第2話『今がそのときだ』

 入学式から1週間が過ぎた。この日は土曜日。これだけ経てばそれぞれ仲良しのグループなども作られていく。
 入学式の日にいきなり騒動のあったみずき。七瀬(この二人は元々幼なじみだが)に姫子。その護衛の十郎太。そして上条と榊原。
 もっともこのメンツは騒動がきっかけで仲良くなったと言うか、みずきが実は本来は男で古い薬と肺炎で女に変身する体質になると言う秘密を共有する仲である。
 まぁ重度のオタクだが性格の良い上条と、スケベで親父臭いが(ちなみに外面は極めて良い)理知的な榊原は別にみずきのその体質をたてにいじめたりしていない。
 もっとも榊原は「良いだろ。本当は男なんだから胸くらい」といってその巨大な胸を触ると言うか揉みたがる。しかし男なら男で男に胸板を触られて喜ぶはずもないのだが。
 さらに何人かとも仲はよくなっていたがこの6人はとくによかった。だが仲良しどころか未だに登校すらしてこないものもいる。

「村上。村上真理は欠席だな。あいかわらず」
 一時間目のホームルーム。担任の中尾は出席簿の『村上真理』の項にバツをつけた。
「いったい何を考えている。せっかく入学しておいて入学式どころか1週間出てこないとは」
 怒るでもなく抑揚のない声が響く。中尾は出席取りを続行する。
(ほんとうにどうしたんだろ? 不良なんかも多いこの学校だけど、それにしても出る気もないのに入試を受けたのか? オレなんかこんな体質になって女としてとは言えど高校生活が送れるだけで正直嬉しいのに)
「気になる? みずき」
 みずきの右後ろ。メガネの少女が声をひそめて物思いにふけるみずきに尋ねる。
「なにか知ってるの? ゆかり」
 小声ながらもオクターブは上げて、少女のふりをしてみずきはこのクラスメートに尋ねる。
 小山ゆかり。この娘も仲良しの一人だがみずきの体質は知らない。
 愛嬌と童顔。それとユーモラスな印象すら抱かせる大きなフレームのメガネ。小柄だが背中までのストレートロング。外見的な特徴はそんな所だ。
 そのひとなつこさと快活な印象で友達は増えた。みずきや七瀬と仲良くなったのもそれが大きい。
 ただ彼女は人一倍のおしゃべりだった。それがまさに珠にキズだった。
「村上さんってなんでも金髪なんだって」
「そんなの別に今時珍しくもないよ。他にもいるだろ」
「でも噂では悪い子みたい。喧嘩して相手を病院送りにしたとか聞くわよ」
「噂だろ」
「ずいぶんと余有だな。赤星」
 ゆかりは首をすくめた。みずきが正面を向き直すと、黒板には物理の授業と思われる図が展開されていた。一時間目はそのまま中尾の物理なのであった。
(カオス!?…いつのまに、気配もさせずに忍者かよ)
 「なかおすぐる」の間の読みから『カオス』と仇名された担任がみずきのほうを見ていた。
 『混沌』を意味する単語をあだ名とされている事から伺えるようにこの担任は評判が芳しくない。
 上級生に言わせると『ある事件』以来がらっと人が変わったと言う。以前は明朗なスポーツマンタイプで生徒の人気も高かった。
「それだけ余裕なら簡単に答えられるだろう。解いて見ろ」
 言われたみずきは立ち上がって問題を一読すると回答を述べて見せた。まさに立て板に水。それどころかご丁寧に問題文の誤字まで指摘して見せた。
「おぉーっ」
 教室中から感嘆の声が上がる。もっとも普段から鉄仮面の十郎太は無表情だし、七瀬は苦い表情をしている。誤字まで指摘された中尾もだ。
「くっ」
「間違っていますかしら? 先生」
 半ば嫌味な感じで甘い口調で尋ねる。
 実の所みずきもこの担任が好きではなかった。何を考えているのかわからないがどう見ても良い印象ではない。だからつい必要ないと思いつつ嫌味な事をしてしまった。
「…授業中のお喋りは慎むように」
 中尾にして見ればそれくらいしか言えない。みずきもこれ以上引きずりたくなかったので「はーい」と愛想の良い返事を返して着席しようと動く。
 授業が再開される。しかしざわめきは収まらない。男子生徒たちが噂する。
「凄いな。赤星の奴。どんな勉強していたら、ろくに聞いてもなくて読んだだけで回答をできるようになるんだ」
「頭は良いし運動神経も良い。美人だし声も可愛い。何と言ってもグラマーだ」
「けどあの性格のきつさと」
「ぎゃん!?」
 噂話からその声に声の主に視線をよせるとみずきが尻餅をついていた。
「いったぁーい」
 涙を浮かべながら尻をさするみずきに授業中と言うのに失笑が起こる。
「…凄いな。赤星の奴。どんな座り方をしたら、ただの着席でこけるなんて芸当ができるんだ」
「走ればこけるし(科学の実験じゃ)ビーカーは割るし、校庭のスプリンクラーに直撃されるし」
 みずきのドジぶりもすでにクラスの常識となりつつある。顔を真っ赤にしながみずきは着席し直す。七瀬が呆れたようにため息をついた。

