こちらの本は加藤哲郎氏著作の「象徴天皇制の起源」という本である。現在、再販はされておらずアマゾン等でもプレミアがついてとても手が出せる値段ではない。幸い、私の手元にあるので、この著書の概要、特に「日本計画」「オリビア計画」「ドラゴン計画」について、この記事では触れていきたいと思う。
ちなみに平凡社HPにはまだ書籍情報が残っており、目次に目を通すだけである程度の内容が分かるよう配慮されているのでお時間の許される方は是非、この目次に目を通して頂きたい。
- ライシャワーメモと傀儡政権
- 戦略情報局(OSS)と「日本計画」
- COIからOSS、CIAへの系譜
- 真珠湾攻撃前より日本の情報を収集
- 「ドラゴン計画」の誕生
- 「ドラゴン計画」から生まれた「オリビア計画」
- 「オリビア計画」
- その後の「日本計画」
ライシャワーメモと傀儡政権
戦後米国の代表的「知日派」ライシャワーのメモが発端であった。真珠湾攻撃からわずか一年足らずの1942年には、覚書を作り米陸軍省次官らに提言をしていた。その内容は日本人であれば、その多くの人が怒りで震え上がるような内容である。以下、箇条書きでその内容を示す。
- ヒロヒトを中心とした傀儡政権
- ドイツなどでは敗戦の重荷を「悪かったのはナチスやヒトラー」に押しつける事が可能だが、天皇にスケープゴートの役割を押し付けることは無理であり、逆効果である
- 注意深く計画された戦略を通じて思想戦を勝ち取ることが大切である
そして、ライシャワーメモの最も衝撃的な部分。こちらはそのまま掲載したいと思う。
ところが、日本それ自身が我々の目標に最も適った傀儡を作り上げてくれております。
それは、我々の側に転向させることができるだけでなく、中国での日本の傀儡が常に欠いていた素晴らしい権威の重みをそれ自身が担っています。
もちろん、私が言おうとしているのは、日本の天皇のことであります。
全文を読みたい方は「対日政策に関する覚書」こちらを参照して頂きたい。
戦略情報局(OSS)と「日本計画」
「日本計画」の起草者は陸軍情報部(MIS)の心理戦争課長のソルバート大佐であった。この「日本計画」とは対中「ドラゴン計画」戦略策定の一環と言われている。
象徴天皇利用構想は、ライシャワーメモより更に遡りミッドウェイ海戦時すでに陸・海軍・国務省、情報調整局(COI、OSSの前身)、それに加え英国政治戦争本部(PWE)も加わって検討していたと公文書中で明言されている。更にCOIとは英国の協力によって創設された経緯を持つ。
つまり、太平洋戦争開戦直後には日本に対する戦後処理が決まっていたということになる。
最終草稿は1942年6月。そのダイジェスト版によると「日本計画」は、日本に対するプロパガンダ戦略であり、四つの政策目標を持つ
- 日本の軍事作戦を妨害し、日本軍の士気傷つける
- 日本の戦争努力を弱め、スローダウンさせる
- 日本軍当局の信頼を貶め、打倒する
- 日本とその同盟国及び中立国を分裂させる
更にその政策目標達成のために八つの宣伝目的=米国の戦争目的と対日戦略が設定された。
- 日本人に政府や国内の公式情報への不信を増大させる事
- 日本と米国の間に戦争行動の文明的基準を保持する事
- 日本の民衆に政府は彼らの利益にならないと確信させ、政府の敗北=日本人の敗北とはみなさないようする事
- 日本の指導者及び民衆に永続的勝利は達成出来ない事、また日本は他のアジア諸国の必要な援助を得ることが出来ないと確信させる事
- 日本の諸階級、諸集団の亀裂を促す事
- 内部の反逆、国内のマイノリティ集団による暴力事件等への不安を掻き立て、それによって日本人のスパイ活動対策への負担を増大させる事
- 日本とその枢軸国とを分裂させ、日本と中立諸国の間の困難を促進する事
- 日本の経済的困難を利用し、戦争続行による日本経済の悪化を強調すること
この中に出てくるマイノリティとは
- 急進派
- インテリ
- 朝鮮人
- 在外日本人
- 不特定の(実在しない)裏切り者
- 白人・狂信主義集団
を示す。
この八つの宣伝目的に注目してほしい。これは1942年に策定されたプロパガンダ戦略である。しかし、現在もなお続いているとは感じないか。マスコミによって煽られ、現在でもこのプロパガンダ戦略は生き続けていると私は考える。
