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酒造りの思想
私は酒造りというのは、「化学であり、物理であり、そして哲学である」と思っています。
たとえば、蒸した酒米に種こうじをふりかけ、麹菌を繁殖させる。麹によって糖化された蒸米を酵母の作用によってアルコールに変えるのは化学です。
米のたんぱく質や脂肪を減らし、中心部にあるでんぷん質の割合を高めるために高精白にする。搾った酒を温度と時間と湿度を計算して熟成させる。といったことは物理です。
酒造りは、化学と物理の両方といえるのではないでしょうか。
そして、米の「いのち」を生かすように酒を造るということは、哲学ではないかと思うのです。米に「いのち」があると考えて、米が気持ちいいように発酵させようと、扱い方に注意しますね。お米と向き合って、発酵に意識を向けて、酒造りによって心を伝えるということも、やはり哲学ではないかと思うのです。
また、酒造りは単にアルコール飲料を作るものではなくて、もっと奥深くて創造的なものだとも感じています。酒造りは自然と調和し、宇宙と調和すること。宇宙そのものといってもいいほどで、酒造りから教わることはたくさんあると思います。
自然のバランスと調和は人間の意図とは別のところにあり、私たち人間は「自分の好都合の意図」の世界だけを価値判断できるようにしているのにも気付きました。自然は他を生かすことで自らを生かそうとする存在だけで成り立っています。自然の表現はそのまま地球の表現であり、宇宙の意思だと思います。 そのことを良く知り、その意識で酒造りしたのなら、とても調和度の高い酒になります。
それは、数値や理屈だけで判断をせず、見えない命がすべてを生かしていることを信じること。そんな様々な「気づき」や工夫によって味を追求していくと、自然と創造的な酒が生まれてくるのではないでしょうか。
「酒と霊性」というものに思いを馳せたとき、酒の本質とは「つながりの回復」あるいは「失われた関係性の回復」ではないかと感じています。
この世には、まず私たち人と人とのつながりがあります。そして人と自然とのつながり、その先に宇宙とのつながりがある。でもいまの世の中はひとりひとりが孤立していて、そうゆうつながり、関係性が崩壊している社会になっている。それが酒を通して、人と人、人と自然、そして最終的には人と宇宙、神様とのつながりというものを回復していけるのではないでしょうか。