Memo-Aro-andum

🍶⛰🌏🌋好物についての雑記帳🌋🌏⛰🍶

私と教養棟の4年間の物語【後編】

前回の復習

<いっけなーい😵!遅刻遅刻💦!

私、あろさわきしん!!先延ばし癖のひどい大学生!

因縁の教養科目とも4年前期でおさらばしたばかり!!

そんな中、理学部教務から一本の電話が📞 🎵

「えっ?!教養科目が残っている?!?!?!😲」

一体私、これからどうなっちゃうの〜😭 😭!?

arswkissing.hatenablog.com

※先延ばし癖がひど過ぎる故に後編の執筆も無事に先延ばされ、公開が遅れたことをお詫びします🙏

衝撃的事実

耳を疑いました。

それもそのはず、院試を受験する上で提出の必要がある成績証明書を友人らと見せあったりしていたので単位の数え間違いなどないはずだと思っていたんです。そう思いながらWeb成績表をよくよく見ると総単位数(47)に自由設計科目*1の単位数(2)が内数として含まれていたのです。

_人人人人人人人人人人人人人人人人_
> 卒業条件(46)に1単位足りない <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

やっぱり私は馬鹿だったのだ…。

最終学期と卒業研究

斯くして最終学期まで教養通いがもつれ込むことになりました。

4年前期でやっと教養フルコンした報告ツイートにいいねしてくれた皆さん、裏切ってしまい本当に申し訳有りませんでした。

それにしても恥の多い大学生活を送って来ました。

大学4年、それも後期にもなって教養棟のSwarm*2のメイヤーになってしまうのだから手に負えないわけです。

この教養科目1つに卒業が懸かっているとは言え、最終学期は楽しいたのしい卒業研究がいよいよ佳境に入ってきます。

好きなことはいくらでもできるのに(ry ※前編参照

卒業研究の片手間に受講していた感は否めません。

4回より多く欠席すると落単するところを限界ギリギリまで欠席したり、テスト対策も決して万全だったとは言えなかったでしょう。

なんとなく不穏な予感を感じつつも、タスクの重み付けを誤ったツケの大きさにこのときのわたしはまだ気がついていないのでした…。

早すぎたご褒美

私にとって卒論というのは多大なるアシストを受けながらも主体的に行う初めての研究であり、卒論の提出はそんな研究で一応…!なんとか…!やっと一つ成果を出したというひとつの区切り目でもありました。

その提出は単なる卒業研究・文献購読の単位取得ということ以上に嬉しいものであったと記憶してます。

なんとか1年間頑張った自分へのご褒美ついでに某サークル伊豆大島巡検について行って、久々に地質でも味わいたいなと思っていました。

ただし憂慮していることもありました。

そんなことが万が一あったらめっちゃやばいなぁ〜〜〜〜\(^o^)/と思いながら札幌からおよそ1000km南の伊豆大島へ安易にも旅立ってしまうのでした。



そしてついに運命の時は訪れます。

事態の発覚

成績発表の日の朝は三原山火口原にて悠長に溶岩地形を眺めるなどしていました。

うーーん、いつ見ても素敵なパホイホイ溶岩です。

そんな地質に惚れ惚れしたあとに港に帰ってきてWeb成績表を見ると…

f:id:Arswkissing:20200823122657p:plain

後で見返すと滑稽なんですけど、状況を飲み込めないほどの危機的状況を叩きつけられると人間は思考停止します。(でもツイートはできます。)

Q.何故落単することになったのでしょうか?

せんせい「期末試験の点数が低かったこと、そして出席点が0点だったからです。救済の余地はありません。」

f:id:Arswkissing:20200829181723p:plain 出席点が0点…?

話を訊くにどうやら出席点は出席すると出席点が加算されていく形式(Fig. 1a)ではなく、欠席する毎に減算されていき欠席上限の4回で0点になる形式(Fig. 1b)だったらしい。しかもそれはガイダンスで案内されていたとか。

f:id:Arswkissing:20200829182806p:plain
Fig.1 The schematic of attendance points(a)my delusion (b) reality...

