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酒造りに奮闘する米国人 -蔵人コディーの挑戦-
ブレイズフォード・コディー氏はユタ州の出身。
1991年にユタ州の高校を卒業後、ユタバレー州立大学を出て、さらにサンホセ州立大学でアスレチックトレーニングを専攻した。大学時代はフットボールの選手としても活躍。大学卒業後はサンフランシスコ州立大学、サムヒューストン大学に就職してアメフトチーム、バスケットチームのトレナーを務める一方、リハビリテーションの講師として教壇にも立った。公認アスレチックトレーナーや理学療法士の資格を持っている。
日本へ来たのはユタバレー州立大学当時に知り合って結婚した飛騨高山市出身の妻、雅さんが2005年、高山市の高山西高校の英語教師として採用されたため「飛騨高山で一緒に生活したい」と、雅さんより約1年遅れて2006年6月に来日。
飛騨高山といえば、全国でも日本酒の消費量が多い土地柄。ここでの出会いがコディーさんを日本酒の世界に引き込むきっかけとなった。
渡辺酒造では杜氏の元で酒造りに携わる蔵人と呼ばれる職人が欠員したため、求人広告を2006年10月初めごろタウン誌に掲載したところコディーさんが応募。蔵元の渡辺久憲氏は最初は戸惑ったが「酒造りを勉強したい」というコディーさんの熱心さに心を打たれたという。
日本酒をその製造過程からごく簡単に説明すれば「米を酵母で発酵させて造る醸造酒」となる。
しかし、実際には発酵前の準備だけども、精米、洗米、タンクでの吸水、蒸米、米を冷ます放冷、麹づくりと、世界でも類のない複雑な工程を、米の種類・性質に合った形で行う必要がある。こうした日本酒造りの伝統を担ってきたのが、杜氏と呼ばれる職人集団だ。
彼らは秋から春まで酒造りの期間、蔵で寝食を共にし、早朝から深夜までほぼ一日の休みもなく働き続ける。また、杜氏の世界は伝統的に厳しい縦社会でもある。
1年目は蒸米や仕込み桶に櫂を入れる作業の連続だが、毎朝5時前には必ず出社。2年目には洗米から麹づくりなど酒造工程を一通り経験する。
渡辺酒造では業界に先駆けて多様な試みが行われている。地元農家との契約栽培、酒造りが一段落する時期には蔵まつり、コンサート、陶芸講座などのイベントを酒蔵で実施。モンドセレクション最高金賞、iTQi国際品質機構首席優等賞など世界中のコンクールで受賞し、欧米への日本酒PRにも力を入れている。日本酒は国内市場では頭打ちといわれる一方、近年は米国を中心に海外での需要が急速に伸びている。
日本酒の魅力に目覚め、酒造の世界に入って米国人初の蔵人となったコディー氏。しかし、外国人の入社を必ずしも喜ばない保守的な酒蔵で、仕事への真摯な姿勢と努力で周囲の信頼を勝ち得たのは、ほかならぬコディー氏自身だ。そしてコディー氏の日本酒造りに対する情熱こそ、その原動力となっているのである。