勇者 対 魔王
一分の無駄もない所作で、レイは一歩を刻んだ。
次の瞬間、俺の眼前に奴の姿があった。
「……ふっ……!!」
霊神人剣が煌めく。
神々しい光が目映いほどに瞬き、俺の魔眼さえも暗ませた。
次の瞬間、光に溶けるようにレイの姿は消えていた。
死角から殺気を覚える。
俺の目が捉えきれぬ間に、閃光の如く、聖剣の刃が振り下ろされる。
「そこだ」
左手に<
それを盾に死角からの剣撃を弾いた。
ダァンッと魔力が爆ぜる音が耳を劈き、左手に纏った<
「よく見えたね」
「お前の
切られた<
それを通して、レイの視界を共有することができる。
「…………」
レイは霊神人剣で俺たちの間の魔法線を切断する。
だが、切った魔法線はすぐにつながった。一度<
「今のお前には<
「そういう君こそ、根源を二千年前、この剣に貫かれた。君に魔力を注ぐ目的だったとはいえ、霊神人剣は暴虐の魔王を滅ぼすための聖剣だ。その根源は傷ついたままなんじゃないかい?」
「では、試してみるのだな」
俺は魔法陣を描き、<
右手を魔法陣にくぐらせると、指先から黒く染まった。
魔眼を凝らし、深淵を覗いたところ、今のレイの根源は七つ。
この<
「<
遙か上空に巨大な魔法陣が描かれる。
そこから姿を現したのは、漆黒に煌めく巨大な魔石である。
まるで星が堕ちるかの如く、レイめがけて、無数の魔石が降り注いだ。
「……はっ……!!」
自分めがけて堕ちてくる魔なる流星をレイはエヴァンスマナで悉く斬り払う。
聖剣とはいえ、剣で星を斬るとは大したものだが、しかし、これで手は塞がった。
「<
巨大な魔法陣が今度は草原を覆いつくしていき、溢れ出した水がこの場所を浅く黒い池へ変貌させる。
そして、噴水が立ち上るかの如く、レイの足元から漆黒の瀑布が天へ向かって勢いよく噴出する。
「……せあっ……!!」
霊神人剣を黒い池へ突き刺し、レイは思いきり切り上げる。逆流した瀑布とともに、池が真っ二つに割れた。
直後、降り注ぐ<
「遅いぞ」
彼の行く手を阻むように、<
「はっ!!」
霊神人剣の加護と反魔法で、黒き炎を振り払った瞬間だ。足が止まったレイの心臓を、俺の右手が貫いていた。
「……ぐぅっ………………」
「まずは一つ」
<
一つの根源さえあれば、残りの根源は何度でも復活するとはいえ、ある程度の時間は必要だ。さすがに六つ潰されれば抵抗はできまい。
「諦めるのだな。二千年前、お前は一度として俺に勝ったことはない」
「確かに僕は、君を倒せなかった」
更にもう一つの根源を破壊されるより先に、レイは俺の右腕にエヴァンスマナを振るう。左手の<
「何度戦っても、何度立ち向かっても」
レイが地面を蹴り、真っ向から俺に向かってくる。
「ふむ。捨て身の覚悟か。ならば、遠慮なくもらうぞ」
<
ぐしゃり、と二つ目の根源を潰す。
普通ならば激痛で立っていることもできないはずだ。
しかし、彼は霊神人剣を俺の肩口に振り下ろしている。
「……はぁっ……!!」
<
ビギィィッと魔力が弾ける音が耳を劈いた。
「三つめだ」
鳩尾に右腕を突き刺したまま、レイの根源を握りつぶす。
それで怯むかと思えば、レイは更に間合いを詰めてきた。
俺の右腕がレイの腹を貫通した。
これでは根源がつかめぬ。
「……はああぁぁぁっ!!」
再び振り下ろされた聖剣を<
左手の<
だが、その剣はくるりと軌道を変え、跳ね返った力を逆に利用するかの如く、再び俺の肩口へ振り下ろされた。
速い――
左手は間に合うが、<
俺は<破滅の魔眼>でエヴァンスマナを凝視し、その魔力を滅していく。
「……ふっ!!!」
<破滅の魔眼>も反魔法も貫き、霊神人剣が俺の右肩に食い込んだ。
鮮血が散り、いくつもの聖痕が傷口に浮かぶ。
だが――
「四つめだ」