なんということだ、テストの点が低いことも出席点の仕組みを勘違いしていたのも全面的に僕が悪いじゃないか……………。

穴があったら入りたい。

そして現実逃避

これぞまさに教科書どおりの適応機制 "逃避" を起こしていて後でツイートを振り返っている自分でも心配になってしまう。

実際このときLINEで4人から「早まるなよ」「まだ自殺するなよ」ってメッセージを戴きました、大変ご心配おかけしました。

北海道への強制送還

留年の一報を指導教員に伝えたところ研究グループ中で大騒ぎ、教員の間で緊急会議らしきものが開かれたとか…。(あとで同期から伝え聞いた顔)

なんにせよ札幌に戻ってこないと話になりませんから、ここからは強制送還*3RTAです。

このツイート↓の2枚目で甲板から海を眺めている顔に地球🌏が憑依している男は実は私です。

説明がないと海を見て黄昏れている男ににしか見えないわけですが、実は卒留の危機に絶望している限界大学生なのです(知りたくなかった雑学, 2020)。

ツイートにあるように強風のためにジェットフォイルが欠航して大型客船で本土へ戻ったのですが、一刻も早く札幌に帰りたいという逸る気持ちに対して圧倒的にノロノロと進む船に心がたいへんしんどくなる船旅でした。

後日談(というか今回のオチ)

その後、飛行機を乗り継いでなんとか札幌にたどり着いた私は各方面に多大なる迷惑をかけながらも結局なんとかなったわけです。

今まで具体的に何故卒業出来るようになったのかについてあまり述べてきませんでした。これは140文字で誤解なく事情を伝えるのは困難であると思っていたからです。

まず前述の通り4年後期に履修した科目に関しては救済の余地なく、そのまま落単することになりました。通常であれば卒業に必要な残り1単位を埋め切れず留年が確定するわけですが、私の場合は1年後期に履修して自由設計科目に設定していた教養科目(英語演習)の単位について、反省文を書くことを条件にそれを解除することで卒業させていただけることになりました。*4

誤解を避けるために強調すると、これはあまり"正しい卒業の仕方"ではありません。私自身もこんな状況になるまでこのような対応があるとは知らなかったし、当然いつもこの対応が出来るとは限らないとのこと。「自由設計があれば卒業出来る…!」という誤解を生みそうなのでこれまで具体的に何故卒業出来るようになったのかを書くことを避けてきましたが自由設計科目が存在する本来の意味は別にありますし、きちんと卒業単位数を獲得することが望ましいことは言うまでもありません。

すぺしゃるさんくす

あの出来事から早くも半年が経とうとしているわけですが有り難いことに私は大学院生としてこの文章を書くことが出来ています。 振り返れば振り返るほどに多方面に迷惑掛けまくったり、救われたりしているので本当に悔い改めて参りたい次第です。

  • 留年の報せを受けて札幌で奔走してくださったボスや同研究グループのせんせいたち
  • 伊豆大島からの北海道への移動のときに飛行機慣れしてない僕にスカイメイトについて教えてくれた後輩のHくん
  • 今回の留年を直接的に救った英語演習を1年後期に履修しようと誘ってくれた先代のサークル代表と同期のMさん
  • 一緒の学科でなんとなく最後まで教養科目を一緒に苦しみ抜いた@mogisuke0301くんと@CareleSmith9くん


さて、長々と書いてしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

ちなみに僕は今、明後日〆切のレポートを後回しにしてこの文章を書いてしまっているわけですが人生これからもまだまだ苦労し続ける予感しかしないですね…。

修士課程は留年しないといいな〜〜〜〜(フラグ?)

*1:履修登録上限と関係なく2単位分履修できる代わりに成績には算入されない単位のこと。自分で設定することが出来て、GPAを気にすること無く授業を受けることが出来る制度

*2:位置情報共有アプリ。自分の居る場所などをチェックインしてシェアできる。特に直近30日におけるスポットのチェックイン最多のユーザーはそのスポットのメイヤーになることができる。

*3:北大生は北海道から出ることを「脱北」ということに擬えて、逆に北海道に戻ることを「強制送還」と呼ぶ風潮がある。

*4:ちなみにこれは僕にとって人生初の反省文でしたがLATEXで書いた。