二千年前の亡霊
ゼシアたちの手から、光の聖剣エンハーレがこぼれ落ちる。
そのすべての聖剣が、地面に突き刺さり、もの悲しい輝きを発した。
「なにをしているっ、この馬鹿どもっ! 行けっ! 行って、魔族を皆殺しにしろっ!」
ディエゴが命令を発する。
しかし、ゼシアは動かなかった。
ただ言いなりになるだけだった彼女たちは、その意思をあらわにするように涙の雫をこぼしている。
「どうしたっ!? 行けっ、行かんかぁっ!!」
ディエゴが大声を張り上げるも、やはり彼女たちは微動だにしない。
「おのれ、かくなる上は……」
ディエゴが魔法陣を描く。
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彼が魔力を込めようとした瞬間、その指先が手首から斬り落とされていた。
「……ぐおぉぉっ……う、があぁぁ……!!」
ディエゴは腕を押さえ、苦悶の声を上げる。
「僕が、間違っていたよ」
レイがディエゴの首にエヴァンスマナを突きつける。
ゼシアの動きが止まった隙をつき、一気にガイラディーテ魔王討伐軍の布陣を抜けてきたのだ。
「……なんの話だ…………?」
「救いようのない人もいるってことだよ。君のようにね」
レイの眼光がディエゴに突き刺さる。
だが、その瞳はディエゴではなく、どこか遠くを見つめているように思えた。
「なにをしている、お前らっ。やれっ! たとえ聖剣をもっていようと敵は一人だ。恐れることはないっ!!」
ディエゴが周囲の兵に怒声を飛ばすも、彼らは剣を抜こうとはしなかった。
「……おいっ! 耳が聞こえんのかっ!? こいつをやれと言っているっ!!」
しかし、兵たちは俯くばかりだ。
その中の一人が言った。
「……伝説の勇者カノンに向ける剣を、私どもはもっておりません……」
「馬鹿なっ! なにを寝言をほざいているっ? お前たちの
「……あなたに……」
兵士が呟く。
意を決したように彼は言った。
「あなたに霊神人剣が抜けましたか?」
ディエゴは絶句する。
そうして顔を真っ赤にして周囲の兵を睨んだ。
「試してもらってもいいけど」
レイはエヴァンスマナを地面に突き刺した。
「霊神人剣は正しき心の持ち主を選ぶ。僕が魔族で、君が勇者だというなら、霊神人剣は君の味方をするはずだ」
「舐めるなよっ」
すぐさまディエゴは霊神人剣の柄を手にする。
そして、ぐっと力を入れた瞬間、
「ぐ、ぐあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
聖なる光に裁かれるように、ディエゴの全身に白い電流が走った。
「……なぜだぁ……なぜだ、霊神人剣っ! なぜ魔族の味方をするっ……!?」
「それが聖剣の答えだよ。魔王は滅びた。僕たちはもう争うべきじゃない」
突きつけられた言葉に、ディエゴは苦渋の表情を浮かべる。
「あなたに比べれば、魔族の方がよほど慈悲深い」
先程、ディエゴに腕を斬られた副官がぼそっと呟いた。
「な……ん、だとぉっ、貴様っ、誰に向かって……!」
「戦いは終わった。我らが守り神、聖剣の意志に従い、伝説の勇者カノンの言葉に従い、ガイラディーテへ凱旋する!」
副官がそう声を上げると、兵士たちは声を上げ、ガイラディーテの方角へ引き返していく。
「待てっ! 貴様ら! 勝手な真似は許さんぞっ!!」
ディエゴが怒声を発するも、その命令を聞く者はもはや誰もいない。
波が引くように数万の兵が去っていく中、ディエゴがだけがぽつんと取り残される。
彼は膝をつき、虚ろな瞳で、呟いた。
「……終わりではない……」
不気味で、歪な、おぞましい声であった。
憎悪に染まり、奈落の底に沈んだような、そんな響きだ。
彼はぐっと拳を握り締める。
爪が手に食い込み、血が滴った。
「……二千年間、種は捲いた。今が結実のとき……」
ディエゴの体を光が包む。
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どこからともなく声が響く。
――殺せ――
不気味な声が、
――魔族を、殺せ――
おぞましい声が、
「……殺せ……」
憎悪に満たされた、不快な声が。
「残念だけど」
レイはディエゴの頭に迷わず霊神人剣を振り下ろす。