鳩尾から右手を引き抜くと、今度はレイの右胸を貫き、根源を潰す。
だが、それでも怯まず、レイは更に俺の体に霊神人剣を食い込ませていく。
「お前の手の内は知れている」
<
レイが両腕で渾身の力を入れる。その膂力と魔力に当てられ、草原の草という草が弾け飛び、周囲の木々さえも薙ぎ倒された。
だが、それでも俺がつかんだ剣身はびくともしない。
「魔族の体なら、力比べで勝てると思ったか」
「……ぐ、はっ……!」
再び右腕をぐっと握り、五つめの根源を潰した。
「残り二つだ。後がないぞ」
「……僕は君に負け続けてきた……。負けてもよかった……。何度も挑み、ただ一度だけ奇跡が起これば、それで僕の勝ちだった……」
「奇跡など起こらぬ」
レイがどれだけ力を入れようと霊神人剣は動かせない。
その魔力は至近距離での<破滅の魔眼>と<
「残り一つだ」
ぐしゃり、と根源を潰した。
レイの口元から、血が滴る。
「退け。この状態で戦うほどお前は馬鹿ではあるまい」
根源が一つになれば、カノンは常に逃げの一手を打った。
今が無理でも、未来に希望をつなぐ。
人々の希望である自分が、決して死んではならぬことを理解していたのだ。
「……いつか、世界に平和を、それが僕の願いだった……だから、逃げた。たとえ負け続けても、最後に一度勝てばいいと思った。それが正しいと信じていた」
レイは呟くように言った。
その瞳はじっと俺を見据えている。
「違う。僕には勇気がなかったんだ。今、目の前に助けるべき人がいる。いつかなんて、もう待てやしない。僕は今救いたい。今、一人でも多く、苦しんでいる人を助けたい。そう思えないのなら、僕はいつかが来たって、きっと命なんてかけられないっ!」
それはいつか、どこかで聞いた言葉。
たぶん、それが彼に最後の覚悟を決めさせたのだろう。
根源を七つ持ち、決して滅びぬ彼に、終わりを迎える覚悟を。
「たとえ、奇跡が起こらなくても、今日だけは負けられない……! 僕がここで負ければ、君は降りかかる火の粉を払うために、いつか人間を殺すことになる……!」
小を殺してでも、大を生かす。
それが本来は正しいことだろう。現に俺も、これまでそうしてきた。
そうしなければ、暴虐の魔王として、滅ぼすべきものを滅ぼさなければ、守れなかったものがある。
レイは霊神人剣から左手を放す。
「……誰よりも……なによりも平和を望んだ君に、僕はそんな仕打ちをさせるわけにはいかないっ!!」
レイの左手の先の空間がぐにゃりと歪んだ。
そこから蜃気楼のように姿を現したのは、一意剣シグシェスタだ。
その剣が禍々しい紫の光を放った。
一意剣は、極限まで魔が凝縮された文字通りの魔剣と化す。
「はぁぁっ!!」
レイは霊神人剣エヴァンスマナに叩きつけるように一意剣シグシェスタを振り下ろした。
聖と魔、相反する力が反発するかの如く、光の大爆発が起きた。
周囲の木々の大半が消し飛び、俺の体が有無も言わせず、遙か後方に吹き飛ばされていた。
「ふむ。凄まじい魔力だ」
ゆっくりとレイが俺に向かって歩を進める。
右手には神々しい光を放つエヴァンスマナ、左手には禍々しい輝きを見せるシグシェスタを携えている。
その光が混ざり合い、反発し、それでもぎりぎりのところで制御され、聖剣と魔剣の持つ力を何倍にも高めている。
「ここにきて、そこまでの境地に至るとはな」
一意剣は、一意専心をなすことで初めてその真価を発揮する。
霊神人剣は、一点の曇りもない静謐な心の持ち主のみを所有者として認める。
レイは一意剣を振るうため心を魔に満たしながらも、魔を滅ぼすために作られた霊神人剣を使いこなしている。
魔と聖、一見して矛盾した想いを抱えているようにも見えるが、彼の中ではきっと違うのだろう。