こうした一般心理戦略に基づき、より個別な宣伝項目が設定された。ここで出てくるのが天皇陛下と天皇制の扱いである。より重要なもののみ抜粋する。
- 日本の天皇を(慎重に、名前を挙げずに)平和のシンボルとして利用する
- 日系米国人その他素養のある日本人をプロパガンダ要員、及び題材として利用する
- 政府が天皇陛下と皇室を含む日本全体を気まぐれに危険に晒した事実を指摘する事
- 米国、英国、オランダのアジアにおける記録は恥ずべきものではないと示すこと
- 日本人に対し、在日ドイツ人はアメリカの工作員であるとほのめかす事
重要なのは、第一に天皇制存続、第二に戦後日本の繁栄=資本主義再建(民主主義とは記載されていない)、これがGHQ占領下において二本柱であったという点である。
「日本計画」においては最終草稿前に英国も参加し、最終的には英米共同計画となった。
COIからOSS、CIAへの系譜
少々、話が入り組んでいて理解しづらい部分もあると思われるのでここに系譜図を添付する。
真珠湾攻撃前より日本の情報を収集
私の個人的な見解では、明治維新前より日本の情報を収集・分析を行っていたものと認識しているが、著作の通りだと1941年より情報の収集・分析が始まっていっる。それは非常に多岐に渡るもので、地政学的なものから産業、人種的社会集団、言語、また民衆の性格や生活状態、労働条件まで含まれていた。
「日本の戦略的概観」として日本本土の他に、台湾・朝鮮・委任統治群島(ニューギニアなど)・満州・中国占領地域・インドシナ・タイも含まれる。
日本政治の分析も包括的であり、社会主義者・共産主義者・民族解放闘争指導者については日本軍への抵抗勢力として、米国の援助すべき存在とされていた。
「日本の戦略的概観」は全378頁にも及び、統計・図表・地図を駆使したチャート式百科全書まで作成された。この資料は確実に「日本計画」の基礎資料の一つとなっている。
また、ゴーラーによる「日本人の性格構造」も大いにドノバン長官を感動させたと言われている。神経質でメンツを重んじる日本人に対し、特にメンツを重視したプロパガンダの必要性が訴えられた。
ライシャワー覚書からここまで駆け足で来たが、一貫しているのは「歴史的に皇室が日本人の血と愛情を結びつける絆となっており、それを批判したり、刺激を避ける」事に徹底している点である。
言い換えるならば天皇陛下でも共産主義でも勝利のために利用してきた、ということになる。
なお、「日本計画」を含むこれら一連の資料には「二・二六事件」が幾度となく表記された。米国はこの事件を「革命」と捉える見方をしていたようだ。これは決して好意的な意味ではなく、あくまで日本国内における勢力の対立軸を効率的に利用するために研究されたと考えるのが自然である。
「ドラゴン計画」の誕生
こうしてCOIが主体となって日本に関する膨大な資料が「日本計画」の草稿になろうとしていた1942年、ジャーナリストであるカール・クロウ(OWIのエージェントであったと言われている。)がドノヴァン長官にある提言をしている。
蒋介石の近くにおり、反共産主義の中国派であったクロウは1942年3月にこの戦争を通じて、アジアにおけるアメリカの「自由と民主主義」の威信を高める事を提言した。
以下がその内容である。
- 弱い諸国民を鼓舞し、実際的援助を与えて保護する事
- 対外貿易のあらゆる領域における平等の権利
- 米国のフィリピンにおける自治権を認め、征服によって作られた政治構造を認めない事
- マイノリティ集団と独立運動が存在し意見を反映する権利を認める事
特に中国とフィリピンの抵抗運動を決定的とし、抗日精神を鼓舞、同時に米企業の貿易や金融利益を保護すべきというものであった。
こうした提言がベースとなり中国・アジア全域を対象とした「ドラゴン計画」策定されてゆくこととなるが、COI・OSS中国文書で特徴的なのは蒋介石国民党政府への信頼が絶対条件であり、毛沢東や共産党解放区への言及は殆どなされなかった事である。
