今、アメリカで「ビートルズ級」の凄まじい人気を集めている韓国の男性歌手グループ・BTS(防弾少年団)。少女たちが熱狂するその背景には、トランプ政権の支配する保守的で「マッチョ」なアメリカへの反逆があるという——。『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)の著者・川崎大助氏によるスリリングな考察、いよいよ後編!
〈前編〉はこちらから!
→「韓流アイドルBTS(防弾少年団)に熱狂する、アメリカ社会の激変」
まるで世直しをしているかのように、BTSが「東アジア系男性」のモテ像をアメリカの若い女性に啓蒙中の今日、忘れてはならないのが「かつての」ステレオタイプの数々だ。
前稿で僕は、その特徴を「非モテ」と書いたが、より正確に記すならば「モテるモテない以前の話」であるかのような、奇矯にして珍妙、ブロークン・イングリッシュをまき散らす恰好悪いキャラクターとして、メディアに登場することがつねだった。
女性の場合は、こうした取り扱い例よりも、エキゾチックな性的搾取の対象としてラベリングされる機会のほうが多かった、かもしれない。一種のレディース・ファーストかもしれない(もちろん皮肉だ)。
こうした背景から、K−POPの女性アーティストは、現代のアメリカやEUではいまひとつ弱いのだと僕は見ている。あの独特のフェミニンさが、いわゆるキーセン・バー的な、古典的な性風俗産業を連想させて、一般層を「引かせて」いるのではないか。
「社会的に健全とされる女性像」への、アジア圏と米欧圏の決定的な差異、いまもって目がくらむような落差の反映としての結果、なのだと僕は考える。
そして、これをそのまま「裏返した」ような、衝撃的な「新しい」男性像として、アメリカの若い女性、なかでもティーンエイジャーに「希望」を与えることに成功したのがBTSだった。
ではそれは、どういう種類の「希望」なのか?
たとえば、こんなことが想像できる。
「女の子を威圧したり、殴ったりしない」男の子、「いっしょに趣味の話や、ファッションの話もできる」男の子、「上品に、丁寧に、まるで自分がお姫様であるかのように接してくれる」男の子……
こんな像にぴったりしそうなのが、BTSの佇まいだった、のではないか。アメリカの女の子たちにとって。
アメリカという国は、先進国のなかで突出して「男は男らしく、女は女らしく」という意識が根本的に強い。だから「マッチョな男」が、あらゆる場所で一番でかい顔をして、そこを支配しようとする。
学校だってそうだ。「ヒエラルキー」の上位には、フットボール・チームの男子とチアリーダーの女子がいる(ちなみに「スクール・カースト」という言葉も日本人が考えた悪質なカタカナ語だ。「カースト」のように先天的に固定化した序列がアメリカの学校内にあるわけがない。流動的な「ヒエラルキー」があるだけだ)。
そして言うまでもなく「こうした価値観」のなかでは生きにくい男子も女子も、数多くいる。オタクになったり、ゴス・ファッションをしたり、バンドをやったり、タトゥー・アーティストになったりするような層だ。
こんな層と地続きの感性を持つ少女たちが、まず最初にBTSに反応していったと僕は見る。前述の「新しい」男性像を必要としなければならないほど、日々の生活に「欠落」を感じていたのは、まず彼女たちだった。