 マンションの一室。雑然とした部屋。生半可ではない散らかり方である。玄関に靴下。上着。ブラウス。スカート。ブラジャー。ショーツとベッドへと続いている。
 そのベッドに素っ裸の美女がうつぶせに寝ていた。
 真っ白い肌の色は白人を思わせる。プロポーションも外国人のような印象を持たせる。そう思わせるのは見事なブロンドのせいか。
 ザンバラに切っただけの印象のある金髪だが、加工したものでないのは根元からの金色が証明していた。
 かなりの美人である。色白の金髪だけなら欧米人かと思えるが、顔立ちは明らかに日本人のようである。
 顔色は悪い。しきりにうめいている。
 そうかと思えばいきなり起き上がり、口元を押さえて立ち上がるとトイレへと駆け込む。
 しばらく激しく嘔吐してそのままユニットバスの洗面台で口をゆすいで顔を洗う。疲労した顔でつぶやく。
「あー。死ぬかと思った。ちょっと昨夜は悪乗りだったなぁ。でも吐いたらすっきりした。二日酔いにはならずにすんだな」
 高い声だがハスキーだ。それが洗面台の鏡を見た。絶叫した。
「なんだぁぁぁっ? どーしてアタイはすっぽんぽんなんだよ?」
 鏡の中の彼女は大きな胸を惜しげもなく晒していた。その辺りも日本人ばなれしていたし長身もそうだ。実の所170センチはある。
 それがまったく一糸纏わぬ姿である。驚かないとしたらベッドに男がいる場合だけだろう。彼女もそれを考えた。
「まさか…昨夜酔った勢いで!?」
 酔いとは別に青くなる。彼女はその右手を腰に当てる。右手からは彼女と彼女の同類だけが見える「茨」が出ている。そうだ! 彼女もマリオネットマスターなのだ。
「よし。『ガンズンローゼス』は『残留思念』を見つけ出せない。男とやったわけではない…と言う事は単に暑くなって服を脱いで寝ちゃっただけか」
 一安心したら自分の匂いに気がついた。腕に鼻を当てて匂いをかぐ。
「……汗臭い。随分呑んでて騒いだっけ。ちょうど裸だしこのままシャワーだ」
 熱いシャワーを浴びて汗を流す。服を着ようと思ったが前夜の服は汗臭くてだめ。しかし他の服はランドリーバケットに山積になっている。相当にガサツな性格をしている。
「仕方ない。とりあえずまとめて洗濯するか。乾燥機もあるし晩までは着れるようになるだろ。それまでは部屋ん中ならすっぽんぽんでも…」
 タイミングを見計らったように腹が鳴る。
「あちゃー。今何時だ? 真昼か…明け方帰ってきたからそりゃあるか。何か食うものは」
 冷蔵庫を探すがビールとワインしかない。
「朝飯がわりにワインでごまかした事はあるが、さすがに今はアルコールは嫌だな。買出しに出ないわけにはいかないか。しかし着れる服となると」
 記憶を頼りにクローゼットを開ける。彼女はまだ一度も袖を通した事のない服を引っ張り出した。
 青いボレロととジャンバースカート。スカート丈は長めに作られていたが、それは紛れもなく無限塾の女子制服であった。
「こんなの着たくなかったけどな、腹も減ったから外に出たいし…かといって一着だけでも洗って乾かすと2時間は待つしそんなに待てないよな。このすきっ腹。冷蔵庫もからだし。さすがのアタイも裸でうろつけないからしゃーねーか」
 文句を言いつつも着てしまうと、彼女は鍵を右手でもてあそび外へと出向く。