だが、寸前でその刃を止めた。
<
だというのに、本来ならば消えるはずの<
「……う……ぁ……」
人が倒れる音がした。
レイが視線を向ければ、先程撤退を始めた魔王討伐軍の兵士が、次々と倒れていく。
その体は、皆一様に光に包まれていた。
「これは……?」
「ゼシアッ……!?」
エレオノールが声を上げる。
魔王討伐軍同様、ゼシアたちがその場に身を横たえる。
彼女たちの体もまた<
――薄汚い、魔族どもよ――
戦場に声が響く。
<
――私は、ジェルガ――
「……ジェルガ…………?」
レイが呟く。
――魔族を滅ぼす意志ある魔法<
アゼシオンの方角から、上空に<
それが地上へ降り注ぎ、ぎゅっと凝縮されていく。
やがて、うっすらと体が浮かび上がった。
「先生……」
レイが言った。
凝縮された光。魔力で作られたその
「カノン、二千年前、私は言ったはずだ」
彼が口を開く。
レイは信じられないといった表情でその姿を見た。
「魔族というのは、お前の優しさを与えてやるような生き物じゃない。この世にあってはならない、穢れた存在だと」
まだ体が不完全なのか、ジェルガはその場から動こうとはしない。
「勇者学院の設立に反対し、暴虐の魔王を庇っただけでは飽きたらず、まさかお前が魔族になろうとはな。残念だ、カノン。残念だよ」
レイは憂いを帯びた表情を浮かべ、そいつを見据えた。
「……ええ、先生。僕も残念です。あなたが、そこまで人の心を失っていたことが」
霊神人剣の刃先をレイはジェルガに向ける。
「先生は二千年前の亡霊です。その根源も本来であれば消え去っているはずのもの。僕が終わらせてあげます。あなたのその憎しみとともに」
ジェルガから光の砲弾が放たれる。
それをいとも容易くレイはかわし、霊神人剣を彼に突き刺した。
「……はぁぁっ……!!」
エヴァンスマナの神々しい光がジェルガを斬り裂く。
しかし、一度霧散したかに思えた彼は、また元の姿を取り戻した。
「無駄だよ、カノン。霊神人剣は暴虐の魔王を滅ぼすための聖剣だ。魔族にこそその力は絶大な効果を発揮するが、<
レイは左手で魔法陣を描く。
姿を現したのは、一意剣シグシェスタだ。
「残念だが、今度はこちらの番だ」
ジェルガの左腕にますます光が集い、ゆっくりと動いた。
彼が魔法陣を描けば、それに連動するようにひれ伏したゼシアの左胸に次々と魔法陣が浮かび上がっていく。
「一万人分の根源爆発だ、この森にいる魔族は逃げられぬだろうな」
「……くっ……」
レイは体を反転し、聖剣と魔剣でゼシアに浮かぶ魔法陣を破壊していく。
「……させないぞっ……!!」
エレオノールが魔力を発して、ゼシアに浮かんだ<
それでも、一万という数は多すぎた。一箇所に固まっているならともかく、ゼシアたちは森のそこかしこに点在しているのだ。
「無駄だ。わかっていよう、間に合わぬよ」
「さあ、それはどうかしら?」
上空から声が聞こえた。
ジェルガが視線をやれば、サーシャとミーシャがそこに浮かんでいる。
「……暴虐の魔王の配下か。二千年前の魔族に遙かに劣るその力で、いったいどうするつもりだ? なにもできはせん。自らの無力を嘆き、罪を抱えて死ぬがいい」
「おあいにくさま。二千年経って、魔族は弱くなったばかりじゃないわ」
二人の後ろにゆっくりと姿を現したのは、骸骨の体を持つ男。
七魔皇老が一人、アイヴィス・ネクロンだ。
「我が直系にして、暴虐の魔王の寵愛を受けし双つ子よ。我が君に弓引く愚か者に、ネクロンの秘術を見せるときがきた」
サーシャはミーシャと視線を交わす。
そして、互いに両手をつないだ。
「恐くない」
そう、ミーシャが言った。
「そうね」
そう、サーシャが応える。
「わたしはあなた」
と、ミーシャが言った。
「あなたはわたしね」
と、サーシャが言った。
二人は自分の体に半円の魔法陣をそれぞれ描き、それを互いにつなげて一つにした。
アイヴィスは両手をかざし、その魔法陣の上にもう一つ魔法陣を重ねる。
彼の全魔力がそこに注ぎ込まれていく。
「正しき姿に戻るがよい」
アイヴィスの言葉に続き、二人は同時に言った。
「「<
魔力の粒子が立ち上る中、二人の体が溶けるように、すうっと交わり、一つになる。