勇者として生きた人生、魔族として生きた人生、その二つがレイの中で共存している。聖と魔は矛盾しない。いや、きっと、そんな複雑なことではない。
人間と魔族は共存できる。それが彼の意志だ。
そして、その崇高な想いを、聖剣も魔剣も認めたのだ。
「ますますお前を死なせるわけにはいかぬ」
両腕に<
そこに魔法陣を描き、起源魔法<
漆黒のオーロラが黒き雷を纏い、攻防一体の魔法と化す。
「来るがいい。お前を勇者の呪縛から解き放ってやる」
レイの足が、ぐっと地面に食い込む。
「……行くよ、アノス」
俺たちは、互いに真正面から突っ込んでいく。
レイの双剣と俺の魔法が衝突し、その余波で周囲のものというものが吹き飛ばされていく。
森を駆けながらも、エヴァンスマナとシグシェスタ、<
暴虐の魔王と伝説の勇者の戦いに耐えかね、まるで悲鳴を上げるかのように、トーラの森中が激しく震撼していた。
そうして、何度目の衝突だったか。
シグシェスタが<
そうして、エヴァンスマナは、確かに俺の胸を貫いていた――
「………………………………どう…………して…………?」
驚愕をあらわにするようにレイは言葉をこぼす。
「かわせたはずだ……そうじゃなくても、君の根源を、狙ってはいないのに……」
俺は笑う。
あえて霊神人剣をこの身で受けた。
この根源で、魔王を滅ぼす聖剣を。
すべては思惑通りだ。
「周囲を見てみるがいい」
レイは辺りに視線をやった。
遠く離れた位置、しかし、それでも肉眼で確認できる場所に、ガイラディーテ魔王討伐軍の姿があった。奴らは警戒するようにこちらの様子を窺っている。
戦いながら、それとなくこの場所へ誘導していたのだ。
「復活した勇者カノンが、暴虐の魔王を滅ぼした。これでお前の筋書き通り、人間の憎しみも晴れるというものだ」
レイの仮面に手を伸ばし、それを外す。
俺はその仮面を被った。
「我が同胞たちよ」
傍受した<
俺の声は、仮面の効果で、アヴォス・ディルヘヴィアのものになっている。
<
反対にレイの服は、二千年前の勇者の服に変えた。
<
彼らはアヴォス・ディルヘヴィアが敗れた瞬間を見ただろう。
「……全軍、ディルヘイドに撤退せよ。余が再びこの地に転生するまで、アゼシオンへの報復は許さぬ。生きよ。魔王が、戻る、その日まで……」
レイはガイラディーテ魔王討伐軍に討たれるつもりだった。そして、今の俺と同じことを言うつもりだったのだろう。
生死の確認には来るだろうが、暴虐の魔王の
「……霊神人剣は、暴虐の魔王を滅ぼすための聖剣だ……君の根源は……もう……」
霊神人剣エヴァンスマナは確かに俺の体を貫き、すでに根源を蝕んでいる。
死んだフリで誤魔化せるようなことではない。
それならば、レイも自らの命をかけようとはしなかった。
人間と魔族、双方に暴虐の魔王が滅びるところを見せる必要があるのだ。
「……アノ――」
レイの唇に、血に染まった指で触れ、彼の口をそっと塞ぐ。
「どうした? 勇者カノン? 余を倒したのだ。もっと誇るがいい」
険しい表情でレイは俺を睨む。
ガイラディーテ魔王討伐軍がこちらへ進軍してきていた。
今ならば、霊神人剣に突き刺された魔王の姿をはっきりと確認できたことだろう。
力を見せる必要がある。
俺が暴虐の魔王であるという証拠を。
「愚かな人間どもよっ!!」
ガイラディーテ魔王討伐軍へ俺は大声で言った。
つまらぬ茶番だ。しかし、これで平和が訪れるのなら、道化を演じようではないか。
この男のように。
「余はただでは死なぬ」
これまで以上の魔力を注ぎ、<
大空に魔法陣が浮かび上がり、そこから巨大な魔石が姿を現す。
<
数万の兵をもろとも屠るだけの威力はあるだろう。
魔法結界などのものの数には入らぬ。
「ともにこの地にて滅びよ」
<
魔王討伐軍は、多重の魔法結界を張り巡らせたが、暗黒がそれを飲み込むようにして、魔石が堕ちた。
