第3話『飢えた虎』
いつの頃からか『悪漢高校』と呼ばれるようになった不良の巣窟。
それを取り仕切る『総番』の前で夏木山三は萎縮していた。
「山三…首の具合はどうだ」
『総番』は低い声で問いかける。
「は…はい! こんなギプス今すぐにでも…あつつっ」
強がっては見せるが真理の『ガンズンローゼス』で吊るされて落下した衝撃で鞭打ちになっていた。顔をしかめて首をさする。そこに傍らに控えていた春日が声をかける。
「けっ。ざまあねえぜ。大口叩いておいて襲撃前に吊るされて鞭打ちか。よくそれで人のことを笑えたもんだぜ」
「ぐっ…」
総番の前でここぞとばかしに夏木をののしる春日。しかし本来の襲撃前に榊原と真理の二人に返り討ちにされた手前もあって夏木は黙るしかない。
「総番」は苦々しくそれを見ていたが口を開く。
「冬野はまだ退院できないのか?」
「は…はいっ。やつぁまだ胸の怪我が完全ではなく。ですがじきに退院とのことです」
「まだだめか…」
目をつむり逡巡する。そして意を固めた。
「仕方ない。秋本を呼べ」
「あ…あいつですか?」
春日の声が裏返る。
「お言葉ですが総番。あいつがおとなしく指示に従うとは思えません」
春日とはいがみ合っていた夏木だがこのときばかしは同調する。二人がかりで翻意を促すために説得する。
「なにしろあいつは最終的には総番の首を取る気でいます」
「奴にある欲求は血を見ることだけ。修羅場に立つことだけ」
「あんな血に飢えた虎に任せるのならぜひこの春日に」
「いいえ。今度こそ任された任務を果たして見せます。どうかこの夏木に」
「やかましいっ」
「ひっ」
しばらくは言わせていたがさすがに『堪忍袋の尾が切れた』。物静かな総番だがいざ恫喝すると凄まじい迫力である。敗れたと言えど春日も夏木もそれなりのてだれ。それを沈黙させる事からも窺い知れる。
「手負い二人に何が出来る。貴様らは怪我の治療に専念しろ。それに…」
「それに?」
怒鳴った事を恥じ入ったか照れたように口元を歪め
「速さや力でだめなら狂気をぶつけて見るのも一興だろう。しょせん『無限塾』など馬鹿げた理想でやっている。狂虎一匹で足元から崩れると言う事をあの男に解らせてくれる」
静かに言った。これは二人に対しての言葉とは思えない。
無限塾講堂。週に一度。全校でのホームルームと言うべき集会がある。だいたいは連絡などに費やされる。
『では最後に塾長のお話があります』
「お話ってたってどうせいつもの『わしが無限塾塾長。大河原源太郎である』で終わりだろ」
みずきが隣の席の七瀬にささやく。
「そうねぇ…」
真面目な七瀬だがついお喋りには応じてしまう。そんな二人をよそに塾長は静かに語り出した。
「生徒諸君。君達は『天上天下 唯我独尊』と言う言葉は知っていよう」
ざわめきが起きる。逢えて放置しておく。
「それって…シャカだかブッダだかが言った言葉だろ…」
「シューキョー? あたしパス」
「たしか…自分がこの世で一番えらい…とか言うんじゃ」
こう言う反応を待っていたらしい。塾長は言葉を続ける。
「この言葉の意味は『人間は基本的に誰も尊い物。だから互いに敬意を払え』と言う意味である。確かに…導くものは必要である。だが優等生が偉くて劣等生がだめなどと言うことはない。先人たちにも学のないものは多数あった。
諸君らはやる気を持ってここに集った。諸君らは可能性を秘めている。塾ではそれを引き出す手伝いをするだけだ。なんびとたりとて蔑まれる道理はなく、なんびとたりとて蔑んでよいはずもない。誇りを持って生きて行くが良い。さすれば謂れなき暴力に屈することもないであろう」
ことここにいたって生徒たちはこの講話の意味を悟った。
頻繁に来る襲撃者に屈するなと言うメッセージだと。
「以上でわしの話を終わる。最後に一言…
わしが無限塾塾長。大河原源太郎である!!! 以上」
全校ホームルームは終わったが、最後の蛮声をまともに聞いた一年生たちはしばらく耳鳴りで動けなかった。
