勝利の美酒
結局、父さんにも母さんにも真実は伝わらなかった。
とはいえ、父さんが言っていたように、俺が戦争に巻き込まれたと心配するあまり、気が昂ぶっていたというのもあるのだろう。
時間をおけば、また冷静に聞けるようになるはずだ。母さんに真実を伝えさえすれば、父さんを納得させるのは容易い。
ならば、焦る必要もあるまい。
時が来るのを、ゆるりと待つとしよう。
「どうするのよ?」
サーシャが訊いてくる。
「まずは冷める前にキノコグラタンを完食する」
「あのね……」
呆れたような表情を浮かべるサーシャ。
ミーシャがキノコグラタンを大皿から小皿に取り分けてくれた。
「これぐらいでいい?」
「良い案配だ」
ミーシャから小皿を受け取り、俺はキノコグラタンを食べる。
「ふむ。戦争を止めた後はこれに限るな」
ミーシャが考え込むように俯く。
「限定的すぎることを、毎日あるみたいな風に言わないでほしいわ」
サーシャが言うと、ミーシャはこくこくとうなずいた。
「あれ? そういえば、お酒はないんだ?」
エレオノールが食卓を見回す。
「こういうときは、やっぱり勝利の美酒だぞ?」
「あいにく父さんも母さんも飲まぬようでな。うちに酒はおいてない」
「わーお。健全なんだ。それじゃ」
エレオノールは魔法陣を描く。
そこから酒瓶を三本取り出した。
「じゃーん! ガイラディーテ名産の聖ディミラ酒。美味しいんだぞっ」
「へえ。気が利くじゃない」
サーシャが物欲しそうに目を輝かせる。
「じゃ、サーシャちゃんには沢山注いであげるぞっ」
エレオノールがサーシャのコップに聖ディミラ酒を注ぐ。
「次はだーれだ?」
と言いながら、エレオノールは次々と皆のコップに酒を注いで回った。
「じゃ、乾杯しよっか?」
俺たちはコップを手にする。
「乾杯の音頭」
ミーシャが呟く。
「君しかいないんじゃないかな?」
レイが俺に言う。
「そうだな」
コップを掲げ、俺は言った。
「皆の働きのおかげで、ディルヘイドとアゼシオンの戦争は回避できた。まだまだ面倒な問題は残されているが、今はしばし忘れ、勝利に美酒に酔うとしよう。我ら魔王軍の勝利だ」
皆が笑顔を浮かべ、こちらを見ている。
「乾杯」
「「「「乾杯!!!」」」
コップに注がれた聖ディミラ酒を一気に呷る。
なかなか美味い。平和を守った後の酒ともなれば、その味は格別だ。
「アノス君、一気に飲んで大丈夫? 聖ディミラ酒はけっこうお酒強いんだぞ」
「なに、これぐらいなら水と変わらぬ」
「わおっ、すごいんだ。じゃ、もう一杯どーだ?」
エレオノールが酒瓶を見せる。
「もらおう」
俺のコップにとくとくと聖ディミラ酒が注がれていく。
「あのね、アノス。調子に乗って酔っぱらいにならないでよね」
サーシャが顔を赤くしながら、絡んでくる。
どことなく呂律が回っていない。
「そういうお前こそ、もう酔ってないか?」
「おあいにくさま。わたしは破滅の魔女よ。お酒なんかに負けるわけないわ」
言いながら、サーシャはエレオノールに寄っていく。
「ねえ、他のお酒はないかしら?」
「果実酒ならあるぞ」
「ぶどう酒は?」
エレオノールが魔法陣を描き、そこから、ぶどう酒の瓶を取り出した。
なぜそんなに酒を持ち歩いているのか疑問でならぬ。
「いい、アノスッ! わたしが酔っぱらってないところを見せてあげるわ!」
高らかに宣言し、サーシャはぶどう酒と聖ディミラ酒の瓶を両手に持つ。
「これがネクロンの秘術、融合魔法<
完全な酔っぱらいではないか。
いくら聖ディミラ酒が強い酒とはいえ、一杯でこれとは、呆れたものだ。
にもかかわらず、今作った<
「やめておけ」
サーシャのコップを取りあげる。
「あっ、なによ? わたしが酔ってるって言いたいの?」
舌っ足らずな口調でサーシャが言う。
「どう見ても酔っているぞ」
「酔ってないんだもんっ! ほんとよ? 融合魔法だって見せたじゃない」
そんな口調、普段はしないだろうに。
「酔ってないのっ!」
「わかったわかった。美味そうな酒だ。もらってもいいか?」
「ん? そうなの? アノスが欲しいなら、あげるわ」
困ったものだ、と思いつつ、<
「…………」
不味い。これほど不味い酒は二千年前にも味わったことがない。
決して混ぜてはならぬな、これは。
「ネクロンの秘術、もう一回見せてあげるわ!」
サーシャが再び聖ディミラ酒とぶどう酒を一つのコップに注いでいる。
「サーシャ、お前はなにをしている?」
「うんとね、アノスを酔っぱらわせてやろうと思って」
言った瞬間には、サーシャは<
「脈絡のないことをするのはよせ」
サーシャのコップを取りあげる。
「うー……アノスがお酒飲ませてくれないわ……」
すねるようにサーシャが言う。
