理が緊張した声で告げる。その刹那に木刀が振り下ろされた。衝撃波が飛ぶ。十郎太はあえて避けずガードだけした。避ければ巻き添えがある。
「…お主…まことの痴れ者か…」
「俺としちゃここでやりあってもいいんだぜ。他のヤツ等がどうなろうと知っちゃこっちゃねえ」
「おのれ…そこまで破気に犯されていると言うのか」
珍しく感情を剥き出しにして歯噛みする。戸惑う一同は顔を見合わせる。そこに凛とした姫子の声が響く。
「わかりました。参りましょう。ここでは皆様に迷惑がかかりますわ」
「御意」
姫子の意とあらば従うのみである。秋本を先頭に川原へと歩く。
河川敷では少年野球やサッカーが行われていた。その中の使われていないグラウンドにずかずかと秋本は入りこむ。バッターボックスの位置だ。十郎太たちはマウンドの位置で立ち止まる。
秋本は十郎太に向き直る。しかし先に十郎太が口を開く。
「はじめに言っておく。拙者は貴様を相手にする気は毛頭ない。拙者の任はあくまで姫の護衛」
「そのお題目は聞き飽きたぜ。だからよ…」
秋本は突然駆け出す。しかし目標が十郎太ではない。姫子に斬りつける。
「姫」
あまりの予想外にさすがに対処が遅れた。だが普段のとろさから想像もつかないほど素早く姫子は飛びのいた。
「くくく…意外にいい動きするじゃないか。しかしいつまで持つかな」
「秋本。お主の狙いは拙者であろう!! 何ゆえ姫を狙う」
「てめえで言ってただろ。姫の護衛が第一と。そんならその姫様を狙ってりゃてめえは守るために俺と戦わざるを得ないってわけだ」
指を鳴らす秋本。すると辺りに潜んでいた秋本の配下が出現した。
「てめーら。この連中を足止めして置け。サルやブタを追っ払ったヤツらだ。気ィ抜くんじゃねえぜ」
秋本の怒号を合図に輪になって襲いかかってくる。