「あー…まだ耳鳴りがする。フェイントとは塾長も手が混んでるぜ」
しかめっ面で歩くみずきが言う。
「いささか修行が足りぬと見える。精神を鍛錬すれば雷鳴にも屈せぬものだ」
そう言う十郎太だがいつも無表情。しかも目つきが鋭いので怒っているようにも見える。
「オレは忍術修行はしてないの」
「それはさておき姫ちゃん。今日は車はいいの」
だいぶ親しくなった面々は上条の発案から姫子を『姫ちゃん』と呼ぶようになっていた。
姫子は親しみを込めたこの呼び方がたいそう気に入り喜んだ。しかしさすがに十郎太は以前のままだ。
「はい。これも社会勉強の一つですから。それにしても…賑やかですねぇ。まるでお祭りですわ」
「そう?」
このイラストはOMCのクリエイター。参太郎さんによって製作されました。感謝の意を表します。
姫子が「お祭りみたい」と評したのは実は単なる商店街。確かに凄まじい人出ではあるがどこにでもある光景である。
四人は特に買い物があるわけではない。ただこの道は無限塾から駅までの通り道なのだ。
「そうそう。七瀬さん。みずきさん。わたくしもこの前やっと自分で切符が買えたのですよ」
唐突に姫子が嬉しそうにしゃべる。見ているほうも引きずり込まれそうな極上の笑顔だ。
「そ…そう? 良かったわ…」
頷きはするものの、さすがに世界の違いを感じてしまった七瀬であった。
姫子は世が世なら名のとおりの姫君。そのせいでもなかろうが知識はあれど世間知らず。
だから姫子の祖父は姫子を逢えてエリート校には入れなかった。
これだけ多種雑多な人間に触れることができる学校は無限塾のみ。故に選択された。
その護衛として同級生になっているのが風間十郎太。かれもまた風魔の末裔。
そして彼もまたかなりの世間知らずであったが、さらに致命的なまでにカタカナ言葉に弱いと言う一面もある。
彼らの高校生活は社会勉強のためなのだ。だから二人は極力、輪に入ろうとする。
この日もそんな一環であった。
「こんなにお買い物に出て…みなさん何を買ってらっしゃるのでしょう」
「そりゃあ…そろそろ晩飯の準備も要るしね」
そんな他愛もない会話をしていたときだ。突然悲鳴が上がる。誰かが叫ぶ。
「暴れ馬だーっっっ」
……………………………はぁ?…………………そんな感じのみずきと七瀬である。
だがその手のことにはむしろ馴染める二人もいた。
「まぁ大変。暴れ馬ですか」
憂い顔の姫子が言うとその心の曇りを取り除くために十郎太が申し出る。
「姫。拙者が止めてくるでござる。しばしお待ちを」
「お買い物のみなさんがお怪我をなさらないようにお願いします」
「御意」
「ですが十郎太様もお気をつけて」
「もったいないお言葉。かたじけのうござる。では」
十郎太はいつものように消えるように駆け出した。姫子にとばっちりが及ばぬように迎撃に出向いたのだ。残されたみずきたちは唖然としていたがわれに帰る。
「ど…どうして平然と対応できるんだ…」
「そうですか? 確かにちょっと珍しいですわね。暴れ馬は」
「いや…珍しいうんぬんじゃなくてね…」
「私はその前に『暴れ馬』が出たことがまず変だと思うけど…」
そんなこんなで言っているうちに『暴れ馬』が迫ってきた。十郎太はなんとそれにむかってダッシュした。そして跳ぶ。
「えいやあっ」
馬の首めがけ強烈なキックを見舞う。馬がひるんだ隙に着地して高く舞う。上空からヒザを揃えて馬の脳天に叩きつける。
動きが止まった所に連続で拳を叩きこむ。最後にバック転をして馬を気絶させた。十郎太は印を結び低く『これぞ、風間流』と言い放つ。
馬の走る音が途絶え派手に倒れる音が聞こえたので避難していた姫子達が近寄る。
「お疲れ様です。十郎太様。お手並み。あいかわらずお見事ですわ」
「はっ」
十郎太は跪いて臣下の礼を取る。
「それにしてもあいかわらず素早いな。榊原なんかだと力学の応用で的確に相手をぶん投げるけど若干遅いしな」
「いくさ場では一瞬が生と死を分かつ。拙者などまだ小童」