サーシャとミーシャ、どちらの髪の色でもない、銀髪の少女がそこにいた。
二つに分けた根源を、再び一つにし、その魔力を増幅させる融合魔法。
過去の自分たちと同化したミーシャとサーシャの<
だが、根源クローンとは違い、完全に同一の根源から分かれた二人の間には、再び結びつこうとする力が働く。それは一つの根源となったサーシャとミーシャの間でも同じことだ。
ゆえにこの<
いや、魔力の多寡だけで言えば、完全以上だろう。
二つに分けた根源を一つに戻すのではなく、二つの根源を融合させるのだから。
「消えなさい」
「<破滅の魔眼>」
銀髪の少女から、サーシャとミーシャの声が響く。
ミーシャの魔眼が森の中、木々に覆われたゼシアの魔力さえ見つけ出し、一万人すべての彼女とそこに浮かぶ<
「小賢しい、ハエめ。落ちろ」
ジェルガの右腕の輝きが増し、それが動く。
彼は銀髪の少女めがけ、<
「無駄よ」
「<
<破滅の魔眼>の前に光の砲弾はあえなく消滅する。
だが、ジェルガは構わず、<
彼の右手の先に巨大な魔法陣が描かれ、そこから雨あられのように光弾が発射された。
「数を撃てば、どうにかできると思った?」
「<
サーシャとミーシャは、連射される<
その銀の
「幾分か魔力はあるようだが、状況が理解できないようだな。大した魔眼だ。しかし、それでどうする? 貴様らは防戦一方。それだけの反魔法だ、すぐに魔力も尽きよう。時間稼ぎにしかならん」
更にジェルガの体に光が集う。
彼の両足が、続いて、その体が、輝きを増した。
無数に放たれた光弾の一つが、<破滅の魔眼>をすり抜け、銀髪の少女に直撃する。
かろうじて、反魔法がそれを防いだ。
「……時間が稼げれば、十分だわ……」
「待ってる」
「待ってどうなる?」
「……アノスが来るわ。あなたを倒しに……」
「信じてる」
にぃ、とジェルガの口元が歪む。
嘲笑うように彼は声を上げた。
「く、ははははっ、それだけの
「……そんなの、知らないわ……」
「……見えなくても、信じてる……」
光弾が何度も何度も、銀髪の少女を撃つ。
それでも、彼女たちは地上を見つめ、<
「……わたしは守るわ……」
「アノスが守りたかった平和」
「……お前が守れって、言われたんだからっ……!!」
「……誰も死なせない……」
ジェルガの頭部に光が集う。
すると、彼の魔法体はまるで実体をもったかのように具現化した。
「……根源を滅ぼしたぐらいでっ、わたしの魔王が死ぬとでも思ったのっ!?」
「アノスは一人で勝手に死なない」
<破滅の魔眼>がすべての光弾を破壊した。
「とうとう常識も理解できぬようになったか。哀れな魔族よ。お前らの懊悩は心地がいい。更なる絶望を味わうがいい。二千年前、私が味わった苦痛を、何百倍にもして貴様らに返してやろう」
トーラの森を覆うように、巨大な四つの魔法陣が出現する。
それぞれ、地、水、火、風で構成されたそれは、<
その魔法結界が一瞬、<破滅の魔眼>の威力を防いだ。
一人のゼシアの左胸に<
「まずは一人だ。十秒後にもう一人。貴様らが泣いてやめろと懇願するまで、一人ずつ爆発させてやる。守りたかった者が、順番に死んでいく悲しみを、とくと味わえ」
ジェルガがぐっと左手を握る。
「<
レイが走った。
サーシャとミーシャが
エレオノールが、声を上げる。
だが、間に合わない――
それでも――
ゼシアは爆発しなかった。
全員の視線がそこに集中した。
「……馬鹿…………な…………」
ジェルガの呟きが漏れる。
彼の瞳が映したのは、暴虐の魔王。
「……アノス…………ヴォルディゴード…………」
「ふむ。どうやら俺のこともわかるようだな」
ゆるりと、俺は足を踏み出し、ゼシアたちの倒れた場所を歩いていく。
「ご苦労だったな、レイ、サーシャ、ミーシャ、エレオノール。よくもちこたえた」
先程のゼシアだけではなく、この場すべての<
「………………なぜ、だ………………いったい、なぜ……?」
「その身を魔法に化そうと、鈍いのは変わらぬな、ジェルガ。俺を常識で計るな」
驚愕の表情を浮かべるジェルガに、俺は言った。
「根源を滅ぼせば、蘇らぬと思ったか」
一応説明しておきますと、サーシャとミーシャは時間経過などでまた分離します。