また、COIがOSSとOWIに二分された事により「日本計画」策定における権限争いが起きた。きっかけはOSSのドノヴァン長官が「日本計画」を「ドラゴン計画」に結びつけようとしたことによる。
OWIソルヴァート大佐による「日本計画」は1942年8月には撤回・凍結され、OSS独自の「日本計画」を結びつけた形のもっと広範囲、中国大陸や日本占領地域での計画も盛り込んだ「ドラゴン計画」が推し進められてゆく事となる。
ちなみにこの「ドラゴン計画」も真珠湾攻撃前に立案されている。
「ドラゴン計画」から生まれた「オリビア計画」
「ドラゴン計画」とは対中国・アジア全域に渡る心理戦略で、朝鮮人を用いる「オリビア計画」もその一部に含まれる。日本本土に対する作戦が記されており、ソルバート大佐の「日本計画」との調整が必要であった。
インド・オーストラリアから満州・日本までを極東とし全体の計画は、対中国戦線を中心に組み立てられた。プロパガンダ・タイミング(戦争中と戦後)・要員(米国人・中国蒋介石政権・マニラ)が付されている。
「ドラゴン計画」の中における日本についての目的は以下の四項目である。
- 日本の食料及び戦争物資の生産をスローダウンさせる
- 戦場における日本軍の士気を低下させ、彼らの敗北を早める
- 可能なら日本の陸軍と海軍の分裂機会を捉えて、効果的な軍事行動を妨げる
- 日本における代表制立憲政府への復帰の道を政治的に拓く
またソ連と組んだ対日ラジオ放送も計画された。内容としては『日本人は天皇陛下を中心とした共同体の考えを持っているのに、この共同体が、戦争からビジネスと利潤を得ようとする人々の恥ずべき企図によって解釈されていることを示唆する』というものである。同様に古代からの日本の伝統、武士道と国体が一貫して傷つけられている事を指摘するというものも含まれた。ここにはドイツによる『大衆』という考えに置き換えられた事を強く示唆したい意図が含まれていた。
そして在米ソ連大使リトヴィノフに接触し、中国その他戦線も含めて、日本人向け放送には、日系人及び在中日本人を利用すべきと提案した。
更に朝鮮・満州・中国占領地域では「抵抗を促し反乱を可能にする」特殊工作の採用を提案した。この点が対朝鮮向けいわゆる「オリビア計画」である。
「オリビア計画」
1942年1月15日にドノヴァンがホワイトハウスに覚書を送り、翌16日には在重慶のOSS駐在員エッソン博士に「米国における朝鮮人とその活動」、24日には「特殊活動のための朝鮮人の雇用について」という文書が送られている。27日には「オリビア」という作戦名も出来ていた。
立案者は
と言われている。
「オリビア計画」とは中国・満州・米国等国外在住の朝鮮人を、カナダの諜報学校で訓練し、対日戦場に「英語を話せる外国人民間人をヘッドにして」送り込もうとする計画であった。
既に重慶で朝鮮人を支配下に置いていた蒋介石の情報機関である戴笠機関と衝突し実現できなかったとされるが、金九らの朝鮮臨時政府とも米在住の李承晩らと距離を置きながらも、米主導で反日戦争に朝鮮人を引き込んでいく意向が、国務省文書等から伺われ、OSS内の対朝鮮計画として温存された。
ちなみにグッドフェロー大佐は、李承晩帰国時に彼を大統領にすべく個人的に付き添い同行した。いわば、朝鮮半島南北分断の米国側の仕掛け人であった。それはつまり「マイノリティとしての朝鮮人の軍事利用」であったと考えられる。私個人もまさにそれが本質であると考える。
その後の「日本計画」
OSSの対日戦略は、1942年以降もほぼ毎年作られ更新された。米国政府・軍関係紀南のプロパガンダの大枠として機能し、戦後のGHQ占領政策まで影響を及ぼし、国務省や陸軍での本格的検討と存続の論拠が強化され続けた
- 軍国日本をスムーズに武力解除するためにも天皇には利用価値があり、軍部独裁を防ぐためには、軍部と武力を破壊することである
- 大日本国憲法の発議権は天皇にあり、対外干渉ではなく国民の「自由に政治形態を選択する権利」をとるためにも、天皇は利用しうる
現在もなお、日本は政府を残した形の間接的占領が行われ「日本計画」は「原爆を使った地震作戦」などを立案し、「マイノリティ」とみなされた朝鮮人や沖縄民衆を「エージェント」に仕立てる作戦の基礎となっている。