「そんなもんかね」
そのときだ。やっと落ち着きを取り戻しかけた商店街に再び引きつった悲鳴が上がる。
「だ…誰か止めてくれーっ」
「暴れ牛だぁぁぁっ」
「………………はぁ?」「今度は………暴れ牛」
二人は怪訝な表情をしていたが、地響きを伴うひづめの音を耳にしては信じないわけにはいかない。
どうやら事故車両から逃げ出したらしく怪我をしてひどく興奮している。
「むぅ。立て続けに」
再び十郎太が野獣に立ち向かいかけたときだ。黒い影が横を駆け抜ける。
(な…なに? なんと言う殺気…)
十郎太を驚愕させた黒い影は十郎太が暴れ馬に対してやったように真正面から突っ込む。
「しゃああああああああああああっ」
狂気にも似た怒声を肺腑から空気を絞り尽くすように発する。牛も怯んだかのように見えた。その角に護られた脳天に木刀の『切っ先』が突き立てられる。
(あのような狭い位置に突きを見舞うとは。しかも互いに走りながら正確に…できる。だが…)
脳天に強烈な一撃を食らった脳震盪を起こし暴れ牛は動きが止まる。その瞬間に凄まじい斬撃が見舞われる。最後の一太刀でなんと牛は一刀両断される。
「きゃあっ」
七瀬は一瞬気が遠くなる。みずきがとっさに支える。あちこちで同様に倒れるものが出た。
いかに食用のものと言えど目の前で生きた牛が真っ二つにされ、血しぶきを上げればさすがに気分も悪くしよう。
「ああああっ。なんてことだっ。『世界の暴れ馬。暴れ牛展』に搬送中に逃げ出した牛が…」
「なんだ? そのイベントは?」
七瀬を支えながらも突っ込みはいれるみずきであった。
「どうしてくれるんだ。牛を殺すなんて」
搬送中の荷物を死なせてしまった運転手は殺した『木刀の男』に逆上して詰め寄る。だが『木刀の男』はけだるそうにあしらうだけ。
「ふざけんなよ。オレがやらなきゃ人間様が死んでたぜ」
「ぐっ…」
搬送していた運転手はそれを言われると黙るしかない。
「大惨事にならなかったことをオレに感謝してほしいものだな。うわーっははははーっ」
『木刀の男』は愉快そうに高笑いをする。
「お主…まことに人助けで斬ったと申すか?」
「あん? おう。馬の方を止めた野郎か」
十郎太は『木刀の男』に迫る。
男はオールバックの髪をしていた。背は高めだが細い。不健康な細さだ。目も濁った印象だ。そして着ている学生服は。
「その釦。『悪漢高校』のものか?」
「くくく。御名答だぜ。良いさ。久々に斬れて御機嫌だから答えてやる。オレの名は秋本虎次郎。悪漢高校四季隊一の使い手よ。そう覚えんのがてっとりばええからな」
「名乗るならこちらも応えよう。拙者は無限塾の風間十郎太」
「無限塾…ほう…新入りか。あそこはいろいろいるがとうとう忍者までとはな」
どうやら知っているらしい。抗争を続ける悪漢高校の人間ならもっともでは有るが。十郎太は秋本に詰め寄る。
「秋本とやら。巌流・佐々木小次郎と同じ名を戴きながらお主は邪剣使いのようだな」
「それがどうした。ニンジャ野郎」
飄々としているが険悪な空気が流れる。だが十郎太は無表情で続ける。
「最初の一撃で牛を止める事はできていた。その腕前ならば気絶させる事も難しく有るまい」
「甘いな。ようはいかに効率よく相手を切り刻むかだろうよ。剣術なんざよ。気絶させるだけなんて甘い戯言を吐いていたらこの平和ボケした時代でも背中から刺されるぜ。死にたくなけりゃ殺られる前に殺れ。それが鉄則だ」
「愚かな。無用な殺生を行うとは…お主は『破気』にとりつかれているようだな」
「ハキ?」
耳慣れない言葉にみずきは思わず尋ねてしまう。
「破気。結構。欲望が強ければ強いほど俺は強くなる。俺が求めるものは血だ。相手を切り刻む快感だ。満足させる戦いだ。そうだ。ニンジャ野郎。お前も結構やるようだな。どうだ。一丁遊ばないか。俺様とよ」
木刀についた牛の血をぺろりと舐める。威嚇と言うわけでもなく自然にやってのける。
「断る。拙者の技は主君のために有る。お主のような狂人に振舞うためにあるのではない」
