おわかりいただけただろうか? いまBTSが「モテている」ことの歴史的意義を。
これは全アジア人男性の希望と化す、かもしれない事象なのだ。
韓国人の話だから関係ない?
いやいやそんなことはない。
母国から一歩外に出れば、日本人も韓国人も中国人もみんな同じ。微細な違いなどだれも気にしない。とくにアメリカなど、イタリア系のアル・パチーノに、キューバ系やプエルトリコ系のギャングを演じさせた映画がそれぞれクラシックとなるような「ザ・大雑把」の国だ。
アジア人男性は連帯して「モテ」を目指して、相手をエスコートし、いまよりはもっとましな未来の世界の礎となるべきなのだ。
などと僕は考えたのだが、しかしつれない声も、ないことはない。前稿でご紹介した在米日本人ビジネスマン、久松茂さんの娘さん、BTSファンの中学生の彼女からは、こんなコメントもいただいている。
「学校の男の子で、BTSのファッションやダンスの真似をして、女の子にモテようとする人、いませんか?」という僕の質問への答えは……。
「真似してモテようとする男子なんて、1人もいません!」
と、笑われてしまった。
「もし似てても、それは本物ではないのでモテません」とのことで――まあ、もちろんそれはそうなのだが、いや、でも、広いアメリカのどこかで、すでに「真似をしている」男子はきっといるに違いない! と僕は信じる。ゲイの少年が、最も先に動いているのかもしれない。
すこし前、イギリス発のワン・ダイレクションが飛ぶ鳥を落とす勢いだったころ、体重を落としてスキニー・フィットのブラック・ジーンズを穿いた男性は、老若問わず地球上にいっぱいいた(僕もそのひとりだ)。
女の子だけではなく、米欧の男の子も、BTSは変えていくに違いない、と僕は思っている。
日本の漫画やアニメは、アメリカやそのほか多くの国々のポップ文化を変革した。
イチローはメジャー・リーグに消えない足跡を残した。大谷翔平は残し中だ。「裏原宿」のストリートのデザイン力や「コラボレーション」の手法が、ルイ・ヴィトンらハイ・ブランドの方向性を大きく変えた。
これらと同等の「アジア発」の文化的大波のひとつが、BTSの一糸乱れぬダンスの、その指先にまで宿っているのだから。