 彼女の名は村上真理。未だ登校しない最後のクラスメートである。

 悪漢高校。ようやくダメージの癒えた春日が総番に再襲撃を直訴していた。
「総番。お願いします。どうかもう一度オレを無限塾へ」
「人がいないのか?」
「は?」
 総番の重い呟きに思わず間抜けな声を発する春日。
「女に負けたような奴を2度も送りこむほど人がいないのかと聞いたのだ。おまえは『悪漢高校』を笑いものにしたいのか?」
「ぐ…」
 歯噛みする春日だが自慢の機動力で負けては申し開きもできない。
「それにサル。おまえはまだ手負いだ。ここは他の奴にもチャンスを与えてやれ」
「はっ……総番が仰るならば……」
 悔しさをにじませながらも逆らわずに引き下がる。
「さて、サルよりすばしっこい奴がいるならむしろ」
「そう。スピードの通用しないパワーで押し切ってくれますぜ。ぐふふふっ」
 巨漢だった。体重は少なく見積もっても100キロは越えている。身長も2メートルはあるだろう。
 坊主頭。それがさび付いた鉄扉がきしむような声で言った。総番はちらりと一瞥すると鷹揚に頷く。
「良いだろう。山三。おまえが行け」
 総番に命じられた肥満体の男は恭しく例をする。
「はっ。総番。この四季隊ナンバーワンの夏木山三がご期待にこたえて見せます」
「よし。だが今日は土曜だ。すでに学生も残っていまい。当然明日の日曜もな。だから明後日を襲撃の日とする。明日の内に準備を整えろ。いいな」
「はっ」