ドガアアアアァァァァァァァンッと地面に大穴が空く。底が見えず、奈落へ続くような深い穴が。
まるで世界が滅びるかというほどの震動が、辺りに巻き起こった。
二つ、三つ、魔石が次々と地面に穴が穿つ。
魔王討伐軍からはまだ離れた位置への着弾だが、その余波に耐えることさえ彼らは精一杯だった。
そして、頭上にはまだ数百ほどの魔石が浮かび、魔王討伐軍に狙いを定めている。アレが堕ちてくれば死ぬ。誰もがそう確信したはずだ。
俺の意図を察し、レイは魔王討伐軍のもとへ走った。
「魔王アヴォス・ディルヘヴィアッ、お前の思い通りにはさせないっ!」
彼は魔王討伐軍へ呼びかける。
「みんなっ、力を貸してくれっ。僕は勇者カノンだっ! あの残虐な魔王に、とどめを刺す力をっ!!」
レイは<
聖剣を掲げ、聖なる光を纏いながら、降り注ぐ絶望を斬り裂く姿は、確かに勇者そのものだ。
誰かが言った。
「……あれは、勇者カノンなのか…………?」
「……わからない……だが……だが、あの聖なる光に包まれた姿は……? 俺たちを守ってくれている……」
誰かが言った。
「暴虐の魔王と戦っていたのか。奪われた聖剣を取り戻し……たった一人で……」
彼の姿に、いつも人間は希望を見る。
そんな不思議な魅力がカノンにはあった。
誰かが、言った。
「……カノンが、来てくれた……」
その言葉は、空に浮かぶ魔石を見て、絶望したガイラディーテ魔王討伐軍に一気に波及した。
「我らを救うために、伝説の勇者が蘇ったんだ!」
「カノンッ!!」
「勇者カノンにありったけの力をっ!」
「魔王を倒してくれっ!!」
「今度こそ、この世界に平和をっ!!」
魔王討伐軍の魔力と想いがレイに集う。
霊神人剣の加護が数十倍にも膨れあがる。
「…………」
声が聞こえた。
――ずっと、責め立てられていた――
<
――勇者としての責務に。
――英雄としての義務に。
――ただ剣を振るのが好きなだけの、田舎者だった。
――本当は誰も殺したくなかった。
――本当は戦争なんかしたくなかった。
――だけど、僕が戦わなければ、もっと多くの人が死ぬのだと誰かが言った。
――勇者なんて幻想だ。
――強くもなければ、正しくもない僕に、人々を救済する力はない。
――この手につかんだ命よりも、ずっと多く指の隙間から命がこぼれ落ちていく。
――心ない言葉に騙され、運命に翻弄されて、戦場を右往左往していた。
――勇気なんて僕にはない。あるのはただ人が死ぬという恐怖だけだ。
――それに脅されるように、脅えるように、突き動かされてきた。
――だとしても、
――勇者でなければならなかった。
――英雄を演じ続けなければならなかった。
――我が身を犠牲にしてでも、人々の期待には応えなければならない。
――人々の希望であり続けなければならない。
――力なき者が、僕に殺せと願う。
――弱き者が、僕に死ねとねだる。
――それは、仕方のないことだったんだろう。人には希望が必要だ。
――誰かの苦しむ姿を見るぐらいなら、この身を捨て、この宿命を背負って死のう。
――何度も何度も死んで、
――何度も何度も蘇り、
――そうして、ただ人々のために戦った。
――あるとき、ふと気がつく。
――じゃ、僕の希望は?
――彼らには勇者がいて、だけど、僕にはすがるべき小さな希望すらなかったんだ。
――ありがちな、そうとてもありがちな悲劇の筋書き、
――ああ、だけど、今も昔も、
――最後に僕に手を差し伸べてくれたのは、敵であるはずの、暴虐の魔王。
――アノス、君だった。
――君こそが、僕のたった一人の勇者だったんだ。
霊神人剣で根源を貫かれた魔王は果たしてどうなってしまうのか。
そして、争いはこれで本当に終わるのでしょうか。