夫の裁判に興味がないわけ

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夫が逮捕されたとき、

「財務整理終わったら一切かかわらないし、当然

支援もしない」

と決めた。きっと起訴だろうと思ったのだが、むかえる

ことになる裁判に、まるで興味をもてなかったから。

 

裁判では、刑をできるだけ軽くするための主張が展開

されるだけのことで、真実が明らかになるわけではない。

逮捕によって一瞬で失った

家族四人の幸せな生活や

夫婦でいたわりあって過ごす未来の

重さに比べたら

最長7年とされる嘱託殺人の刑が、裁判の闘い方によっては多少短くなるとかいうことは、陳腐でしかないもの。

 

よって夫と接見している弁護士さんとの会話でも、事件の内容について触れることはなく、診療所閉院や離婚に向かう手続きに関する事柄に終始している。

 

ただ離婚成立前に、一つだけ聞いてみたいことはある。

「京都に向かう新幹線で、林さんのお宅に向かう途中で

家族を思いだすことはなかったのですか?」

と。

 

いや、聞くだけ無駄だろう。思いださなかったら、起訴拘留され

ているんだから。

 

夫は、アスペルガー症候群を持って生まれ

父親はギャンブル依存症。母のパート代で暮らす生活には

余裕がなく、自尊感情を培うことができていない。

学校では、肥溜めに落とされるほどの激しいいじめにあい、

スポーツはまるでできず、もくもくと勉強することで

現実から逃げていたときいている。

 

だけど奨学金もらって医学部卒業し、医者になって、家庭ももち

家もクリニックももった。生まれ育った環境はかえられなくても

おとなになってからの努力で、見た目克服できていたはずなのに。

 

 

虐待を受けた成育歴、アスペルガー障害と二次うつを抱えて生きる反動から 安楽死を肯定する持論を持っていた夫。同持論を主張するときには、高揚感を感じていたようだ。ただここまでならよくある話。

 

そこでたまたま林さんと出会ってしまい、段取りをつけて共謀してくれる山本氏と出会ってしまうという運が重なり、事件は起きてしまった。

 

私はソーシャルワーカーとして、何らかの理由で社会的に弱い立場に陥ってしまう方々と接する機会が多いのだが、彼らは総じて運が悪い。自尊感情の低さ、自信のなさってのは、悪運を引き寄せがちなのだ。

 

愉一を愛し、信頼しきっていた妻子がいたのにね。夫は、自分が愛されている事実から学ぶことができていなかったから、事件は起きたのだと思っている。

たとえ重たい障害や病気をもっていようと

「みんな誰かの大切な人」

だということを。京都に向かう途中、我が子の笑顔や寝顔を思いだし、引き返すことがなかった事実は、あまりに重い。

 

せめて我が子は犯罪に近づかせないためにも、徹底的に愛し、自信を培ってやるつもり。母よりずっと逞しい娘達をみていると、私の子育て順調だねと、胸をなでおろす気持ちになります。