 放課後。それぞれ思い思いの行動を取る。みずきがバッグを取りながら
「七瀬。ゆかり。帰ろうぜ」と声をかける。
 榊原は科学部。医者の息子だからと言うわけでもあるまいが科学には強い。ただしクラブ担当が妙齢の女性教師だけに何が本命かわかったものではないが。
 上条はマンガ研究会と映画研究会の掛け持ち。どちらも同好会ではある。上条の妙な知識はここではフルに生かされていた。
 姫子は茶道部。当然ながら十郎太はその警護のため気配を殺して部室にいた。
 四人はクラブと言う事でいっしょには帰らない。
 ちなみにみずきは無所属。体を動かすのが好きだから体育系のクラブに入りたかったものの水泳は論外。テニスはスカート。他もブルマー着用がネックと要するにクラブでまで女の格好をしたくなかったので断念した。
 そうでなくても少女になりすまして学園生活を続けているのである。あんまり女として過ごす時間は増やしたくなかった。ましてや女ばかりの中にいた日には段々感化してしまうのではないかと恐れていた。
「男のときも語尾に『わよ』とか『よね』とか女言葉を使ってしまいそうだ」
「しぐさが女っぽくなってしまいそうだ」と。
 それでもやってみたかったのは陸上とバレーボール。こちらは別の理由が引っかかった。前者は走ると邪魔になる大きな胸が。後者は女としても低いほうになるその身長が。だから断念した。
 参考までに文科系は肌に合わなかった。故に無所属である。
 ただ運動部から助っ人を頼まれたら引きうける。そのくらいなら女のふりも耐えられるし体を動かせて望むところだった。
 そして七瀬は家庭部だった。調理実習をしたり編物をしたりと、七瀬のためにあるようなクラブである。その家庭部はこの日は休みであった。だから声をかけた。だが
「ごめーん。今日はウチを手伝わないといけないの。だから早く帰らないとだめなの」
「ゆかりんちって何か商売やってんの?」
「うん。レストランなの。チェーンでもないけどイメージとしてはファミレスっぽいかな」
「わあ。いいな。今度食べに行っていい?」
「もちろんよ。七瀬。みずきも来てね」
「じゃ明日の日曜にでも行って見ようか」
「来て。場所は後で電話するわ。待ってるわ。じゃあね」
 そそくさとゆかりは帰って行く。顔を見合わせるみずきと七瀬。
「帰ろっか。二人だけだが」
「二人だけ…」
「ば…ばか!! 変に意識するなよ」
 赤くなって俯いてしまう二人。誰かに見られたら間違いなく『レズカップル』の汚名を着せられるだろうがそんな心配は杞憂であった。
 すでに公然の秘密だったから。

 帰路を急ぐゆかり。自宅でもあるレストランが見えてきたが様子がおかしい。何か揉めている。
 勢いよく扉が開くとコック姿の男が転げるように飛び出してきた。
「お父さん!!」
 それは店長であり料理長であるゆかりの父だった。そしてそれを追いたてたと思しき者たちが出てきた。
 サンプルにしたくなるくらいの不良だった。敢えて死語を使えば「スケバン」と言うのがふさわしい。
「あぁーん。おっさんよう。ゴキブリ入りのランチ出しといて金をとろうってのかぁ?」
「そんなばかな。だいたい明らかにはじめから死んでいたぞ」
「じゃ何かい? あたしらがわざと入れて料金踏み倒すために言いがかりつけてるって言うのかよ」
「そ…そうだ」
 3人組のスケバンは金髪。白髪。紅毛だった。まだ口を開いてない赤い髪の女がいきなりチェーンで殴りつける。
「口の利き方に気を付けな。おっさん。あたしらは仮にも客だよ」
「そうそう。体に教えてやるよ」
 白髪が木刀で殴りつけかかるが
「やめてぇーっ」
ゆかりが父親をかばいに飛び出す。とっさに止めてしまう白髪。
「なんだぁ。てめーは?」
「やめて。お父さんをぶたないで」
 涙の訴えに一瞬で関係を理解したスケバンたちは逆にサディスティックになる。
「いいねぇ。娘が親をかばって。じゃあいっしょに殴ってやるよ」
 今度は躊躇せずに振り下ろされる木刀。ゆかりも父親も覚悟して目を閉じる。だが衝撃はこない。
「?」
 恐る恐るゆかりが目を開けると、ブレザー姿の金髪の女が木刀を右手で受けとめていた。
「…近所のコンビニがメシ時で片っ端から食いものが捌けちゃってさ。アタイは腹が減っているんだ。やっと料理を出してくれるところを見つけたのに邪魔なんだよ。あんた等」
 それは村上真理だった。ちなみに料理はまったく出来ないので材料を仕入れて作ると言う事は考慮にない。
「くっ。放せ。放せ」
 白髪頭が抵抗するがびくともしない。
「放したらまた振りまわすだろ。こう言う危ないものは」
 真理はちょっとだけ力をこめた。樫で作られた木刀がみしみしと音を立ててへし折れた。スケバンたちは青ざめた。

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