「困ったやつだな」
と、俺の手に水の入ったコップが差し出される。
ミーシャだった。
「こっちの酒を飲むといい」
サーシャに水を渡すと、彼女はそれを両手で持ち、じーっと見つめた。
「なんだかこのお酒、水みたいね」
水だからな。
「美味いぞ」
「ほんとに?」
サーシャが水をくいっと半分ほど飲み、首を捻った。
「……やっぱり、水みたいだわ……」
「もっとじっくり味わって飲んでみろ。良い酒だ。それの味がわからぬのなら、やはり相当酔っているぞ」
サーシャは言われた通り、味わいながら、水を飲んでいく。
そして、なにかがわかったかのように、うん、とうなずいた。
「へえ。ほんとだわ。良いお酒ね。なんて名前?」
水だ。
「魔王酒と言う。なかなか味わえる酒ではないぞ」
「気に入ったわ」
サーシャはまるで高級酒を飲むかのように、水をじっくりと味わいながら、時間をかけて飲んでいた。
「サーシャは酒乱」
ミーシャが俺に耳打ちした。
「そのようだな」
彼女は両手でコップを持ち、こくこくと酒を飲んでいる。
「ミーシャは平気なのか?」
「<
なるほど。
酒は毒と同じだからな。抜こうと思えば抜ける。
「こら、ミーシャちゃん、だめだぞ。お酒の席で解毒魔法使ったら、楽しくなくなっちゃうんだから」
エレオノールが窘めるように指を立てる。
ミーシャは困ったように、目をぱちぱちと瞬かせた。
「お酒はふわふわする」
「いいんだぞ。ふわふわしちゃって、可愛くなるし」
ミーシャが俺に視線を向ける。
「そう?」
「初耳だな」
「こーら、アノス君。そこは可愛くなるって言わなきゃだめだぞ」
「酒に飲まれてはいざというときに困る。弱いのならば、無理に酔うこともないだろう。可愛くなるというのはよくわからぬが、仮に可愛くなるにせよ、酒の力を借りていてはな」
「わお、つまらないんだー。そんな魔王みたいな発言、却下だぞ」
エレオノールはくすくすと笑う。
変わらないようでいて、実は彼女も酔っているのではないかと思った。
「ほら、ミーシャちゃん。せっかくの平和なんだから、酔っぱらってもいいんだぞ。アノス君は平和に慣れてないから、ボクたちが教えてあげなきゃ」
ミーシャは一瞬俺の方を見て、またエレオノールに視線を戻した。
「……酔ってみる……」
そう口にして、ミーシャはこくこくと聖ディミラ酒を飲み始めた。
解毒魔法を使っていないため、徐々に彼女の顔は赤くなっていく。
「アノス」
「大丈夫か?」
ミーシャはこくりとうなずく。
「平和になった?」
「なにがだ?」
ミーシャは自分を指でさす。
「わたし?」
酔っぱらいにはなったようだ。
「ぼーっとする」
「ほどほどにしておけ」
「……ん……」
俺の言いつけを守るように、ミーシャは舐めるようにちびちびと酒を飲む。
「ミーシャ、なに飲んでるの? おいしい?」
ふらふらとサーシャがやってきた。
「おいしい」
「そのお酒、わたしにもあるかしら?」
ミーシャが俺の方を向き、視線で問いかけてくる。
「サーシャには魔王酒でも飲ませておけ」
「ん」
そう応えると、ミーシャはサーシャに水を出した。
「サーシャはこれ」
「あ、魔王酒ってまだあったのね。ありがと」
サーシャはおいしそうに水を飲んでいる。
その向かいで、レイは聖ディミラ酒の酒瓶を空にしていた。
「飲んでないようだけど、お酒はだめな方?」
まったく酒の減ってないミサのコップを見て、彼は言う。
「あははー、どうなんでしょうね。子供の頃に間違って飲んじゃったときに、すごく気持ち悪くなった思い出があって、それ以来、なんとなく飲まないようにしてるんですけど……」
「あんまり無理しない方がいいかもね」
レイはコップを空にする。
「あ、注ぎましょうか?」
ミサがテーブルに置いてあった聖ディミラ酒の酒瓶を手にして、レイのコップに中身を注ぐ。
「レイさんはお酒好きなんですか?」
「そうでもないんだけど、ちょっと懐かしくてね。昔、たまに眠れない日があって、このお酒を飲んでたから」
すると、ミサは表情を暗くする。なにか言いたげにきゅっと唇を引き結び、彼女は俯いた。
ミサの考えていることがわかったのか、レイは口を閉ざす。
数秒の沈黙の後、彼は意を決したように言った。
「ミサさん」
と、そのとき、ミサが聖ディミラ酒を一気飲みしていた。
レイは一瞬呆気にとられた。
「……ええと、そんなに一気に飲んで、大丈夫……?」
心配そうにレイが言った途端、ミサは勢いよく立ち上がる。
顔が青ざめていた。
「……すみません、ちょっと……やっぱり、お酒だめでした……」
それだけ言うや否や、ミサは口元を手で押さえ、家を飛び出していった。
お酒飲んでるのが母さんにバレたら、大変なことになりそう……。