即答だった。まさに信念が言わせた言葉。だが秋本はそう取らなかった。
「くくく…腰抜けか。それではつまらんな。…無限塾と言ったな…そうか…くくく…そうか…そのうち遊びに行くぜ。あばよ」
秋本は木刀を背に雑踏に消える。その背中を見ていた十郎太が振りかえる。
「姫。失礼いたした」
「いえ…わたくしはいいのですが、七瀬さんが気分を悪くなされて」
「無理もござらん。どこかで休むでござる」
一同は近場の喫茶店に入った。
「落ち着かれました? 七瀬さん」
「…ありがとう。姫ちゃん。ああ…それにしてもしばらく牛肉使えないわ…」
「なに言ってんだよ。食うためには殺さなきゃならないだろ」
「そうはいっても目の当たりにしたら気分悪いわよ。私スプラッターだめだし」
気分を悪くした七瀬を休ませるために一同は近くの喫茶店で茶を飲んでいた。
七瀬もだいぶ落ち着いてきたらしくみずき相手に軽口を叩けるまで立ち直る。
「及川殿。此度は拙者の落ち度で不愉快な目にあわせて申し訳ない。平に御容赦を」
真正面から頭を下げられ七瀬は逆に面食らった。
「あん。いいわよ。風間君が謝るなんてことないわ」
「いや。牛のほうも拙者が相手すれば血など見ずにすんだのでござる。あのような男に手出しなどさせなかったのでござるが…」
「そう言えばさ。さっきの会話の中で『ハキ』って出てきたけど…それってなに?」
放っておくといつまでも謝っていそうなので、矛先を変えるべくみずきは別の話題を振った。もっとも本当に興味も有ったのだが。
「破気というのはいわゆるオオラのことでござる」
「『オーラ』ね…」
七瀬も十郎太がカタカナ言葉に弱いのは充分に知っていた。
「もともとは戦国時代に出た言葉のようでござる。『破る気』と書くでござる。『奪う』『殺す』『潰す』など敵をあやめるための力でござる。それが勝利を求める様から転じて『覇気』と言う字が当てられて現代でも使われているでござる」
「確かに『破壊の気』では字面が悪いね」
「対して『護る』『救う』などの力は『じんき』と呼ぶでござる。『神の気』と書くのが主でござるが『人の気』や『仁の気』とも書いてもよいでござる」
「どう違うのかしら?」
「神気は生かすための力です。また戦った相手も精進につながるのです。ですが破気は殺める力。なにも生み出しません。破壊あるのみ」
姫子が解説する。そこに十郎太が言葉をつなぐ。
「されど二つの力は二極一対。表裏一体とも言えるでござる。あの秋本なる男もかつては神気に満ちていたはず。何かの拍子に修羅に堕ちたようでござるな」
「ふーん」
とりあえず気のない返事をしてしまうみずき。だが次のセリフはその横っ面を張り倒す物だった。
「実は拙者。上条にも破気を感じるのでござるが…」
翌日。悪漢高校。秋本は木刀を片手にふらりと総番の前に現れた。
「よう。総番。まだ無限塾にちょっかいかけてるんだってな」
「き、貴様っ」
「総版に対してその口の利き方は何だっ」
春日がロッドを。夏木がチェーンを片手にいきり立つがそれを総番が片手で制する。
「そうだ。実はお前にはヤツらに対する刺客をつとめてもらいたい」
(引きうけるはずがない。こいつが素直に受けるはずがない)
(そう言うヤツだ。こいつは血に飢えた虎。飼いならせなどしない)
だが春日と夏木の二人の思いと裏腹に
「いいぜ。こっちがそれで出向いてきたんだからな」
「ほう…それはいったいどうした風向きの変化だ」
「へっ。ちょっといい遊び相手がいてね。暴れ馬を素手で止めたやつだ。久々にケンカのしがいの有る奴と出会えた。ただそれだけよ。それにそこのチビとデブものされて帰ってきたそうじゃねぇか。俺がテメーらと並んでいるわけじゃない事を教えてやるぜ」
「や…野郎っ」
「言わせて置けば」
だがやはり総番は制する。不満たらたらだが総番の前ではしたがうしかない。
「いいだろう。やってもらうぞ」
その言葉に秋本はニヤリと口元を歪める。